表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/58

第56話 二度目の季節

 あの3月9日。

 千咲が死んだ日。

 そして――世界が変わった日。


 今回は、誰も死ななかった。


 それは玲が消す能力を手放し、因果が書き換わった結果だった。


 あの日以降、玲はその時間軸で毎日を過ごしていた。

 千冬の研究室には戻れなかった。

 あのままお別れという形になってしまった。

 あいつらは元気でやっているんだろうか?


 朝の光が窓から差し込んでいた。

 玲はゆっくり目を開ける。

 静かな部屋。

 見慣れた天井。

 カーテンの隙間から春の光が入っている。

 玲は体を起こした。

 机の上のカレンダー。

 そして今日の日付。

 4月5日。

 玲は小さく息を吐く。

「……来たか」

 あの日から世界は変わった。

 もうあの3月9日は来ない。

 事故の交差点も、今日はただの春の朝だった。

 何百回も繰り返された日。

 その終わり。

 あの日千咲に告白してから玲はこの世界で二回目の同じ春を迎えようとしていた。


 千咲は変わった。

 ループの力も、記憶も、ないらしい。

 たぶん、世界が調整したんだろう。

 同じ力が重なった、その歪みを。

 でも――それでいい。

 全部、俺が覚えている。

 あの一年も。

 千咲が、何度も俺を救おうとしてくれたことも。

 忘れるわけがない。

 彼女はもう背負わなくていい。

 それにあんな記憶を抱えたままじゃ、壊れてしまう。

 だから――これでいいんだ。


 玲は立ち上がる。

 窓を開ける。

 暖かい風。

 遠くの桜が咲いている。

 そのとき。

 コンコン。

 ドアがノックされた。

「玲!」

 聞き慣れた声。

 ドアが開く。

 そこにいたのは千咲だった。

 春色のワンピース。

 柔らかい笑顔。

「起きてる?」

 玲は笑う。

「今起きたとこ」

 千咲は少し照れながら言う。

「入学式、遅れちゃうよ?」

 玲は慣れないスーツに着替え、二人は家を出る。


 春の道。

 桜の花びらが舞う。

 大学の門が見えてくる。

 そして門の前に四人の姿があった。


「遅い」

 腕を組んでいるのは千春だった。

 黒いジャケット。

 大人っぽい雰囲気。

 玲を見て小さく笑う。

「入学式の主役なのにこんな素敵な女性を待たせるなんて」

 千春は玲のネクタイを掴む。

「曲がってるわよ」

 玲のネクタイを結び直す。

 そしてぐいっと引き寄せる。

 顔が近い。

「オトナのお姉さんの私が教育し直してあげようか?」

 玲が苦笑する。

「朝から距離近いって」

 千春は耳元で言う。

「だって玲くんのこと、前から私のものにするつもりだったのよ。ね?玲くんはお姉さんのこと大好きでしょ?」


 その横から。

「ちょっと千春姉!」

 千夏が割り込んできた。

 玲の腕を掴む。

 ぐいっと引っ張る。

「玲はこっち!」

 千夏は満面の笑み。

「入学おめでとう!」

 そして勢いのまま玲の肩に腕を回す。

「今日は私がこの大学の大先輩として一日中玲と遊んであげる!」

 玲が言う。

「いや俺今から入学式なんだけど」

 千夏は笑う。

「関係ない!玲のこと好きなんだから、これくらいいいでしょ?」


 千春が冷たい目で言う。

「は?どこが?」

 千夏はすぐに睨み返す。

「どこがって、全部だけど?」

 千春は小さくため息をつく。

「はいはい。そういうのは“好き”じゃなくて“子どもっぽい独占欲”って言うのよ」

「は?うざ」

 千夏が即座に返す。

「千春姉みたいなそういう遠回しな言い方するのが一番面倒くさいって」


 千春はくすっと笑う。

「余裕があるって言ってほしいわね」

「余裕じゃなくて逃げてるだけでしょ?」

 千夏は玲の腕を引き寄せる。

「好きならちゃんと取りに来なよ」

 一瞬、空気が止まる。

 千春の目が細くなる。

「……言うじゃない、千夏」


 一歩、距離を詰める。

 玲のネクタイを軽く引く。

「でもね。恋愛っていうのは、“相手に選ばれる余裕がある側”が勝つのよ?」


 千夏は一歩も引かない。

「じゃあ見てればいいじゃん」

 玲の肩にぐっと腕を回す。

「玲がどっち選ぶか」


 千春は微笑む。

「ええ、楽しみにしてるわ」


 バチ、と視線がぶつかる。


 その後ろから。

「……玲くん」

 小さな声。

 千秋だった。

 少し恥ずかしそうに近づく。

「入学、おめでとう」

 玲が笑う。

「ありがとう」

 千秋は少し迷う。

 そして。

 玲の袖をそっと掴む。

「……あの」

 玲が顔を向ける。

 千秋は顔をすこし赤らめて小さく言う。

「もし時間があったら、音楽室、来てほしい。実は玲くんのために練習した曲があるの」

 千春がニヤニヤする。

「はい出た」

 千夏も笑う。

「千秋ずるい。抜け駆けするつもり?」

 千秋は真っ赤になる。

「ち、違う。全然そういう意味じゃ…」

 言葉が続かない。

 視線が揺れる。

 それでも袖を掴む手だけは、離さなかった。


 小さく、でもはっきりと千秋は言った。

「……少しだけ、話したいこともあって」


 一瞬、空気が変わる。

 千夏が少しだけ黙る。

 千春も、ほんの少しだけ目を細める。


 そのとき。

「玲」

 後ろから声。

 千冬だった。

 腕を組んでいる。

 冷静な顔。

 ……だが。

 玲のすぐ隣に立つ。

 距離が近い。

「遅いです」

 玲が言う。

「いやまだ遅刻してないだろ」

「言い訳は不要です。そもそもあなたは時間管理能力に問題があります。初日から遅刻しかけるなど一体何を考えているのですか?」

 千夏が笑う。

「なにそれ母親?」

「違います」

 即答。

「ただの事実指摘です」

 そう言いながら千冬はさりげなく玲の袖を掴む。

 離さない。

 玲が気づく。

「……おい」

「なんですか」

「いや、距離」

「問題ありません」

 千冬は平然としている。

「むしろ適正距離です」

 そう言いながら。

 さらに半歩近づく。

「心拍数、上昇」

「お前な……」

「安心してください」

 淡々と続ける。

「これは観測です」

 そして。ほんのわずかに視線を逸らして。

「……別にあなたの隣にいたいとか、そういう非合理な理由ではありません」

 千夏が吹き出す。

「いや今の完全にそうでしょ」

「違います」

 ほんの一瞬だけ声が強くなる。

「断じて違います」

 玲が苦笑する。

「はいはい」

 その瞬間、千冬は玲の袖を引く。少しだけ強く。

 玲がよろける。

「おっと」

 距離が、さらに近づく。

 そして千冬は玲の耳元で小さく言う。

「……玲。一つだけ、訂正します」

「なんだ?」

「あなたは」

 ほんの少しだけ。

 頬が赤くなる。

「観測対象として……特別です」

 玲が固まる。

「それ言い換えただけじゃねえか」

「違います」

 即答。

 だが袖はまだ、離していない。

 千春が小さく笑う。

「はいはい。みんな分かってるわよ」

 千夏も肩をすくめる。

「素直じゃないのは千冬も一緒か」

「違います」

 即答。

 しかし。

 ほんのわずかに声が揺れる。


 そして千冬は続ける。

「それと重要な情報があります」

 空気が少し変わる。


「あなたもでしょうが、私たち姉妹もこれが二回目の春です。つまり前回の一年を覚えています」


 玲の胸が、高鳴る。


「正確には“記憶”ではありません」

 玲の目がわずかに動く。

 千冬は続ける。

「時間残響――いわゆる“観測ログの残留”です。あなたを中心に発生したループは、通常よりも因果干渉が強かった。その結果、深く関与した個体には完全なリセットがかからなかった。私たちは“例外的に残った側”です」


 最初に笑ったのは、千春だった。

「そうね」

「理屈はどうでもいいけど」

 やわらかく笑う。

「忘れるわけないじゃない」


 千夏が一歩前に出る。

「そうそう」

 少しだけ照れながら。

「体が覚えてるって感じ?」


 千秋は静かに頷く。

「……うん」

 小さく頷く。

「ちゃんと、残ってる」

 胸に手を当てる。


 そして千冬が最後に口を開く。

「……まあ、あなたも覚えているでしょうが、例えあなたが覚えていなかったとしても問題はありません。私たちは“残っています”から」

 玲が少しだけ驚く。

 千冬は視線を逸らす。

「……完全な記憶ではありませんが、時間残響として、観測ログが保持されています」

「……あなたと過ごした時間は記録としても……大切なものです」

 静かな声だった。

 一瞬だけ、誰も何も言わない。

 千春がふっと笑う。

「珍しいわね。素直じゃない千冬が」

 千夏も笑う。

「今日はサービスいいじゃん」

 千秋は小さく笑った。

 そして玲を見る。

 四人の視線が、重なる。

 逃げ場はなかった。

 でも。それは――どこか、温かかった。

 そして玲の瞳には涙が滲んでいた。


「もう、みんな騒ぎすぎ!」

 千咲は困ったように言いながらも、その声はどこか楽しそうだった。

 千夏が「だってしょうがないじゃん」と笑い返すと、

 千咲もつられるように、小さく笑う。

 何気ないやり取り。

 当たり前の光景。

 ――それが、やけに懐かしく感じた。


 そして玲は、ゆっくりと千咲を見る。

 何も知らないはずの顔。

 失って、探して、何度も届かなかった存在が。

 今は、確かに目の前にいる。


 玲は小さく息を吐いた。

 そして、少しだけ笑う。


「……千咲」


 そっと、千咲の頭に手を乗せた。

 くしゃりと、優しく撫でる。


 千咲は、目を見開く。

 なぜか分からないまま、涙が頬を伝った。

「……あれ?私、どうしたんだろう」

 戸惑いながらも泣きながら千咲は微笑んだ。


 その瞬間玲の視界が、歪んだ。

 気づけば、涙があふれていた。

 止まらない。

 喉が詰まる。

 「……っ」

 息がうまく吸えない。

 笑おうとして。

 でもうまく笑えない。

 それでも――

 「……よかった」

 声が、震える。

 「ほんとに……よかった…千咲」

 言葉にならないまま、息が漏れる。

 こらえきれず、思わず吹き出すように笑った。

 涙と一緒に。

 ぐちゃぐちゃのまま。

 それでも、止まらなかった。

 その光景を、姉妹たちは静かに受け止めていた。


 そのとき。

「おーい」

 低い声。

 振り向く。

 そこに立っていたのは千堂父だった。

 スーツ姿。

 背筋の伸びた姿。

 相変わらず威厳のある雰囲気だった。

「みんな揃っているじゃないか」

 千春が言う。

「お父さん?」

 千堂父はゆっくり歩いてくる。

 そして。

 玲の前で足を止めた。

 玲は急いで涙を拭った。

「玲くん」

 玲は軽く頭を下げる。

「お、おはようございます」

 千堂父は小さく頷く。

「うむ。おはよう」

 そして。

 視線が。

 千咲に向いた。

 千咲は少し照れたように笑う。

「お父さん」

 その瞬間だった。

 千堂父の表情が。

 ほんのわずか。

 揺れた。

 目を細める。

 まるで千咲の存在を確かめるように。

 しばらく。

 千咲の顔を見つめている。

 そして。

 小さく息を吐いた。

「……千咲」

 声が少しだけ震えていた。

 千咲は首をかしげる。

「どうしたの?お父さん」

 千堂父はすぐに顔をそらす。

 しかし。

 玲は気づいた。

 千堂父の目が少しだけ潤んでいる。

 千堂父は軽く笑う。

「今日はとても素晴らしい日だ」

 そして。

 千咲の頭をそっと撫でた。

「千咲、元気そうで何よりだ」

 千咲は少し恥ずかしそうに笑う。

「もう、私子供じゃないよ?」

 千堂父は頷く。

「分かっている」

 そして。

 小さく。

 誰にも聞こえない声で呟いた。

「……本当に、本当によかった」

 玲はその声を聞いた。

 千堂父は空を見る。

 春の光。

 桜が舞っている。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいるようにみえた。

 そしてもう一度千咲を見た。

 そこにはどこか似た笑顔があった。

 五年前に亡くなった姉妹の母、千早に。

 そして小さく呟く。

「……千早、お前の力は、まだ終わっていなかったんだな」

 (ありがとう、玲君)


 玲は空を見る。

 青空。

 桜。

 そして隣の千咲。

 後ろでは。

 四姉妹がまだ玲を取り合っている。

 玲は思わず笑う。

 そして千咲が言う。

「玲」

 玲が振り向く。

「行こう」

 大学の門。

 新しい春。

 玲は頷く。

「……ああ」

 そして二人は歩き出す。

 その後ろを四姉妹が追いかける。

 春の風。

 桜が舞う。

 あれからループはしていない。

 俺は一年前に戻った。

 でもこの一年はきっと前回よりも賑やかで楽しい一年になる。


 長い旅が終わった。


 俺たちの SEASON'S∞TRIP は、またここから始まる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ