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第65話 呪われた子供


 城壁に囲まれた武装都市ヴァルハイム。エルの過ごす孤児院カナリスは、都市を見渡すことができる丘の上に建っていた。まだ人々が眠りから醒めぬ薄明かりの早朝から、丘に訓練の笛の合図が響いている。


 エルの視線の先には灰色の雲が広がっていた。

 大の字になって仰向けで地面に転がっているから。

 正確には、訓練で無様に()()()()()()()


 12歳、黒髪黒目、記憶に残らない特徴の少ない顔立ち。

 孤児院から支給された軍服のような戦闘服は、泥と血が染みついる。エルは傷だらけで、胸を上下に動かし荒い呼吸をしていた。だが痛みによる苦痛や過度の運動による疲れの色は表情から窺えない。


 エルの模擬訓練の組手相手の赤毛の少年、ケイが犬歯をむき出しにし、身の丈に迫るほどの木剣を肩に掛けながら傍らで膝をついた。

 同い年の同じ孤児院の兵士だ。

 エルより大きな体躯で、野性味が溢れていた。


「エルぅ。十分休んだだろぉ」


 煽っている様子や見下す様子はない。

 純粋にもっと訓練を続けたいのだろう。

 ケイの表情だけをみれば、エルと遊びたいという普通の子供のようなそれだった。

 

「はぁはぁ……、うん」


 休んだかどうかの問答には頷いた。動けるかは別だが。

 ケイの要望に応えようと身体を起こそうとしたが、起き上がることができない。


「もう動けない。他の人と組手やって」

「何だよそれっ⁉ 今返事しただろぉ。続きやろうぜぇ」

「十分休んだから答えただけ。でも身体が動かない」

「……」


 ケイはむすっとした顔で睨む。


「睨んでも、もう動けないから他の人とやって」

「……雑魚が」


「挑発しても結果は変わらない。動けないものは動けないから」


 ふん、と鼻を鳴らし、ケイは周囲を見渡した。


 孤児院の子供たちはその視線から逃れるように、それぞれの組手相手との訓練に熱をあげていく。

 もともと、ケイの訓練相手は誰もがやりたがらない。身体を壊されると分かっているから。だからいつも同じく相手のいないエルと組手をするのだ。

 残念ながらケイにとってエルは実力不足だったのだが。それでもケイは変わった動きをするエルと戦えて満足そうだった。


「ちっ。エル! いいから続きやるぞ――」


 ケイに胸倉をつかまれ無理やり立たされたところで、その手を金髪碧眼の男子、デュークが掴んだ。


「ケイ! その手を離せよ! もうエルをいじめるのはやめろ!」

「あぁ!? 苛めてねぇよ! 俺がエルを苛めるわけねぇだろぉが!? 訓練だろ! 黙ってろデューク!」

 

 喧嘩するほど仲が良い。いつもの口論を始めた。そしてこれはやがて武術訓練に変わっていくのだ。いつもそう。二人にとっては訓練ではなく喧嘩だが。


 最初から二人が訓練すれば実力も拮抗していていいのに。


 そう、エルはぼんやりと思ってしまう。けど二人はなぜか仲が悪いという意志を互いに示さなければ気が済まないので、必ずこの流れになるのだ。


 それはそれとしてケイは胸倉を離して欲しい。二人とも力が規格外だから、叫ぶ度、嵐の中の洗濯物のように身体がなびいてしまう。揺さぶられ重力を感じるたび、折れているであろう、あばら骨が痛い気がする。痛みはないけど、身体には悪いから。きっと。


 口論の拍子に、ぽいと投げ捨てられた。

 飽きられたおもちゃのようにゴロゴロと転がり、再び灰色の雲が目に入る。


 エルは目を閉じて回復に努めた。

 丘を撫でるそよ風を感じる。

 都市の城壁外からは、武装都市ヴァルハイムを魔物から守る、他の孤児院の同志達の戦いの音が微かに届いていた。


 じっとしていると、ぱたぱた、と足音が聞こえ、やさしい気配が傍らで止まった。

 花の匂いがする。


「聖なる慈悲の名のもとに、癒やしの恩恵を。挫けし心を支え、傷つきし肉体を再生せん。聖なる光よ、勇敢なる者の痛みを祓い清めたまえ。『ヒール』」


 温かい光がエルの身体を包んだ。

 立ち上がり肩を回す。もう動けないと思っていた身体が治っている。


 エルより一回り小さな身体。灰色の髪に翡翠(ひすい)色の瞳。小さな身体をさらに小さくし、もじもじとしている女の子はフィーフィ。尻尾をぱたぱたと動かし、灰色の猫耳がぴょこぴょこと動いている。


「ありがとう。フィー」

「ウ、ウンっ。ヤ、役目っ……ダカラ」


 訓練場には30人前後の子供達と10人の大人達がいた。

 詳細な人数は前後する。その時によって変わってくるのだ。

 ……戦えなくなる者もいるから。


 4~8人の班ごとに分かれ、大人達がそれぞれの班に配置されている。

 小隊、中隊として、武装都市ヴァルハイム近郊に配置され、襲ってくる魔物から守るのが孤児院の仕事であった。孤児院ごとに持ち回りで実施する責務でもある。


 エルの班は小隊……エル、ケイ、デューク、フィーフィの4人。大人と呼ばれる、顔をベールで隠した孤児院の管理者が2人の6人編成。この小隊では、いつもデュークとケイが喧嘩していた。


 エルが彼らの喧嘩を座って眺めているとフィーも隣に座った。


 いつの間にか、雲の裂け目から朝日が降り注いでいた。

 古びた巨塔に刻まれた古い紋章が朝日に淡く浮かび上がっている。塔の影は長く伸び、訓練場を覆い、孤児たちの動きに寄りそう影がその傍を生き生きと飛び跳ねていた。


 遠くにそびえ立つ城には、幾重にも旗や装飾が軍国家主義を物語るように誇示されている。


 聖女不在、軍国家主義、武装都市ヴァルハイム。

 二十数年前、嫉妬に駆られた王妃が、美しき聖女の首をねて以来、ヴァルハイムから結界の恩恵は奪われていた。


 自衛しなければ、都市の人々はしあわせな生活を送れない。

 その人々の幸福を支える担い手の一つが孤児院だった。


 土と、血の鉄臭さと汗の匂いが混じった空気の中、戦士となるべく孤児たちは今日も厳しい修練に明け暮れている。ただ生きるために。


 誰かの犠牲がなければ、誰かはしあわせになれない。

 現実はいつだってつまらない。そう思いエルは現実に背を向け、いつものように異世界レシピを起動し異世界の歴史を眺めていく。

 フィーに腕を引っ張られた。


「アノネ。エル、ちゃん。最近、チョット、怖イノ」

「ケイが?」


 慌てたようにぶんぶんと首を振っている。取れてしまいそうなほど。

 怖いのは事実なのだろう。そうでなければこんなに慌てないから。


「チ、チガウヨっ……皆ガ――最近、話シカケテモ、反応ガ、乏シイ子モ、イルノ」


 フィーの視線の先では孤児たちが黙々と訓練を続けている。血を吐きながら、骨を折りながら。恐怖や痛みを忘れているかのように。


「確かに昔と違うね」


 そんな気がした。もっと叫びながら、痛みや死の恐怖に打ち勝つ様に自分を叱咤しながら訓練していた気がする。気にしたこともなかったから、今気づいた。どうでもいいけど。


 エルのその様子に、フィーが目を見開き、その後頬を膨らませた。


「表情ニ出テルヨ。皆ノ様子、今気ヅイタノ?」

「……うん。けど、怖くはないかな」


 戦うためにはそっちの方が都合がいい。

 死地へ向かう上で感情は希薄な方が楽だ。

 遠くからは魔物の唸り声や魔法を使用した戦禍の音がかすかに聞こえる。昼夜問わず、魔物の襲撃はあるから、今も別の孤児院や軍隊、冒険者や傭兵がヴァルハイムを守っていた。


「怖イヨ。大人ミタイ」


 フィーはちらと、班の管理者大人二人を盗み見ている。大人は直立不動で立っていた。フィーと訓練をせず話し込んでいるが、大人からの叱責はなかった。自主性を重んじているらしい、とは院長の口癖だ。


 皆、誰かに言われたからではなく、生きるために訓練していた。

 だから休むのも訓練の一つ。そう思うのだが、皆が訓練している中で話し込むのは罪悪感を抱いてしまう。教育のたまものだろうか。


()()になりたくない?」

「……ウン」


 尻尾と耳を丸め、フィーは服の袖をつかんできた。


「多分フィーは大丈夫」


 フィーが言う、大人達や他の孤児達の怖さの原因に心当たりがあったから。エルはその原因を、恐怖を消すため、あえて摂取したことすらあった。


「フィーは大丈夫」


 もう一度念押しすると、彼女は尻尾を振り、服の袖から手を離した。


 訓練が終わると笛が鳴る。

 笛を鳴らした大人のもとへ集まった。成績の発表の時間だ。

 魔力量、魔力制御、訓練の結果、ヴァルハイム防衛時の近郊での魔物討伐数によって決まる。


 髪の長い大人が淡々と伝えてくる。

 ワースト一位はエル、二位はフィーフィだった。逆に一位はケイ。二位はデューク。天と地と馬鹿にされている小隊にとっていつもの結果。


 くすくすとした笑い声が他の中隊の子供たちから聞こえた。


 エルは戦闘能力が低く、魔力量も少なく、仲間たちからいつも軽んじられていた。

 弱さは見下される要素だ。魔獣溢れる外での戦いを班で挑むから当然のことではあった。弱い者が同じ班になれば生存確率が下がる。弱者はパラサイトと呼ばれ存在価値はなく嘲笑の的となっていた。


 孤児院でも屈指の実力者である少年ケイとデュークだけは、エルに対し特別扱いをしていた。その不思議な関係に、周囲の嫉妬と反感を呼んだのもあるだろう。


 あるいはエルが滅多に感情を表に出さず、他人に迎合しない独自の価値観で行動していることも含め、孤児院の厳格な規律に従わず、型にはまらないその態度が仲間との間に深い溝を作っていたのかもしれない。


 実直に言えば嫌われていたのだった。

 その結果馬鹿にされているのである。


 離れた所から少年たちが小さく笑い合いながら囁いている。


「パラサイト」


 くすくすと笑う声が、少し離れた場所から響く。エルはそれらの言葉も、馬鹿にした視線もすべて受け流していた。無表情な顔にはわずかな揺らぎさえなく、淡々と前を見据えている。

 誰にも認識できない、異世界レシピという異世界の歴史に夢中になっていたから。


 ふと、手があたたかくなった。

「ん?」

 自分の手を見ると、白い小さな手にやさしく包まれていた。


「エルちゃんハ、パラサイト、ジャ、ナイヨっ」 


 フィーが上目遣いで瞳を潤ませている。


「パラサイトって何?」

「馬鹿ァっ」


 今度は一転、ぷりぷりと怒り始めた。

 エルはフィーのころころと変化する感情についていけなかった。

 ケイとデュークの喧嘩の音だけは、いつもと変わらず響くのだった。


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