第115話 君のためのレシピ③
東の最果ての国、『アマツ』。
俺達の故郷、武装都市ヴァルハイムと同じく、この地には聖女がいない。結界が無いにも関わらず、この地の民は、豊な土地で平和を享受していた。理由は二つある。一つ目は、自身の命を顧みずに魔物と戦う、刀を腰に差し、鬼の面を付けたモノノフがいること。そして、結界を構築する聖女の代わりに、アマツ神に仕える巫女が住まうこと。彼女たちは野性の小竜を使役し、モノノフたちと共に国を守護していた。
今も青空を、小竜の群れが飛んでいる。
竜と人との共生、それがアマツにとっての日常だ。
城下町では、神輿の上で小竜と触れ合う巫女を見る機会があった。
位の高い巫女であろうか、アマツの自然の意匠をふんだんにあしらった羽織を肩にかけている。彼女が俺達に小さく手を振った。
身に着けた狐のお面の端から見える、血化粧をした巫女の素顔を見ると、リッタやミスティですら何やらムズムズするらしい。
呪法か神の領域の魔法か、あるいは純粋な祈りの日々が成せる業なのかは分からない。
……。
「春でごぜぇーますね」
季節が移ろい、春が来ていた。三人の旅も既に半年近くが経っている。
「リッタの髪色と同じじゃない★」
城下町の城前の広場には、うつくしい花が咲き誇っていた。
万年桜というらしい。常に咲き誇るわけではない。咲くのは年にたった十日ほど。
だが、一万年にも及ぶ長い間、枯れることなく、春の訪れを民に知らせ続けているらしい。
彼らにとって生命の象徴のような存在。
そして俺たちにとっては、リッタの髪色と同じだった。
「これは、うつくしいな」
「えぇ★」
「今日からリッタの髪色は桜色と呼ぶか」
「名案ねぇ★」
一生目に焼き付けたいと思える光景だった。
俺たちが褒める言葉に、耳まで真っ赤にしているリッタと、ミスティと三人で、飽きずそれを眺めていた。
……。
アマツの大平原。
どこまでも続く平野には、見渡す限りに翠の稲と水田が広がっている。
世界で一番の米所。ここでは小麦を食す文化はなく、米を中心としていた。
春の陽気の中、翠の稲が広がる水田のあぜ道を、三人で歩いていた。
リッタの背に乗り移動しなかったのは、この空気を味わいたかったから。
上空では、小竜の群れが気持ちよさそうに鳴きながら、飛んでいた。
時折、リッタやミスティに挨拶をするべく、滑空し、側に寄り添うモノもいる。
道中、一軒の宿屋を見つけた。
『おだんご』と書かれた垂れ幕。
暖簾をくぐると、宿屋兼、飯屋だった。
入った瞬間、やすらぐ茶の香りが漂ってくる。他の客は、団子を食べ茶を飲む者もいれば、おにぎりを食べ味噌汁を飲む者もいた。
きっと彼らに取って、それが最上の組み合わせなのだろう。
俺は期待に胸を膨らませていた。
「いらっしゃいませ、旅のお方。こちらへどうぞ」
俺たちの変わった格好からすぐに異国の者だと見抜いたようだ。
やさしい表情の老婆が低い腰で会釈した。
厨房には気難しそうな老爺が黙々と調理している。
老夫婦で営業しているようだ。
畳の香りがする座敷に案内された。
靴を脱ぎそこに上がると、膝丈ほどの低い木目のテーブルと四角い座布団があった。
周りの客を見習い、そこにちょこんと座る。
リッタもミスティも俺も、他文化の尊重は慣れていた。
つまり借りてきた猫のように座ったのだ。
「エル。ミスティ。ニヤニヤしちゃうじゃねぇーですか」
「お互い様よリッタ★」
互いの不慣れな座り方に笑い合った。
「まぁ、ほどほどに。最高のマナーは、出された料理を楽しむことだからな」
「いいこと言うじゃねぇーですか」
「間違ったら土下座すればいい。こういう風にやる土下座が最上級の謝罪らしいぞ」
俺の土下座を見て二人はうれしそうだ。
「リッタの土下座は見たいわ★」
「お互い様でごぜぇーますよ!」
俺は二人の土下座を想像してみた。
全く似合わない。というより二人は絶対にしない。何かやらかしても、俺一人で土下座して、二人は不遜な態度の未来しか思い浮かばなかった。リッタは腕を組んでそっぽを向き、ミスティは蠱惑的な笑みを浮かべて無言の圧を相手に与えるのだろう。
「ご注文はお決まりでしたかな?」
そう言って、老婆が茶を出してくれた。
薄緑の宝石のような、けれどどこか落ち着く色味の飲料だ。
さわやかな香りのそれを一口飲むと、あたたかく、渋みの中に甘味が隠れていた。
いや、甘味を渋みが引き立てているのか。
今まで飲んだモノの中でも一、二を争うほど、後味がさわやかだ。
「お茶が珍しいですか?」
「えぇ。初めて飲む味です」
「摘みたての、新茶なのですよ」
この国の人はいつも楚々とした笑みを浮かべている。やさしい雰囲気でありがたい。その心のうちは読みにくいようにも思えるが。
素晴らしい匂いに我慢できずに飲んでしまったが、料理を選ばないと迷惑になるだろう。
板に達筆な字で『お品書き』が書かれている。
おだんご、おにぎり、お茶、味噌汁、魚定食、寿司、天ぷら……。
「俺はおにぎりと味噌汁をお願いしたい」
「あたしはおだんごでごぜぇーます!」
「私は天ぷらにしようかしら★」
しばらくして、老婆が目の前に料理を置いた。
炊き立ての白米を塩で握った、おにぎり。
それを口の中に含んで驚いた。ご飯の粒、一つ一つを感じる。米粒が立っているという表現が正しいくらいに。
そんな絶妙な握り加減であった。
塩が米の甘みを引き立てていた。
湯気立ち上る味噌汁は独特の匂いをしている。
異世界レシピを確認すると、味噌はペーストさせた大豆を発酵させたモノと出てきた。どこか醤油と親近感のある匂いと思っていたが、同じ大豆をつかっているのか。
その味噌を魚介の出汁で溶いたのが味噌汁。周りの客を真似して、それをずずずっと飲む。じわぁっと五臓六腑に染み渡る温かさを感じる。
「くそうめぇ」
涙が流れそうだ。胃が喜んでいる。
おにぎりと味噌汁。他の客が好んで組み合わせているのが分かる。
おにぎりと味噌汁でしばらく生きていけそうだ。おにぎりはどんな食材にも合うだろうし、味噌を使えば料理の幅は格段に広がるだろう。
俺は異世界レシピを見て笑みを抑えるのに苦労した。
新規のレシピの追加と既存のレシピのアレンジ。
今まで集めてきたレシピと組み合わせて、様々なおにぎりの種類と、米を使った料理、味噌を使ったレシピが量産されていった。
二人も満足なようで、リッタはおだんごを追加注文し、ミスティは別の料理を楽しんでいた。
……。
「お客さんは、本当に美味しそうに食べてくださりますねぇ。胸がいっぱいになりました。これはお気持ちです。もし良かったら道中食べてくださいな」
そう言って帰り際、老婆が笹に包まれた何かをリッタに渡してくれた。
丸い何かを笹の葉で覆っているようだ。
「これはお菓子、ですか? 何という物ですか?」
「笹団子というのですよ。もち米から作った餅によもぎを混ぜ込みますの。中は餡が入っています……異国の人のお口に合えばいいのですが」
「いえ……いえっ。本当ありがとうございます。きっと美味しいに違いない。ありがたく頂きます」
腰を深く折り、お見送りしてくれる彼女に合わせて、俺達も深くお辞儀した。
三人で一つずつ分け合って食べながら歩く。
笹を剥き、現れたのはうつくしいヨモギ色の団子。
ヨモギと笹の香を匂いで楽しみ、笹の風情を目で感じることができる贅沢なお菓子だった。そして中には餡子。
「うめぇでごぜぇーますね!」
「リッタ、さっきからおだんごばかり食べてるじゃない★」
「おだんごは奥が深いんでごぜぇーます! 見た目もちげぇますし、中の餡子も種類があってあきねぇーんですよっ! 粒があったり粒が無かったりっ! それに茶と合いやがるんです!」
「へぇ★ 確かにおいしいわね★ お茶にも合いますし★」
虜になったリッタはおだんご評論家になっていた。
笹を剥いてもきゅもきゅと食べては笑顔を浮かべるリッタに、俺も頬が緩むのを抑えられない。おいしいものを食べて笑顔を浮かべる人の顔というのは、なぜこんなにも素晴らしいのだろうか。
同時に嫉妬が沸いた。うれしい嫉妬だ。
「何でニヤニヤしてるでごぜぇーますか?」
「俺もいつかアマツに負けないお団子を作るから覚悟してくれよ、二人とも」
二人の笑顔を想像し、俺はウキウキとアマツの田畑のあぜ道を歩くのだった。
……。
郷に入っては郷に従え。
異国情緒あふれるアマツを堪能しようと、服屋で薄手の着物を買った。
今日はアマツの灯篭祭りの日だ。賑わう屋台の合間を三人で歩く。
二人とも着物と羽織を身に着けていた。
ミスティは黒や濃紫を基調にした妖艶な花の着物、リッタは白を基調とした生地に淡い桜色や薄紫の小花が散りばめられた着物。
ミスティは扇子を持ち、リッタは巾着を手に提げている。
つまり俺は両手に花状態だ。
「ちょっと歩きずれぇでごぜぇーます」
「そうかしら★ 私はむしろ身体がきゅって絞られて楽に感じるわ★」
「歳でごぜぇーますね。腰が曲がってるんじゃねぇーですか?」
「さっき、着付けしてくださった方が言ってたわ★ 子供を見て七五三みたいって★ 遠まわしにリッタのこと言っていたのかもしれないわね★」
青筋を額に浮かべ、嫌みの応酬を言い合っているが、流石に恰好が恰好なだけあって取っ組み合いにはなってなかった。一気に風情が無くなるし、感謝だ。ずっと着物を着ていて欲しい。
二人とも草履を履いていた。着物と組み合わせると、歩きにくいのか、小さな歩幅になる。俺の後ろを、ちょこちょこと歩く姿が、かわいらしさを生んでいる気がした。
「二人とも似合っているよ。照れ隠しもほどほどにな」
照れ隠しが図星だったのか、珍しくミスティまで恥じ入って静かになってしまった。
アマツの祭りは変わっていた。
料理や小物のお店だけではない。
小さな遊びを交えたお店がいくつかあった。魚を取ってみたり、菓子細工で型を切り抜いたり。
街を彩るのは出店の種類だけではない。太鼓の音、笛の音、それに合わせて踊る人々、神輿を担ぐ男たちの掛け声。
普段楚々としている人々が、その祭りの音に合わせて楽しそうにしている。
小竜の群れがその祭りを楽しもうとするかのように、滑空してきた。
すれ違った竜たちは笑っているようだった。いたずらかもしれないな。
風が、小物の屋台に並ぶ風鈴をかき鳴らした。
その音に魅かれるように、二人は風鈴の前に立っている。
しばらくして、風鈴の音がゆったりと鳴りはじめた。いつまでも聞いていたくなる、やさしい音だった。
風鈴以外にも、アマツの小物はどれも、この地方ならではという風情を感じられて素晴らしかった。
綺麗な花の髪飾りや、繊細な織物の巾着、編み物。
何か珍しい物を見つける度に、リッタは購入してマジックパックに入れていた。
今までなら、誰々に似合うとか、言っていたのだが。
最近はリッタは無言で買うようになった。
露店に並んで、白いもこもこのわたあめという物を買った。
口に含むとそれは、溶けていき、甘い後味だけを残す。
リッタは目を丸くした。
「きっとシャルは喜ぶでごぜぇ――」
その言葉の続きは出なかった。
わたあめを片手に、ただ俺を見上げている。
もう旅を旅として楽しむのも限界だろう。
「半年、あっという間だったな」
リッタの頭を撫でた。何も言わず、目を細めて、されるがままになっている。
そろそろ帰りたい気持ちが湧いてくれているのだろうか。
この旅の間、彼女は行く先々でアクアテラの皆のためのお土産を買っていた。
きっとそうだ。
大切な人が増えることは、リッタにとって大事なことだと俺は信じている。
その縁が、彼女の生きる希望になるはずだから。
……。
その日、夜空に美しい光景が広がっていた。火を灯した、和紙で出来た灯篭が空に浮かび上がっていく。やさしい朱色が夜空に溶け込むように舞い上がるそれは、見る人を異世界に誘うようだった。
灯篭祭り。
和紙灯篭に人々が満願を込める祭り。
本当に願いが叶うのではないかと思うほどに、幻想的な夜だ。
その宴に俺たちも参加した。
三人で和紙灯篭をもらい、願いを込めていく。
俺は幼い頃からの夢を込めた。
人生を懸けて叶えなければならない夢だから。
ミスティも俺と同じ夢を書いてくれている。
その横顔が愛に溢れていたから、何となく分かった。
リッタは何を願うのだろうか。
ぎゅっと不慣れに握った筆を手に、一生懸命に願いを書いている。
ゆっくりと、丁寧に、脇目も降らずに、一心不乱に。
その灯篭を覗き込む。
『エルの美味ぇ飯がずっと食えますように』
たった一言だった。
万の言葉よりも切実な一言に思えた。
それをリッタは夜空に飛ばした。
やさしい朱色が星々のうつくしさに負けないくらいに闇を照らしていく。
彼女は両手を組み合わせ、祈り始めた。
一言も発することはなく。
長い間、長い間、その場から動かなかった。
全ての灯籠が闇に溶け込むまで。
一歩も動かず、ただ、願い続けていた。
贅沢な願いでは決してない。
変わらぬ日常を願う、小さな願いだ。
世界を守り続けることを運命づけられた彼女の望みにしては余りにも、余りにも、健気な願いだった。
……。
翌朝は願いが届いたかのような晴天が、どこまでも広がっていた。
青い空に負けないくらいに、屈託のないリッタの笑顔に安心する。
「そろそろアクアテラに戻るか」
「もう一箇所行ってみてぇです! 野良の子竜にさっき、とっておきの場所を聞いたでごぜぇーますから!」
「なら行くか」
元気に進むリッタの後ろを歩いていく。
ミスティが立ち止まっていることに気づいた。
「いってらっしゃい」
「ミスティは行かねぇんですか?」
彼女は頷き微笑み、手を小さく振る。
その表情は、名残りを惜しんでいるようにも、終わりを予感しているようにも思えた。
「全ては愛のために」
ミスティの呟きにリッタは小首を傾げた。
けど、それは俺の背中を押す言葉だった。
伝えなければならないことがある。
記憶は曖昧だけど、心の中に深く残っている。いつかミスティと契約した日に語った、夢の続きを、リッタに伝える必要があった。
大切な人を愛する、俺たちの物語の再出発をこの地から。
俺の夢は、俺にしかできない愛の表現なのだから。
『エルの美味ぇ飯がずっと食えますように』
その願いを、俺は必ず叶えてみせる。そう、強く強く思っている。




