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第94話 チーズ②

 

 納得のチーズができる数か月前に(さかのぼ)る。


 ミルキーベルの牧場の昼下がり。

 ニコライは春を少し感じる冬の日差しを見上げていた。


 大きな体、眼が隠れているボサボサの髪の下は、だらしない笑みが浮かんでいる。

 幸せな日常が広がっていたから。

 広い農場に肌艶(はだつや)のよい牛たちが悠々と歩いている。

 頭数も増え、従業員もできた。


 ほんの一年半前、シャイロックに買い叩かれていた頃には考えられない安定した日々を送っている。一時期はやめてしまおうと思っていた。今はやめずに本当によかったと思っている。


 だが人というのは欲深いもので、安定を得ると幸せを追い求めたくなるようだ。

 具体的には、恋人……幼馴染のミネットにプロポーズをしたくなっていた。


 だが。


 ニコライの顔に影が浮かんだ。

 ミネットを幸せにする自信がないから。


 今のところ、全て運だけで良い方向に向かっていた。


 エルに出会った。そのおかげでヴァイオレット家と縁ができた。

 そこからはトントン拍子。自分は牛の世話という、毎日を繰り返していただけ。


 全て恩人であるエルのおかげだ。

 自分で成し遂げたことは一度もない。


 だから、いつかこの安定が失くなるかもしれない。

 ミネットと一緒になれたとして、不幸せにしてしまうかもしれない。守れないかもしれない。


 ニコライは肩を落とした。


……。


 その日の夜は街角勇者亭で酒を飲んでいた。

 エルの屋台には独身の常連ばかりが集っている。

 早々に店を閉め、宴会を始めていた。

 デューク、花屋のドラン、ギルド副長のライアン、そしてエル。

 見知った仲、ニコライにとって心許せる人達ばかりだ。


 何かの拍子にミネットとの関係の話になった。酔っていたから、心の内を話してしまう。自分は人と会話がうまくできない。それでも彼らはじっと聞いてくれた。

 

 幼いころからミネットは、口下手な自分を沢山肯定してくれていた。

 そんな彼女を小さなころからずっと好きだったということ。好きだからこそ、ミネットには本当の幸せを得てほしいこと。でも自分には何もないから、自信がないこと。


 全て打ち明けた。


 男達は口々に、お前はいい奴だ、自信を持て、当たって砕けろと酒をぐいぐい飲んでいった。


 砕けたくはなかった。ミネットはやさしいからプロポーズを承諾してくれるかもしれない。けど彼女が本当に幸せになれるのかが不確かだ。だから砕けるわけにはいかない。


 自分が嫌いになる。

 身体だけ大きくて、なんと内面が小さいことかと情けなくなった頃だ。


 エルが叫んだ。


「チーズを作ろう、ニコライさん! 世界で、一番うまいチーズを! あなたの情熱をかけようっ! うまいチーズを作れば自信になる! 俺はあなたの作ったチーズが食べたいっ!」


 普段の冷静な態度はなかった。情熱をむき出しにした顔。でもなぜチーズなのかは分からなくて、皆エルを笑っていた。勿論、馬鹿にした笑みではない。

 親しみのこもった笑い。

 誰もが彼を認めているから。

 

 エルは冷静な男だ。そして頼りになる。権力にも、強き者にも屈しない。どんな困難も打ち倒せるような安心を絵に描いた男。

 それがニコライからの印象だった。


 でも今は違う。

 幼い子供のように、むき出しの夢を語っているみたいで。

 だから皆、そのギャップに笑っていた。


 宙空……どこかここではない、遠い所を見てチーズを語る彼は、勇者に憧れる子供のような表情だった。きっと彼を突き動かす物は情熱なのだろう。


 ニコライもその熱にあてられた。

 そして憧れる。

 何かに直向きに頑張る人は、いつだってかっこいいから。


 自分もエルみたいになりたい。

 なれるかもしれない。


 ……分不相応な考えだ、酔っている、そう思った。

 でも、もっと話を聞きたかった。


「……チーズのこと、詳しく、ない。です」


 エルは酒を飲んではチーズを熱く語っていた。

 自信の無い自分に……何もない自分に、チーズの魅力を注ぎ込んでくれているように、なぜか思えた。


「ミルキーベルの高脂肪の牛乳は、チーズと相性がいい。世界で一番美味しいチーズを食べたい。チーズは料理の常識を覆す。硬いチーズも、スモークしたチーズも、とろけるチーズも、カビの生えたチーズも、全てが素晴らしい。料理に革命が起きる。それほどまでにチーズというのは奥が深く、すばらしいんだ。きっとニコライさんにはチーズ作りも合うと思う。俺と一緒に情熱を追い求めないか、ニコライさん!」


 そうエルは語っていた。

 今でも十分にチーズは主役だった。日持ちするため、非常食の側面が強いが。でもエルの語るチーズの魅力は凄かった。


 あまりに情熱的に話すので、胸の奥が熱くなった。

 自分にも何かを成し遂げられるのかもしれない、そう思うくらいに。


 彼の情熱にあてられてしまう。


 従業員もでき、何かをする時間もできていたということもある。

 弱気な心に火が灯っていくのを感じる。


「チーズ……作って、みたい」


 そう言うとエルは泣きながら抱きついてきた。デュークも何故か抱きついてきて、椅子から転げ落ちて、地面に三人で積み重なった。

 ドランとライアンも涙を目の端に浮かべて酒をあおっている。


 うれしい時は涙があふれるものらしい。エルとデュークが言っていた。


 なぜか皆、涙を流し酒を浴びるほど飲んでいった。

 当然、その日は皆酔いつぶれた。


……。


 ニコライは、そんなエルからチーズの作り方を教わり、試行錯誤をする毎日を送っていた。


 美味しいチーズができたらミネットにプロポーズするのだ。そう覚悟を決めて、毎日毎日、チーズ作りを繰り返していた。

 

 そんなある日のミルキーベルの午後。

 チーズ作りをそそのかした恩人、エルは今、金髪碧眼の少女の前で頭をさげていた。牧場の草に頭をこすりつける本気の懇願だ。


「頼むっ! シャル! お願いだっ! 協力してくれっ!」

「むぅ!」


 ヴァイオレット・フォン・シャルロッテ。

 小さな身体。幼い仕草。だが、ヴァイオレット家の天才として、アクアテラで有名になりつつある少女。


 そんな彼女が腰に手を当て、体全体でそっぽを向いている。


 ピンクと白を基調とした簡単服と、さらさらな金髪が風に揺れていた。


「一生のお願いだシャル! チーズはすごいんだ! きっとシャルも気に入る!」

「いやだ! チーズってお菓子じゃないもんっ⁉ 午後から世界を変える発明をしようって言うから、お菓子作りだと思ったのにっ! エル君の馬鹿っ! あほ!」

 

 二人がこの牧場に来たばかりの頃は、デートのような雰囲気だった。

 笑顔で牛と触れ合ったり、丘の上を二人で散歩したり、持ってきたお弁当を食べたり。


 お菓子を食べている時は、シャルもぎゅんぎゅんばたばた、と興奮した様子だった。そのお菓子が好きだという表情は自然と周囲を笑顔にするもので。人の、好きという表情は輝いて見えるのだと思った。


 間違いなく幸せな光景だった。

 二人は、ほほえましい関係でもあった。


 エルがチーズ作りの協力を、シャルに申し込むまでは。


 そう、今は幸せな光景とはいえない。でも修羅場とも違う。

 ヒモの男性が、女性の稼ぎを目当てにするような駄目な絵面だった。


 ヴァイオレットはシャイロックの代わりに牛乳を高く買い取ってくれる、伯爵家。


 それだけではない。従業員もヴァイオレット家のメイド。安定供給の支援も、牛の頭数が増えたのも、今ある環境はヴァイオレット家の奥様、ロザリエッタのおかげ。

 その娘がシャルロッテ。


 つまりエルと同じくらいに恩人である。

 だからニコライはおろおろしていた。

 どちらの味方をすればいいか分からないから。


 従業員のヴァイオレット家のメイドが野次馬よろしく、その光景を見ている。メモを取る者すらいた。

 

 シャルが寂しげな表情を作って、地面を蹴った。

 拗ねているような、かまってほしいような、いじらしい、いたいけな仕草を魅せる。


「エル君は……お菓子とチーズどっちが大事なの……?」

 

 仕草とセリフはあべこべだ。

 その問いにメイドが何人か転ぶ。

 示し合わせたような、きれいな転び方だった。


 当の二人は真面目なようで、セリフの応酬を続けていた。

 エルが顔を上げる。

 究極の二択、追い詰められた男の顔をしていた。


「……ど、どっちもだ。お、俺にとって、どっちも大事だ」

「むぅ! 嘘でもお菓子って言ってよっ! エル君の馬鹿――」


「――情熱なんだ!」


 エルが遮るように叫ぶ。その声にニコライは、はっとする。あの酒宴での涙が思い浮かんだから。


「チーズもお菓子も、情熱だから。だから俺にはどっちも大事で。シャルなら。シャルだからこそ、わかるはずだっ!」


 情熱。

 そうだ。あの夜の情熱を語るエルを思い出す。きっと今の自分に足りない何かが、そこにある気がした。


 いや、自分も何かを成し遂げたいと思ったから。

 だから、ニコライもエルの隣で頭を下げた。


「む、むぅっ!」


 世界一おいしいチーズを作って幸せにしたい人がいた。

 その人をしあわせにするためなら、自分にできることは何でもしたい。

 だからシャルに向かって、気持ちを伝える。嘘偽りのない心の内を。


「しあわせにしたい人が、います。……だから、チーズ作り、協力して、ください。シャルロッテ様」

「……その人ってどんな人?」


 顔を上げるとシャルがぱんぱんに頬を膨らませていた。

 性根が善いのだろう。本心では嫌だけど、事情を汲み取ろうとしてくれている。


「情けない、俺を、いつも肯定してくれた人、です」

「……いつも?」


 シャルの表情が一変する。かわいらしい素直な表情で小首を傾げた。


「は、はい。幼馴染、で、ずっと、小さなころから、一緒で、どうしても、しあわせに、したい人で――」

「幼馴染……? しあわせにする……?」


 シャルがはっとした顔をする。その後、青い瞳に、メラメラと炎が宿っていくのを感じた。


 あぁ、そうか。

 天才と呼ばれているこの子も、エルさんと同じ……。

 ニコライは胸が熱くなるのを感じた。


 シャルが握りこぶしを天に突き上げる。


「うううううっ! ――エル君っ!」

「あぁ!」


 エルも立ち上がって右手を天に突き上げた。


「「最高のチーズ作りを!」」


 なぜか分からないが、説得できたようだ。

 善は急げとばかりに、二人と共にチーズ作りに没頭することになった。


 情熱の塊の二人と共にする。

 それはつまり不眠不休のチーズ作りの始まりを意味していた。



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