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第75話 ローデリヒ・カナリス伯


 生まれで全てが決まる。

 ローデリヒ・カナリス伯は物心ついた時から、そう思っている。


 恰幅の良い身体、温和でやさしそうな、細い瞳。

 武装都市ヴァルハイムにおいて、()は孤児院を運営する行政官への敬称であり、行政官の中にあって貴族生まれのローデリヒは同世代と比較しても出世頭だった。


 守られるべき者と、命を賭して守らなければならない者がいるヴァルハイムにおいて、それらの構造を利用し金を稼ぐ者が最も賢いという信念を持っていた。


 質の良い兵士を輩出しているカナリスには王族から莫大な金が支払われている。


 金は権力に等しくもある。彼は権力すら持ち始めていた。

 その魅力に魂を売り渡し、薬物による兵士の育成といった非人道的な行為を孤児院で続けている。


 孤児院カナリスの部屋の一室。

 ローデリヒのほかに二人の男がいた。

 錬金術師のヴェスコール、医務官兼教育者のヴィルヘルム・ザックス。

 ローデリヒが甘味を口にいれて、ヴェスコールの顔を見た。


「子供の仕入れはどうなっている?」


 白髪交じりの黒髪を後ろで束ね、蒼白な肌。背が低く、常に下から妬むような姿勢の男だ。


「え、えぇ。し、仕入れています。6歳が10体。7歳が4体。8歳が7体……」

「……もっと増やせ。そうすれば褒美を出す。ただし、能力の低い者はいらない。そうだな、ケイやデュークくらい才能のある者を世代に一人は欲しい。……もちろん、真っ当な手段でな」


 最後の言葉は、白々しい、取ってつけたような言い方だった。


「次の世代の子供達の教育はどうだ? 防衛の駒になるくらいには成長しているのか?」


 カナリスには防衛に向かう30人とは別に、戦闘へ駆り出す前の6歳~12歳の子供達がいた。


 彼らを教育しているのが、医務官兼教育者のヴィルヘルム・ザックスだ。背は高いが細身、メガネの奥に神経質そうな目がキョロキョロと動いている。

 院長には忠実だが、懐刀であるという自負があり、スラム生まれのヴェスコールを敵視していた。


「えぇ。順調です。私に任せていただければ間違いありません。まだ教育が行き届いていないため、命令に拒否感を抱く子もいますが、10~12歳の子はもう十分で――」


 意気揚々と成果を報告している最中、一人の黒髪の少年が部屋に入ってきた。

 教育が順調という話をしていたところに、ルールを無視する子供が入ってきた皮肉に、ヴェスコールが吹出した。

 顔を真っ赤にしたザックスが少年を殴った。

 殴られた少年は、何事もなかったかのようにザックスを見つめている。


「エル、ノックをしろと何度言ったら覚える! これは、ルールだ」

「……忘れてた」


 痛みを感じる様子もなく、エルは三人の茶を入れ替えていく。

 そのまま、何食わぬ動きで香を焚き始める。

 部屋を甘い香りが満ちた。


「そんなことをやれとは言ってないだろ! 勝手なことをするなと何度言わせ――」


 ザックスがエルの胸倉をつかんだところで、院長のローデリヒが制す。


「まぁいいじゃないか。なかなかに好い香りだ」

「院長が気に入ってくれてうれしい。これもあげる」


 エルが無表情で言いながら、胸倉をつかむザックスの腕を振りほどき、得体のしれない(わら)人形を部屋に飾る。

 ザックスは盛大にため息をつき、「すみません」と一言、ローデリヒに謝った。


「なぁに。無能も過ぎればかわいいものだ。変わった子だが、面白い子でもある」


 気まぐれに実験動物を慈しむかのような瞳で見つめる。

 彼らが考えた教育体制では12歳にもなると、命令を聞く子か、感情の無い子かその両方のどれかになるのだがエルは違った。

 昔のローデリヒなら処分していただろうが、金と権力を得て、変わり種を観察する余裕ができていた。


「好い気分だ。難しい話はやめ、世間話でもするとしよう」


……。


 その日の夜。

 ローデリヒは寝つきが悪かった。


 眠れない。

 暑い日ではないのに、汗が止まらなかった。

 何度も寝返りをうつ。


 その日、ようやく寝付いたローデリヒは悪夢を見た。


 ベッドで眠る自分を見下ろしている。


 子供たちの笑い声が聞こえた。

 眠る自分を、囲み、見つめている子供たち。


 見覚えのある子供たちだ。死んだ子たちでもあった。

 自分は恨まれている。


 早く起きなければ殺されてしまう。

 そう思った。


 あんなに寝たいと思っていたのに、夢の中では逆に起きることができない。

 歯を食いしばって、体に力を入れて、なぜか美しい女性の声が聞こえて、ようやく起きることができた。救いの声のようにも思った。


 夢から覚めた現実はまだ真っ暗だった。大量の寝汗、荒い呼吸が生きていることを教えてくれる。


「嫌な、夢だ。バカげている」


 掛け布団を払いのけると、小さな黒い粉末が舞った。


「なんだこれは……忌々しい」


 そんなことは些事(さじ)なことだった。現実ではなかった。ただの夢。

 ほっと胸をなでおろし、安堵したのもつかの間――。

 月明りが部屋を照らした。


「うわああああああああっ⁉」


 部屋の壁に子供の手形と足跡が残っていて悲鳴をあげた。


……。


 その翌日も、翌々日も悪夢を見た。

 やがて、起きている時も悪夢を見始める。

 

 最近のローデリヒは誰にも会おうとせず、部屋の鍵を閉め引きこもることが多かった。

 誰もかれもが自分の命を狙っているように思えたから。

 だが何もしない時間というのも怖かった。幻聴が聞こえるから。

 だから、夢を見なくなるほど、疲れ果てるまで業務に没頭するのが常になった。

 その日も、行政官としての報告書を書いていた。


 耳元で子供の笑い声が響いてくる。


「もうやめろ」


 紙に向かいながらつぶやいた。懸命に文字を(つづ)る。仕事に没頭することで、現実を忘れようとした。ローデリヒの額から脂汗がふき出てくる。


 後ろに気配を感じた。振り向いたが誰もいない。

 子供たちが楽しそうに駆け抜ける音が天井で響く。


「やめろやめろやめろ! 天井には部屋がない! 音が聞こえるわけがない!」


 自分に言い聞かせるように叫び、報告書を握りつぶし壁に投げつけた。


「やめろ……」


 壁に次々に子供の手形が浮かび上がっていく。


 血にぬれた、真っ赤な手形が。


「もう、やめてくれ……」


 ガチャ……。


「ひぃ!」


 ローデリヒは叫び声をあげ椅子から転げ落ちる。


 無表情の黒髪の男の子が入ってきた。

 エルはいつものように香を炊き、(わら)人形を飾った。

 既に部屋には十を超える数の人形が並んでいる。

 その人形の一つを手に取り、ローデリヒに渡した。


「大切にして」


 子供の頼み事だった。

 ローデリヒは細い蜘蛛の糸を掴むような気持ちで、人形を握りしめて、うずくまった。


「大切にすれば、美しい女性が助けに来るよ」


 子供の声が天啓に聞こえた。

 部屋には甘い香りが満ちている。


 鍵を閉めていたはずなのに、なぜ子供が入ってこれたのか、頭が回らないほど、彼は追い詰められていた。


……。


 ある日の真夜中のことだ。


 ローデリヒの恰幅のよかった身体は既に、病的にやせ細っていた。

 その落ち窪んだ眼光だけが、ギラギラと闇に光っている。


 真っ暗な部屋で、(わら)人形を握りしめて、じっとうずくまって泣いていた。


 孤児院のベルを鳴らす音が響く。


 眠れないローデリヒには、その音が神の福音に聞こえた。

 救いの音に聞こえたのだ。


 子供の手形足跡が壁一面に浮かび上がる部屋、笑い声が響き続ける部屋を飛び出て、廊下を駆ける。


 駆けて駆けて転んで、両手両足で廊下を駆け抜けた。

 手足をでたらめに動かし、涙を流しながら。


 玄関には黒いベールに漆黒の修道服、水色の美しい髪に、真っ赤な唇の女性がいた。

 濃密な甘い香りが漂う。


「あぁ……」


 ローデリヒには救いに見えた。


「救いをお探しですか?」

「あぁ!」


 救いに間違いなかった。

 

 女性がベールをめくる。

 神の使いに違いない。


 だってその瞳は、星のような世界が広がっている美しい魔眼だったから。


「神様……?」

「えぇ」

「あぁ!」


 ローデリヒは手を組み合わせて、足元に縋りついた。


「神様、眠れないのです。悪夢が。起きていても悪夢が頭から離れないのです。眠れなくて、辛いのです。助けてください。神様。どうか、どうか……」

「この薬をどうぞ。きっと眠れるわ」


「ありがとう、ございますっ」


 感涙にむせび泣き、ローデリヒは手渡された薬を飲み、安堵に満ち足りた表情で、目を閉じた。

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