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第66話 孤児院カナリスと子羊達


 読経(どっきょう)が響いている。

 孤児院カナリスの晩餐(ばんさん)のいつもの光景。


 カナリスは聖女不在の武装都市ヴァルハイムにある。

 聖女がいないヴァルハイムは、必然、結界の恩恵がなく、昼夜問わず魔物からの襲撃に備えるため常に自衛を必要としていた。


 エル達が暮らしている孤児院カナリスも自衛をするための兵士を育てる施設の一つ。


 この施設には特別なルールがあり、子供たちも大人たちも皆、そのルールに従って生活していた。院長たち、一部を除いて。


 カナリスの食堂では、今日も大人たちが晩餐の前の読経を唱えていた。

 様々な声調が重なり、うねりとなって室内を震わせている。大人たちの顔は見えない。目元以外は服や布で隠されている。


 エルはぼんやりと出された料理を眺めていた。


 目鼻立ちがくっきりとしているわけではなく、没個性的で埋もれてしまいそうな容姿。だが変わった所もあった。物心ついたころから、異世界レシピという魔導書とともにあったのだ。


 誰かとの会話よりも、異世界のレシピを読み込み、その歴史を紐解くことを好んでいた。虫食いの部分は想像で。完成したレシピは大人たちの監視をかいくぐり、作ってみていた。


 孤児院カナリスの中では作れない。

 だが武装都市ヴァルハイム近郊において、それぞれの施設の持ち回りで行う魔物からの防衛では、野営をする時間があった。


 都市防衛では大人も子供も、皆生き残ることに必死だった。それが監視の目を盗む時。その際にレシピを実現させることを楽しみにしていた。


 エルにしか見えない異世界レシピという魔導書はまがまがしい見た目をしている。

 良くないものだというのは物心つく頃から気づいていた。

 けれど、異世界の歴史は魅力的で、知りたいという欲求を止めることが出来ない。現実がどうでも良くなるくらいに無我夢中だった。


 無表情で虚空をいつも見つめている。

 時折、まるでそこに誰かがいるかのように、ぶつぶつとつぶやく。

 だから気味が悪いと嫌われていた。

 成績が悪いことも相まって、施設の一部の子からは軽んじられている。


 乏しい表情であったが、エルの片方の眉毛がぴくりと動いた。


 『ソーマリス:合成麻薬の一種』

  

 異世界レシピを起動していたエルは、出された料理を見て浮かび上がった『ソーマリス』の項目を読み込んでいく。


 『ソーマリス』


 そこに書かれてあるのは麻薬の歴史だった。

 麻薬は痛みを和らげ、幻覚を誘発する喜びの植物から作られる。異世界の多くの人々を救い、そして不幸にもした薬。

 その麻薬を、金や支配のために人を壊すために改悪したのがソーマリスという合成麻薬だ。金と支配のために作られた禁薬のようだった。

 

 食卓に並んでいる料理と同じ成分。

 それがケイの前にあった。

 

 異世界レシピに載るその内容に、心臓の鼓動が僅かに早くなるのを感じた。

 その合成麻薬の歴史は陰惨(いんさん)――痛みを抑えるために生み出されながら、快楽と支配の道具に変質し、ついには数多の人を破滅させてきたようだ。

 そしてそれは普段食事に入れられている麻薬より破滅的な効果だった。


 今朝のフィーとの会話を思い出す。


『……皆ガ――最近、話シカケテモ、反応ガ、乏シイ子モ、イルノ』


 食事に含まれた麻薬の成分が影響しているだろうことは、想像できた。


 使用量を抑制すれば、悪いことばかりではない。弱い子は、心の弱さから逃れることもできるから。魔物と戦う上で、痛みや恐怖は死に直結する。それを失くすことができるのは生きるために必要な処置のようにも感じた。


 同じような効能の薬は自分も作って飲んでいる。

 痛みを消す、恐怖を消す。少し強くなれる気がする。人の心は弱いから。そう思った。

 けど。

 デューク、ケイ、フィーを見る。


 彼らには必要ない。


 なぜそう思ったのか、自分でもよく分からない。けれど、彼らが薬物に依存してしまうのは、許容できないことのように感じた。


 異世界レシピを読み終えたエルは立ち上がった。

 カナリスの食事のルール逸脱。


 ケイはエルの様子に気づき、にやりと笑い犬歯を見せた。

 何をするのかとワクワクしているような笑み。


 報告者である子供の一人、オービーがエルに警告する。


「食事前に読経を聞かなきゃダメだ。早く席につけ。これは、警告だぞ!」


 孤児院には子供同士で、悪いことをしたら大人達へ報告するルールがあった。


 報告する者とされる者に別れ、報告する者は院長が定期的に決める。

 大人にとって良いことをした人、院長に気に入られている者が、報告側に成るのであった。


 報告者には恩恵がある。それは規則や贔屓(ひいき)という、大人より与えられた偽りの力。その偽りの力には、支配という歓びがあった。


 純粋で残酷な子供にとってそれは甘露。

 幾人かの子供たちは院長に気に入られようと努力していた。


 院長はおだやかな笑みを張り付けている。本意では無い子供達の動きすらも観察対象であるかのように。あるいは、気まぐれに餌を与えた後の池の中の魚を見つめるように。


 その傍らでは、我関せずと大人たちが相も変わらず読経を唱えていた。


 オービーの警告を無視し、読経の中をエルは、ふらふらと歩き、赤い髪でギザギザの歯をした犬耳少年、ケイの目の前に立った。目の前にはスープとパン、野菜、果物、身体づくりのための肉。

 味はしないが、孤児院にしては栄養豊富な食事。


 そのうちのスープの皿をひっくり返す。

 子供達の息を詰める音が聞こえる。

 スープが少しケイの髪にかかった。


 ケイはこの施設にあって、ルールに縛られない荒くれ者。同時に施設にとって貴重な戦力でもあったから、院長から苦言は投げられても強制はされない、ある種の治外法権であった。


 テーブルの端を液体が伝っていき、床に落ち小さな水溜りを作った。

 一触即発の様相。

 誰も止めない。彼らのやり取りを見ているだけだ。


 ケイは犬歯を剥き出しにし、深い笑みを浮かべる。


「あ?」

「ケイごめん。手が滑った」


 次の瞬間にはケイの拳がエルの目の前にあった。遅れて風がエルの前髪を揺らす。

 エルは目前の拳をじっと見ていた。


 読経が鳴り響いている。


「馬鹿か? それとも」

「ケイごめん。髪にかかった」


 スープを捨てたことは悪いことと思ってはいなかった。

 ソーマリスの成分が入っていたから捨てただけ。会話をしてくれる数少ないケイの存在はエルにとって特別だった。だから破滅に導く麻薬を摂取することはよくないことだと思ったのだ。


 だけどスープをケイの髪にかけるつもりはなかった。だから謝る。


「謝れば許されるわけじゃねぇだろうが。馬鹿の一つ覚えみたいに謝るな」

「うん」


 エルの従順な様子にケイは笑った。読経にふさわしくない笑顔だ。


「席につけ! 読経を聞け! 今日はオレが報告者だぞ!」


 オービーの報告にケイの眉間に(しわ)がよる。

 気分が良かったというのに、という内心が聞こえるかのような表情の変化。


 ケイは身の丈以上のテーブルを掴み上げた。

 食事が床に落ち、食器の割れる音が響く。食事を奪われた子供たちは少し悲しそうにしながらも、ケイに文句を言わない。ルールがあるが、それを指摘すれば殴られる可能性があるから。


 世の中にはルールには縛られない力がある。その一つが暴力。


 ケイはオービーにテーブルを投げた。


「ひぃ――」


 オービーが手で頭を覆い目をつぶる。当たるその瞬間。


「やりすぎだろっ!」


 オービーに直撃するはずだったテーブルが軌道を変えて、床に音を立てて衝突した。

 勢いよく飛ぶテーブルをいなしたのはデューク。輝く金髪に端正な顔、引き締まった体躯。正義を宿しているかのような、どこまでも真っすぐな碧眼。


「かっくぅいい勇者の登場かぁ!? ディーク」


 ケイが腕まくりして、デュークに飛び掛かる。地を這う魔物のように低い姿勢からの突撃。


 手刀、拳打、突き、掌底、貫手、裏拳、正拳突き、肘打ち。

 蹴り、回し蹴り、膝、前蹴り、後ろ蹴り、飛び蹴り、かかと落とし、回転蹴り……乱撃の応酬。


 この施設で学んだ技術を惜しみなく出している。

 それをデュークが受け止めながら、時にくらいながら、応戦しながらも叫ぶ。


「何でいつも暴力を振るうんだ!」


 いつもの仲の良い喧嘩。エルはそう思う。

 エルは喧騒(けんそう)の中、てくてくと歩き、投げられたテーブルを元に戻そうとしたが脚の部分が壊れていることに気づいた。


 暴君からテーブルを投げつけられ、椅子から転げ落ち、尻餅をついているオービーに言う。


「テーブルの脚が壊れている。報告して」

「あ、あぁ……っ! って、ば、馬鹿にするなっ。ケイもディークもお前もなっ! ぜ、全員報告してやるからなっ!」


 エルは頷いた。

 だがふと思う。


「デュークは関係ない? オービーを守っただけだ」

「え、あ、あぁ、そうだな、うん……ってそれを言うなら全部お前のせいじゃないか!」


 エルは頷いた。それもそうだと思ったから。けど悪いことをしていないから謝るつもりはなかった。

 自分の席に着く前にデュークとフィーのスープもひっくり返した。


「ワァッ!」


 ソーマリスの成分が入っていたから。


「エルちゃんっ……何デェ……」


 猫耳としっぽが垂れ下がり、フィーが涙目で見つめてくる。

 安心させる必要がある気がした。


「フィーは大丈夫」

「全然大丈夫ジャ無イ、ヨゥ……」


 フィーは立ち上がり、とぼとぼと大人に拭くための布をもらいに行った。

 読経が鳴り響き、フィーが涙目でスープをふき取っている。その中、淡々といつものように、異世界レシピを読みながら食事を始める。

 周囲の子供たちは唖然とその様子を見ていた。


 エルは読経が終わるまで食事をしてはいけないというルールを忘れていた。

 いつだって現実よりも異世界の歴史の方が魅力的だったから。


 読経と喧嘩、暴君と勇者と異質。混沌とした晩餐は、武装都市ヴァルハイムの他の孤児院にはない、孤児院カナリスの日常だ。


 ふと、異世界レシピを読むことをやめて、顔を上げた。


 床に血が飛び、叫び声に合わせて唾が飛ぶ。床や壁には穴が開き、周囲の少年少女たちは巻き込まれまいと避難していた。大人は相も変わらず読経を唱えている。


 いまだに殴り合いをしている二人を見た。

 おかしいことに気づいたから。ケイの行動は理解できる。食事を台無しにされたから、報告者の犬にむかついたから。


 けどデュークは?

 いつも正義感で損してばかり。

 ケイは楽しそうだが、デュークは全然楽しそうじゃない。

 黙っていれば、ルールに従っていれば、院長に気に入られるのに。支配される側ではなく、支配する側に成れるのに。

 よくわからない。


 考えてもわからなかった。

 ……きっとデュークはデュークだからだ。

 そう結論付けて、再び異世界レシピを読み解くことにした。

 馬鹿なだけという可能性も捨てきれない。


「エルちゃん、ノ馬鹿ァ」

「馬鹿は僕じゃない」


「ニャ……?」

 フィーは濡れたタオル片手に小首を傾げていた。


「クソ。ルールを守れ。……必ず報告するからな。院長だって本当は怒っているはずだ……」

 オービーがぶつぶつとつぶやいていた。

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