第97話 ラーメン②
それからラーメンを学ぶ日々が始まった。
「今週は昆布の出汁と鳥からスープを作ろうと思います。『塩ラーメン』というやつです」
なぜかエルさんは一つの種類のラーメンを極めようとせず、10日ごとに別の種類のスープを作っているのだった。ラーメンの高みを目指すのなら、一つのスープで納得のいくまで試行錯誤をしていく方がいい。
関われば関わるほどにそう思う。
一つのスープと言っても奥が深い。
味の決め手は出汁をとる材料の選択だけではないのだ。
材料の投入順序、温度、煮込み時間、寝かせ時間、灰汁取、組み合わせ、脂の有無。
それだけではない。
そのスープにあった麺の硬さや太さ……美味しさに影響する条件は様々あるのだ。
「ラーメンの可能性は無限大……」
出会った日のエルさんの言葉が腑に落ちる。
分かってはいた。でも今は実感している。
醤油、塩、豚骨、豚骨醤油、魚介。
太麺、中太麺、細麺、硬い麺。
エルさんが作るラーメンは、どれも、涙が出るほどに旨かった。
でも。
だからこそ、高みを目指すには絞った方がいい。
いや、そうしなければたどり着けない。そう思うほどに、奥が深いから。
何か、己が信じることができる種類を。
その選択の先に、至高のラーメンがあるはず。この人なら……。エルさんなら。
「悔しそうな顔してますね、オルヴィさん」
「……寝ても覚めても、ラーメンが脳裏からこびりついて離れないのです」
「そうですか」
縋る気持ちで彼を見た。いつもの仏頂面を笑みに変えている。
エル師匠。
自然と師匠と呼んでいた。
「師匠は分かっているはずです」
「……」
「師匠はなぜ――」
「オルヴィさんは、どのラーメンがお好きですか?」
もどかしい。
やっぱり俺の直観は正しい。だからこそ師匠は俺にその問いを投げた。
追い求める種類を絞らなければ、至高のラーメンにたどり着けない。
なぜエルさんは、ラーメンの種類を絞って、その道を極めないのだろうか。
「どのラーメンも素晴らしいです。透き通る塩も、旨味の魚介も、キレのある醤油も、骨と脂が溶け出したクリーミーな豚骨も、活力になる豚骨醤油も……」
「好き過ぎて、絞れませんか?」
俺は頷いた。エルさんも同じ理由だろうか。
違う気もする。もっと、別の何かが。
「視点を変えてみるのも面白いですよ」
「視点、ですか?」
「例えば、ラーメンを提供したい誰かを見つけるとか」
「提供したい誰か……?」
「料理は愛情です」
強く、まっすぐな言葉だ。
その視線の先にはまぶしい光景が広がっていた。
笑顔の花が咲いている。笑顔を花に例えるのは月並みだけど、そう思ったのだ。
師匠の仲間たちが幸せそうにラーメンをすすっている。
「エルっ。今日も最高にうめぇでごぜぇーますっ!」
リッタさんが涙と鼻水を出しながらぶんぶん手を振っている。
師匠は照れ臭そうに鼻の下をこすった。
愛情。
友、家族、恋人、善き隣人。
提供したい誰か。
それが、師匠がラーメンの種類を絞らない理由なのだろうか。
考え事をしていると、彼に肩を叩かれた。
「お疲れ様です、オルヴィさん。今日の給金です」
「今日もありがとうございましたっ、師匠」
「こちらこそ。そろそろオルヴィさんも本格的にラーメン作りを始めていきましょう」
「っ! はいっ!」
「それと、今日のレシピです」
そして最後には必ず、給金と一緒にレシピを記した紙を渡してくれるのだ。
「……」
関われば関わるほど、ラーメンの魅力に惹きつけられる。
いや、ラーメンだけじゃない。この人たちの人柄にも俺は。
……。
彼の店で働き始めて一年が経った頃だ。
今では随分ラーメン作りも慣れてきた。
麺作りにスープ作り。自分の至らなさに悔しい思いをすることがある。それでも楽しくて仕方がない。剣を振るっていた毎日よりも、心からそう思う。
もらったレシピは全て暗記していた。
それでも師匠の引き出しの多さには敵わない。他の料理から活かす、引き出しの多さに驚くばかりだ。
鶏ガラや丸鶏を長時間煮込み、骨から溶け出したコラーゲンや脂肪分をスープと乳化させた、濃厚でクリーミーな味わい……今週のスープは鶏白湯というらしい。
豚骨と違い臭みがなく、女性客に好評だった。
ゆでた麺を引き出し、湯切りをする。手際よくスープの入った器に、麺を投入。
白くうつくしいスープに黄金の麺が沈んでいく。
よどみのない手さばきで、具材が盛り付けられていった。
受け取ったメイドの常連客が歓声を上げている。
「師匠かっこよすぎる」
「分かってるじゃねぇーですか」
「分かってますね★」
リッタさんとミスティさんが前のめりに、合いの手を入れてきた。
当の本人は口の端をへの字に変えた。
「やめてくれ。褒められるのは慣れていないし、褒めても出せるのは料理くらいだ」
皆顔を見合わせて笑った。
もちろん、エルを褒めたたえる言葉は途切れることなく、彼はうんざりとした顔をするのだった。
そしてそのレシピもやはり例によって、無償で俺にくれるのだ。
いつだって師匠は変わらない。この一年ずっとそうだ。気前が良かった。金を積まれても普通の人なら隠そうとするだろう、秘伝のレシピや作り方を出し惜しみなく、懇切丁寧に教えてくれた。
お人好し。その一言で説明がつかないほどの行為。流石に俺も疑問に思う。
いや、心配になる。師匠は、いつか恩を仇で返されるのではないだろうか。
「師匠は何で教えてくれるのですか?」
「何で、か。オルヴィさんを信頼しているし、そして何より……至高のラーメンが食べたいからかな」
そう言って彼はリッタさんを見た。
「何であたしを見るんでごぜぇーますか?」
「リッタも美味しいラーメン食べたいだろ」
「あたしはエルが作るラーメンがあれば、それで幸せでごぜぇーます。なんせっ! エルのラーメンこそが至高っじゃねぇーですかっ! 異論は許さねぇーですよっ」
リッタさんが腕を組んで、宝物を誇る子供のような表情をした。
「それは俺も同意です。師匠が作るラーメンこそが俺にとっても至高」
「分かってるじゃねえーですか。エルのラーメンがあれば皆幸せっ」
その曇り一つない顔もまた、俺は心配になった。リッタさんと僕ら人間の寿命は違う。異種族間では、どうしても時間の流れが異なってしまう。
「俺は気づいたんだ。師匠がもし、何かがきっかけでラーメンを作れなくなったら。そうなったら二度と味わえないって」
「……オルヴィは何を言ってるでごぜぇーますか? エルが作れなくなるなんざ、現実的にありえないじゃねぇーですか。ね、ミスティ?」
ミスティさんが口元に微笑を携えた。それをリッタさんは肯定と捉えたようだが、俺には否定に思えてしまう。
強さという点で師匠は底が知らないが、老いは避けられない。
時間という観点からは、普通の人だ。
その事実に直面するのは、リッタさんや獣人族だろう。
「だって、リッタさん――」
「だってもくそもねぇーです。何があってもあたしが守るから、ありえねぇーんでごぜぇーますよ。それにミスティだって、本気でエルのこと、守りやがります、ね」
「えぇ、神に誓って★」
「リッタさん達がいれば物理的には大丈夫だと思いますが、俺たち人間には老いもありますし……」
「老い? 何を言ってるんでごぜぇーますか?」
リッタさんは心底不思議そうな顔で師匠を見上げた。師匠がその頭を撫でる。
「……何で頭撫でやがりますか?」
「オルヴィさんにレシピを伝えるのは、まぁなんだ。ずっと、幸せでいて欲しいからだ」
何となく、俺は師匠がやりたいことを察した。
それを口にするのは野暮なことなのだろう。
でも、いつかはエルさんの口から伝えてあげた方がいいように思った。
料理は愛情。きっとこれがエルさんの料理への向き合い方。そして愛情の形。
そして俺にレシピを託した理由……。
万の言葉よりも、師匠からの期待を感じた。
そして尊敬の念が増していく。
「は、恥ずかしぃこと言うんじゃねぇーです。幸せになるのはあたしじゃなくて、エルでごぜぇーます。黙って結婚の一つや二つでもして、子供をしこたま作りやがれです。全くもう」
顔を真っ赤にしたリッタさんがそっぽを向いた。師匠が俺に向き直って言う。
瞳に、焦がれるほどの情熱の火を灯して。
「オルヴィさん。もう伝える必要がないと思うが、ラーメンの可能性は無限だ。だからこそ、追い求めるモノを絞る必要がある」
「無限……」
「俺ごときのラーメンが至高を名乗るには程遠い。ラーメンの頂きは甘くない。四六時中ラーメンのことを考えて考えて考えぬき、例え、その行為を馬鹿にされようと、それでも高みを目指し努力し、そうしてようやく辿り着ける高みの先に、大切な人が笑顔になれる至高のラーメンがあるはずなんだ」
「至高のラーメン」
「俺はそれが見てみたい」
「だったらエルさんも」
分かっていて、あえて伝えた。師匠と共にそれを目指すのが、1番楽しいと思ったから。彼は笑って首を振った。
「俺の情熱じゃ、足りない。他に作りたい料理が沢山あるから」
分かっていた。
でも、その言葉は少しショックだった。
もしエルさんがその気になれば、至高のラーメンに辿り着けるはずだから。
「でも、一緒に働き、共に過ごし、確信した。俺はそのラーメンに辿り着ける可能性を見つけたんだ。世界中の人々を虜にさせる未来の料理人を」
「……」
「オルヴィさん。あなたが本当にラーメンを提供したいと思える人は誰ですか?」
きっと、その問いの先に、俺が追い求める至高のラーメンがある。
そう確信を宿したかのようなエルさんの瞳は、どこまでもやさしい色をしていた。




