第72話 防衛
ヴァルハイム近郊、第一防衛ライン。
夜と夕方の境、亡者が現れる時刻。
神の使いとされている竜の中にも人を襲う偽竜がいる。その違いは人々にはわからないが、人喰いをする竜は偽竜として狩らなければならない存在だった。やらなければやられるから。
「聖なる火の名のもとに、紅蓮の嵐となりて唸りを上げやがれ! 焔よ、すべての敵を塵に帰せ! フレイムストーム」
ケイの詠唱に火柱がいくつも天に立ち上る。
人喰いをしようと宙を旋回する中級の魔物、ワイバーンを追い詰めるべく。
犬歯をむき出しにし拳を突き上げていた。
「燃えろ燃えろ燃えろぉ! 逃げんじゃねぇよぉ!」
ワイバーンはその旋回力を活かし、炎柱の合間をぬって器用に飛翔する。
「聖なる風の名のもとに、守護の風よ、敵を囲み進路を妨害したまえ。あらゆる敵意を跳ね返したまえ。エアロバリア」
本来守る風の楯を、敵の行先の妨害に使ったのはデューク。
見えない風に遮られワイバーンは一瞬の停滞を余儀なくされた。
迫る炎の柱が追撃し――。
爆発音が響いた。
炎と風の組み合わせ。
気絶した黒焦げのワイバーンがくるくると地に落ちてくる。
「へへ」
得意げな顔でワイバーンの落下地点に駆けるデュークにケイが叫ぶ。
「てめぇ! デューク! 俺の炎だけで狩れただろうが!」
「遅すぎて逃がしてただろ、愚図!」
「クソが! 舐めやがって!」
だが速さに分があったのはケイだ。狩猟犬の如く地を疾走する。
ケイの速さは目を見張るものがあった。
やがて残像だけを置き去りにし、気づけば先行したデュークの頭を足蹴にしていた。
「ふげっ」
そのままケイは中空へと飛んだ。
脚先で頭部を踏まれたデュークの端正な顔は情けなくなり、そこを起点に飛んだケイが落ちてくるワイバーンの目前に到達する。
大剣を構えた。
「首、頂くぜ」
大剣が輝き、周囲の空気を巻き込みながら、躍動する。
ワイバーンの硬い首の皮膚を骨ごと一閃した。
首と胴とが分かれ、地に落ちる。
遅れて血の雨が降り注いだ。黒焦げの胴体はびくびくと、最後のあがきをするように痙攣していく。
着地したケイが止めとばかりに大剣をワイバーンに突き刺した。
「気持ちいいぃ」
ケイが勝ち誇った顔で舌を見せていた。
バランスを崩し土に突っ込んでいるデュークを見下ろす。
「ぐぞぉ……仲間を足蹴にするなんてあり得ないだろぉ」
「いい踏み台だった。オレ専属にしてやるよぉ、デューク」
相変わらずの仲の良さ。
だが――。
「デューク! ケイ! まだ終わってない。奴が紛れている! 探って!」
珍しくエルが叫んだ。
その非日常に二人の表情が一変した。
ケイはワイバーンから飛び降り、地に伏せ、敵の気配を索敵。
犬耳と鋭い嗅覚を頼りに。
デュークは風の気配に神経を研ぎ澄ませ、剣を構える。
先ほどまで、エル達はコボルトやゴブリンなど初級の魔物を狩っていた。
だが、初級の魔物の中にも厄介なモノがいる。正確には厄介ごとの予兆を示す魔物だが。
通称アンデッド。
人型あるいは生物の型をした死体や骸骨、ミイラ、ゾンビ、グールなど、生前の姿や種族を問わず死者が蘇った忌まわしい存在の総称だ。
数体ならば問題はない。しかし二十体を超えるとなると、ネクロマンサーやリッチが隠れ潜んでいる可能性が飛躍的に高まる。
特にリッチは、多くの仲間の命を奪った、憎き不意打ちの悪魔。
そして今は夜と夕方の境……黄昏時。魔は時や境界の境で力を増幅する。
アンデッドをククリナイフで叩き伏せつつ、周囲を警戒。
フィーがアンデットに対し、聖魔法を唱えようとする気配を感じ叫んだ。
「フィー! 魔法を使うな! デューク!」
「アっ……アィっ!」
フィーは詠唱の手を止めた。
デュークもフィーも理解する。フィーはデュークの元へ駆け、デュークもフィーを守るように背で隠す。
魔物避けを塗ってはいるが、聖魔法を扱ったら間違いなくフィーが狙われる。
ネクロマンサーやリッチにとっての脅威は、聖魔法を操るフィーだ。
彼らが姿を消して迫るのは、聖魔法を操る者を見定めていることが理由の一つであると考えられている。実際に、アンデットを嫌い聖魔法を乱発する子は、奴らに必ず狙われていた。
フィーだけは失えない。
ケイたちでは弱らせることができるが止めをさせない。持久戦となれば、無尽蔵にアンデットは増え、他の魔物との波状攻撃で対処が間に合わなくなる。フィーを失えば全滅もあり得た。
そして守るのに最も適しているのは、風の魔法を得意とし近接戦もこなせるデュークだ。
一方、二人の大人たちは我関せず初級の魔物やアンデットを狩っていた。
彼らにはこちらの協力要請が通じない。ヴァルハイムを守ることと、子供たちを管理するためだけに存在しているから。今はヴァルハイムを守ることを優先しているようだった。
その優先順位は自身の命を省みず戦ってしまうほど。
大人には言っても無駄。これまでの経験から学んだことだ。
今は敵を索敵することに集中する。
姿を現わす一瞬を見逃してはならない。
その一瞬が生死の分かれ目。
「臭すぎる。死臭だ。エル。奴が絶対いるぞ」
「フィーが最優先」
「あぁ」
いつの間にか、ケイが背を預けてくれていた。彼の雰囲気にも余裕はない。
後背は彼に任せ、前方とフィーのみに集中する。
死の気配。じりじりと緊張感が迫りくる。痛いほどに。
大人が初級の魔物を狩る音だけが響く。
夕日に染まる大地の底が冷えている。
どこだ。どこにいる。
夕日が死の赤に見えて、焦る。瞼を閉じる隙が、死を招く。
瞬きできない目が乾き、汗が全身を伝う。武器を握る手が濡れていく。
早く見つけろ。
仲間が死ぬぞ。
後悔はもうしたくない。
師匠との訓練を思い出す。
空気の流れを視る。風の流れを聴く。
魔素を感じろ。
想像しろ。
魔素を水面のように拡げろ。
異物の落ちた、水面の波紋の如き魔素の揺らぎをかぎ分けろ。
『気』を丹田に込める。
見つけた!
斜陽を背に中空に蠢く黒い影……リッチ。
初級の魔物を狩っている大人の背後に出現した。
顔の倍以上はある骨手、骨足、ぼろ布を纏っている。
やせこけた落ちくぼんだ眼光、表情は空気が揺らぎ見えないが笑っているようにも嘆いているようにも思える。黄昏時の死の色に紛れて、実体を世界に顕現した。
生者に嫌悪感を抱かせる風貌からかけ離れた動きで、背後から、愛しい者を抱くように大人の頭部を抱擁した。
大人が生気を吸い取られるように痙攣していく。
奴に抱かれれば死ぬ。
不意打ちの悪魔。
腹の底に溜めた『気』を足先に込め、地を踏みぬく。
瞬時に間を詰める。
ククリナイフは身体の一部、手の延長。『気』を流し込み、『水の魔素』を武器に込める。
「いたぞおおおおおぉ!」
ケイの叫びを背に、一番最初にリッチに到達。
淀んだ魔素で揺らぐ、憎き、奴の顔を刈り取る一閃を振り抜く。
またしても武器がリッチに到達する寸前で壊れてしまう。けど、残ったナイフの先に伸びた、水の魔素がリッチに絡みついた。
リッチが世界から姿を消す。だが水の魔素がリッチの気配を追従している。
奴の行く先は――。
「ケイ! 左斜め後ろ!」
ケイの口の端の犬歯が光った。
「おらあああ!」
本能と才能による反射を超えた超速反応。
ケイの神速ともいえる剣撃が死の夕闇を切り裂く。
死の象徴を横薙ぎ一閃。
グオオオオオオオオオ!
魔素の揺らぎから再び現れたリッチの胸を、大剣が抉り取った。
「聖なる光の名のもとに、清浄なる光で生者を照らし、聖なる輝きで死者を祓いたまえ! ホーリーライト」
高速詠唱。裂かれた身体が修復する前に、フィーが魔法を唱える。
光がリッチを包み、金切り声とも呼ぶべき断末魔が木霊した。
聖なる光。
その奔流のまぶしさに目がくらむ。
周囲のアンデットもろとも、リッチは崩れ落ちていく。その魔素のゆらぐ表情は最後までわからない。うらめしそうにも見えるし、満足そうにも見える。
塵となり崩れる最後の時、リッチは死へいざなうように、手招きを何度も繰り返していた。
後味の悪い、安堵が皆に広がる。
痙攣していた大人は地に伏せたまま動かない。
もう一人の大人は淡々と、今も初級の魔物を狩っている。
それに倣い、地に伏せた大人をそのままに、初級の魔物狩りに戻った。
リッチに抱かれた者は助からないと知っているから。
夕日は沈み、やがて夜が訪れる。
……。
防衛が一段落すると都市本部の錬金術師回収班が、地に伏せていた大人の身体を運んでいった。
大人の顔を隠していたベールがめくれると、生気を抜かれた青白い顔が露わになる。
まだ若い。
その顔は昔、幼いエルをカナリスで世話してくれた子供の面影を残していた。




