第114話 君のためのレシピ②
西欧国家、不毛の大地、砂漠地帯、都市『サフィール』。
冬のこの地は昼と夜との寒暖差が激しい。
宝石や魔石の採掘が盛んな地でもあり、貧富の差もある地域でもあった。
富が集まる場所はリゾート地となる程に煌びやかなオアシスがある一方、一般的な民の住まう区画は、枯れた大地で泥水を啜りながら何とかその日を生き繋ぐ者たちで溢れていた。
そんな民の住む地で、数日前から、俺の身体はとんでもない腹痛と嘔吐、高熱に苛まれていた。だいぶ良くなったが、念のため今もまだベッドの中で安静にしている。
「あんなもん喰うからでごぜぇーますよ」
「美味かったんだ。それに皆喜んで食ったじゃないか」
「そりゃ美味かったでごぜぇーますが、人間が食ったらだめでごぜぇーます」
「ずるい。リッタやミスティもうめぇうめぇって食ったのに、なんともないなんて」
「本当美味しかったわねぇ、甲殻百足が美味しいなんて意外だったわぁ、エルちゃん★ また食べたいなぁ」
「流石、呪いの竜でごぜぇーますね」
リッタの言葉によって、笑顔を張り付けるミスティの額に青筋が立った。
いつもの取っ組み合いが始まる。
「エルさん。お加減はどうですか?」
仮面の少年が扉から顔を覗かせる。
この部屋を貸してくれている、サフィールの原住民トトだ。
俺たちは彼の家の一角を間借りしていた。
乾いた土を押し固めた家に、簡易ベッドがある部屋。リッタとミスティの毛布まで用意してくれた少年だ。
……。
彼との出会いは五日前に遡る。
と言っても本当に偶然の出会いだ。
A級モンスター、セントピード、通称『甲殻百足』。砂漠を這い、時には砂地に潜り、行き交う生物を捕食する危険な甲殻類。
毒も持ちA級に相応しい厄介さがある。
そんなモンスターの群れに襲われている仮面の男を偶然助けた。
それがトトとの出会いだ。
砂漠の真っ只中、甲殻百足の縄張りに、魔術師のトトが一人でいるのはおかしい。
当然助けた後は事情を聞いた。
どうにも、とある行商人に道中で捨てられたらしい。
理由は水と語った。
不毛の大地、サフィールでは水が貴重であり、規制の対象だった。雨が降らなくなったことを理由に、この地の貴族は水の価値を釣り上げ、富を吸い上げているらしい。
ところが水は天の恵みから得る以外にも方法がある。
水の魔法だ。
才能のあったトトは隠れてこの地に住まう人々に水を供給していたらしい。本来悪いことではないはずだ。だがそれがバレて、行商人を経由し、仕事の依頼に偽装して甲殻百足の巣に捨てられた。
とんでもない極悪な話だ。
「ん? ミスティ、地面を見つめてどうした?」
「何年、雨が降っていないのかなって。渇きはいつ見ても悲しいわね★」
そう言って、赤い唇を笑みに変える。
水を司る竜王としては何か思う所があるのだろうか。
何とか解決できないか考えていると、リッタがじっと、細切れになった甲殻百足を眺めていることに気づいた。紫の血がとろとろと砂漠に染みこんでいる。
「こいつうめぇーんですかね?」
リッタのその一言が俺のプライドを謎にくすぐった。
それどころではないというのに。
トト達を助ける術を考えるのが人というもの。だが好奇心を抑えられない。
異世界レシピを起動すると、腹痛を伴い時には死に至るとあるが、かなり美味しいという記述もある。癖のある味を含めて、美味というやつだ。
心の中で、危険と美味いを天秤にかける。
美味いとわかっていて挑戦しないのは、食の探究者としてどうなのだろうか。
天秤が一瞬で美味いに傾いた。
毒腺を避けて調理できればいい。そう判断した。過信し慢心した。いや、ただ、食いたかった。
結果が高熱に腹痛、嘔吐。
身体が毒を排除しようと戦っているのを感じるほどに苦しかった。
そして竜達はただ美味しく食べたということだ。
いや本当に美味かった。食べた後悔はないくらいに。無数の脚の処理や甲殻部分の処置は大変であったが、その身は一言で言えば、舌が痺れる極上のエビ。薬物に近い旨味の暴力。ぷりぷりの身を噛むと中からクリーミーな旨みが溢れてくるのだ。
最高だった。
思い出しただけで食べたくなる。
……まぁ、こうしてトトのお世話になったということだ。
正直、旅の道中の討伐資金によって金に余裕があるため、高額だろうとオアシスの宿屋に泊まっても良かったのだが。
トトが心配だった。
トトとその家族は仮面をつけて生活していた。栄養価が少ない地域からか、皆、背格好がちんまりとしていて、仮面によって正直誰が誰だかわからない。
だからだろうか。
貴族達のトトへの追撃の気配は一向になかった。
甲殻百足の巣から帰って来られるわけがない、とも思っていたのかもしれないが。
それでも彼らが水に困っているという現状は同じ。いや、トトが水の魔法を使って供給するのが警戒され困難になっている分、悪化したと言ってもいいだろう。
けど彼らは過酷な運命に慣れているのか、人情味のあるあたたかい生活を送っていた。
砂漠の冬は極寒、昼は灼熱。
身を寄せ合い、時に支え合う、そういう家族親戚の寄り合いの強さを感じられた。
「看病してもらいありがとう、トト」
「いえ、そんな、貴方達に救ってもらわなかったら、ぼ、僕は今頃っ」
そう言って恐怖を思い出したのか自身の身体を抱きしめる。
まだ若いだろうに。
「お礼に、もしトトが良ければご飯を振る舞いたい」
水を使った料理を作ろう。俺は観光客だから罰則に値しない。
この地方の人々は香辛料をよく使っているようだった。
最高の異世界料理がある。
カレーだ。
トトに台所を借りた。
ぶつ切りにしたコカトリスの肉に、香味料、塩による下味をつける。コカトリスは草食の魔物であるため臭みは少ないが、下味をつけることでより旨みが増すから。
味が染み込んでいる間に、アクアテラ産の玉葱を飴色になるまで焼いていく、さらにトマト、香味料を加えて、水分を飛ばしながら旨みを凝縮させた。
サフィール産のスパイスを加えて煮詰めると既にカレーの食欲をそそる匂いが溢れてくる。
「カレーじゃねぇですか⁉︎」
「リッタの大好物じゃない★」
「こいつが嫌いなやつなんざ見たことねぇーですよ!」
その様子と匂いに、トト達も興味津々に集まってくる。
下味をつけた肉を焦げ目ができるまで別で焼いてから、カレーの素に投入、水を注ぎ、沸騰したら火力を落として煮詰めるだけだ。
「後はアクアテラの米で食べてもいいのだが……」
この地の人々はティナンと呼ばれる、パンに似たすこし硬めの食べ物を主食としていた。
「ティナンと一緒に食べるとしよう」
カレーはトト達にも大好評だった。
カレーとティナンを交互に食べては、用意した水をガブガブと飲む。
見ているだけで幸せになる光景だった。
彼らが香辛料に慣れているというのもあるようだが、この地では水を使った料理自体が貴重だからかもしれない。
食後にどうしても、と彼らが小さな麻袋に入れた粉末を持ってきた。
香ばしい香りが漂ってくる。
異世界レシピの項目が埋まるのを直感した。
コーヒー。異世界の人々を魅了した飲料。
焙煎した豆を、挽いたモノだそうだ。湯を沸かして、目の細かい布に粉を入れ、ゆっくりとお湯を注いでいく。
大人たちは、匂いをかぎ、ゆっくりとそれを飲んだ。
そして涙がこぼれていた。
俺も彼らを真似して飲む。
苦味の中に酸味、酸味の中に不思議と甘味があった。中毒性のある味だ。味わえば味わうほど、舌が喜んでいる気がする。
うまいな。甘味と共に飲んだら最高だろう。
あっという間に空になる。
トトが俺のカップに、コーヒーを注いでくれた。
「高級ですから、毎日飲んでいたわけではないんです。でも育てるのに水が必要なこの豆を、昔は栽培できたんです。砂漠とはいえ、ここは一番栄えていた都市ですから……地下水が多くて……それが誇りでした」
「昔は雨が降っていたのか」
「……二年前までは」
最近だった。急に降らなくなるなんてあるのだろうか。
しんみりとした空気の中で、ミスティが場違いな笑みを浮かべた。
「この地は魔石や宝石の宝庫って言っていましたね★ 水の価値が高騰しているとも。二年前、何か、変わったことはありませんでしたかぁ? 誰か、変わった人は訪れませんでしたかぁ? ぶくぶくと私腹を肥やしている者がいませんかぁ?」
ミスティの蠱惑的な、耳朶を打つような声が場を支配していく。
「誰か巨万の富を得た者が分かれば、私が呪てあげてもいいのですが……」
ミスティの声に導かれるように、トト達はゆっくりと話し始めた。
白く神聖な衣装を身にまとった、とある貴族が来た二年前から、この地では雨が降らなくなり、水が金や魔石よりも価値を持ち始めた。大商人と結託し、オアシスの水源を独占し、価格を限界まで釣り上げ、平民や貧民は、泥水をすするような生活を強いられていたのだそうだ。当然、水を生み出せる魔法使いも重宝される。ところが、水は神の奇跡とし、無暗に生み出すことを禁止された。
恵みの雨こそが、正しいと。
それ以外は神に背く行為と。
人が生み出す水は邪法であると。
「呪いには愛を」
全てを聞き終えたミスティは俺を見る。
二年前から不自然に降らなくなった雨。
そして巨万の富を得ている者。
ミスティの表情。
彼女とはどこか心が通じている。
やりたいことも、俺に求めていることも分かってしまう。
「トトさん、空いた土地に小さな貯水池をいくつか作ってもいいですか?」
「最近はこの地を離れる者が多くて。もう僕ら仮面の民しか残っていません。空き家ばかりですので構いませんが、一体……」
「まぁ、ちょっとした準備です。いつ何時、幸運の女神がこの地に微笑むのかわかりませんので」
……。
その日の夜、異世界レシピの水のろ過方法を確認した。翌朝、人々が目覚める前に、リッタの土の魔法で貯水地を作っていく。
草や砂を敷き詰める。ろ過された水はさらに風の魔法陣を応用し、再度くみ上げる構造とし、循環させる。泥水だろうと飲み水に変えるほど、ろ過させる仕組みの完成だ。
そして井戸の作成も忘れない。
その貯水池と井戸をいくつも作る。
翌朝、この光景を見たトトは困惑していた。言いにくそうに口を開く。
「ありがとうございます……ですがエルさん、肝心の雨がこの地は降らなくて」
「明日は雨が降りますよ。いや、今日の夜にも、きっと」
俺の言葉を肯定するかのように、ミスティが寄り添ってきた。
……。
砂漠の只中、先日トトを助けた場所に来ていた。
「始めましょう」
ミスティが自身の顔を両手で隠した。
その白くながい指先に背丈ほどの禍々しい錫杖が顕現。
その腕を振るうと錫杖の音が砂漠に響いた。
音により、時が切り取られたような感覚を抱く。
瞬く間に彼女の服装が変貌した。
聖女とは対をなすような、漆黒の巫女装束。
騙すのか、誑かすのか、あるいは愛すのか。
人を魅了し狂わす毒婦にも、生きとし生きる者すべてを篭絡し夢をみせる妖艶な女神にも見える。
その表情は、伺いしれない。顔を隠す薄いベールの隙間から覗くのは、濡れたように赤い唇だけだから。見えないからこそ、その奥にある罪深いほどの美貌を想像し、陶酔してしていく。
唯一見える赤い唇を、知らず知らず目が追ってしまう。
異端の竜ミスティ。
彼女のあり方は世界を守護する使徒の中にあって、唯一、邪と同種の呪いと共にあった。だが彼女にとっての呪いは愛だ。堕落も、あきらめも、嫉妬も、……そこに本物の愛があるのならば、例え黒であろうと、全てを受け入れる彼女だから。本当は、ただ優しすぎるだけの竜。
しかし神聖から最も遠い、色香で人を惑わす存在として、使徒でありながら、光を纏う者たちから忌み嫌われることを宿命づけられていた。
人の姿を模した妖艶な竜が、静かに舞い始める。
この地の民が誰も近寄ろうとしない、甲殻百足の巣の上。
長い髪に細い腰、円く大きな胸、そしてその赤い唇の妖艶さは多くの人を魅了し続けてきた。男も女も子供も、老人も。
水と呪いの竜。
その舞に誘い込まれるように、砂地から甲殻百足が幾重にも湧き出し、襲い来る。
しかし、彼女の舞が止まることはない。側で控える土と風の竜王――リッタの容赦のない風刃が甲殻百足の胴を細切れにし、迫る硬い顎を巨大な石柱が圧殺していく。
飛び散る甲殻百足の紫色血が、舞い続ける竜を染め上げていく。
そこは数日前、彼女がじっと見つめていた地の上だった。
雨は生命の恵みだ。雨が降らない土地は呪われている。
天候を司る魔法は人の身に余る大術式だ。ましてや年単位で雨が降らない魔法など、在り得ない。故に呪い。それもまともなモノではない。
呪いという言葉すら生ぬるいかもしれない。恨み辛み、怨念、いや、神との敵対を宣言する、悪魔を呼び込む、生贄を使った禁忌の呪法。
何を犠牲にしたのかは、この術を構築した人でなしとミスティにしかわからない。
踊る度、地上に、破綻した歪な魔法陣があぶり出されていく。
何かの怨嗟が黒いモヤとなって、目に見えるほどに形作っていく。それは歪な人間の影となった。複数の腕と顔を持つ異形。
この呪いが続けばやがて魔王が生まれてもおかしくない、その怨念を――。
ミスティはただ抱きしめた。
「愛こそ全て」
禍々しい閃光となって天に昇る。
黒き光は煌びやかなオアシスへと向かっていき、着弾した。
一瞬、囚われの女性と、彼女を助けるために単身戦う男の記憶が流れた気がした。
怒り。恨み。辛み。……そして愛。
その黒いモヤが貴族の居住地に溶け込んでいく。
呪詛返し。術者は死より苦しい運命をたどることになるだろう。
「流石でごぜぇーますね」
天を仰ぐと、皮膚を焦がすような陽の光を遮るように、雲が現れた。ぽつぽつと、乾いた大地を叩く音が響く。それはやがて堰を切ったような大雨へと変わった。まるで、この空がこれまで流せなかった涙すべてを代弁するかのように。
「愛のない呪いは最も醜いと思うの」
天の恵みが、甲殻百足の血を洗い流していく。濡れた漆黒の巫女装束が、彼女の肢体を浮かび上がらせている。
頬に張り付くベールを外した女性は、期待を裏切らない、絶世の美女。
濡れた長い髪の隙間から見える表情は、絵画の女神のような慈愛に溢れていた。
うつくしい魔眼を細めて、空を見上げていた。
「水も滴るいい女でごぜぇーますね」
「あぁ」
街に戻ると、降り続く雨の元、子供たちが無邪気に笑顔で走り回り、大人たちは皆、膝をつき、むせび泣いていた。ある者は天に、ある者は地に、ある者は愛する誰かに向かって。
彼らの歓喜の涙を、天の恵みが彩っている。
水と呪いの竜が両手で自身の頬を抱く。
唇に負けないくらいに、その頬を真っ赤に染めて。
倒錯的な瞳で民を見つめながら。
「私がこの地を呪いします」
それは恵みの雨が定期的に降り続けることを意味していた。




