最終話 君のためのレシピ④
穏やかな平原を東へ進み山を越えると、大地が真っ二つに割れたかのように、果てしない断崖絶壁が現れた。アマツの大平原を潤している、幾筋もの大河が合流し、その崖の向こう側へと一気に流れ落ちていく。
世界の最果ての滝。
そう思えるくらいの絶景。
歩き続け夕刻が世界に訪れていた。
その斜陽が滝の飛び散る水を反射し、いくつも虹を生み出している。
小竜たちが楽しそうに飛び回っていた。
アマツの人々はこの地に、あえて居住していないのだろう。
前人未到の地ではなく、人と竜との共生を繋ぐ神聖な地として。
きっとここは小竜の楽園だから。
善き隣人との適度の距離を掴むのが共生のコツなのかもしれない。
絶景を一望できる岩に腰を掛けた。
ふぅ、と息を吐くと力が抜ける。
新鮮な空気を吸い込み、胸を膨らませると生きる活力が湧いてくる気がした。
目を閉じて風を感じた。竜の鳴く声を感じた。虫の音を感じた。
もたれかかってくるリッタの体温を肩に感じた。
疲労による身体の重さと、空気の美味さが心地よい。
「……流石に疲れたな」
「昔のエルはこんなことで疲れなかったでごぜぇーますよ」
「人は老いるからな」
ぽかぽかと叩かれる。
「何を言ってるんでごぜぇーますか! まだまだ若ぇーです!」
よくおっさん弄りをしてきたものだが、最近は鳴りを潜めている。
それどころかむくれているようにも感じた。
「怒ってるのか?」
「腑抜けたこと言うからじゃねぇーですかっ!」
顔をそむけるリッタの口元に、露店で買った砂糖菓子を差し出す。
「ぷいっ……ってお菓子を口元にやるのやめろぉーでごぜぇますよ! いつもいつもそうやって、誤魔化すの悪い癖でごぜぇーますっ!」
結局はもぐもぐと食べて笑顔を浮かべてくれるからやめられない。
いつもそれが嬉しかった。
薬の乱用の影響なのだろうか。
感情の起伏が薄い俺の代わりに、いつもリッタとデュークは怒ってくれる。
彼らから様々な感情を学んだ。
それは異世界のレシピや書物の歴史からは学ぶことができない、生きた人間からしか得られないモノだった。
彼女たちの好きな所は数えきれないほどあった。
やさしさも、まっすぐな感情も、怒る顔も、いじける顔も、悔しがる顔も、そのころころと変わる表情が、好きだった。
でも、一番大好きなのは、
「くやしぃけどうめぇです」
そう言って笑ってくれる表情だ。
料理を食べて綻ぶ表情だけは、俺にも理解できるから。
疑いようもないくらい、素敵な顔だから。
見ると胸の奥が……心があたたかくなる。
だから、その笑顔を、ずっと見ていたいって思うんだ。
リッタやデューク、皆の喜ぶ表情に会いたくて、手間暇をかけて料理を作ってしまう。その表情をまた見れるんじゃないかって、今度はどんな表情を見せてくれるんだろうかと想像しながら、丁寧に丁寧に作る。それが料理を好きになった理由の一つだった。
料理は愛なんじゃないかって、月並みだけど、そう思うんだ。
いつからか料理で大切な人達を支えたいって思うようになった。
「何ニヤニヤしてるでごぜぇーますかっ」
「いや……何でもないよ」
「エル。ぼさぼさの髪を切って、髭を剃れば若返るでごぜぇーます。ちょうど座ってやがるし、動くんじゃねぇーですよ」
リッタが俺の髪に手を伸ばした。マジックパックから刃物を取り出し、髪を切ってくれる。楽しんでいるのだろうか、鼻歌交じりだった。
「髭も剃るでごぜぇますよぉーっと。ぜってぇ動くんじゃねぇですっ」
真剣な表情だった。口が少し開いてしまっている。
その健気な表情を目に焼き付けていく。
「ほらっ! 全然老いてねぇーです! まだまだ若ぇーです!」
リッタが手鏡を向けてくれる。
半年の旅で伸びきっていた髪は、さっぱりとしていた。
不揃いな髪型だったけど。
でも、今までで一番好きな髪型で、俺にはこれが最も似合っているように思えた。
髭を触ろうとすると、肌の感触だけが伝わってくる。
「恥ずかしいな」
「くくっ顔が全然恥ずかしがってねぇーですよ」
……。
それからは互いに無言だった。
滝の音に紛れて、夕暮れの終わりを告げる虫の音が続いていく。
やがて夜が来て、星々が顔を覗かせた。
「アクアテラの皆、どうしてるでごぜぇーますかね」
「……帰りたいか?」
「そうでごぜぇーますね。あんまりエルを独占していると怒られるです」
ほのかな灯りが舞い上がっていった。
妖精達だ。
光の魔法で互いの存在を感じ合う、妖精同士の友好の儀。
それを見て、リッタが立ち上がった。
俺に背中を向けていて、その表情は伺いしれない。
「エル。ありがとうでごぜぇーますよ。皆の前じゃ、照れくさくて言えねぇーですけど、毎日が、すんげぇ楽しいんです」
「うん」
「こんなに楽しい竜生を送れると思わなかったでごぜぇます。全部、全部エルがいたからなんです」
舞い上がる灯りを掴もうと、彼女は両手を天に伸ばした。
やさしく妖精を包み、振り返って屈託のない笑みを浮かべる。
彼女の手が灯りで照らされていた。
すぐに妖精を解放し、まっすぐに俺を見た。
「だから、あたしはエルのいない世界に興味はねぇです。これ以上の幸せは、絶対にねぇからです。……あっては、ならねぇんです」
俺がいなくなった後の世界で、リッタはきっと……。
彼女の想いが痛いほどに伝わってくる。
でもそれは、俺の夢と相反する想いだった。
嬉しい言葉だが、望まない言葉でもあった。
俺は彼女がこの美しくも厳しい世界を、生き抜くことを願っている。
だから俺は夢を彼女に伝えなければならない。
俺の嘘偽りのない気持ちを。願いを。想いを。
たった一つの夢に託して。
「俺にはどうしても叶えたい夢があるんだ。小さいころからずっと、それを夢見てきた」
「どんな夢でごぜぇーますか?」
「レシピを世界に広げる夢だ。異世界のレシピを広げれば、想像もつかないレシピが生まれると信じている。人には情熱がある。想像力がある。きっと、リッタが笑顔になれる、料理が生まれるはずなんだ」
物心ついた頃、異世界のレシピに、その歴史の魅力に憑りつかれていた。
次に、自分の意思で、生き残るためにレシピを使った。
そして、料理で心が暖かくなることを知った。
今は、レシピが人の生きる希望になると、信じている。
「あたしはエルの料理が一番で、ごぜぇますよ」
「そうか」
俺は立ち上がってリッタの頭を撫でた。
「ありがとう。リッタ。俺は何度もその言葉に救われてきた。いつだってリッタが笑顔で食べてくれる、その表情が幸せだった」
「うん。わかったならいいでごぜぇます。仕方ねぇからエルが死ぬときは、あたしも死んでやるです。ずっと一緒でごぜぇますよ」
「……」
「沢山思い出、出来たでごぜぇーます。美味しいもんいっぱい、やさしい人もいっぱい、面白い人もいっぱい、心があったかくなると、不思議と景色も色彩豊かに見えるでごぜぇーます!」
「君に出会えてよかったよ」
「あたしのセリフでごぜぇーます! エル! いつもありがとうでごぜぇーますよ。これ以上の幸せはねぇんです。エルがいねぇ世界なんざ灰色。きっとつまんねぇんです。だからエルと一緒に死んでやるから安心しろですよ」
リッタは上機嫌に揺れながら、星空を眺めている。
「リッタ。お願いがあるんだ」
「うん? 何でごぜぇますか? 今機嫌がいいから何でも聞いてやるです」
「約束してくれるか?」
「くどいでごぜぇますっ! エルの頼み事は何でも聞いてやるって決めてるでごぜぇますからぁっ! あたしの信頼。契約。土と風の守護竜リッタの名に誓って」
いつか、シャイロックのガイアスに水を掛けられた時を思い出す。
竜にとって約束は契約。
あの時も我慢してくれた。きっと今回も。
「俺の広めた異世界レシピがどうなるか、その結末を見届けて欲しいんだ」
「……そ、そんなの自分で見ればいいじゃねぇですかっ!」
「俺には寿命があるからな。遠い未来に俺はいない。リッタにしかできないことだ」
「……」
「……」
「そんなの卑怯でごぜぇますっ! 鬼畜じゃねぇですかっ。だってあたしはエルと。エルの料理が、大好きだから。だから。エルのいねぇ未来なんざ灰色でごぜぇます! そんな世界を生きろっていうんですか! エル以上のレシピなんてきっと、生まれるわけが――」
「シャルのチョコどうだった?」
「っ」
リッタはいつもうめぇうめぇと食べていた。
「ニコラスのチーズも。オルヴィのラーメンも……皆俺の伝えたレシピを超えた、味に辿り着いて見せた」
俺が伝えたレシピは、想像を超える料理に変わった。
人には情熱がある。想いがある。想像力がある。
料理を届けたい、大切な人がいる。
人が人として生きている限り、レシピには情熱が詰まっていく。
「きっと未来のレシピは、今より、情熱に溢れたモノになる。未来は今の想像を超えていく。それを見て欲しい」
人が人生を生き抜くには希望が必要だ。
それは、種族最強の竜も変わらない。
いや長寿だからこそ、生き抜くために希望が必要なんだ。
残したレシピはきっと、俺の死後もリッタが生きる希望になる。
「俺には夢がある。昔から夢見てきたことなんだ」
ただの夢じゃない。
全てをかけて叶えなければならない夢だ。
大切な人の生きる希望を作るという、俺の身に余る大きな夢だ。
幼い頃からの夢。
おっさんになっても俺は大志を抱き続けている。
人には呆れられるかもしれない変な夢だ。
だが、俺にとって大事な夢。
戦うことを運命づけられた、不幸にまみれた君たちの、笑顔に欠かせないことだから。
いつか遠い未来、永遠の寿命を持つ竜たちが生きる希望となる、最高のレシピをこの世界に残すこと。
リッタやミスティが笑顔を浮かべてくれることを、俺はいつだって夢見ている。
だからどうか、人の情熱が宿りしレシピ達よ、リッタの笑顔を、理不尽な世界から奪い続けてくれ。
そのためなら俺は何でもする。
俺の人生を懸けて、世界に最高のレシピを広げてみせる。
神が竜に過酷な運命を与えるのなら、俺達が世界を守ってくれる彼女達に希望を与えたい。
俺達のレシピが、いつか世界を守り続けてきた頑張り屋さんの、幸せになることを願って。
くもりのない大きな瞳を見つめる。
母を求めるように、それは揺れている。
「リッタ。俺のわがままを聞いてくれ」
「エル……」
「人の情熱は世界を変える。たかがレシピ。でもきっと、人々のレシピは、君の世界を彩ってくれる」
「……嫌でごぜぇーます! あたしはエルとずっと一緒にっ! だからエルと一緒にあたしも死ぬ――」
「お願いだよ、リッタ」
小さな身体を抱きしめた。
「どうか、俺と一緒に死ぬなんて、言わないでくれ」
「……」
「俺のレシピの行く末を見て欲しいんだ。俺の魂を込めたレシピなんだ。残される者の気持ちを考えない願いかもしれない。でも、きっと君を幸せにするから。後悔はさせないから。根拠はない。でも、俺を信じてくれ。今のレシピよりすごいものができる。俺だけじゃない。皆の魂が、情熱が、想いがレシピを彩っていくんだ。未来はきっと今よりも素晴らしいから。希望に溢れた未来が広がるはずだから。リッタもきっと笑顔になれるから。俺、頑張るから。頑張って頑張って頑張って、頑張り続けるから。今日よりも明日が輝くように。今より、もっと素晴らしい未来になるように。いつか最高の料理に辿り着いて見せるから。だからお願いだ。……どうか、俺たちの魂の行く末を見届けて欲しい」
リッタが俺の頬に触れる。
「泣かねぇーでください」
泣いているのはリッタの方だ。
「辛くなったら、エルの元に行ってもいいでこぜぇーますか?」
「あぁ」
神様。
どうか、俺の元へ来たいと思わせないほどに美味しい料理を――。
いや……教わらなくてもいい。
こんな過酷な運命を与えたお前は、黙って見ているだけでいい。
俺たちで必ず辿り着く。
必ず、彼女を幸せにするレシピを残してみせる。
人類の情熱が、幸せを、理不尽な世界から奪い続けてくれるはずだから。
リッタが笑顔を浮かべて料理を楽しむ、やさしい未来を、俺は確信している。




