第99話 ラーメン④
至高のラーメンにたどり着く未来が見えない。
知らない土地の暗闇を、地図なしで闇雲に歩くようなものだ。
そんな日々が続き、自分自身への失望が積み重なり始めていく。
師匠やリッタさん、街角勇者亭、お客さんの笑顔が救いだった。
「ごちそうさま。日々、美味しくなっていきますね、努力の味がします、オルヴィさん」
「……いえ、俺はまだまだです。師匠」
「元気ねぇーじゃねぇですか。こんなにうまいラーメン作ってるのに。もっと自分の努力を誇りやがれです。エルに並ぶくらい最高のラーメンでごぜぇーますよ。って何でエルは、あたしの頭をなでるんでごぜぇーますか」
「ありがとう、ございます。リッタさんも」
「エル? 何でオルヴィは落ち込んでるんでごぜぇーますか?」
「また来ます、オルヴィさん」
いつも通りにやってきて、淡々とラーメンを食べて感想を告げた師匠と、不思議そうな表情を浮かべて振り返るリッタさんを見送った。
彼らと入れ替わるようにして、故郷グレイランドの村長ハルヴァル・グレイランドとその娘ミヤがやってきた。
一年の半分が雪となる故郷。その民族衣装を身につけていない二人を見るのは新鮮だ。
ここに来たのは偶然ではないのだろう。
きっとレイナが伝書鳩で居場所を告げたのだ。連れ戻すように。
そんなに俺の顔を見るのが嫌なのだろうか。
いや、やめよう。俺の心配をしてくれたのだ。きっとそう。
戦えなくなった俺は、ハルヴァル様とミヤの瞳に、どう映っているのだろうか。
「よく居場所がわかりましたね」
「有名だからな。オルヴィの行方を追いかけるのは簡単だった。流石は我らが村の誇りだ」
真っ直ぐに彼らの目を見ることができない。
「っ。俺は、もう戦えません。グレイランドの誇りには成り得ません」
「そんなことないっ! ……っ。そんなこと、ないです」
否定してくれたのはミヤだった。
村を出て五年。昔の面影そのままに美しく成長していた。
「オルヴィ、グレイランドへ戻ってこないか。ただ戻るだけじゃない。村のために、次期村長として役目を果たして欲しいのだ」
次期村長。それはミヤとの結婚を意味していた。彼女は俯いている。その表情は伺うことができない。
娘を溺愛しているハルヴァル様だ。
ミヤも了承済みのことなのだろう。
今の俺には勿体無い話だ。
でも。
「もう少し、もう少しだけ、やりたいことがあります」
「レイナから聞いている。ラーメンなる物を作っているとか。それは村でも出来ることじゃないのか?」
「……」
「……ミヤのことが嫌な訳ではないのだな」
「それはもちろんです。俺には勿体無いくらいです」
「ならば、村に」
「っ。父様っ。オルヴィさんも困ってますっ! 無理強いはやめましょう」
「そうだな。……オルヴィ。ラーメンを二人分、作ってくれないか?」
「はい。口に合えばいいのですが」
スープの入った鍋に火を焚く。
二つの器に湯を入れ、温め、その湯を捨てる。器に返しダレを入れ、背脂を少量入れた。
そこに透き通るスープを入れると、タレと混ざり褐色になり、辺りには醤油ラーメンの香りが満ちていく。
麺を湯ぎり、器へ投入、黄金色のそれが、褐色のスープに沈みこむ
身体に染みついた動作だ。
淀みなく、具材を盛り付ける。
二人の目の前にラーメンを並べた。
「醤油ラーメンになります。どうぞ」
二人はラーメンのスープを口に含んだ。一瞬その表情が強張ったことに気づいた。
それはいつかのレイナと同じ表情で。
明確な違和感。
悔しい。
やっぱり今のままでは。
二人はその後、黙々とラーメンをすすった。
その間、ミヤの表情はコロコロと変わっていく。美味しい物を食べている時のクセは昔と同じだ。
美味しいと感じてくれてはいる。
救いだった。
食べ終えた二人は笑顔を浮かべた。
「驚いたよ、オルヴィ」
「オルヴィさん、ごちそうさまでした」
「しばらくアクアテラに滞在する。気が変わったら声をかけてくれ」
……。
スープを一口飲んだ時の表情は、レイナと同じだった。
やはり何かが足りない。
誰もいなくなった屋台で、独りため息をついた。
疲れたな。
今日の営業はやめよう。
そう思い、店仕舞いをしていると、ミヤが戻って来た。何か言うでもなく、黙って俺を見ている。
「ミヤ、成長したな。皆、元気か?」
首を縦に振った。元気なようでよかった。
「忘れ物か?」
首を横に振る。違うらしい。
「アクアテラに滞在するって言ってたな。楽しむといい。故郷にない美味しいものが沢山ある。特におすすめはチョコだな。絶対食べた方がいい。それに」
「わ、私は……オルヴィさんのラーメン好きです。感動しました。それを伝えたくて」
「気を使わないでくれ」
一口目の表情が忘れられない。
あれが全てだ。
「ち、違いますっ。うまく伝えられませんが、本当に美味しかったの」
彼女は顎に人差し指を当てる。
心の中の感情に合う言葉を懸命に探すように。
「……故郷の味を感じました」
故郷の味? ミヤは何を言ってんだ。
「故郷にラーメンはないだろ」
「でも――」
下唇を噛んでいる。胸の前で拳を握って、意を決したように言った。
「怒らないって、私のこと嫌いにならないって、約束してくれますか?」
真剣な表情だったので、ただ頷いた。
「父様も美味しいと言っていました」
「それは嘘だな。本当に美味しかったら仕草に出る」
俺がそうだった。それに、人が美味しいモノを食べた時の反応は、師匠の元で何度も何度も見てきた。
村長の表情は、程遠いものだったから。
「……でも、足りないとも、言っていたんです」
「っ! そんなことっ! 俺だってわかってる!」
怒鳴るつもりはなかった。
俺も感じていたことだから。ずっと悩んでいたことだから。つい口から溢れてしまった。
「っ。故郷の味に似ている。でも違う。だから何かが足りないってっ。だ、だから故郷の味だって、そう思ったのっ。オルヴィさんに会うために、他の街を巡ったからっ。きっと故郷の味が恋しくなったからっ。ラーメンを食べて、それを感じたから」
「……それだけか」
彼女は今にも泣いてしまいそうだった。
年下の子の前ですら、恰好をつけられない。
俺はどこまでも脇役だ。
「帰ってくれ」
「っ! だから言ったじゃんっ! 怒らないって! 約束って! 私だってっ! 私だってっオル兄が作ってくれた料理に文句言いたくなかったっ! 悩んでたからっ! 苦しそうだったからっ! 好きでこんなこと伝えたかったわけじゃないっ! だって、今でも十分美味しいもんっ! 馬鹿ッ!」
そう言って、彼女は走って行ってしまった。
泣いてたな。
二度目だ。
村を出る前日も同じ顔をしていた。
「俺は、最低だ」
何やってんだ。あんなに嬉しそうに食べてくれたのに。
故郷の人間で彼女だけは、昔のように頬を真っ赤にして心底嬉しそうだった。
「里帰り、しようかな」
至高のラーメンは故郷でも目指せる。アクアテラで頑張る必要はない。
帰るか。
まず二人に頭を下げよう。
グレイランドの皆んなは、ラーメンなんて食べたことない奴ばかりだから、きっと人気になる。
食わしてやりたい。ラーメン最高だから。
でも醤油ラーメンは駄目だな。
故郷の昔馴染みは皆、怪訝な顔をしていたから。
まずいわけではきっとない。美味しいのは間違いない。そう信じたい。でも何かが足りないんだ。
「どうして」
『……故郷の味を感じました』
ミヤの感想が引っかかる。
それに昔馴染みだけ、怪訝な表情していたのも不思議だ。
「……故郷の、味?」
慌ててスープに火を入れた。
器に湯を入れて温め、それを捨てる。
返しダレ、背脂を少々、温めたスープを器に投入。
出来上がった褐色のスープを一口飲む。
雑味。
旨味を打ち消している。
それが嘘偽りない俺の感想。
俺の直感だ。
何とかこの雑味を消そうと、背脂を足したり、香料を増やしたり、スープを工夫していた。ずっともがき続けていた。
食べた人は誰もが美味しいと言ってくれた。
故郷の昔馴染みだけ、怪訝な表情をしていた。
思い返せば俺もミヤと同じ感情を抱いていた。それは俺が作る醤油ラーメンだけではない。
師匠が作るモノにすら、違和感を抱いていた。
違和感じゃない。
本音では、醤油ラーメンだけは、尊敬する師匠のモノでさえ、雑味を感じた。
だから俺は醤油ラーメンを選んだんだ。
きっと、そうだ。
返しダレを入れる前のスープをすくって飲む。旨味が口に広がる。
「スープは問題ないっ!」
醤油から作る返しダレだけをすくって舐めた。
「雑味っ! 引っ掛かりがっ!」
美味く言葉にできない。自身の頭を叩く。思い出せ。記憶の中の故郷を。雪国のグレイランドを想う。曖昧な故郷の味、記憶の中の、それと比べると、やさしさがないと感じた。その表現しか合う言葉がない。
『きっと直観に従うのが正しい』
師匠のその言葉を何度も反芻する。
返しダレを作るための、素となる醤油を口に少量含む。
雑味。
故郷の記憶の中の醤油を必死に思い出す。
その味と比べると、アクアテラの醤油は『塩辛い』、それが素直な感想だった。
「……醤油の味が、違う?」




