第90話 魔王討伐③
人類は一度も魔王に敗北したことがなかった。
絶滅の危機に瀕したことはある。だが、最後には必ず人類が魔王に勝利した。
悲しい物語が増えれば増えるほど、魔王に恨みを抱く死者が増えれば増えるほど、猛威を振るう最凶の竜がいるから。
その竜は弱かった。
竜の姿に成れない、出来損ない。
呪いにより一度も勇者と契約できなかった。
だが不死身だった。
死者を愛でたぶらかし、復讐の鬼とし、魔王を追い詰める竜だった。
安易に愛を語る、ろくでもない嫌われ者でもあった。
遠い過去の話だ。東の国。魔王に、忠誠を誓った姫を惨殺された武士が一人いた。
その武士は運悪く生き残ってしまった。守るべき姫を失い、希望もないまま復讐のみを胸に、生き延びてしまったのだ。その事実に、喉が潰れ血の涙が枯れるまで叫んだ。
単身、人の身で魔王に挑み、路傍の石のように見向きもされずに殺された。
水無月ノ尊。
その恨みは前世で魔王を殺しても、いまもなお、現世に留まるほど深い物だった。
「……呪式……英雄、召喚」
血だまりから一人の悪鬼が形を成していく。
血が意志を持つように形を作る。スライムのようになり、やがてそれは人の形となる。
数百年前の英雄、水無月。
ミスティの血が、東の国の兜、甲冑を形成していく。
防御は最低限に、俊敏性を最大限活かせる武士の武具。
走るためだけに交配を繰り返し、鍛え抜かれた脚を有する、黒い馬、雷帝がその傍らに生まれた。
水無月は雷帝の頭を撫で飛び、騎乗する。
吠えた。もはやそれは人の声ではない。地の底に響く獣の声。
憎き者を殺さんとする、復讐の叫び。
それに答えんと、馬が地を駆けていく。
雷帝が地を滑空する。要塞制圧魔獣、テラノクスの触手が水無月を襲う。
軽々と避け、それを足場に、駆け上がっていく。
雷帝の近くに魔法陣が浮かび上がる。雷帝が嘶いた。雷撃が、異形の堕天使、アザリエルを、透明の顔のない人型魔獣ヴェールを、撃ち抜いていく。
主の復讐を邪魔する、魔王への行く手を阻む全てを打倒するため。
魔王を眼前にし、水無月は抜刀、忠馬から飛んだ。
「殺」
魔王の防御壁ごと、薄皮を切った。血がわずかに飛ぶ。
洗練された剣閃を前に魔王の防御壁といえど、意味をなさなかった。
魔王は笑みを浮かべ、水無月を蹴り飛ばした。
土煙を舞いながら遠く飛ばされ、ようやく止まる。
「ぐっ」
追撃。
邪神に永遠の命を与えられた裏切りの骨の竜、ネクロドラゴンの息吹が水無月を襲う。
雷帝が嘶く。水無月の前面で防御壁を展開するも、その威力を前に削れていき、やがて貫通し雷帝が塵となって消えた。
しかし、主君である水無月に攻撃が届くことはなかった。
「相変わらずの剣技。しかし昔に遠く及ばない。貴様の剣、前世であればここに届いていたぞ」
魔王がうれしそうに首をとんとんと触る。
「もはや恨みは消えているのだろう? 人とは不便よな。たった数百年すら恨みを持続できない。それともあれか――愛しの君の顔、忘れてしまったか?」
水無月は歯を食いしばり、足に力を込め、刀を肩にかけ構える。
「殺すのみ」
「そうかそうか。たどり着けたら相手してやる」
魔王もまた剣を抜いた。
「たどり着けぬようならそうだな。あえて生かしてやろう。そして女の首をお前の前に並べてやる。誰でもいいだろう? 姫の顔、忘れているのだろう? なぁ?」
水無月は薬を大量に口に含み、大地を駆け抜けた。
吠える。
要塞制圧魔獣テラノクスの触手を切り伏せ、異形の堕天使アザリエルの攻撃をかい潜り、不可視の人型魔獣ヴェールを打倒し、大地を疾走。
走り、走り、走った。加速に加速を重ねる。
人の速度を超え、神速の域に達する。
「殺」
武士は姫を愛していた。両想いであったが、互いに叶わぬ恋と分かっていた。
やがて姫は、血統に見合う夫を迎える。
それでも、愛した女性の幸せを願えることが、武士にとって幸せだった。
姫の無邪気な笑顔を見ることを、ただただ望んでいた。
「殺」
愛の言葉を一度も紡いだことのない、愛の言葉を知らない不器用な男だった。
数百年を超えても恨みが消えないほどに、愛していた。
物騒な言葉しか紡げないが、今もなお……。
「殺す」
悪鬼となり姫の顔も思い出せない。
だが、愛が、魂に刻まれている。
「殺してやる」
飛び上がり大上段の構え、魔王の眼前。水無月の人生最速の一振り。
魔王もまた真っ向から打ち合うため、切り上げの一閃。
打ち合い。――には水無月は応じなかった。武士の命とも言うべき刀を手放し、鍔迫り合いの勢いのまま宙を飛び回転、腰の小刀を抜刀、魔王の瞳に突き刺した。
「ぐっ。忌々しい!」
魔王の右手が水無月の胸を突き破り、心臓を掴む。血が溢れた。
「こざかしい真似を」
魔王が右腕をふるうと、力なく水無月の身体は地面に落ち、弾んでいく。
ミスティが水無月の身体を抱き留めた。
魔王の眼は回復しなかった。短刀に塗られたミスティの毒がそれを阻んでいる。
「無念……ですが、ミスティ様。きっと今世の者達なら」
「えぇ。ありがとう。水無月さん。あなたの物語に救われた多くの命、私は忘れません」
「ぐ。く、くはは。何を言っている。今世では私はまだ認知すらされていない。恨みを持つ者は少ないだろう? そして前世の者達では水無月以上の者はいるまい」
「いいえ。今世には、とっておきの愛を持つ者達がいます」
ミスティが薬を大量に口に含み嚥下していく。『エリクサー』、『自己治癒薬』、『魔力増強剤』。
自身の胸に手を突っ込む。心臓を取り出しひねりつぶした。血が濁流のように満ちていく。
「……呪式……英雄……召喚」
ミスティが額に汗を浮かべ笑みを見せ、薬をばらまく。
『スライム強化薬』、『スライム変化薬』、『スライム回復薬』、『魔力増強剤』、『身体強化剤』、『自己治癒薬』。
ミスティの血が意志を持ち、それらを取り込み、形作っていく。
「あなたたちの愛の物語が世界を救う」
復讐の権化、異世界のレシピの強化、それらの組み合わせにより、今世に異形の英雄が生まれる。
愛は呪いだ。
聖女ほどのやさしい人も、花に愛を注ぐ人も、忠誠を誓った武士も、悪鬼にするから。
冥府の騎士、ヴォルド。大剣を傍らに、以前よりずっと凄みを増した姿。赤黒い甲冑、その甲冑覆う植物の腕。歪なまがまがしい大剣。
聖女、リディア。ミスティの赤い血が天に届くほどに膨れ上がっていく。やがて巨大な四足歩行の異形の女を形作る。ネクロドラゴンに匹敵する大きさ。血の涙を流しながら、天使の輪っかと羽の生えた異形。復讐の相手を前に、口が裂けるほどに笑っている。
二体の英雄。
そして球体から現れた黒髪の少年。
「私たちの愛の物語を、ここから始めましょう。魔王はただの障壁。そうなのでしょう? 勇者エル様」
「うん。愛の邪魔する嫌な奴だから殺す。それだけ」




