第96話 ラーメン①
オルヴィ・グリムフォードは指折りの冒険者だった。魔王討伐を目指すほどではなかったが、幼い頃から武勇で名を馳せ、近隣のやっかいなAランクモンスターを討伐しては村の者から感謝されていた。
くすんだ赤髪に灰色の瞳、細く見えるが筋肉に覆われた体躯。
自信にみなぎっていた風貌は色気があり、村の娘からモテていた。
けれどレイナという、かわいい幼馴染が常に傍にいたから、誰も彼と恋人になることはなかった。
そんな彼だが数年前から、陰のオーラが漂い始めた。
厄介な魔物に襲われ、呪われてしまい心臓が戦闘に耐えられなくなってしまったから。気づいていたが、己の直観を信じなかった。いや戦えないなど、信じたくなかった。無理をして戦闘に出る日々だった。
胸の痛みに耐えきれずに、幾度も仲間の足を引っ張ってしまう。
そのたびにパーティーメンバーのタンクのマルスに叱責を受けた。
幼い頃から好きだったレイナの前で、マルスに罵倒されるのは辛かったが、気丈にふるまった。いつも通りの自信に満ちた顔を何とか作った。好きな子の前では強くありたかったから、必死に虚勢を張った。
そんなある日のことだ。
追放されてしまった。
情け容赦なく。あっけなく。
けど心のどこかで、いつかこうなることも理解していた。そして、幼馴染のレイナは自分を励ましてくれると思った。ついて来てくれるとなぜか信じていた。
ところがどうだ。
俺は今、酒の臭いが充満する、小さな宿屋の一室で暗い天井を見上げている。
25歳。
どうしてこうなったのか。
剣を振り続けた人生だった。戦うことしか知らない。それ以外に未来が想像できないくらいに、他に何も知らないのだ。
馬鹿の一つ覚えで、剣を振り続けた。才能があったから。井の中の蛙だったが。それでも己を奮い立たせるには十分だ。
手に豆ができて、潰れて、それでも振り続けた。
その甲斐あって順風満帆だった。
町の皆から人気のあった、かわいい幼馴染がいて、金もそこそこあって、いつかは彼女と結婚して、幸せな人生を謳歌するはずだった。
今は何もない。
レイナは俺に声をかけることはなく、ただ、他のメンバーについて行ってしまった。思い出すと視界がかすむ。
くそ。酒を煽る。煽って煽って、飲んで飲んで飲みまくる。
死んでしまいたい。
レイナは俺を好きだと思っていた。
勘違い。
恥ずかしくて仕方がない。
人望もない。
剣を振るうこと以外、できることは何もないのだと気付く。
つまり剣を扱えない今は、本当に何もない。
酒がなくなった。独りはつらい。
飲みに行こう。
ふらふらと宿を出て、路地を歩いていく。アクアテラは他に類がないくらいに恵まれた土地だ。夜だと言うのに、通りは賑やかだった。
それもこれも聖女の大規模結界のおかげ。
恋の都市でもあるらしい。
ふざけてる。
酒場に入った。
ここで記憶がなくなるまで酒を飲みまくってやる。
視界の隅で、いちゃいちゃと熱烈なキスをしている男女がいる。
店内でするなよ。いいや、俺の前でするな。
ふざけやがって。しかもレイナと同じ髪型。いやでも想像しちまう。清楚な幼馴染が、誰かとこういうことをするなんて想像したくない。
「……は?」
想像ではなかった。間違いなくレイナ。そしてその相手は俺を追放した、マルス。
頭に血が上った。
酔った状態で勝てるわけがない。だけど、頭と身体は別人格のようだ。
自分でも何を言っているのか分からないことを叫びながら、マルスに向かって走っていた。
……。
記憶が飛んでいる。
気づけば真夜中。顔が痛い。頭痛い。腹も、足も、どこもかしこも痛い。
でも一番痛いのは胸の奥。
からっぽなのに、何も残ってないのに、心が痛むのはなんでだろう。
店の外のゴミの横。春の夜とはいえ、地面は冷たかった。
「いてぇ。痛すぎる、俺」
色んな意味で。
一方的にボコられた記憶が徐々に蘇っていく。気のせいでなければ、レイナはゴミを見る目で見ていた。
ダサくてたまらない。
身体の痛みより、心が痛い。
ずっと好きだったから。
ふらふらと歩く。
嗅いだこともない良い匂いがした。
腹が減る匂いだ。
「……屋台」
街角勇者亭。そう書かれていた。
勇者を名乗るなんて、大それた行為に思えた。だが、興味を引くいい店名にも思う。一度くらいは騙されてやるよ。
まずかったら二度とこない。
「店主。一人だが、いいか?」
「えぇ。注文が決まりましたら、声をかけてください」
何を頼むか、メニューを見ていく。
ふと隣を見る。
何やら、ずるずるとすする男たちがいた。
金髪の太った男と、赤髪のぎざぎざした歯に犬耳の男。
一目見て、別格に強い男たちだと直観した。全盛期でも勝てない。いや足元にも及ばない。そんな強者。
世の中は広い。
全て失って、最前線から脱落して見える景色があることに気づく。
もし、俺が彼らみたいに強かったら……。
「つまんねぇ、世の中だ」
世の中には勇者を目指せる者がいる。
世の中には脇役にしかなれない者がいる。
世の中には自惚れた情けない者がいる。
「春とはいえ、夜は寒いですね」
「そうかい? ずいぶんあったけぇよ」
意地を張った。
店主の優しい声に、泣きそうだったから歯向かってしまう。
店主は俺と同じ、脇役。
それでも幸せそうに、脇役を脇役らしくしている姿に安心した。
「何かおすすめはあるかい?」
「そうですね、本日のおすすめは……」
ずるずるとすする音に紛れて、泣き声が耳に届く。
「う、うぅ」
「うう、うぅっ、うぅっ」
驚いた。
到底敵わないと感じた、そんな二人の男が飯を食って泣いていたから。
額に汗を浮かべ、はふはふと熱そうに、ずるずる、ずるずると啜っては泣いている。
「うめぇ」
「うめぇ、うめぇ」
たかが飯。男が飯如きで泣くなんておかしな話だ。
泣きたいのは俺の方。
人生何もないって気づいたばかりだ。
けど気になった。あまりに二人が美味しそうに食べているから。
「店主、あの二人が食べているものを俺もください」
「はい」
店主は不愛想な男だった。
何やら長細いモノをお湯の中に入れる。
茹で上がる間に、やわらかそうな、味の染み込んでそうな肉を切っていく。
茹でた卵か……? 少し茶色い色。それを切ると中は白と半熟の黄身がとろり。
お湯を器に入れる。
そしてそのお湯を捨てた。何をしてるんだ? 器を温めたのか?
器の中に複数のタレを入れていく。肉の脂を軽く混ぜ、お湯を入れていった。
そして長細いモノを豪快に湯切りする。
器の中に入れた。
うつくしい黄金色。
「つやつやの麺だ。それ見るだけで腹がすく! エル! 替え玉一つ」
「エ、エル、オレにも替え玉って奴、くれぇ!」
麺というものらしい。
スープの中に麺がきれいに投入される。半熟の卵、肉、野菜、脂も少々。
手際よく盛り付けられていく。
よどみない職人技。
「お待たせしました、ラーメンです」
出された料理には湯気が立っていた。
匂いに腹が減っているのことに気づく。
黄金色の麺、とろりと黄身が溢れる卵、分厚い肉、野菜、そして、透明な液体に浮かぶ油が、魔道灯を反射していてうつくしい。
美味そうだ。いやきっと美味いのだろう。だが、たかが飯。泣くほどうまいなんて信じられない。
一口、二人を真似して、麺をすすった。
つるつると淀みなく口に入っていく。
「……」
スープを飲む。
お腹にあたたかい何かが、満ちていく。
ぽっかり空いた心に、何かが落ちてくる。
「……う」
ずるずるとすすっていく。二人を真似て、ただ、一心不乱にすすっていく。
「うううう」
気付けば食べ続けていた。
「お客さん、これどうぞ」
タオルを渡される。
「ふぇ」
「泣きすぎだろ。気持ちはわからんでもないが」
金髪の小太りの男が腹を揺すって笑った。
「あぁ、気持ちはわかる。オレも久々に食ったエルのラーメンで胃袋が叫びやがったからな」
赤髪の男が悪い顔をして言った。
「うめぇ、うめぇんです。すびばぜん。泣ぐづもりなぐでぇ、うめぇ、うめぇよぉ。これ、うま過ぎでぇ」
涙が溢れてとまらねぇ。
見知らぬ二人に肩を叩かれる。それも嬉しくて、久々の人心地に思えて、泣いて泣いて泣きまくって、ずるずる、ずるずる、ずるずると麺を啜りまくった。
心があったかくなる。
俺は、その日、ラーメンに心を救われた。
ラーメンに惚れてからは何度も通った。
どうやらこの店はラーメンが主の店ではないらしい。色々な料理を提供していた。その提供する料理の種類によっては女性客だらけの時もあった。
そんな時も俺は気にせずラーメンを注文していた。
たまに、黒髪の女性の店員が働いている日もあった。その人は慈愛に満ちた笑みを浮かべて、また来てくださいと言うのだった。
好きになりそうだったが、すぐに、女性は店主が好きなのだと気付いた。
店主は脇役じゃなかった。
主役に相応しい人だ。
人を笑顔にできる彼の人柄と腕前に、嫉妬は一切湧かなかった。それどころか、俺は彼の信者になっていた。
とある日のことだ。
冷汗が流れた。
メニューを上から下まで。下から上まで。何度も何度も繰り返し確認する。
ラーメンが、ない。
絶望した。
この世の終わりだと思った。また何もない日に逆戻り。そんな殺生はやめてくれ。
「店主……エルさん。今日はラーメン、無いのですか?」
「えぇ。すみません」
「か、金ならいくらでも出す! だから、だから頼むエルさん!」
俺は土下座していた。
他の客の目は気にならない。
寄り添った店主が困った顔を浮かべていた。
「頭を上げてください。今日はスープと麺がなくて。仕込みに時間がかかるので、すぐは出せないんですよ。一週間はラーメンを提供する予定はないですね」
「……」
「その後にはまた提供しますんで」
「…………」
俺は気づいてしまった。
もし、エルさんがラーメンを提供出来なくなったらどうなるのだろうか。
もう二度と、この味に出会えなくなる。
震えた。
出会った頃の春の夜空より、寒い現実だ。
それは絶望を意味していた。
「……そんなに好きなら、ラーメン作り、始めて見ませんか?」
「…………え?」
とんでもない、予想外の申し出に開いた口がふさがらなかった。
「オルヴィさんが思い浮かべる最高のラーメン。実現したいと思いませんか?」
「お、俺にとって、エルさんのラーメンが最高です! 最高、なんですっ!」
エルさんが首を横に振った。
「情けないことですが。最高のラーメンはこんなものじゃない。もっともっと美味くなる。何せ、ラーメンの可能性は無限大だ」
「……え?」
「色々なメニューを提供する私では辿り着けない高みが、ラーメンにはあるんです。ラーメンだけに全てを捧げた者だけが、辿り着ける最高のラーメンがあるはずなんです」
これ以上に美味しいラーメンがあるのだろうか。もしあるのなら……。
俺は、出会ってみたい。
一生を費やしてでも。
その高みに、俺は。
剣を振り続けた手を、マメだらけの手を強く握った。
「料理を作ったことが、ないです」
「大丈夫。もちろん、一からラーメン作り、教えますよ」
「……いいのですか?」
「えぇ。けどラーメンの道は甘くない。その覚悟があれば、の話ですが。ラーメンを愛する者にしか到達できない高みなのですから。……オルヴィさんは、ラーメンを、本気で愛していますか?」
店主が挑発的な発言をした。
いつも不愛想なのに、今日は笑みを浮かべていて。
ラーメンに救われた俺にとっての宣戦布告。ラーメンの愛は誰にも負けない。ラーメンに救われた人間が俺だ。
脇役だって、好きな物を愛することは出来る。
高みに上ってやるよ。
根性だけは自信があるからな。
「ぜひ。ラーメンへの愛で、到達できる高みなら。俺も目指したい」
こんな最高の誘い、世の中にあっていいのだろうか。
普通ならレシピを教えたくないはずだ。
騙されているのかもしれない。
でも、それでもいいと思った。
この人に騙されるのなら、別にいい。
俺を料理で救ってくれた人なのだから。
「では、明日から、ここで一緒に働いてください。待ってます、未来の同志」




