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第63話 竜王の使命②

 

 かの竜王すべてが蘇り百日を数えし頃、嫉妬の混沌より魔王は生まれ落つる。

 あるいは魔王の栄華が数百年の時を迎えし頃、勇者と竜王は世に姿を現さん。

 竜は神の使徒、魔王は邪神の使徒。

 これは二柱の神が繰り返す輪廻の戦いなり。

 竜と魔が織りなす、果てなき代理戦争なり。


……。

 

 数百年以上昔のことを思い出していた。


 夕方の高台。自由を失った都市、タナトス。

 苦痛と諦めが積み重なるかのように沈んだ風。それを気持ちよさそうに受けながら、ミスティが街を見下ろしていた。


 この独裁都市には悪意が満ちている。

 いつ魔王が生まれてもおかしくないくらいに。


「リッタ、人ってすごいのよ★ 美味しい料理を作ったり、恋をしたり、物語を作ったり、美しい物を創造したり……人生には娯楽がたくさんあるの★」


 ミスティの語る世界は夢に満ちていた。

 あたしには縁のない話だけど。

 ふふ、と子供のように笑っていた。

 妖艶な大人な雰囲気とは不釣り合いな、屈託のない笑顔にいつものように伝える。


「あんま興味ねぇーです」


 世の中には知らない方が良いこともある。

 楽しいことは知らない方がいい。

 希望は抱かない方がいい。

 絶望に耐えられなくなるから。


「たまには、自分の命を優先しなさいよ★ 勇者だけ連れて、安全な田舎へ逃げて。強くなってから魔王に挑めばいいじゃない★ この都市の人間達を囮に使って、魔王から逃げる時間を稼げばいいの★ 私が誰にも文句は言わせないわ★」


 ミスティが支配者の如く、街を包むかのように両手を広げた。水色の長い髪が風に揺れている。

 夕陽は分厚い雲に遮られていて、彼女に見捨てられた街はくすんで見えた。

 いつもの冗談めいた声音だ。きっとミスティは本気ではない。


 膝の上ですやすやと眠る、金髪の少女の髪に触れる。今世のあたしの勇者、ルミア。

 才能溢れる、正義感に満ちたやさしい子だ。


「後悔したくねぇーです」

「……後悔したっていいじゃない。勇者じゃなければ守る義理もない。この世界の住人は、守るべき人間ばかりじゃない。嘘をついたり、他者を貶めたり……守って死ぬ必要はないよ、今回くらいは逃げて生き延びてよ、リッタ」


 振り返ったミスティが真っ直ぐ見つめてくる。その魔眼の端は涙で濡れているように見えた。真剣な表情。聞いたこともない、切実な口調だった。

 さっきまで人を褒めていたというのに、今度は悪く言っている。

 

 ミスティは本当はやさしいくせに、わざと悪く言ったりする。それはいつも誰かのためだ。今はあたしのため。少し笑ってしまう。

 彼女も本当は犠牲を出したくないはずだ。

 だって、彼女は人の好さを知っているから。

 水と恋の竜王なのだから。


「ありがとう、でごぜぇーます。けど……きっと後悔しながら生きるのは、別の辛さがあるんじゃねぇーですかね」

「……」


「ミスティの気持ちはとっても嬉しいでごぜぇーますよ……あとはそうでごぜぇーますね。この世界は長く生きるには、寂し過ぎるでいやがります」


 人の寿命は短いから。別れは必ずあるから。長い時を生きれば、愛した人の記憶も薄くなる。その悲しさに、きっと耐えられない。


「来世は……リッタにも世界を生き抜いてもらいますから。必ず。絶対に。我らが真の神イザナウに誓って」

「楽しみにしてるでごぜぇーます、ミスティ」

「絶対に。絶対に……来世こそ、私の勇者を見つけますから。どんな手段を使ってでも。あなたが世界を生き抜く勇気を与える者を、見つけてみせます」


 ミスティの魔眼がやさしく煌めいていた。

 そしてあたしは今世の死を悟る。


……。

 

 いつの頃からか、この独裁都市タナトスから空の青が失われた。

 嫉妬に狂った王により自由を奪われた、血と荒廃が蔓延する都市。


 目の前を歩く男が振るう鉄鞭(かなむち)が奴隷たちの背を叩き、悲鳴があがった。

 奴隷に抵抗の意志はなく、その目は暗い。

 奴隷だけではなかった。自由の存在を忘れ去ったかのように、民衆の表情も、絶望の影が日に日に存在感を深めている。


 正義とやさしさを小さな身体に宿した金髪碧眼の少女、ルミアを除いて。


「だめでごぜぇーますよ」


 あたしは、目に映る絶望全てに、今にも立ち向かってしまいそうな少女の肩に手を置く。

 碧眼が睨み上げてくる。裏切られたと言わんばかりの瞳で。


「なんで!? 私、勇者なんだよね!? 勇者はみんなを――」

「あたしにも勝てない勇者にはまだ早いでごぜぇーます。憲兵に囚われて、殺されてしまうだけ。約束したはず。ルミアは魔王を倒すと。強くなるまでは、死に急ぐことは許さねぇーです。まずは強くなること」


 ルミアが腰にしがみついてくる。

「――リッタならっ」

 縋るような声だった。

「リッタなら何とか、できるんじゃないのっ」


 ルミアの頭を撫で目を閉じ、街の臭いを、気配を、感じ取る。

 怯え、諦め、下卑た喜び、絶望……負の感情が風にのり、都市全体を覆っていた。

 弱者が蹂躙(じゅうりん)され、市民のやさしさは奪われ、権力が善悪の境を溶かしている。


 魔王が生まれるにふさわしい凄惨な土地だ。いつどこで魔王が生まれるかは分からなかった。少しでも魔力を温存し、ルミアを鍛え、魔王から逃れる確率をあげること。それこそがあたしの使命。


 自分が蘇り、勇者に出会った。

 そしてこの街は負の感情に満ちている。

 遠くない未来に魔王が生まれるはずだ。今までそうだったから。

 だから、他の多少の犠牲は目をつむる。勇者を守り導く。

 それがあたしの使命だから。


「あたしには、何もできねぇーです」


 うぅっ、うぅっとルミアの胸の中で泣いている。泣き声であたしの腹を叩いているようだった。


 ぽつぽつと小雨が降り始める。


「……何この臭い」


 ルミアが空を見上げた。

 風の臭いが変わった。雨の匂いじゃない。

 生命の循環のない死んだ汚水の臭い、悪臭。

 同時に、街全体が終わりなき夜に包まれていくかのように暗雲が空を幾重にも埋め尽くす。ぐるぐると渦を巻くように動く雲が近くに見えた。超常現象。


 街の住民は皆、異変に気付いているようだ。空を見上げている。

 雷鳴が轟き街を揺るがした。


「きゃっ!」


 地面が揺れ、ルミアがバランスを崩した。


「いけねぇーです。ルミア時間がねぇでごぜぇーます。猶予は5年。その5年で必ず強くなること。仲間を見つけること。死なないこと。生き延びること」

「え? リッタ何言ってるの?」


 大地が裂け、臭気が溢れ、耐え難い怨嗟(えんさ)が空間を満たしていった。

 絶対的な悪意。異質な魔力が丘の上の城から赤い光となって空に昇っていく。

 ルミアが悪寒に震えていた。


「あれ、やばいよ……駄目だよ! あれ!」


 割れた地面の隙間から多種多様な触手が伸び、うごめき、人々を刺し貫いた。その腕は拡縮を繰り返し、人の生き血をすすっていく。


 魔王の要塞制圧魔獣、テラノクス。

 地中から腕を伸ばし、生物を捕食する。土の中、亜空間に隠れているが、その実態は城ほどの大きさもある。

 何度も敵対した魔王の尖兵の一種。


 街は一瞬にして地獄と化した。触手から発せられる黒い瘴気が人々を飲み込み、叫びと悲鳴が辺りに響いていく。


「リッタ!」

 

 頷き、宙に魔法陣を描いた。

 土の魔法。


【神域、法具精製】


 その陣に手を伸ばし一振りの槍を取り出す。

 贋作『邪神殺しの槍グングニル』


 銀の槍身は鈍く輝き、その表面には古代文字と紋様が繊細に走っている。三叉の槍頭は鋭くしなやかに伸びていた。魔王に連なる者を殺すことに特化した槍頭の曲線が、鈍く光っている。

 神イザナウの槍、グングニルを模した武器。


 風の魔法。


【神域、疾風投槍】


 グングニルの古代文字に光が走った。三叉の槍頭に起点に風をまとった槍が、手から離れ空に浮かぶ。

 槍は意思を持ったかのように触手共に向かっていった。

 人々の隙間を潜り抜け、敵の身だけを貫きながら。

 悪意で停滞していた風ごと打ち払うかのように。

 打ち上げられた触手の血が空から降り注いだ。


 静寂。


 触手を狩り終えたグングニルが手元に帰ってきた。

 それを掴み、魔力を込めて告げる。


「みんな、にげるでごぜぇーます。誰も守ってくれない地獄が始まった。神イザナウに祈りを捧げながら、一切合切無視し振り返ることなく、ただただ走り続けやがれです」


 心神喪失でこちらをみていた人々の表情が、理解が人々の頭に到達したかのように変わった。

 そして悲鳴と怒号が響く。

 地面を揺らすかのような足音。


「大丈夫だよね? リッタ?」

「……少しの間だけでごぜぇーますが、あたしが何とかしてやるです」


 頭を撫でると、不安に揺れるルミアの瞳が安堵の色が浮かんだ。

 グングニルに打ち捨てられた触手達から数多の複眼が浮き上がっている。

 その一つの複眼がルミアをとらえた。


 魔王の誕生。そして勇者の存在がばれた。

 一刻の猶予も許されない。


 暗雲が割れ、美しい天使の羽を持つ歪な体躯の生物が上空を埋め尽くしていく。堕天使の容貌。手には各々、多種多様な武器を持っていた。


「なに、あれ?」

「魔王の誕生でごぜぇーます。奴らはその先兵。いつかルミアが倒すべき敵」



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