第10話 吹雪の鐘
猛烈な風が、屋敷の窓ガラスをビリビリと震わせていた。
予定より早く到来した吹雪は、あっという間に視界を白く染め上げている。
私はロイス卿を応接室に残したまま、屋敷の中庭へと飛び出した。
「オルド! 孤立した三つの村の正確な被害状況は!」
「北の斜面で小規模な雪崩が発生し、主要な街道が塞がれました! 自力での脱出は不可能です。備蓄も乏しく、このままでは数日で凍死者が出ます!」
オルドの報告に、中庭に集まった若者たちの間に動揺が走る。
私は領主代行として、彼らの前に立った。
「慌てないで! 訓練の通りに動くわよ。救援隊、直ちに出撃準備!」
私が声を張り上げると同時に、背後から静かな、しかしよく通る声が響いた。
「アメリア様。三つの村の正確な世帯数と、必要な物資の量です」
差し出されたのは、一枚の紙だった。
それを持っていたのはレオンではない。王都の役所で『使えない』とされた記録係の少女、ミラだった。
彼女はひどく怯えた顔をしながらも、手元の分厚い議事録をめくり、昨日の会議で記録した各村の人口の記録を正確に引き出していた。
「第三村、三十五世帯。第五村、十二世帯。北端の村、二十世帯。……要求される小麦と薬草の最低ラインは、こちらに記載しました」
震える細い声。だが、そこに書かれた数字には一点の曇りもなかった。
レオンがミラの紙をスッと受け取り、即座に懐のペンを走らせる。
「第一馬車に小麦の六割、第二馬車に薬草と毛布。重量バランスを考慮し、雪道での車輪の沈み込みを最小限に抑える配置です。積載指示書を護衛に回します」
レオンの頭脳が、ミラの記録を瞬時に『輸送計画』へと変換していく。
怒鳴り声も、無駄な会議もない。彼らの間には、極めて正確な実務の連携だけがあった。
「暖房具、積み込み終わりました!」
荷馬車の方から、ニコの声が上がった。
彼が作った小型暖房具が、毛布と共に次々と荷台に固定されている。大きな魔力はないが、馬車の中を長時間温め続け、救出した領民の凍死を防ぐための『消えない火』だ。
「よし。先頭の馬車は俺が乗る」
最後に、太い杖をついたガレスが、先頭の馬車の御者台へと重い体を持ち上げた。
彼は手綱を握る若者を鋭く睨みつける。
「いいか、焦るな。吹雪で視界は最悪だ。俺の指示した轍だけを踏め。それ以外は死の道だ。……俺が、全員生きて帰らせてやる」
ガレスの歴戦の目に、若者たちが力強く頷き返す。
ミラが記録から必要な数字を出し、レオンが輸送の最適解を組み、ニコの暖房具が命を温め、ガレスが安全な道筋を切り開く。
王都が『役立たず』と笑い、捨てた者たち。彼らの欠点を塞ぎ、適材適所に置いた結果が、今この中庭で一つの完璧な『救援隊』として稼働していた。
「……素晴らしいわ」
私は彼らの働きを見渡し、領主代行として全体に最後の指示を飛ばし続けた。
だが、容赦なく吹き付ける雪と風は、確実に私の体力を削っていた。一瞬、強い突風に煽られ、よろけそうになる。
バサリ、と。
その時、私の肩に分厚く重い外套が掛けられた。
「え……?」
「指揮官が凍えれば、部隊全体の生存率と作業効率が平均して三割低下します。適切な防寒を」
振り返ると、そこにはレオンが立っていた。
彼は私の肩に外套を掛けたまま、もう片方の手で一枚の書類を差し出してきた。
それは、先ほどの細かい文字が並んだ積載指示書とは違う。
文字が大きく、余白が十分に取られ、吹雪の中でも一目で状況が把握できるように清書された『全体報告書』だった。
「視認性の高い情報です。指示を出す際にご活用ください。……あなたが倒れれば、この領地は回りませんから」
レオンは相変わらず、無表情で淡々としていた。
甘い言葉や、「心配だから」という感情的な理由は一切口にしない。すべてを生存率や作業効率という『数字の理屈』に置き換えてしまう男。
けれど、彼の用意してくれた大きな文字の報告書は、とても見やすく。
私の肩に掛けられた外套は、先ほどの暖石と同じように、ひどく温かかった。
「……本当に、不器用な男ね」
私は小さく笑い、掛けられた外套の襟をしっかりと握りしめた。
「ありがとう、レオン。助かるわ」
「……恐縮です」
レオンがわずかに視線をそらした時、ガレスの乗る先頭の馬車がいななきを上げた。
いよいよ出立の時だ。
「行くわよ! 吹雪に負けないで! 必ず全員、無事に帰ってきなさい!」
私の号令とともに、救援隊を乗せた荷馬車の列が、猛烈な雪が吹き荒れる白魔の世界へと出発していった。




