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第91話 魔王討伐④


 聖女、リディア。天高くそびえる大きな巨体。天使の羽に輪っか。四足歩行の獣。白い身体に裂けるほどに大きな笑みを張り付けている。

 もはや聖女とは思えない悪魔に近しい容貌。


「聖女か。よく(たぶら)かせたものだ」

 

 警戒からか魔王が距離を置いた。


 リディアが絶叫する。

 大地を震わせる振動が開戦の合図となった。


 土煙を上げながら四足歩行で疾走、宙を駆けるネクロドラゴンに飛びつく。

 その首に噛みつき、爪を突き立てる。

 ネクロドラゴンの骨をかみ砕き、再度叫んだ。


『愛』


 耳の奥がしびれるほどの金切り声。

 空気が震え、魔法陣が無数に浮かぶ。


 魔法陣から無秩序に光の魔法が飛び交い、魔王の軍勢を襲っていく。


 リディアの光の奔流(ほんりゅう)の中、冥府の騎士ヴォルドと共にエルは大地を駆け抜けた。

 黒い雷の如き速さ。

 その速さに追いつくためにエルは大量の薬を飲んだ。身体強化、魔力強化。


 要塞制圧魔獣テラノクスの触手も、異形の堕天使アザリエルの多種様々な攻撃も、不可視の人型魔獣ヴェールの動きも、リディアの光の奔流も、すべてがコマ送りに見える。


 狙うは魔王の首。


 冥府の騎士ヴォルドが先行する。

 君の行く手を阻む者は全て倒すよ。エルは武器を精製する。


 呪刀、『怨念』。左手から刀が生まれたその刀の柄を握る。

 魔物を狩り尽くし育て上げた、魔王を殺す刀。


 左腕が震える。右目が熱い。呪刀が濃密な水の魔素をまとう。

 どこまでも続く荒野と何もない空。

 一振り。閃光が天に上った。

 剣閃の先の魔物が消滅する。


 ヴォルドを襲う魔王の軍勢を狩っていく。


 駆け抜ける。

 刀を振るう。

 

 ヴォルドが吠えた。


 グガアアアア。


 一足飛びに魔王に近接、剣撃の嵐。魔王も応戦。互いの剣で打ち合う度、光と風が起きていく。


「もはや人の言葉も話せぬか」


 魔王の背後からエルが首を狙う。


「シッ」

「戦い方が水無月そっくりだな。若い割になかなか――だが水無月には及ばない」

 

 魔王の剣とつばぜり合いになる。

 ヴォルドが蹴り飛ばされ、そしてエルもつばざり合いから膂力(りょりょく)だけで吹き飛ばされる。

 地面の砂埃を巻き上げながら体勢を整えた。


 エルとヴォルドが顔を上げる。

 荒野に、魔王の周囲の黒い瘴気が渦を巻いていた。


終焉(しゅうえん)


 魔王が笑った。剣を一振り。天にすら届かんばかりの一撃。ひび割れた大地を抉りながら黒い瘴気の光が二人を襲う。絶対不可避の面制圧の攻撃。だが、その一振りを――。


『愛』


 聖女リディアの結界が防いだ。


「ち。忌々しい」


 魔王の剣撃の光が聖女を狙った。

 白い身体が血まみれになっていく。


 ヴォルドの咆哮が轟いた。彼の冥府の大剣が真紅の光を帯びる。

『殺す』

 エルはさらに薬を飲んだ。速さが足りないから。

 そして呪力を練り上げる。


 今度はエルが先行する。魔王に肉薄。魔王の剣が間近に迫る。『死』。それを予感する。だが、打ち合うつもりはなかった。打ち合えば力負けするから。死というリスクを背負い、避けるという選択を選ぶ。薄皮一枚で避けることに成功。


「殺」


 水無月が傷つけた右目の死角にもぐりこみ、下からの切り上げ一閃。空いた脇腹を狙う。魔王の防御壁でわずかに、剣閃の速度が鈍った。


 魔王はエルの刀を避け、背後から迫るヴォルドを切り伏せて見せた。ヴォルドが斜めに真っ二つになる。血が溢れた。魔王が勝利の笑みを浮かべる。


「甘いな――がっ」

「甘いのはあんたの方。彼の憎しみは深いよ」


 切り伏せられてもなお、ヴォルドの牙が魔王の首筋に食いついた。甲冑から伸びる草の腕が魔王を貫いていく。


 エルの追撃が魔王の首を狙う。


「ふざけるなぁ!」


 魔王の神速の剣が打ち合う。だが、エルはそれに応じない。撃ち合う寸前、呪刀が消えた。魔王の剣が空を切る。再びエルは刀を生み出し、蛇のように地面に沈み込み、魔王の両足を切り伏せる。

 魔王の血が舞った。


 瘴気が溢れ、爆発し、エルは吹き飛ばされる。地面を転がり体勢を整え、薬を口に含み回復した。

 薬の副作用で両手両足が震えている。左目が鬱血し、血の涙が流れていく。


「忌々しいっ! どいつもこいつも! 我は世界を手中にする魔王。こんな初戦で血を流すなど。殺すだけでは済まさぬぞ、小僧!」


 魔王が肩で息をしている。呪刀の傷は、水無月の恨みの一撃と同様、回復することはない。

 八つ当たりとばかりに、真っ二つに切り裂かれたヴォルドが何度も魔王に踏まれる。


 聖女リディアが魔王に手を伸ばす。


 贋作『邪神殺しの槍グングニル』

 指で聖女リディアを示す。うなりを上げて、リディアを貫いた。


 彼女の絶叫が響く。


 リディアの死力を尽くす、魔王への復讐。

 魔法陣が天を埋め尽くしていった。

 魔法陣から無秩序に光の奔流が地上を照らす。


 世界を壊すほどの轟音。


 世界に静寂が訪れる。

 リディアもヴォルドも塵となって消えていった。


 魔王の軍勢の死体の山が広野に広がっていた。

 残るは黒焦げの魔王と、エル、そしてミスティ。


 エルは肩で息をしながら、ガリガリと薬を口に含み嚥下していった。


「魔王、あなたにはここで死んでもらいます」


 ミスティが呪いをつぶやいていく。


「……馬鹿を言うな。我は魔王。片目が死んでいようと、足に傷があろうと、全身を光で焼かれようと、小僧一人に遅れは取らん。なぜならわざわざ打ち合う必要がないか――」


 贋作『邪神殺しの槍グングニル』が魔王の周囲に展開される。


 エルが地を蹴った。神速の踏み込みだった。それは魔王の想定を超えるほどの速度。


「――なっ」


 グングニルを潜り抜け、すでに魔王の眼下。呪刀、『怨念』の間合い。

 魔王は抜刀した。


「殺」


 互いに神速の剣技を撃ち交わす。


「なぜだ」


 魔王は過去の経験では、決してあり得ない展開に思わず呟いていた。

 負ける、その言葉が頭をよぎったから。

 わずかにエルの方が速く、一合一合、剣を繰り出しあう度、徐々に魔王の肉が削れていく。

 その傷口から、ミスティの呪いが魔王を侵食していくのを魔王は感じていた。


「なぜだなぜだ、なぜだ! 人の身で!」


 肩から、足から、腕から、顔も腕も、魔王の全身から血が舞っていく。


 魔王は思う。

 いつだって支配する側だったはず。

 こんな序盤で苦戦をするなど今までの歴史でただの一度もなかった。

 だから信じない。

 己の弱さを自覚するわけにはいかなかった。

 叫びながら、エルの猛攻に応戦する。


 無言で切りつけるこの小僧は何者だ。

 なぜ我が怯えなければならない。

 死を感じなければならない。

 死を感じるべきはいつだって人間で。喜劇悲劇の渦中にいるのも、踏みにじられるのも人間のはずだ。

 我はただ、楽しむだけでよかったはず。

 

 エルは無表情だった。感情は読み取れない。恐怖も喜びも何もなかった。ただの作業と変わらないその表情が、魔王には理解できなかった。先ほどまで肩で息をしていたというのに。今は無言で、表情すら何も変えず、荒野に魔眼を光らせながら、洗練された剣閃を繰り出してくる。

 冷徹に、臨機応変に。


 魔王の剣を握る指が一本一本切り落とされていく。

 手を警戒すれば、耳をそぎ落とされ、顔を警戒すれば足を切り裂かれる。

 恐怖。

 この小僧に、そう感じてしまった。


「ふざけるな」


 そう思った。


「ふざけるなよ! 小僧がっ!」


 この存在を許すわけにいかなかった。

 勝ち方などどうでも良かった。

 

 魔王と他の生物に絶対的に埋められない差がある。

 生命力。

 エルの剣閃にあえて()()()()()

 刀が腹に刺さる。

 全身に力を込め、剣の自由を奪った。


 絶対強者とはいえない無様な戦い方。だが、後は(なぶ)るのみ。魔王は勝利を確信し笑った。


「悪し。戦い方がなっていないよ」


 エルの持つ刀が消えた。


「なっ」


 エルが魔王の両手を掻い潜り宙へ飛ぶ。その左手には再び刀が精製された。

 刀に忌々しい魔素が宿る。


「がぁっ!」


 右腕が切り落とされた。血が爆ぜ、爆風でエルの身体が吹き飛ぶ。

 右腕が再生しない。呪いか。


 エルが薬を口に含んだ。傷ついた身体が瞬時に回復する。


「化け物め」


 魔王が人間相手にその単語を発するのは初めてだった。

 それほどに異質だったから。

 認めるしかない。今回は勝てない。まぁ仕方がない。桁違いの才能を持った勇者に当たってしまっただけの話。人間の寿命は短い。来世にはこいつはいない。この化け物がいない世界を思う存分壊せばいい。いや、今世の恨みの分もぶつけてやる。

 

 だが。

 膝をつき、じっと呪いを呟き続けるミスティに目を向ける。

 お前は許さん。


 贋作『邪神殺しの槍グングニル』を周囲に展開。エルが身構えた。

 魔王はミスティを指し示す。


「死ねないのなら、死にたくなるほどの死を味合わせるのみ」


 槍が渦を巻き、ミスティに降り注いだ。

 大地に魔眼の光が走る。

 その槍全てを打ち落とさんと、ミスティの前でエルが刀を振るっていく。


「その嫌われものを守るのか、勇者」


 魔王は驚き、そして笑った。

 少しずつエルに疲れが見え、剣先が鈍っていく。

 うれしい誤算だ。無表情だから、冷徹な人間なのだと思っていた。

 人は馬鹿ばかりだ。感情があるから勝利を目前に見失う。才ある勇者もそうやって命を落としてきた。

 ミスティなど見捨てればよかったのに。


 槍を次々に放っていく。槍も有限。だが、エルの体力も有限。

 槍が彼の剣劇の合間を縫って、彼の身体を傷つけていく。


 打ち落とされた槍が周囲に山を築いていた。

 土煙が舞う中、エルが膝をついて俯いている。刀で倒れないように身体を支えながら。


 魔王がエルに近づいた。

 まだ若い勇者を見下ろす。肩で息をして、血を吐いていた。槍が彼を傷つけていたわけではない。なぜそうなったかは魔王には分からなかった。人の身に余りある速さを身につけた副作用だろうか。


「くくっ」


 笑いをこらえても、嗤い声が口の端から漏れて止まらない。


 惨め無様、詰めが甘い。やさしさとかいう不毛な感情が勇者の弱点。

 いつだってそうだ。誰かを人質にとれば動けなくなる、か弱い人間らしい最後。


「人間として生まれるには惜しい才能だったが。……いい加減、愛などという幻想を見限るべきだ、人類よ」


 剣を振り上げ、エルの首に振り下ろした。

 刀と刀のつばざり合いになる。死力を振り絞っているのか、その手は震えていた。

 近くで顔を見るとまだ少年だ。

 無表情を貫いていた彼が初めて、笑みを魔王に向けた。


「さよなら。いい加減、愛に破れる運命と自覚するべきだ、魔王」


 少年の姿がぶれた。


「――あ?」


 世界が揺れて、首のない自分の身体が見えて、地面と天とが順番に視界に映り変わり、自身の首が斬り落とされたことを自覚した時にはもう遅かった。

 最後は抱き留められる。


 冷たい手。

 憎き女の顔が笑っている。過去、世界の最後に何度も見た光景だ。


「呪いの完遂★ 十五年。付き合ってあげるわ、魔王」


 ミスティが口が裂けるほどに笑っていた。


「なぜ……」


 なぜだ。なぜ、我の首が飛ばされた。

 魔王の頭に疑問が次々に浮かぶ。


「ミスティ様は性格が悪いからな」


 水無月の声。薬をカリカリと口に含み嚥下している。刀の先に血が滴っていた。奴に背後から首を切られたのか。

 先に殺したはずなのに。殺したと思っていたのに。

 悪鬼と言えど形を成している以上、心臓を潰せば、死ぬはずだった。

 過去は全てそうだったはず。

 そう、思い込みを植え付けられていたのか。


 ミスティの手から、呪いが満ちていくのがわかる。

 今世は終わりか。運が悪かった。化け物揃いの勇者達一向。


 首のない身体が瘴気を帯び爆ぜる。

 爆発から守るように、水無月がエルを抱きしめていた。

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