第111話 ハニートラップ③
「はいっエル君っ。今日のチョコだ」
「おはよう、シャル。いつもありがとう。毎日朝早いな」
「早起き得意っ!」
むふっとかわいらしい表情を浮かべている。
ここ最近のシャルは従順な犬のように、毎日、毎日、決まった時間にチョコを持ってきてくれていた。街角勇者亭の営業準備の前、リッタと朝食を終えた後、コンコンコンと家の扉をノックする音、それがシャルがチョコを届けてくれる合図だった。
じっと俺を見上げている。
これもいつもの光景。
今日のチョコの感想待ちだ。
包みを開ける。四角い薄茶のチョコ。どこから見ても、うつくしい。白い色飛びが一切ない、完全に混ざり切った色。チョコのやさしい香りが鼻孔をくすぐる。
口に含んだ。おどろくほどすんなりと解けていく。
「おっ」
思わず声に出た。中には酒が少々入っているようだ。
面白いな。
甘さを薄めるだけじゃない、旨味となって甘さと共存している。
「むふふっ」
シャルが口もとを隠していた。けれど、その端から変わった笑い声が漏れている。
俺の反応が嬉しくて仕方なかったのかもしれない。
「チョコと酒か」
懐かしいな。街角勇者亭がゲロにまみれた思い出があった。
ヴァイオレット家のネイとメイド達。
ハインリッヒ家の執事のクラウス。
そして渦中の大学教授のエイラ。
一堂に会していた時はどうなることかと思ったが。
「っ! さすがエル君っ! ねっ! ねぇっ今日来てっ久しぶりに来てっチョコ工房っ! 楽しいよっ楽しいからっ今日だけっお願いっエル君っ!」
シャルが俺の手をとって、ぶんっぶんっと上下に振る。
意外にも、彼女のわがままというのは珍しい。
普段は俺が店を営業することを優先してくれるから。
どうしても来て欲しい理由があるのだろう。
「久しぶりにお邪魔するよ、いいかな?」
「うんっ!」
そのまま彼女の乗ってきた箒に跨る。彼女から漂うチョコの香りを感じながら、ヴァイオレットとハインリッヒの工房へと向かうのだった。
……。
俺の知っている工房ではなかった。
シャルの屋敷よりも遥かに大きい建物。
その中の一室、彼女に言われ、そこで一人待っていた。
現れたのは赤い髪と瞳の少女、ハインリッヒ家令嬢セシリアだった。
「シャルちゃんは準備があるので、わたくしが案内しますわ」
そう言って彼女は微笑んだ。
以前より表情がやわかくなったはずなのに、貴族としての凄みが増したように思う。
「きっと驚くと思いますの」
清潔感を抱く白い内装の工房。
専用の服に着替えて、小部屋に入った。入った瞬間に全方位から風が溢れて来た。
空気が出てくる箇所と吸い込まれていく箇所がある。服についた小さな汚れを落としているようだった。少しでも清潔にするための機能か。
こんな所も魔工具化されているのか……。
特定の場所に来た時に反応する探知用の魔法と、風の魔法の組み合わせだろう。
しばらくの時間経過後、風が止んで、目の前の扉が開いた。
圧巻の光景が広がっている。
敷き詰められた魔工具、世界各地から送られてきたであろうカカオ豆の麻袋。
焙煎、磨砕、材料の混合、コンチングにテンパリングに成型。動き続ける魔工具に負けないくらいに熱量を持って、開発を続ける人々。
チョコレート革命が目の前に広がっていた。
チョコのやさしい匂いと驚きに喉が鳴る。
行き交う人々の数は俺の想像の比ではなかった。
数十ではおさまらないのではないか。
秘密裏にこんな工房となるまで発展させていたなんて、ヴァイオレットとハインリッヒは、本気で世界を変えようとしているに違いない。
もはやシャイロックを潰すなど些事なこと。
しかし、これは。
「エル様。どう思います?」
「すごい。本当に。言葉が浮かばない。凄過ぎると思う。ただ……この規模感と、今アクアテラに流通している量とが合わない気がする」
「流石、エル様ですわっ。ほんの一部しか流通させていませんの。希少価値を高める為。完成度の高い試作品は、貴族に流し、我々に協力してくれる方々を見極めるのに使用していますの」
俺の回答が嬉しかったのか、セシリアから興奮が伝わってくる。
「エル様達はシャルちゃんみたいに情熱の人で、政治には興味がないかと思います。ですが、あなたにはどうしても、知っておいて欲しいのですの。この規模まで来ると、魔術教会にバレるとどんな難癖をつけられるか分かりませんから。それだけではありません、我々よりも位の高い公爵家などに潰されるかもしれませんから」
動き続ける魔工具による、生産の改革。魔術教会が認めた魔法の価値の失墜。魔法使いへの尊敬の希薄化。物の作り方を、既存の在り方を、根底から覆す魔工具。もはやチョコレート工房という名の、既得権益をぶっ壊す実験場と化している。
俺が幼い頃夢中になった歴史、異世界レシピに載っていた、機械という代物による、産業革命のような光景だった。
「だから、我々は本気で取り組まなければならないのですわ。妥協は許されないのです。一日足りとも無駄にできないくらいに。技術を確立させ、水面下で人々の生活を寄り添う形で征服する。お菓子を生み出し、やがて人々の食事になくてはならない存在となる。強大な特権階級に負けないくらいに、市民を味方につけること。それが両家の成すべきこと」
とある小部屋では完成したチョコを試食している人達がいた。ユキナやユキネ、見知ったメイド達、その中心にはシャルの母、ロザリエッタと、ハインリッヒ当主レオナルドがいた。けれど貴族に臆することなく、メイド達も互いに感想を本音で伝え合っている。
内容は聞き取れないが、熱量が痛いほど伝わって来るくらいに。
「皆、本気だな」
「えぇ。シャルちゃんの為でもあるんですけど、何より皆楽しいんです」
「そうか、セシリアは……いやその表情で分かるよ」
希望が宿っているかのように、その赤い瞳は輝いていたから。それだけではない。一度、友を裏切った彼女にしか出せない、覚悟が燃えているように見えた。
「わたくし、シャルちゃんに救われたんですの。やさしさで。だから……絶対に、絶対にシャルちゃんの好きを守らなきゃならないんです。人生をかけて」
「お菓子同盟。シャルが言っていた」
セシリアが頷いた。
ここは既に工房ではなかった。
彼らの好きを守る戦場だ。
想像していたのは和やかな雰囲気。
でも違った。
他の小部屋から酒の匂いが漏れていた。あぁ。チョコの中に酒が入った商品の開発はここでしているのか。そうなってくると登場人物はきっと――。
「なるほどな。適任だ」
「エル様。笑うとわたくしも釣られてしまいますの」
部屋の中には、メイドのネイ、執事のクラウスと元大学教授のエイラがいた。
酒好きトリオだ。
最近の街角勇者亭での彼らは仲が良かった。互いに酒を酌み交わし、今後の両家の展望と、その発展に対する熱い話、どこどこのお菓子がうまいとか、他の国にはこんな菓子があるとか、この酒が好きだとか、それをどうにか取り入れて更にうまい物を作れないかという話をよくしていた。
そんな彼らが工房では喧嘩していた。普通の大人の言い合いじゃない。
子供の語彙のない罵りあいだ。
エプロンを身に着けたまま。食品を扱う衛生的な恰好のまま。
馬鹿だの、分かってないだの、じじぃだの、ガキだとか、お子様だとか。
「クラウスが癇癪を起こした、子供のような言葉使うの初めて見るんですのよ。わたくしを教育する時のクラウスは、お手本通りの執事でしたから」
「そうか。皆、好きな物の前では、大きくなった子供だからな」
「はいっ」
笑ってしまうくらいに子供だった。だけど、その姿を見て、込みあげてくる熱い物がある。大人とか立場とかそういうものを一切合切、取り払った、情熱の塊同志の言い合いだったから。
好きな物を主張し合い、高みを目指すのは、なぜこんなにも眩しいのだろうか。
とある部屋の前。
貴族であるはずのセシリアが、ただの平民の俺の前に膝をつき、顔を伏せた。
「エル様、本当にありがとうございました。直接伝えることができていませんでしたが、あなたのお陰で、わたくしは、大好きな人と……失ってはならない大切な人と、友好を再度結ぶことができました……ハインリッヒの名の下に最大限の感謝を」
「全てシャルの頑張りだ」
「いいえ、あなたが情熱の花に、水を注いだのですわ。わたくしは確信しています。あなたが、好きを愛し続ける天才を開花させてくれたのだと」
その声は震えていた。
彼女とシャルとの間に何があったのかは聞いていない。でも、彼女の言葉に情熱が宿っていた。愛が痛いほどに伝わってくるから。
「顔を上げてくれ」
「はい」
彼女は立ち上がった。
「この部屋でシャルちゃんが待ってますの。甘くてやさしい情熱と一緒に」
……。
扉を開けると、部屋の棚には一面にチョコやお菓子が並んでいた。
チョコの魅力は美味しさだけじゃない、花や動物、建物、誰に食べてもらうかによって、その姿を変える。宝物のような光景だ。
そして大好きに囲まれるシャルがいた。
彼女は俺の顔を見て、むふふ、と笑う。
俺がこの地で、驚きの連続を受けたことを察したのかもしれない。
工房も、お菓子溢れるこの部屋も、彼女が長年夢見てきた理想の城。
幼い頃から皆に馬鹿にされ続けた、好きを両手いっぱいに抱えて、世界を変えようとしている小さな女の子。
「シャルの好きを見て来た。本当に凄かった。想像を遥かに超えて」
「もう一つ足りない好きがあるのっ!」
そう言って俺の手を取って、ぐいっぐいっと引っ張る。チョコが飾ってある棚の前に連れて行かれた。
チョコと俺とを交互に見た。
「わたしはエル君が好きっ!」
笑ってしまうくらいの真っ直ぐさだ。
「ねぇ! 覚えてる? 私が好きを諦めかけていた時のこと」
シャルは俺の言葉を語り始めた。
『チョコづくりは確かに大変だ。逃げてしまっても俺は仕方がないことだと思う。今あるチョコでも十分うまいしな。大切なモノを失ってまで追い求めるものでもないのかもしれない。……だが、一度きりの人生だ。追い求めることで、見える景色も、出会いもあると思う』
シャルは一言一句覚えているようだった。
「あの時は辛い思いをさせてしまった」
改めてそう思った。俺は彼女の好きを信じていた。だが友に裏切られるというのは、きっと彼女の心に深い傷をつけてしまっていたから。
シャルが首を横に振る。
「エル君が言ってくれたんだっ。一度きりの人生だ。追い求めることで、見える景色も、出会いもあるってっ!」
手を広げて、その場でくるくると回った。
彼女からはいつだって、チョコの甘い香りがしている。
それは、彼女が愛したモノの香りを身にまとうほどに、情熱を燃やし続けている証拠だ。
「私ね! あの時チョコを嫌いにならなくてよかった! 好きなものを好きでいて、本当に良かったっ!」
「あぁ」
「チョコを好きな人が沢山増えたよ! 私が好きなモノを好きでいてくれる人が、沢山沢山増えたよ! だからねっ! 今度はねっ、私の好きな人を皆に、もっと好きになって欲しいのっ!」
まっすぐに俺を見た。
焦がれるほどの情熱が、その蒼い瞳に灯っている。
「私は——エル君が大好きっ!」
馬鹿にされて泣く女の子は、もういなかった。
好きを否定されて隠れることもない。
彼女は、堂々と好きを愛していた。
あまりにも眩しくて。
これからは憧れられる存在になっていくのだろう。
きっとシャルはそんなことを感じてすらいない。
好きなことを好きでいる。
そんな彼女の生き様に、集まる仲間が今日も情熱を燃やしている。
シャルが、とことこと10歩ほど距離をあけた。そして俺に正対、むふふっと楽しそうな笑みを浮かべて、拳をぎゅっぎゅっと握る。
地面を踏み抜く体勢を作った。
ここにきて気付く。
それは彼女から手作りのチョコをもらった時の光景で。
本当に彼女は、好きな事、すべてを覚えているのだろう。
だから俺は答えることにする。
あの日と同じ言葉を。
俺にとっても忘れられない大切な思い出だから。
「おい、シャルやめろよっ。俺はおっさんだっ」
シャルがぱたぱた身体を動かし、くふふと笑った。
あまりにうれしくて仕方ないと言わんばかりに。
「エル君っ、ちゃんと、わたしの好きを守ってねっ! エル君の後ろのチョコ、わたしの大好きなチョコが崩れちゃうからっ!」
振り向くと彼女の宝物が飾ってあった。
俺には微塵も下がることは許されないらしい。
「はっ⁉︎ そんなセリフ知らな――」
「エル君っ! いくぞぉっ!」
掛け声と共に全力で地面を蹴り出し、だだだっと走って……。
そして、俺に向かい、飛び込んだ。
腹に衝撃を感じながらも何とか受け止める。
信頼の全身全霊の突撃。
受け止めると信じて疑わない行為だ。
胸の中で、さらさらな金髪がもぞもぞと動く。
そして懐から顔を出す。
全力でぶつかってきたからか、おでこが赤くなっていた。
青い瞳に見つめられる。
悪戯な笑みを浮かべていた。
真っ白な頬を真っ赤に染めて。
シャルの情熱はあたたかい。
「大、大、大好きっ!」
返答とばかりにシャルを強く抱きしめると、やっぱり、くふふと堪えきれずに笑うのだった。




