第15話 犯人は、こいつだ
全国大会の大会本部棟の一室。
臨時で設けられた記者会見室は、異様な熱気に包まれていた。
長机の向こうには、報道カメラがずらりと並び、フラッシュが何度も光る。点滅する光が、部屋全体を白と黒のモノクロームに変えていくみたいだった。
その中心に座っているのは、千夏だった。
ドーピング問題の当事者として呼び出されたのだ。
会場の空気は重い。
誰かが息を飲む音が聞こえるような静けさの中、記者の一人が口を開く。
「検査結果は陽性です。本人は否定していますが、どう説明するつもりですか」
千夏の唇が、かすかに震える。
彼女は言葉を詰まらせた。
「私は……」
伸ばした手が、テーブルの端で握り込まれる。
「やってません」
その声は小さかった。
けれど、カメラの向こうで待ち構えている群衆には、まるで届いていないみたいだった。
会場の空気は冷たい。
嘲るような、あるいは諦めるような声が上がる。
「しかし証拠がありますからね」
「言い逃れは難しいでしょう」
記者たちの声が千夏に飛ぶ。
その熱が、千夏の肩をわずかに震わせた。
そのとき。
会見室の扉が、ゆっくりと開いた。
ざわめきが広がる。
玲と千冬だった。
玲は会場を見渡した。フラッシュの光が目を焼く。渦巻く視線が、皮膚の下まで入り込んでくるようだ。
玲はその熱の中へ、まっすぐ前に出た。
「犯人はこいつだ」
玲は指さした。
会場の視線が一斉に、玲の指の先へと向かう。
そこに立っていたのは、一人の女子選手だった。
千夏のライバル。
何度も千夏に負け、常に二位を走り続けてきた選手だ。
会場が、ざわめきを押し殺した。
「……は?」
ライバルが、ゆっくりと眉をひそめる。
「あなたたち、一体何を言ってんの?」
審判が立ち上がる。
「根拠のない発言はやめなさい」
玲は言った。
「根拠ならあります」
そのとき、千冬が玲の前に出た。
彼女の手に握られたタブレットが、白く光っている。
「あります」
千冬がタブレットを操作する。
会見室の壁一面が、大きく点灯した。
大きなスクリーン。
そこに映像が流れる。
夜の部室。
棚に置かれたサプリのケース。
そこへ近づく人影。
キャップを深くかぶり、顔はよく見えない。
だが、その細い体つきは、間違いなく女子選手のものだった。
人影がケースを開ける。そこからカプセルを取り出す。
小瓶のサプリが取り出され、中のカプセルをすり替える。
そして元のケースに戻す。
その一連の動きは、淀みがなかった。
プロのように、手慣れた動きだった。
映像が、拡大される。
キャップの隙間から見えた横顔。
揺れるピアス。
間違いなかった。
千夏のライバル選手だ。
会場が凍りついた。
誰も声を出さない。
ただ、カメラのシャッター音だけが、不規則に鳴り響いていた。
ライバルの顔が青くなる。
唇が、かすかに震える。
「……違う」
小さく、掠れた声だった。
「これは」
千冬が、冷たく言い放った。
「部室の監視カメラの映像です」
玲が続ける。
「サプリをすり替えたのはあんたなんだよ」
ライバルの肩が、震える。
指が、自分の制服の袖を強く握りしめていた。
記者のフラッシュが、何度も、何度も光る。
「……なんで」
ライバルが、小さく呟く。
千夏が、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
その動きは、とても静かだった。
「どうして」
千夏の声が、ライバルに届く。
ライバルの顔が上がる。
その目からは、すでに涙が溢れていた。
「だって……」
声が震える。
「私は十年以上も走ってる」
膝の上で、拳が強く握り込まれる。
「毎日吐くまで走って。それでも毎回、あなたに負けて。それでも、それでも走ってきた」
ライバルの視線が千夏を捉える。
その目に宿ったのは、諦めと、憎悪と、そして嫉妬だった。
「なのに、勝てない。私はずっと一番になれない。そしてあなたは、ただ天才って言われる」
涙が、止まらない。
頬を伝い、アゴの先からポロポロと落ちていく。
「最初は、ただ勝ちたかっただけだった。一度だけでも、スポットライトを浴びてみたかった」
呼吸が荒くなる。
肩が大きく上下する。
「でも」
顔が歪む。
その歪んだ顔の中で、彼女はゆっくりと呟いた。
「……だんだん思ったの。あなたが居るのが悪いって。あなたさえいなければって」
会場が凍る。
その言葉の響きが、氷みたいに冷たかった。
「選手生命が終わればいいって。そうすれば……」
ライバルは、涙を流しながら笑った。
その顔は、正気を失っているように見えた。
「そうしたら今度は私が一番になれると思った」
会見室は、石になったみたいに静まり返っていた。
千夏はしばらく黙っていた。
ただ、ライバルをじっと見つめている。
やがて、千夏が口を開いた。
その声は、静かだった。
どこまでも静かで、けれど芯のある声だった。
「……それでも」
千夏の声が、会見室の空気を震わせた。
「ズルして勝つくらいなら、私は負ける方がずっといいよ」
ライバルの顔が、さらに歪む。
千夏は続けた。
「また、一緒に走ろう」
その言葉は、どこまでも優しかった。
けれど、その優しさが、ライバルをさらに追い詰める。
「いつか私が、また走れるようになったら」
ライバルは泣き崩れた。
膝から力が抜け、その場に座り込む。
警備員が近づく。
ライバルは、もう抗う力もなかった。
千夏は立ち尽くしていた。
その目は、まだライバルがいた場所を見つめている。




