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第55話 最後の3月9日

 光が弾ける。


 世界が歪む。


 そして。


 玲は立っていた。


 公園。


 桜の木。


 まだ咲いていない蕾。


 空は曇り空だった。


 冷たい風が吹いている。


 玲はゆっくり息を吐く。


 ここはあの3月9日。


 千咲が何百回も戦い続けてきた日。


 玲は空を見上げる。


 曇り空。


 この朝を千咲は327回繰り返した。




 ゆっくり近づく足音。


「玲」


 声。


 玲は振り向く。


 千咲だった。


 ピンクのワンピース。


 長い黒い髪。


 しかし。


 玲はすぐに分かった。


 瞳。


 完全に光を失っていた。


 まるですべてを諦めた人間の目。


 千咲は玲を見る。


 少しだけ確認するように。


「玲」


「今日は、私の言う通りにして」


 その声には感情がほとんどない。


 玲は言った。


「千咲」


 千咲は静かに玲の瞳を見る。


 玲は桜の木を見た。


「少しだけ時間いいか」


 千咲は戸惑う。


「……え?」


 少し焦っている。


 このあと起きることを千咲は知っているからだ。


 玲は言った。


「大丈夫だ。少しだけでいい」


 千咲は迷う。


 しかし足を止めた。


「……なに?」


 玲は千咲を見る。


 何百回。


 千咲が戦ってきた時間。


 玲は静かに言った。


「千咲。ありがとうな」


 千咲が止まる。


「……え?」


 玲は続けた。


「俺、全部見た」


 風が吹く。


 千咲の瞳が揺れる。


 玲は言う。


「お前のループを。最初から最後まで」


 千咲の呼吸が止まる。


「玲……なに言ってるの?」


 玲は続ける。


「327回」


 千咲の体が震える。


「俺を助けるために何百回もやり直してくれたんだな」


 玲の声が少し震える。


「全部見たよ」


 静かな公園。


 千咲は玲を見ている。


 信じられないという顔。


「……うそ……」


 玲は首を振る。


「千咲、このループでお前は自分を犠牲にして俺を助けるつもりなんだろ?」


 千咲の瞳が揺れる。


 張り詰めていた何かが。


 少しずつ崩れていく。


 玲は言った。


「だから戻って来た」


 少し笑う。


「今度は俺が千咲を」


 その瞬間。


 千咲の瞳から涙がこぼれた。


 大粒の涙だった。


 千咲は首を振る。


「……だめ」


 声が震える。


「だめだよ玲」


 涙が止まらない。


「これは私がやることべきことなの!私は!玲を守るために!」


 千咲はネックレスを握る。


 その目には決意がある。


 自己犠牲。


 死ぬ覚悟。


 玲は静かに言った。


「ああ、分かっている。お前の気持ちは」


 そして言った。




「好きだ」




 千咲が止まる。


 玲は言う。


「千咲。俺、お前が好きだ」


 玲は続ける。


「ずっと近くにいたのに。俺は何も気づいていなかった。違うな。きっと気づかないふりをして目を背けていたんだ。」


 小さく笑う。


「ごめん」




 千咲の瞳が揺れる。


「でも…」


 少し寂しそうに笑う。


「玲はお姉ちゃんのことが好きなんだと思ってた。だっていつもお姉ちゃんと楽しそうに話していたから」


 後ろで姉が静かに微笑んでいる。


 玲は小さく息を吐く。


 そして言う。


「違う」


 千咲が顔を上げる。


 千咲の瞳が揺れる。


 何かが。


 千咲の中で、


 静かにほどける。


 風が吹く。


 玲は言った。




「俺が好きなのは。千咲だ」




 千咲の涙が止まらない。


 声が震える。


「それを伝えにきた。たとえこの後、俺が死ぬ運命だとしても」


「……なんで」


 玲は言った。


「だってやっと気づいたから。この気持ちに。千咲に伝えられたら思い残すことは何もない」


 玲は千咲にゆっくり近づく。


 そして千咲の肩にそっと手を置く。


 静かに。


 唇を重ねた。


 短いキス。




 その瞬間。


 チリン。


 鈴の音。


 玲の耳の奥で鳴る。


 玲は空を見上げた。


 曇り空の隙間から光。


 太陽の光。


 桜の枝に光が当たる。


 まだ小さな蕾。


 その蕾が少し膨らむ。




 玲は、はっと顔を上げた。


 何かが、変わった。


 そう思った。


 けれど、それが何なのかは分からない。


 ただ確かに“さっきまでとは違う”という感覚だけが残っていた。


 玲は、隣にいた千咲の手を取る。


 確かめるように。逃さないように。


「玲?……今、なにか……」


 千咲が空を見上げる。


 でも、言葉は続かなかった。


 代わりに、胸元に手を当てる。


 理由は分からない。


 それでも――


 なぜか、少しだけ安心していた。


 視線が重なる。


 ほんの一瞬。


 けれど、何かを確かめ合うには十分だった。


 玲は、小さく息を吐く。


「……もう、離れるな」


 強い言葉じゃなかった。


 でも、それは確かな意思だった。


「これからは――」


 一瞬だけ言葉を選ぶ。


 そして。


「……俺が、そばにいる」


 千咲の目が揺れる。


 玲はそのまま言う。


「今日は、大学なんていい」


 少しだけ笑って。


「一緒に帰ろう。千咲」


 千咲は涙を拭いた。


 そして、小さく頷く。


 握られた二人の手は、もう離れなかった。


 まるで運命が祝福しているようだった。


 二人は桜の下を歩き出した。




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