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第110話 ハニートラップ②


「エルさん。また相談いいですかぁ?」

「あぁ。もちろん」

「手取り足取り丁寧に教えてくださるからぁ、本当好きになっちゃいますぅ」

「え、えぇ。ミネルバさんは情熱的だからこちらも嬉しく――ちょ、ちょっとミネルバさん距離近いかもです。その胸が当たって」

「え〜ワタシ気にしませんわぁ」


 アリシアの目が死んでいた。

 自分と会話する時にはいつも冷静で頼れる。孤児院時代から、慌てている所なんて一度も見たことがない。彼と接する時は自分が右往左往するばかりの関係だ。


 ところがどうだ。あんなドギマギしたエルを見たことがない。

 そして今日は、とうとう自宅で二人きりになることが決まったらしい。

 リッタがいない隙に。

 アリシアは母を探す迷子のように周囲を見渡した。


「リッタさんどこ?」


 年上の男女である。

 絶対とんでもないことが起こる。


 リッタがいれば監視してくれるのに。

 エルとずっと一緒にいるのが自然だから、色々な事故を未然に阻止できるはずなのに。

 でもリッタは空気を読むところがある。

 昔からエルが女性といい感じになりそうだと姿を消すのだ。


 多分リッタさんは、エルさんの幸せを願っている人だから。でもね、今はいなきゃいけないタイミングだよ。絶対ハニートラップだから。そうアリシアは思った。女の直感だった。


「アリシア、今日もありがとうな」

「あの、リッタさんは?」

「リッタ? ミスティとアリシアの元に行くって言ってたぞ。覚悟しておくでごぜぇーますとか何とか言ってたからてっきり……違うのか?」

「ぁ……」


 これは駄目だ。嘘も方便。

 だって私聞いてない。リッタさん、完全に空気読んでる。全然、読めてないよ。


「早く行きましょエルさん。早くしないと寝る時間無くなっちゃいますわぁ」

「あぁ。やる気に満ち溢れてますね。そういう姿勢、俺も好きです。今行きます」


 エルがアリシアの頭を撫でた。

「一人で帰れるか?」

「はい」

 

 当然聖女の塔には帰らず、二人の後をつけた。慣れない尾行だ、そう思ってけど才能があったようだ。バレなかった。でもバレた方が良かったかもしれない。恥と引き換えに、二人きりを阻止出来たかもしれないから。

 エルがミネルバを自宅に招くのを見て、悩んだ。

 二人が部屋に入ってしばらく経った。中に突入したい。でもとんでもないことしてたら、きっと一年は聖女の役目を放棄するくらいに落ち込むだろう。


 だったら前向きに、シャルちゃんを見習おう。

「好きな人を好きでいて何が悪いの」

 つぶやいた。

 ほんの少し元気が出た気がした。


 アリシアはとぼとぼと聖女の塔へと帰っていく。

 でもまっすぐには帰らなかった。やっぱり未練があったから。

 リッタを探して探して、ふらふら歩いて回る。

 路地裏の角、ゴミ箱の中、雑貨屋の壺の中、八百屋の空箱の中、誰の物かも知らない荷車の中。どこにもリッタはいない。

 既にルリの黒髪になる魔法は解けていて、白銀の髪になっていた。


 後日アクアテラで噂になっていたのは別の話である。

 目に光のないアリシアにそっくりの女性が霊のように彷徨っていたと。


……。


 聖女の塔の入り口にルリが立っていた。


「心配したわ。ずいぶん遅くなったじゃない」

「ふぇぇ」


 安心を求めて、姉のようなルリの胸の中に納まる。

 やわらかかった。男性がやみつきになるのもわかる気がする。


「あらあら。どうしたの。いつもエルさんの所へ行った時は、分かりやすいくらいに、ニマニマしてるのに」

「おっぱいの魅力、わがるぎがするぅぅ」

「今日のアリシアは泣き虫ね」


 やっぱり自分に足りないのは大人の包容力だろうか。どうしたら胸が大きくなるか調べる必要がある。ルリにハンカチで涙を拭かれながら、そう思った。


「まぁ部屋に戻りましょ。リッタさんとミスティさんも遊びに来ていますよ」

「……ぇ?」


 見上げると、ルリはいじわるな顔をしていた。


「散らかった部屋はそのままに、部屋に招いていますから。見られたくないものがあるなら急いだほうがいいですよ」

「っ!」


 アリシアの、自分の部屋を片付けられない悪癖は治っていなかった。


 部屋には魔術教本、恋愛小説、呪具、狂った数の手作りエル人形……、様々なものが散乱している。

 部屋に散乱する本をリッタとミスティが仲良く興味深そうに読んでいた。


「遅かったじゃねぇーですか、アリシア」

「そうよぉ★ 待ったわ★」

「え、なに? 何で来てるの⁉︎」

「何って、アリシアのエル攻略大作戦に決まってるでごぜぇーますよっ!」

「一緒にエルちゃんを完堕ちさせましょ★」


「ふえぇっ」


 強力な味方の出現に涙で視界がボヤけてしまった。


……。

(エル視点)


 今日の昼はリッタにせがまれて、花のクレープ屋で店主をしていた。ここ最近はシャルのメイド達に任せていた。

 久しぶりなので腕が鈍ってないか心配だったが杞憂だったようだ。

 クレープをくるっと包み、花屋のドランに渡す。


 お決まりのようにドランからおすすめの花を受け取ろうとする。

 が、今日は彼は選んでくれなかった。


「エル。選んでくれ。リッタさんが言っていた。アリシアに似合う花がおすすめと」

「アリシア?」

「そうだ」


 何で急に、と思ったが、確かに俺はアリシアに花をプレゼントしたことがなかった。

 想像すると、とても花が似合うように思う。似合いすぎてプレゼントするという思考に至ってなかったのだろうか。

 普段頑張ってくれてるし、何より花を受け取って喜ぶアリシアが見てみたい。


「この花がいいな」

「っ! 流石エルだ。この花はフランネル。そのセンスというか、引きの強さに惚れるよ」

「どういうことだ?」

「んー良かったでちゅねぇ、エルおじたんが選んでくれまちたよぉ」


 赤ちゃん言葉モードになっている。

 それはドランが花に向き合っている際の癖だった。こうなったらもはや人語は届かない、悲しき花好き筋肉ダルマ状態だから。


「フランネルたん、受け取った人を、幸せにするんでちゅよぉ」


 そう言って俺が選んだ、ほんのりと淡く赤く色づく花、フランネルをくれる。

 いい匂いだ。

 マジックパックに保管した。

 喜んでくれるといいな。どのタイミングで渡そうか。

 この後、聖女の塔まで行くか、そう思いながらクレープを売っていた時のことだ。


 シャルのメイド……ネイ達がやって来た。


「ご注文は?」

「エル様、店番変わるよっ!」

「え? いや大丈夫だけど。まだ始まったばかりだ」

「いいからいいからーっ」


 そう言って、屋台から追い出されてしまう。一体どうなってんの?

 困惑しているとクレープを二つ分手渡された。


「アリシア様があっちのベンチで待ってるよ」


 既視感のある光景だった。

 アリシアはパラソルの下の椅子に座り、アクアテラの街並みを眺めていた。

 長い髪を後ろで一つに結んでいる。普段長いスカートを着用する彼女が、今日は健康的なショートパンツを履いていた。服装の雰囲気の違いもあるだろうか、その横顔はあの頃とは違い、どこかやわらかな雰囲気が加わり大人っぽくなっているようにも思う。


 アクアテラの祭典、あの日は孤児院に来たばかりの頃の幼きアリシアのように、夕刻の斜陽の中佇んでいたことを思い出す。迷子の子供のような顔だった。

 再び彼女と交流が始まった、思い出のクレープを片手に近づいた。

 

「アリシア」

 あの日と違うのは、泣きそうな顔で俺を見上げるのではなく、惚れ惚れするような笑みで。

「一瞬誰か分からなかった」


「似合ってませんか?」

「いや。すごく似合ってる。クレープ、一緒に食べないか?」

「是非っ」


 きっとネイ達か誰かがこの状況を作ってくれているのだろう。

 それはアリシアも了承済み。今日は彼女と一日を楽しもうと決めた。

 いつも頑張っているアリシアが望むのなら。


「どこか行きたいところはあるか? 雑貨屋とか街を周るとか、そういえばシャルのショコラ・アムールもますます人気らしい。かなり並ぶことになると思うが」


 アリシアは首を横に振った。一つに結んだ長い髪が揺れる。


「エルさんが良ければ……空、一緒に飛びたいです」

「懐かしいな、もちろんだよ」


 今日の彼女の恰好は納得のいくモノだった。


……。


 晴れ渡る秋空を、高く高く上昇していく。

 箒の上。相変わらず遠慮がちではあるが、初めての時と比べ、アリシアはしっかりと掴まってくれていた。

 間近に接近してきた鳥の群れが、楽しそうに鳴いている。

 直下には水の都市アクアテラの街並みが広がっていた。

 都市を支える、透き通るような青の水が、風の動きで波立ち、日の光を反射する輝きを移ろいながら、その都度見せる表情を変えている。

 円形に広がる都市、その外周を覆う肥沃な大地の稲穂が、金色を彩っていた。

 全て、聖女の恩恵と言っても過言ではない。


 歴代の聖女の献身と、現役のアリシアの献身。

 彼女たちの頑張りを……平和なアクアテラの街並みを見て回る。

 感謝の言葉が喉元まで出ては引っ込んでしまう。

 どう伝えたらいいのだろうか。万の言葉も薄っぺらく感じてしまう。

 気の利いた言葉が出てこない。 

 風の心地よさと彼女のあたたかさを感じる。

 

 アリシアが時計台を指さした。

 そこに着陸する。


「きれいでしたね」

「あぁ」


 秋風を堪能するように、時計台の端に立ちアリシアが目を閉じた。

 彼女の髪を揺らす風が甘い匂いを運んでくる。

 アリシアは時計台と同じくらい高い、聖女の塔を見つめていた。


「都市を一望できる高い所が前まで嫌いでした。いつもアクアテラはきれいなので」


 そう言ってこちらを見て、恥じ入るように笑った。恥じる必要はない。塔の中に隔離され、青春を奪われ続けた彼女だ。嫌いになるのは当然のこと。


「でも今はね、都市を見渡せる高い所が好きになったよ。いつもきれいでいてくれるから。守りたいなって思ったの」


 感謝を感じているのに、それにふさわしい言葉が出てこない。

 少し強い風が吹いた。アリシアが揺れる髪を抑える。

 彼女の手を取った。


「危ないよ、アリシア」

「ここより安全な場所はないです。落ちてもエルさんが助けてくれるので」

「あまり期待しないでくれ」


 アリシアがいたずらを思いついたようにバランスを崩した。

 外に落ちてしまわないように強く引き寄せる。

 顔が近かった。体温を感じた。柔らかさを感じた。

 それも当然で。

 唇と唇が当たっていたから。


「ほらね。安全でしょ」


 アリシアはすぐに離れた。その頬はほんのりと赤かった。

 謝ろうと思った。けれどそれは言ってはいけない言葉に思った。

 彼女が嫌がっているようには思えなかったから。


「今日、都市を見渡せる高い所が、一番大好きになったよ。エルさんっ」


 言葉の代わりに一つの花を渡した。

 これ以上の正しい返答を思いつかなかったから。


……。


 アクアテラの一番中央、そこに聖女の塔が建っている。

 それは平和の象徴。当たり前すぎて、民が意識できないくらいに、長いこと、長いこと、平和を維持してきた。

 街を一望できるその場所から、歴代の聖女が、民を見守っていた。

 ある者は富を、ある者は名誉を、ある者は献身を、ある者は愛を。

 ある時は憎しみを、ある時は嫉妬を、ある時は憧れを、ある時は愛を。

 誰かの為に、自分の為に、家族の為に、愛する人の為に。


 万感の思い渦巻く塔の聖女の部屋。

 一番きれいな場所に、一輪の花が飾られている。

 その花を一人の少女がやさしく触れた。


「今日も頑張ってくるね、エルさん」


 軽やかな足取りで、結界構築の役目に向かう。

 歩みに合わせ、聖女の服のすそが、ふわふわと跳ねるように広がっている。

 絶望に晒されながら、嫌々平和を守る女の子はそこにはいなかった。


 アクアテラの人々は知らない。

 皆の幸せを支え続ける聖女は、誰よりも普通の、恋する少女だということを。


 誰もいなくなった聖女の部屋。

 小さく開けられた塔の窓から、いたずらな秋の風が入り込んだ。

 その風が、テーブルに置かれた花の本のページをめくっていく。

 淡い赤色の花のページを開いた。


『フランネル』。

 花言葉は『いつも愛して』。


 それは子供の頃からのアリシアの本当の願いだった。

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