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第76話 スライムのいる孤児院


 今朝はカナリスができて以来、初めて訓練がない日だった。


 子供と大人、普段会うことのない幼い子供たちがカナリスの食堂に集められていた。


 やせ細った身体、落ちくぼんだ眼窩(がんか)と目の下のクマ、尋常ではない様子のローデリヒ・カナリス伯が小さく細い声を絞り出した。


「……今日……から、……だ、代理の……」

「あー、今日から院長代理になった、水無月(みなづき)だ」


 院長のつたない言葉を遮るように、師匠が院長代理になったことを宣言した。


「子供たちよ、君たちの仕事は寝て遊ぶこと。んー、んと、えーと、うーん、後はそうだな。……ごほん。よろしくどうぞ」


 加えて、何かいいことを言おうとしたが思いつかなかったようだ。

 師匠の隣の院長は夢うつつで宙をぼんやりと眺めている。


 大人と子供たちは反応を示さなかった。幼い子供だけが、行ったり来たりとほんの少しうろうろしている。けれど彼らも何かを察しているのか、騒いだりすることはなかった。


 50人を超えるカナリスの住人が一堂に会しているというのに、食堂は静かで、師匠は不安そうにしている。胸に手を当ててゼーハーゼーハーし始めた。


 注目が人を追い詰めることがあることをエルは初めて知る。同時に、普段ティアに飼われて道場に引きこもっているから仕方ないのかもしれないとも思った。


 ケイとデューク、フィーがぼそぼそと耳打ちしてくる。


「院長頭おかしくなってない?」

「最近痩せまくってこわいしな」

「エルちゃん、何カシタ?」


 フィーだけがエルを疑うように見つめている。最近は変わったことがあるとすぐ疑うようになった。昔のフィーはもっと素直で従順だった気がする。


「エルちゃん、失礼ナ事考エテル?」

「フィーは心の声が聞こえるの?」

「イツモ、エルちゃんシカ、イナイカラ」


 フィーの頭を撫でると半眼で訝しんでいた目を、気持ちよさそうに細めた。耳がパタパタしている。

 しばらく静寂が訪れた後のことだ。

 

「今日の報告者は誰ですか?」


 オービーが以前からは考えられない無表情で、けれどいつものように淡々と聞いた。

 声をかけられて安心したのか、師匠は少し嬉しそうな顔をする。


「報告者? なんだそれは」

「悪いことをした子を報告する子です」


 その会話内容から水無月は一気に不機嫌になる。

 オービーは間違えた。師匠には靴下の話をするべきだ。師匠の扱い方を今度教えよう。エルはそう思った。


「何気色の悪いことを言っている。そんなものはいらん。悪いことをするのも社会勉強だ。ほれ、とにかく子供は子供らしく外で遊んで来なさい」


 院長代理の強い口調に子供たちは、たたたっと外へと向かう。命令に従うため。


 師匠が「何だこの孤児院、不気味過ぎるな」とつぶやき、ぶるぶると身体を震わせる。そのやり場のない感情そのままに、周囲の大人達に矛先を向けた。


「お前たちも辛気臭い服を着るな。ほら顔を見せて、笑顔を浮かべなさい。今日から楽しい孤児院にするのが大人の仕事だ」


 水無月が大人のベールをはぎ取る。

 大人……まだ青年の顔だった。カナリスの元子供達。

 孤児院カナリスの子供たちの生き残り。洗脳教育の成れの果て。


 皆、無表情だった。

 返事すらない。


 水無月が苦い実をかみつぶしたかのような顔をする。


「ミステ――、ティア様が言っていた通り、笑顔を浮かべる以前の段階か。大人は……君たちは毎日これを飲むこと。瓶の中、10分の1を一日三回、必ず飲むように。そして、今日からはこの孤児院の運営を手伝ってくれ」


 ビンに入った美しい液体を渡す。青年たちは頷いて、ゆっくりとその液体を飲み込んでいく。


「ほれ、元凶エル」


 師匠に頭を乱暴に撫でられる。そのまま腕を引かれて外に連れていかれる。

 ケイも、デュークもフィーもついてきた。


「お前が始めた改革だ。責任を持って子供たちと外で遊びなさい」


 ケイたちは改革とは何のことだと、顔を見合わせていた。

 外へ出たはいいが、誰一人遊ぼうとしていなかった。

 遊び方を誰もが分かっていなかったから。


 子供たちは、庭で、ぼーとうつくしい青空を見上げたり、雨上がりの水滴が滴る草花を見たりしている。


「なぜ固まっているんだエル。遊ぶのがそんなに嫌か」

「師匠、遊び方を知らない。だから皆困っている」


「はぁ? そんなわけがあるか。では今まで何して過ごしてた?」

「訓練。食事。訓練。食事。睡眠」


「あー……、そういうことか。うーん、好し。ならば」


 師匠が人差し指を一本掲げた。


「訓練だ――」


 皆、その一言に背筋が伸びる。起立。直立。

 院長代理の一挙手一投足に注目する。

 一言一句、命令を逃さぬように。

 一糸乱れぬ、統率を取れた動き。


 だが師匠はふざけた顔をしている。

 それは訓練と呼ぶには明るすぎる表情で。


「迷彩スライムを捕まえる訓練だ」


 エルにとっては馴染みの訓練。

 師匠が指を鳴らした。スライムが十数体、庭に現れる。


 ぷるぷると震えるスライム、液体のように溶けているスライム、硬そうなスライム、様々な子達だ。

 すごくかわいいので、全部捕まえたいとエルは思った。


「スライムを倒しちゃだめだ。一番捕まえた子が、今日の一番。範囲はそうだな。庭と丘の上。街や外にはいかないこと。捕まえるだけ。単純だろ? けど――侮るなよ。超高速迷彩スライムだ。見えないし、見えたとしても一瞬で見失う。これは訓練だ」


 スライムが消えた。

 多種多様な見た目であったが、速いという事実だけは一緒だ。


「は!?」

「うそだろ!?」


 デュークとケイが目を真ん丸にして驚いていた。


「捕まえた」

 

 あっという間の出来事だ。エルがスライムを抱きしめている。

 その事実に彼らはさらに驚いた。


 エルはスライムを捕まえるのは得意だった。

 この『気』の流れを読む訓練は楽しく、何度もやっていたから。

 目で見ようとしては遅い。

 『気』や『魔力』の気配を感じとる訓練。


「エルちゃん、スゴイっ!」

「簡単。エルやデュークはまだ捕まえてないの?」


 わざと二人を煽ると、持ち前の負けず嫌いを発揮し、二人は全力でスライムを追いかけ始めた。それに釣られるように他の子供たちも訓練を始める。


 世の中には楽しい訓練もある。いや、これこそが遊びなのかもしれない。


「追いかけっこ、という遊びだ」


 水無月がエルの頭をぐりぐりと撫でる。

 満足そうな笑みを浮かべていた。やさしい大人の笑みをエルは初めて間近に感じた。


「スライムとの追いかけっこは楽しい。師匠」


 みんながスライムのかわいさに気づいてくれるといい、エルはそう思う。

 幼い子供たちは時折、ほんの一瞬笑顔を見せながら、丘の上を走っていた。


 エルが皆の様子を眺めていた時のことだ。


 腕の中のスライムがぷるぷると震え、一枚の手紙を吐き出した。

 それを読んだエルは訓練を放り投げ、ぱたぱたと小走りで目的の場所へと向かった。


……。


 朽ち果てた修道院。


「ティアさん、これありがとう」

 

 両手いっぱいの(わら)人形をティアに渡す。

 彼女はそれを受け取り、傍らのスライムに飲み込ませた。

 水色だったスライムは毒々しい紫色になる。


 呪具、(わら)人形。 


「エルさん、幻蝶粉、悪夢誘引液、ソーマリスを使った気分はどうですか?」

「……あまりいい気分ではない。けれど、毒は薬にもなることは理解したよ」

 

 ティアの魔改造によって、悪夢誘引液を用いて香を作った。

 それを焚き、ローデリヒを悪夢へと誘った。折を見て、幻蝶粉で現実世界でも幻覚を見せていった。加えて、ティアの持ち物である呪具、藁人形で怨霊(おんりょう)を引き寄せたのだった。


 目論見通り、徐々にローデリヒは疲弊していった。

 最後はティアが救い手として、ソーマリスを飲ませる手はずになっていた。


 結果、院長は、彼女の言葉を何でも実行してしまう人形のような傀儡(くぐつ)になったのだ。


「私のことを嫌いになりましたか?」


 確かにティアさんは普通ではないし、良い人ではなかった。善人では決してない。

 けど、好い人には変わりはないとも思う。


「ありがとうティアさん」

「まぁっ」


 抱きしめられた。抵抗してしまう。柔らかくて少し恥ずかしかったから。


「あらぁ?」


 失礼な態度を取ったのになぜか彼女は嬉しそうだった。照れ隠しに孤児院の問題点を伝える。


「院長以外にも敵はいる。そして、防衛に駆り出されるのを拒否したい」


「えぇ。私に任せて下されば大丈夫ですよ。……ですが、孤児院を運営するためには、お金という問題が発生します。大人と子供50人以上を養わなければなりません。ローデリヒが隠し持っていた財産はありますが、いつか無くなります。この意味、分かりますよね?」


「うん。お金は何とかする。カナリスを潰した責任をとらなければならない」


 頭を撫でられ、抱きしめられた。

 エルさん、と耳元でささやかれる。


「……あなただけが表現できる、愛を見つけましたか?」


 彼女は、きっと異世界レシピの使い方を言っている。


「まだ、分からない」

「すべては愛のために、ですよ」


 胸の奥に、彼女の言葉が沈んでいく。

 

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