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第37話 3月9日へ、もう一度

 2月14日の夜。


 街の灯りが、ゆっくりと揺れていた。


 玲は歩きながら、ポケットの中の紙袋に触れる。


 チョコレート。


 千春。


 千夏。


 千秋。


 千冬。


「……四つ」


 小さく笑う。


 いや、多分結構にやけていた。


 その横で、千冬がタブレットを操作していた。


「玲」


「ん?」


 画面を見せる。




 VALENTINE EVENT


 COMPLETE




 玲はため息を吐いた。


「だからそのログ残すなって」


「重要な観測データです」


 千冬は平然としている。


 しかし一瞬だけ、画面の端に視線が止まる。




 HEART RATE


 ERROR




 玲に見られないようにすぐに画面を切り替える。


 何事もなかったかのように。




 SEASON LAYER


  SPRING


  SUMMER


  AUTUMN


  WINTER


 COMPLETE




 玲は空を見上げた。


 長かった一年。


 何度もやり直した一年。


「……終わったな」


 千冬は静かに頷いた。


「はい」


 少し間を置く。


「ですが、まだ終わっていません」


 玲は小さく笑う。


「そうだな」


 そして呟く。


「まだ千咲がいる」




 千冬はタブレットを操作する。


 表示されるデータ。




 DATA ERROR


 PERSON RECORD


 NOT FOUND




 玲はその画面を見て言った。


「……やっぱり」


 千冬が聞く。


「玲」


 玲は迷わなかった。


「千咲」


 千冬の指が止まる。


 ほんの一瞬。


 わずかに。


 呼吸が乱れる。


「……はい」


 静かな夜。


 千冬は言う。


「奇妙です」


 玲が聞く。


「何が」


 千冬は画面を指した。


「この世界の記録に、千咲の存在はありません」


 玲は苦笑する。


「ああ、知っている。でも俺たちは覚えている」


 風が吹く。


 一瞬だけ。


 空気が冷える。


 千冬は小さく頷く。


「……はい」


 そして、低く呟く。


「記録に存在しない個体を観測できている。……矛盾しています」




「玲」


「3月9日」


 玲の胸が、強く鳴る。


「……あの日か」


「はい」


 千冬は画面を見せる。




 TIME INTERFERENCE


 POINT DETECTED


 MARCH 9




 その表示が、わずかにノイズを帯びる。


 文字が揺れる。


 一瞬だけ。


 “何か”が混ざる。


 玲は眉をひそめる。


「……今の」


 千冬は即座に画面を固定する。


「問題ありません」


 しかし。


 声がほんのわずかに硬い。




 玲が聞く。


「装置は完成したんだよな?使えるのか」


 千冬は答える。


「はい」


 そして言う。


「あの日に戻れます」




 玲は空を見る。


 三月。


 桜。


 雨。


 記憶の奥が、ざわつく。




 玲は小さく言った。


「……千咲はなんで消えたんだろうな」


 千冬は少し考える。


「観測では事故のはずですが」


 玲は首を振る。


「なんか違う気がする」


 千冬は玲を見る。


「どうして」


 玲は言う。


「わからない」


 少し間。


「でも」


 拳を握る。


「確かめたい」




 そして― 研究室。


 静かな機械音。


 千冬は装置を起動する。




 LOOP CONTROL


 READY




 玲が聞く。


「戻る日は?」


 千冬は答えた。


「事故の日です」




 TARGET DATE


 MARCH 9




 その表示の奥で。


 一瞬だけログが走る。




 LOOP COUNT


 ———




 表示されない。


 千冬の指が止まる。


 しかし。


 何も言わない。




 玲の胸が強く鳴る。


 事故の日。


 すべての始まり。


 玲は静かに言った。


「行ってくる」




 千冬は頷く。


「了解」


 そして小さく言う。


「玲」


「ん?」


 千冬は視線を逸らしたまま言う。


「……必ず、戻ってきてください」


 玲が少し驚く。


 千冬は少し慌ててすぐに付け足す。


「か、観測の継続が必要ですので」


 玲は笑顔で言った。


「ああ、わかったよ」




 装置が起動する。


 モニターが光る。




 TIME JUMP


 START




 玲は小さく呟いた。


「待っていろ。千咲」




 白い光が、研究室を包んだ。

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