第78話 竜とカナリスの日常
とある日のカナリスに、デューク達が竜を連れてきた。
デュークは興奮気味に、ケイは少しつまらなそうに。
竜といってもただの竜じゃない。女性だ。
ピンク色の髪に二つの角、大きな瞳のわりに眠そうな瞳。
そして黒く長い靴下。背はケイより低く、エルより少し高いくらい。
リッタと名乗った。
「ああああああああああ」
水無月が震えている。両手を組み祈りをささげていた。
「あ、あわわ、あわわわ。……神、降臨」
「神じゃねぇーです」
「ぐふっ! 何をしておいでですか!? なぜ蹴られたてまつる!?」
「いきなり足に抱き着かれたらきめぇから蹴るに決まってるじゃねぇーですか。何言ってか分かんねぇーですし。……ん? お前、何かミスティの匂いすげぇです。そもそも、なんでそんな、成りをしてるでごぜぇーますか?」
水無月はだいぶ錯乱していた。
こんな師匠の姿は見たくない、……あれ? よく考えたら平常運転だなとエルは思った。けど女性もよく分からないことを言っている。
師匠が蹴られて喜んでいるようにも見えた。
そろそろ止めなければ、カナリスの幼い子供たちの教育によくない、そうエルは判断した。
「ティアさんに報告する」
呟くと師匠はしゃんとした。錯乱していても届く言葉はあるようだ。
けど足は小刻みに震えている。みっともない大人だ。
本当は靴下にひれ伏したいのに我慢している、そんな様子。
大人だって人間だ。欲がある。ただ堪えているだけ。
外聞のために我慢しなければならない時がある。
それこそが大人が大人たる所以なのかもしれないとも思った。
「それにしても何でごぜぇーますか? この孤児院。みな魔力量が常人じゃねぇーです」
「魔力量は普通だろ? リッタ! ここはカナリス! 俺達の家だ!」
デュークが胸を張る。
彼の魔力量がぐんと上がっているように、エルには感じられた。
「生活費を稼ぐための冒険中に出会った。竜との勇者契約だとさ」
ケイがつまらなそうにエルに説明する。
「……デューク、この孤児院の子供たちの魔力量は普通じゃねぇ―です。それに……ミスティの匂いがしやがります。どこでごぜぇーますかね。少しくらい会いてぇーです」
リッタはくんくんと周辺の匂いを嗅いでいる。
その後、リッタは奇行を繰り広げた。
色々な所を探しては、ミスティという名を呼んでいる。
カナリスの訓練場、食堂、厨房、寝室……。
幼い子供たちがしがみつくようにしても、気にせず、ずんずんと歩いてミスティという人の名前を呼びながら、カナリスの中を探していた。
エル達もその後をついて行く。
やがて小さな壺を覗き、ミスティがいねぇーです、とつぶやいた。
もしかしたらミスティという人は小人なのかもしれない、エルはそう思う。
「ここにもいねぇーですか。匂いと気配はぷんぷんなんですがね」
「気のせいじゃない? ミスティーなんて人見たことないけどな」
デュークの言葉に耳を貸しつつも、自身の感覚を信じているようだった。
「そうでごぜぇーますかね? けど、変なスライムもいるじゃねぇーですか」
迷彩スライムをむんずと掴み、くんくん匂いを嗅ぎ、ぽいと放り投げる。
スライムを掴んでは投げ、スライムを掴むというスライム狩りをし始めた。
ゆったりとした動き。だが素早く確実に捕まえていく。
きゅるるぅ。
スライムがかわいそうに思う。怯えているようにも見えたから。
後ろから声をかける。
「やめてください。スライムが怯えている」
エルの声に、リッタはぐるりと振り向いた。
目と鼻の先でじっとエルを見つめる。
近くで見ると神様が丹精に創造したかのような、均等が取れたきれいな顔立ちをしていた。
眠そうな大きな瞳。華やかな髪色。誰にも負けないと思えるほどの強者。
彼女が欲すればどんなものでも得られるのではないかと思えるほど、神に愛されていそうな女性。
けれどどこか空虚な瞳だけは寂しそうだなとエルは思った。
その人が、エルのほっぺをむんずと掴んだ。
「お前、変です」
くんくんと匂いを嗅いでいる。顔を近づけたリッタからは春の花の香りがした。
「匂いが一切しねぇーです。何でお前だけ、匂いがしないんです?」
「ミスティって人を知らないから?」
「この孤児院に住んでるのに、お前だけ全くしないのはおかしな話でごぜぇーます。痕跡を隠したことで、逆に怪しさが異次元でごぜぇーます」
リッタはエルのほっぺを引き伸ばしたり、むにゅと潰したり……しまいにはペロと首筋を舐めて、軽く噛んだりし始めた。
エルの顔は真っ赤になった。
だが、すぐにスライムと同じように、ぽいっと放り投げられた。
やがてリッタは全てに興味を失ったかのようにぼんやりと中空を眺めはじめた。
変な言葉遣いに奇行。
だけど、その瞳は空虚で、全てを諦めているかのように光がなく、洗脳されていた頃の大人の瞳のようにも見えた。
とにかくリッタという竜は変な女性だった。
……。
今日の昼ご飯は柔らかいパン。キノコと根菜の入ったワイバーン肉のシチュー。
子供たちは慣れた手つきで、パンをシチューに浸して食べている。
思い思いに感想を伝え何気ない会話をしながら。
幼い子供たちが食べてくれるように、異世界レシピを参考にエルが工夫した料理たちだった。
おいしいという言葉を聞くと、エルは不思議な感情を抱くのだ。
それが何なのかは分からないのだが。
その光景をリッタは、ぼーと見ていた。
「リッタ食わねぇーの? エルの料理すごくおいしいんだ!」
デュークは自慢をするように、誇らしげに胸を張った。リッタは首を振る。
「飯いらねぇーです。適当に魔物でも捕まえて食えばいいでごぜぇーますから」
「これワイバーンの肉入ってんだぜ」
「……今世の人間は魔物の肉を食べるで、ごぜぇーますか?」
「リッタさん、モシ良カッタラ、ドウゾ。温カクテ優シイ味ガシマス」
フィーがキノコと根菜の入ったワイバーン肉のシチューをよそる。
リッタはくんくんと匂いを確かめた。
そして初めて握る子供のような仕草でスプーンを掴み、シチューを一口すくい、飲み込んだ。瞳が一瞬輝いた。こくんと喉が震える。
そしてワイバーン肉にスプーンを刺そうとして……。
「あ……何で、でごぜぇーますか? これ、本当にワイバーンの肉?」
スプーンが接触した肉がふわふわと崩れていく。
「お肉! やわらかいんだぜ!」
「おいしいよ! 口の中でね! 溶けるの!」
「お肉って甘いんだよ」
「あたしの知ってるワイバーンの肉は硬いのでごぜぇーますが……あむ。っ!」
リッタの背筋と尾がピンと直立した。
その後、無言ではむはむと食べていく。
子供たちはその光景に、笑顔が止まらなかった。
そして会話の華が咲く。
おいしさの共有ができるということはうれしいことだと皆知っていたから。
全て食べ終わり、リッタはふんわりと笑った。
「うめぇーです。エル、でごぜぇーますか。名前覚えたですよ」
全てを諦めているかのように光がなかった瞳が少し、エルには輝いて見えた。
「……うん。よろしくリッタさん」
リッタは頷くと、とてとてとエルの傍に行き頭をやさしく撫でた。
母が子供を慈しむ表情で。
「何で頭を撫でるの?」
「頑張っている子は褒めねぇーといけねぇーですから」
「リッタさん、まだ出会ったばかり。頑張ってるかはわからない」
リッタは笑った。
「ん? こんなうめぇーもん作れるなんざ、頑張ってなきゃ無理でごぜぇーます。だから。偉い偉い、でごぜぇーます」
やめて欲しい、エルはそう思った。卑しいことをしている気分になるから。
全て異世界レシピの力だった。異世界の人々の料理の歴史を真似しているだけ。何の努力もなく盗んでいる。いわば盗人だ。とても誇れるものではなかった。
情けなくなってしまう。
エルは彼女の顔を見れずにうつむいた。
「……僕は頑張ってない」
リッタは撫でるのをやめた。けれどそれはほんの少しの時間だけで。
また引き続き「偉い偉い」と、やさしく、何度も撫で始めた。
誰も褒めないのなら、自分が褒めると言わんばかりに、撫で続けていた。
エルは褒められたいと思ったことは一度もなかった。
でも辞めて欲しいのに、続けて欲しいと感じてしまった。
何故かはわからない。
目を閉じて、「偉い偉い」と褒めてくれるリッタの声に耳を澄ませる。
エルは胸の奥がいっぱいになっていくのを感じた。
……。
食べ終えた子供たちは食器を厨房に持っていき、洗い始めた。
リッタもそれに習って同じ行動をとっている。
「「野イチゴのキャンディー!」」
と嬉しそうに喜ぶ幼い子供たちの列にリッタも並んでいた。
フィーが飴玉を配っている。
リッタは受け取ったかわいらしいピンク色の飴玉を宙にかざして観察している。匂いを十分に感じてから口に含んで、「ん~~~」とバタバタと尾と足を動かし、言った。
「ミスティの言う通りでごぜぇーました。人の作る料理は、すばらしいで、ごぜぇーますね」
エルは思う。
異世界レシピを武器として使うことが、僕だけにできる、唯一の表現なんだと思った。けれど……。
胸を抑える。
キャンディーをおいしそうに食べる皆を見た。
僕は異世界レシピをどう使うことが正解なんだろう。自分の気持ちも、胸がいっぱいになる現象も、初めてのことばかりで、何もかもが分からなくなってしまった。




