第95話 チーズ③
「カーター君。流石だな」
「……エルさん」
カーターは、やつれた顔で半眼になった。
「すぐわかりました。あぁ、これ絶対、裏にエルさんがいる。シャル様が自身満々の笑顔で魔工具開発を要求してくる時は絶対そう。何とか完成させて、よし、一言エルさんに伝えなきゃ気が済まないって、工房出ようとするんだけど、シャル様から次々図面渡されるんです」
「すごいな、信頼の証だ」
「信頼? 綺麗な感じじゃないです。もっと汗とか油まみれとか汚い感じですよ。ここ最近、合法的に工房に監禁されてたようなもんです」
その光景を思い浮かべる。やはり、最も信頼という言葉が正しいように思えて笑ってしまう。
「はは。悪かった」
「本当に悪いと思ってます? 笑わないでください」
カーターの頭を撫でた。
「カーターの腕はいいからな。素晴らしい製品だ」
「ま、僕だけじゃないですけど。ヴァイオレット家の依頼は一族総出です」
ミルキーベルの牧場の一部に、リッタが土の魔法で簡易施設を作っていた。
そこに次々とチーズ作りの魔工具が敷き詰められていった。
だが、当然一度の仕様決定でチーズ作りはうまくいかなかった。
設備を導入すれば不具合が起き、使い勝手が悪い所も出てくる。
そして、よりおいしいチーズ開発の方法が分かれば、改良したい箇所も出てくる。
だから改良に改良を重ねる。その都度、カーター達と意見を交わす必要があった。
シャルやニコライの、こうしたいという理想と、カーター達の設備を実現するという名の現実が幾度となくぶつかった。
やりたいことと、出来ないことがある。
その度に、理想と現実が何度も立ちはだかった。
年齢も立場も関係なく言い合い、喧嘩に発展することもあったくらいだ。
「楽しかったですけど」
「いい鍛冶師になる」
大変なものづくりを楽しいと言えるのは才能だ。
カーターはできた魔工具たちを見て笑顔を浮かべている。
「……シャル様の手綱、ちゃんと握っててくださいよ。嬉しかったのか、大興奮な犬そのもので大変だったんですから」
不敬そのものな発言だが、二人の関係性はもはや戦友のようなものなのかもしれない。笑ってしまう。
ふとカーターの表情が変わった。
「エルさんはシャル様のこと、どう思ってるんですか?」
「もちろん大好きだ。大切に思ってる。あの情熱がどうなるのか楽しみだしな。かけがえのない同志だ。シャルを守るためならどんなことでもしようと思うくらいに大切だ」
「……その言質、メイドにメモされてますからね。きっと脚色付きで。気を付けてください」
周囲を見るとメイドが多くいた。みな口笛を吹いたり、空を見上げたり、眼鏡を拭いたり、屈伸をしている。
なぜか俺達の近くだけ人口密度が高い。いやメイド密度が高い。
だが、聞こえていないのか、誰も目を合わせようとしていなかった。
「? 聞こえてなかったみたいだが」
「僕はもうヴァイオレット陣営の人間みたいなので。エルさんも気を付けてください」
「俺もシャル側だ。気を付ける必要あるのか?」
「そうでしたね」
カーターが吹き出した。
「つまり外堀は埋まりきってます」
「外堀?」
「エル様と呼ぶ日も遠くないかもしれないですね」
カーターはやさしい意趣返しをしたときの、友人のような顔をした。
……。
俺の家のリビングほどある大きな器に、牛乳が満たされている。そこを魔工具がゆっくりと一定の速度で動き、かき混ぜていた。
ニコライが高温性の乳酸菌を加え、ミルクを発酵させていく。チョウジクという植物から抽出した凝乳酵素を入れていくと、徐々に牛乳が固形と液体へと分離し始めた。
固形部分がチーズの素になる。
油膜のように牛乳の中に漂う、その素を手作業で細かく切り、さらに分離が加速するように混ぜていく。
続いて液体を取り除き、できたチーズの素を成型する作業にはいった。
成型機用の魔工具に素をいれ、温めながら、塩を加え魔工具で練り上げていくと、餅のようなきれいなチーズができあがる。
丸い形に摘み取り、水で冷やしていく。
モッツァレラチーズ。
それは、驚くほどに、うつくしいモノだった。
一つ手に取り、匂いを嗅ぐ。ほぼ無臭で、ほんのりミルクの甘い香りがした。
一口サイズに切り、食べてみる。
ミルクのやさしい甘さの中に、ほのかな酸味。キュッと切れのある弾力、噛めば噛むほどに味わいが広がっていく。
ニコライとシャルが固唾をのんで、見守っている。
「うまい……」
間違いなく、今まで食べた中で、一番おいしいチーズだ。
「ニコライさん、シャル。本当にうまいチーズだ」
そのまま食べてもおいしい。
加熱すると、とんでもなく伸びていく。
軽くあぶったチーズをシャルに食べてもらう。
「うううううっ! エル君エル君っ! ニコライっ!」
シャルが目を輝かせている。
お菓子狂いのシャルですら虜にするチーズだ。
協力してくれていたメイドたちも歓声をあげる。
「……二人ともっ。あり、がとうっ。二人の、おかげっ。皆の、おかげっ!」
ニコライが俺に抱きついてきた。自信になったのではないだろうか。いやチーズ作りの途中で、自信はついているようだった。日に日に、言葉の端がしっかりしてきているように感じていたから。
「さて。ニコライさん。ミネットも呼んで、みんなも招待して、祝賀を開かないか? もしよければ厨房を貸して欲しい。祝いに華を添えたいと思う」
……。
本当においしいチーズに工夫はいらない。
素材の味を引き出すだけでよかった。
例えばカプレーゼ。
トマトを一口大に切る。モッツァレラチーズは水気を切って、大きさを整える。
塩を振り、味を調え、植物性のオイルをかける。香料の葉を乗せていく。
簡単で美味しい。最高のチーズがあるからこそ実現できる、最高の一品。
もちろん料理の組み合わせも無限大だ。
生ハム……豚のもも肉を塩漬けにし乾燥させたもので、モッツァレラチーズを巻いていく。それらとともに牛乳を鍋に入れ熱していく。
器に盛りつけ、ビュレにした野菜をかけて完成。
他にもピザ、サラダ、焼いたポテトに溶かしたチーズを添えたり、グラタンにしたり……。
モッツァレラチーズを使った料理をふんだんに準備する。
呼ぼうとしている人選は少し間違えたかもしれない。きっと騒がしくなる。
プロポーズの前に相応しいかと言ったらどうなのだろう。
ニコライたっての希望なので尊重する。
もちろん俺にとって皆大切な人たちだし、楽しい夜になることは間違いないはずだ。
……。
ミルキーベルの牧場。パラソルと席。月明りと満点の星、それを活かす柔らかな魔導灯の光。
過ごしやすい春の夜の下、ビュッフェ形式の祝賀会が始まった。
「うますぎるだろぉ」
「チーズ、最高でごぜぇーます!」
デュークは食べては感動に天を仰ぎ、リッタはもふもふと、さまざまな料理を食べ比べている。
「チーズと酒が合いまちゅ……すまんでちゅ」
花屋のドランはすでに酔いが回っているようで赤ちゃん言葉が出ていた。
「今日は俺は飲まんぞっ……だが飲みたいっ! チーズと酒はあいすぎるっ」
「ライアンっ大丈夫だって! こっちのグラタン食ってみろっ! 酒がなくたって、飛ぶぞっ!」
「デュークさんっ。ありがとうっ。こいつは旨そうだ。さっそく頂く……うおおお――」
「ライアン叫ぶのはなしでごぜぇーます」
叫びそうになるギルド副長のライアンが、リッタに制止されていた。
それを見て皆笑いあう。
メイド達はビュッフェ形式を楽しんでいた。
もちろん準備したのはチーズだけではない。これは祝いの席でもあるから、デザートなども準備してある。もちろん、ドランが準備してくれた花を添えて。
色とりどりの料理たちを前に、メイド達は黄色い歓声をあげながら楽しんでいる。
「皆を呼んで頂きありがとうございます。エル様。あの子達も本当に楽しそう」
傍らで話しかけてきたのはユキネだ。ツインテールにしていた黒髪を最近は下ろしていて、妙におとなっぽい。シャルがツインテールにすることがなくなったことも関係しているのだろうか。
「今日は祝いなので。それに、メイドたち皆さんには感謝してもしたりないからな。美味しい料理は一番に楽しんでもらいたい」
「ふふ。エル様と出会った恩恵はすばらしいです。ところで……噂を聞きました」
「ん? 噂?」
「えぇ。シャル様と、いつ挙式なさるんですか?」
「……ん?」
「プロポーズの作戦は決まりましたか? エル様は結婚したことがないので分からないことも多いでしょう。もし分からないことがあればメイド一同皆、誠心誠意心血注いで協力いたしますよ、エル様。私達は皆、結婚を夢見るプロです。安心して任せてください。最高の舞台を用意しますから」
「…………ん?」
「お姉ちゃん! これすごくおいしいっ!」
「ユキネが呼んでいるので行きますね、エル様」
ウインクして、颯爽とユキナは皆の輪の中心へと溶け込んでいく。
「キョシキ? ケッコン?」
その言葉の意味を理解するまでしばしの時間がかかった。
……。
宴も終わりに差し掛かった時のことだ。
ニコライが緊張した顔で、ミネットを誘い丘の方へと向かった。
付き合い始めて半年。
出会ってからは生まれた年月に等しい月日がながれている。
月と星々とが、丘の上の二人をやさしく照らしていた。
うまくいくだろうか。
今更ながらに無責任に焚きつけてしまったのではないかと心配する。
「エル君、何そわそわしてるの? ――わわっ」
功労者のシャルが顔を覗き込んできたので、頭をなで、軽く揺する。
「ゆ、揺れる~ふへへ」
お、おちつく。彼女の頭を撫で慣れていて、俺の緊張を吹き飛ばしてくれる。
シャルは嬉しそうに揺すられていた。
最近は彼女を天才と呼ぶ声が、アクアテラで聞く日が多くなった。だというのに、シャルはそれを誇りに思う素振りを見せていない。何なら気づいてすらいないのかもしれない。
チョコ作りに今もなお、変わらずに熱中しているから。
「エル君っ。ニコライが心配なの?」
「あ、あぁ」
意外にもシャルは俺の心の内を言い当てた。
「大丈夫だよ」
俺の手を掴んで言った。
「ミネット、ずっと。ず~っと待ってたからっ!」
なぜそんなことがシャルにわかるんだ? と言おうとした時のことだ。
ニコライが涙を流しながら満面の笑みで……、ミネットが猫耳としっぽをパタパタさせながら真っ赤な顔で帰ってきた。
二人はしっかりと手を繋いでいる。
その薬指には月の光を反射する指輪が、静かに、きらめいていた。




