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第86話 呪いの契約


「そう。エルちゃんもリッタを守りたいと思ってくれたのですね」

「うん」

「でも今のあなたじゃ到底魔王には勝てません。リッタの強さを感じたのでしょ? その彼女が勝てない相手が魔王」

「うん。どうすればいい? どうすれば勝てるの? ミスティさん」


 赤い唇が呪いを告げる。


「私と契約しましょう。()()を七日間、持っていて。誰にも言ってはいけません。()()()()()()()()


 そう言って、ミスティは自身の左腕を外した。血は出ていなかった。ただ、左の肘から先を、右手で外したのだ。()()を渡される。

 彼女の左腕は冷たかった。


 僕の手の中に彼女の腕がある。それは奇妙な光景に思えた。

 でも違和感はなかった。

 これでリッタを守れるのだろうか。孤児院の皆を守れるのだろうか。


 手の中で、腕が蠢いた。

 片腕のミスティに抱きしめられる。


「今、他の人のこと考えた? ()()()()()()()()


 呪いのように、ただ私を感じてくれと懇願された。

 彼女のひと肌の生暖かさに、鳥肌が背中を駆け巡る。


 これで強くなれるの? 言おうとして口を閉ざした。

 その質問は間違っていると思ったから。

 思うだけで手の中の彼女の腕が蠢いていたから。

 やっぱり駄目なんだ。彼女のことを感じろと言っていた。だから腕を抱きしめる。


「ありがとう。大切にする」

「えぇっ!」


 その瞬間のミスティの声は一人の少女のようだった。


「また七日後に会いましょう」

 彼女の腕を懐に入れてカナリスに戻ることにする。 


……。


 眠れない日々が続いた。

 眠ろうとすると、ミスティの腕が蠢くから。

 眠るときだけじゃない。ミスティのこと以外を考えると腕が反応することがわかった。それだけではない。考えていない時も蠢くのだ。考えないという行為も駄目なのだ。ミスティのことを考え続けなければならない。


 寝ている時も、誰かと会話する時も、どんな時も。

 だから眠れない。誰とも会話したくない。

 寝不足で吐き気がする。眠れないということは果てしなく苦しいのだということがわかった。ここ数日の気付け薬で理解してはいたが。

 それでも少しは眠れていた。今は一睡もできていない。


 カナリスの宿舎。ミスティの腕を抱きしめて寝る。冷たいミスティの腕が僕の手をぎゅっと握る。手と手が絡み合い、溶けあう心地だ。他人が自分になるようで鳥肌が立つ。嫌じゃない。嫌じゃないからほんとだからと心の中で念じる。


「エル。どうしたでごぜぇーますか? 今日の飯、味がおかしいです」

「え、あ、うん」


 気付いたらカナリスの厨房だった。目の前にリッタがいた。寝ていたと思っていたのに、今は厨房だ。訳が分からない。記憶が飛んでいるのかもしれない。眠れていないだけかもしれない。何もわからなかった。

 でもリッタが心配そうに見つめてくれていた。懐で激しくミスティの腕が暴れる。

 リッタのことを考えたから。


「ごめん」


 リッタにではなく、懐の中のミスティの腕に謝った。

 リッタは何かを言っていた。けど聞くべきじゃないと思った。

 僕はミスティのことを考え続けなければならないから。


 約束の日数が経ち、ミスティに腕を返そうと寂れた修道院を訪れた。


「まぁっ」


 彼女が楚々とした笑みで出迎えてくれた。

 数年ぶりにあった愛する人を出迎えるような、涙を堪えるような笑みだった。


「これ」


 懐から彼女の腕を取り出した。やっと離れられる、やっと眠れる、そう思ってはいけない。そう思った時点で駄目だ。そう理解していた。

 だから手遅れと思いつつ声を出した。


「ミスティさん、残念だけど」


 腕を彼女に渡そうとした。だけどミスティは彼女の腕を受け取らなかった。


「いいのよ、エルちゃん。そのまま持っていて」

「……………………」


「あと、()()

「……………………え?」


 ミスティは自身の片眼に手を突っ込んで取り出した。

 あやしく光る、その魔眼を僕の手のひらに置いた。

 今度は僕の右眼に手を突っ込み、それを奪って、代わりとばかりに手のひらの魔眼を突っ込んできた。

 

 痛くはなかった。ただ見え方がおかしくなる。世界に光が溢れていた。魔素の動きだろうか。いつも彼女が見ている世界と自分が見慣れている世界が溶け合い、頭が痛くなってしまう。


 右目を閉じる。

 蠢く腕、うずく眼。自分じゃないモノが自分になる感覚。

 おかしくなりそうだ。

 このままじゃ壊れてしまう。そう思った。

 目を閉じても、彼女の濃赤な唇が頭から離れてくれない。

 いつだって彼女を感じてしまう。


 ミスティは取り出した僕の眼を自身の眼窩(がんか)に入れた。


「おそろい」


 頬を染めてミスティがつぶやいた。


「ミスティさん、これ、いらない」


 彼女の魔眼が入った右のまぶたに触れる。

 僕の意思から離れるように、瞼の中で、うれしそうに蠢いている。


「どうして?」

「僕はあなたじゃないから」


 このままじゃ彼女になってしまう気がした。


「私と、契約してくれるんじゃないのぉ?」


 媚びた声だ。でも残念そうで、期待外れと言わんばかりだった。


 心が奪われてしまう。もうすでに彼女の腕と、自分の手の境が分からなくなっている。彼女の身体の一部を渡されているはずなのに、気づけば自分自身が奪われてしまっているようにも思った。

 これが契約なのだろうか。彼女の一部を渡され、彼女自身になるのが契約なのだろうか。

 渡されているはずなのに、奪われている気がした。

 奪われる前に。奪う。ミスティを殺せば解放される。

 悪い考えが頭をよぎる。だが、それはなぜか許されるようであった。彼女に危害を加えるということを、考えてしまったというのに、手も眼も反応しない。彼女を殺すことが彼女にとって正しい選択であるように、大人しくしている。それがミスティとの契約の行きつく先なのだろうか。


 でも、それは悲しい物語な気がした。契約するために死ぬ竜。

 それはあまりにも悲しいように思った。

 彼女は命の恩人だ。そんなことはしたくない。彼女の首に手をかけようとする身体を抑え込むために、僕は地面に膝をついて、祈るようにその場でうずくまった。手の中にある、無抵抗な彼女の腕をぎゅっと抱きしめた。冷たかった彼女の腕がほんのりあたたかくなっていく。 


 彼女は命の恩人で、好きな人でもあって、怖くもあって不気味でもあって、大切な人だった。

 

 彼女のことだけ考えなければならない。

 そういう呪いだった。

 でも、例外が一つあることに気づいた。

 自分自身のことを考えるのは許されるようだった。


 だから過去の自分を振り返ることにする。

 そうすると、ミスティから借りた身体は僕の味方をするように、あたたかくなっていくことに気付いた。

 

 自問自答。


 自分はどんな人間でどうなりたいのだろうか?


 本当の自分は泣き虫ですぐ逃げ出してしまう弱い心の人間だ。初めてのヴェルハイム郊外の防衛。そこで自分は死ぬはずだった。仲間からはぐれ、魔物が闊歩する森の木のふもとで隠れていた。たまたま見つけた、恐怖を消す成分を持つ薬草を摂取することで何とか平静を保てていた。


 息をひそめる。魔物が目の前を歩いている。

 叫びたい感情は薬草で消すことができた。

 だからただ淡々と隠れた。

 合理的に生き残る手段を考えた。

 その結果が隠れること。

 魔物に見つかれば死ぬだけ。

 じっと暗闇も、朝も、昼も、息をひそめていた。

 死ぬのを待つばかり。

 ただの延命行為だった。


 空腹も恐怖も感じなくなった頃、ミスティと水無月とスライムに救われ、何とか命からがら帰ることができた。


 異世界レシピの薬の力で弱い心を殺した。

 異世界レシピの力で皆をカナリスから解放した。

 今は異世界レシピの力で褒められることもある。

 皆が笑顔を向けてくれることが多くなった。


 笑顔はいつも料理を作った時で。

 自分自身には何の才能もなかった。何もかもが異世界レシピのおかげだった。

 

 でも、武器の使い方は自分で選べることを知った。

 そして夢ができた。


 魔王を倒すまでは僕にできることは何でもしたいと思う。

 魔王を倒さなければ、僕の夢が始まらないから。


 倒した後は、大切な人のために夢を追いかける。そう決めたから。


 そうだ。僕には叶えたい夢がある。


 僕はミスティの腕をぎゅっと抱きしめた。


 ミスティ。僕の夢に、協力してくれないか。魔王倒すなんていう、つまらない夢じゃない。


 君のことも一生愛する夢だから。

 僕の寿命を超えて、君の一生を愛する夢なんだ。


 全ては愛のために。君はそう言った。


 僕の夢は僕にしかできない愛の表現だ。

 どうしても叶えたいと思ってしまった夢。


 強く強く、ミスティの腕を抱きしめる。

 ありったけの愛を込めて。


 だからっ!


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 顔を上げると、ミスティが泣いていた。

 彼女の腕も眼もいつもと同じ、元の状態に戻っていて。

 気づけば、僕の手のひらにあった彼女の腕はなくなっている。


 けれど左腕の感覚も、見える景色もいつもと違う。確かにミスティの存在を感じる。


 ミスティが(ひざまず)いた。


「えぇ。私の初めての勇者。大切な人を愛する、私たちの物語を、始めましょう」

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