第112話 ハニートラップ④
アクアテラの冒険者たちの宿屋の一つ、『蓮のしずく』を訪れていた。
そして今、ミネルバが作る料理を待っている。
ミネルバはハニートラップの予定だったらしい。
アクアテラで人気となっている街角勇者亭のレシピを聞き出すために俺に近づいたと語った。彼女は旦那と宿屋を運営していた。しかし、とある貴族に嫌われてしまい、悪い噂を流され、客足がどんどん遠のいていったらしい。
最近、その貴族がいなくなり、宿屋再建のチャンスと思ったようだ。
是が非でも看板となるメニューが欲しい、そこで白羽の矢が立ったのが街角勇者亭。
「言ってくだされば、普通にレシピを手渡しましたよ。何でしたら俺が直接伝えにいっても良かった」
「ふふ」
ミネルバさんは笑った。
「そういう所が、つけ込みやすいかなって。どこか隙があるというか。エルさん、気を付けた方がいいですよ。エルさんに本当はその気がなくても、他の子たちが悲しみますし。って、私が言うのも何ですが……」
料理が好きなのは本当だった。
そして旦那の為に、頑張りたいという気持ちも本物だった。
人の好意を逆手に取る、その手段は褒められたモノではなかったかもしれないが。
「ごめんなさいね。レシピも、女の子たちのことも、勘違いさせてしまったみたいで」
「いえ。レシピは……ミネルバさんは熱心でしたし、より良いレシピに改良してくれれば、俺にとって願ったり叶ったりで。シャル達も……俺にとって彼女たちの気持ちを理解する良い機会になりましたから」
「謝罪になるか分からないけれど、もし良かったらご飯食べて行ってくださらない?」
「ぜひ」
彼女の旦那が買い出しから戻ってきた。
一瞬ミネルバさんの顔が輝いた気がした。俺といた時には見ることができない表情で。それが当たり前の旦那は気づかないのかもしれないが、素敵なモノだった。
彼も勤勉で、休む間もなく部屋の掃除に向かうようだ。
「教えてもらった方法で作ったシチューです、エルさん」
心配そうな表情でこちらを見ていた。
匂いと見た目。食べなくてもわかる。美味しいに違いない。
酒と薬味を入れ、圧力を加えながら煮込んだ、ほろほろのスジ肉を使ったビーフシチュー。
スープを飲む。
果実から作った酒、トマト、香味野菜、果実を煮込み、手間暇を惜しんでいない、コクのある味を感じる。
硬いパンにも柔らかいパンにも合う、おいしいスープだ。
スジ肉は口に入れた瞬間に溶け、旨味が口いっぱいに広がった。
ずっと口の中に入れておきたいのに、消えていく。
名残惜しさと、脂の旨味を残して。
俺の表情で伝わったのだろう、ミネルバさんは笑顔を浮かべた。
旦那の名を呼んだ。
そして、シチューを食べてもらい。
「おいしい」
その一言で、ミネルバさんの表情が静かに輝いた。
彼女たちはどんなレシピを生み出してくれるのだろうか。
その行く末が楽しみで仕方がなかった。
「ごちそう様でした。また来ます、ミネルバさん」
……。
自宅に戻るとシャルとアリシアがいた。
正直葛藤がなかったかと言えば嘘になる。
かなり年下の二人だ。
それに、二人同時に好きになるおっさんとか何の冗談。
悩みに悩んだ。
「脚フェチ変態野郎の癖に、そういうとこ常識人なんでごぜぇーますね。エルは誰が何と言おうと勇者でごぜぇーます。英雄色を好む。好いてくれる子がいるなら、何人でも面倒見て幸せにする甲斐性を見せやがれです」
背中を押してくれた竜のおかげで、色々振り切った。
結果部屋の鍵を渡していた。
長いこと女性として見てきていなかった子達だ。やっぱり今も守るべき対象として見てしまう。でも大切に思っているのは事実だ。
好きであると心から言える。
鍵を渡して以来、二人が部屋にいることもあれば。
どちらか一人の時もある。
俺との関係は今までと大した変わりはない。
変わったことと言えば、二人がとんでもなく仲が良くなったくらいで。
今日は三人で夕食を共にした。
俺が作るだけの関係ではなく、共に作ることが多かった。
ただ二人にはどうしても伝えなければならないことがある。
もしかしたら、それは俺を好いてくれた二人への裏切りになるかもしれない。
でも誤解はして欲しくなかった。
二人を大切と思う気持ちも負けないくらい強いから。
「俺には夢があるんだ。人生をかけて叶えたい夢が。ずっと幼い頃から願っていた夢。それを追いかけるのをどうか許して欲しい」
情熱を込めて説明した。俺の壮大な夢は、大切な人の未来を彩ると信じているから。きっとその先に、二人の幸せもあると思っている。
話を聞き終えた二人は顔を見合わせて、強く、強く頷き、抱きついてきた。
「エルさんの側で支えたいですっ!」
「エル君と共に歩みたいっ!」
「ありがとう二人とも。俺はどうしても皆を幸せにする未来を勝ち取りたい。俺一人ではたどり着けない困難な未来なんだ。どうか、これからも共に情熱を、愛して欲しい」
この理不尽な世界から、幸せを、必ず奪い取らなければならないから。
……。
二人が部屋で寝静まった後、外に出た。
秋の夜空を眺める。
美しい惑星が二つ浮かんでいる。
家の屋根で、それを見上げている、やさしい横顔の竜がいた。
俺に気づいた彼女を手招きする。
「雨降って地固まる。もう冬も近いでこぜぇーますが、やっと春が訪れたみてーじゃねぇーですか」
「俺には勿体無いくらいの春だな」
「そんなことねぇーです。頑張った勇者にぴったりの春じゃねぇーですか」
「……」
「……何で頭を撫でやがるんですか?」
「俺は欲張りみたいだ。本当の春が来るにはまだ足りない」
「?」
「リッタ。俺とミスティと、三人で旅に出ないか?」
リッタは静かに頷いた。




