表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
106/117

第106話 かき氷⑥

【クロエ】


 屋台でかき氷を売る。

 丁寧に作れば作るほど、お客さんが笑みを浮かべてくれる。

 不思議だ。一日中立ち仕事で足は痛いのに、ありがとうの一言で疲れが吹き飛ぶ。

 こんなに働くことが楽しいなんて、クロエは知らなかった。

 仕事だけではない。

 ハンバーグ、オムライス、カレー……。

 エルの作るまかないや、オルヴィの作るラーメンは涙が出るほどに幸せだった。


 その感情は食べている時だけではない。

 包丁で具材を切るリズミカルな音、ぐつぐつと煮え立つ汁の音……それを目を閉じて聴くのが心地いいのだと気づいた。


 理由はわからない。

 知らない感情が沢山溢れてくる。

 でも確かなことが一つあった。


 料理を作ってくれる、その横顔に憧れた。

 どうしてこんなにも、彼らの姿に魅せられてしまうのだろうか。

 クロエはバレない様にじっと見つめていた。

 

……。


 廃屋に戻って、皆でいつものように毛布に包まる。

 今までと違うのは料理の話ばかりしてしまうこと。


「クロ姉、何であんなにかき氷、ふわふわになるのかな?」

「わかんないよ」

「クロ姉でも分かんないことあるんだね」

「ボクもびっくりしてる。分かんないことばかりだもん」


 冷たく、硬い氷の塊。

 糖を混ぜて凍らせるだけで、削っていくと、うつくしくふわふわな白い粉雪になる。果物を煮詰めた甘いシロップを掛ければ、色鮮やかにその姿を変えてゆく。

 純白のお菓子は、選んだ相手によって魅力を変える。

 夢に見てしまうくらいに、きれいなの。


 クロネは皆んながニヤニヤしていることに気づいた。


「なに?」

「エルおじさんが家族だったらなって」

「……うん」

「そしたら毎日美味しい物でお腹いっぱい!」

「テオ、そればっかり」


 顔を見合わせて、皆笑った。


「クロ姉、明日何しよう……エルおじさんが休んでくれって言ってたけど、もっと働きたかったな」

 テオの言葉にバルが提案する。

「献上金も足りそうだし、エルさんに何かプレゼント買わない?」


「……それいい!」

 名案にクロネが起き上がった。

 皆の驚く視線が集まり、彼女の顔が真っ赤になる。

「も、もらってばかりだと、怖いし。タダより怖いことはないし。プレゼント渡した方がいいかなって」

「クロ姉は素直じゃないなー」


 クロエがバルをこらしめると皆笑った。

 

 何がいいだろうか。

 贈り物を皆で考えるのは楽しかった。

 クロエも懸命に懸命に考えていた。

 高い物は買えないけど、少しでも喜んでほしかったから。

 

 油断していた。

 クロエが気づいたのは、テオがおびえた顔をした時だった。


「おい」

「……ぁ」


 短い夢だった。

 あたたかさが急速に奪われていく。

 一度道を踏み外した人間は、真っ当には戻れない。

 現実はいつだって、冷たいのだと忘れていた。


……。


 コイツらには敵わない。

 エルに向かってやったように奇襲をしたことがあった。

 神経質な見た目のイかれた鬼畜男、シタギは厄介ではない。問題はもう一人。

 未来を読むとされる男、カイ。


 この男には勝てない。

 身に染みてわかっていた。


「かき氷の作り方、知らない」


 先手を打つ。きっとそれが目当てだから。


「見え透いた嘘だなぁっ!」

「ぐっ」


 シタギに二度、三度と腹を蹴られた。いつもはボクを嬲って終わりだ。

 目を閉じて我慢するだけで良かったはずだった。

 シタギがテオ達の方に向かうのが分かった。

 カイに髪を掴まれ顔を起こされる。

 視線の先で皆が泣いていた。テオが腹を抑えて、くの字に身体を丸めている。


 氷弾を出そうと、シタギに手を向けようとして――。


「あぐぅっ」

 

 手が踏み抜かれた。


「……っ」

「わりぃな。俺はガキを(なぶ)るのは趣味じゃないんだが。旦那がよ。かき氷ってやつに惚れこんじまったみてぇでな。それに、個人的な恨みもあるみたいなんだ。だからよ――」

 

 今日はいつもと違った。骨が折れる音が響く。

 バルの指が曲がってはいけない方向を向いている。チコはその近くで震えていた。

 いつもは諫める側のカイも本気の目をしていた。

 

「諦めろ。強い奴に尻尾を振って生きるのが長生きのコツだ。ちゃんと働きゃ悪いようにはしねぇよ。ほんの少しは守ってやるからよ」


 間近で見るカイの黒い瞳は濁っていて、底が知れなかった。


「今更、裏切りの一つや二つ朝飯前だろ。賢いクロエちゃん」


 クロエは小さく頷いた。

 エルやオルヴィの横顔に憧れた理由を分かってしまった。

 生きる世界が違うから。

 ただ、人として、まっすぐに生きている人達だから。


……。


 それから、口の端が歪んだ知らない女性とかき氷を売る日々が始まった。

 夏の暑い日差しの中、馬車馬のように働かされる。


 最初は糖と水を混ぜ、ゆっくりと固めた氷を使った、エルに教わった方法でかき氷を売っていた。

 美味しい物をお客様にという感情はなかった。それでも売れていく。

 本当に飛ぶように売れていった。

 でも、あんなにうれしかった、お客様のありがとうという言葉が、胸を刺すみたいだ。


 一緒に働く女性がある日、手を抜き始めた。


「糖が勿体ないわね。ただの水をつかいなさいな。味も変わんないし。こっちの方が美味しいし早く作れるじゃない」


 馬鹿にするような言い方だった。

 シロップは野いちごなどで適当に着色した物。見栄えだけで良い、丁寧に煮詰める必要はない。低予算なだけではない、手間暇すら惜しんだ粗悪品。

 恥知らずの恩知らず。

 教えてもらった料理を汚す行為だった。


「クロエ、かき氷を二つ」


 店に来たのは、エルとリッタだった。

 驚きすぎて固まってしまう。我に返ってからは逃げようとした。


 でも、監視の目があった。

 女性と目が合う。逃げたらチコ達がどんな目に合うかわからない。


「来なくなったから心配した。元気にやっているか?」


 エル達と目線を合わせないように、教わった通りの氷を使おうと冷蔵ボックスを探すが、ただの氷しか入っていなかった。

 そこからは覚えていない。多分何とか作って提供したと思う。


 人形になれたらどれだけ楽か。

 俯いてかき氷をただ作るだけ。

 裏切るのは慣れている。住む世界が違ったんだ。

 そう言い聞かせ、淡々と仕事を続けていた。


「ご注文は?」


 列に並んでいた、凄腕の冒険者のような恰好の青年は、注文の代わりに聞きたくない名前を告げた。

 

「エルのおっさんはどこだ?」

「っ」

「ん? 関係ないのか? じゃあデュークのおっさんは?」

「知り、ません」

「この菓子、エルのおっさんだと思ったんだけどな。こんな珍しい菓子作る奴なんざ、なかなか――」

「どこに行ったかと思ったらっ! 何勝手に買い食いしようとしてんのよ! 早くデュークを探しに行くわよノワール!」


 魔法使いの恰好をした女性が、青年の首根っこを掴んで引きずっていく。


「いやだってよグリム見てくれよあの菓子、これかき氷って奴じゃなかったっけ? 前にエルのおじさんが作ってくれた――」

「あぁもういやっ! そのやり取り何回目よっ⁉ サフィアはサフィアでルビー連れて買い食いしまくって迷子になるし! 何なのこのアクアテラってっ! まるで街全体がアイツラの痕跡だらけじゃないっ⁉ デブは全然帰ってこないしっ!」


 そう言ってどこかに行ってしまった。

 

 エルさんには知り合いが多い。

 あんな物語の主人公のようなキラキラした人まで……。

 ボクは彼の人生の隅の隅の、小悪党。

 自分の薄汚さが辛くなって、その日カイに逆らった。当然のように腹を蹴られ、今日は顔まで殴られた。辛くはなかった。エルさんの好意を(あだ)で返した報いだと思うと救われたから。


……。


 その日も人形のようにかき氷を売っていた。

 監視をしていた女性はさぼっていて、今は誰もいなかった。

 悪い評判は広まる。

 数日だというのに、ずいぶんと客足も遠のいていた。

 当然だ。この街には、おいしい料理が多いから。

 それでいいと思った。それがいいと思った。

 下を向いて接客する。


「ご注文は?」

「誰にやられた?」

「……え?」


 安心を絵に描いたような声が底冷えしていて、驚いて顔を上げた。

 声の主に気付いて、慌てて顔を隠す。


 でもエルさんはそれを許さなかった。

 ぐいっとあごを掴まれ顔を向かい合う形になる。

 目を必死にそらす。


「いたっ」

 顔の青あざを少し押され、うめいてしまう。

「誰に殴られた?」

 

 仏頂面だが、怒ったところを見たことがない。

 でも、今日は明らかに怒っていた。

 この人は誰かのために怒る人だと気付いた。

 そして今、ボクの顔のあざを見て怒ってくれている。

 それが嬉しかった。

 だからこそ、巻き込みたくないとも思った。


「転んだだけ。離してください」

「クロエ、本当のことを言ってくれ」

「離してよっ!」


 差し伸べられた手を振り払った。

 この人を巻き込んではいけない。彼らは強い。助けてもらえるかもしれない。でも、料理屋は客商売だ。怨みを買えばどうなるかはわからない。

 憧れた料理を作る姿がボク達のせいで、けがれるのは耐えられない。


「いい加減迷惑です。親のような顔でかき氷の味確認しにくるのも。気付いているんでしょ? この粗悪品の味に」

「……料理に正解はない。誰のために作るか、誰に食べてもらいたいかだ」


「っ!」

 顔が熱くなるのを感じた。別にこのかき氷はボクの本気じゃない。作りたくて作っているわけじゃない。本当はもっと美しい。ボクだってわかってる。怒りが湧いた。

「あんたを騙したんだよっ! まだ気づいてないのっ。どれだけお人好しなのっ。金を盗んだのも一度や二度じゃない。何度も何度もあんたから盗んだ! かき氷だって――」

 

 その後は何を言っているのか、何を怒っているのかもわからなかった。

 ただ必死に、罵倒していた。

 ボクの知っている大人は、自分の都合で人を殴る人ばかりだ。

 ただじっとボクの声を聞くだけだった。


「何でっ! 何で分かってくれないのっ!」


 頭に触れようとする彼の手を振り払った。


「ボクはあんたに何も頼んでない! ハンバーグなんて嫌い。ラーメンだってオムライスだって。アイスだって。全部全部大嫌い。食べたくなんてなかったっ。あたたかい場所も嫌い。お客さんの笑顔だっておいしそうに食べる顔も、たのしそうなみんなの顔も全部全部っ……ぅっ、全部っ……」

「クロエ」

「こんなにっ辛い思いをするのなら知りたくなんてなかった! あんたなんかに出会いたくなんてなかったっ!」


 彼の作るうつくしいかき氷を、記憶から消したいのに消えてくれない。

 夏の暑さで溶けてしまうくらいに繊細なのに。

 残らない不確かな物は何一つ価値なんてないと思っていたのに。

 だけど。

 彼の作ってくれたかき氷が、(まぶた)の裏に焼き付いて離れない。


「かき氷なんて……いらないっ! 全部っ消えてなくなればいい!」

「あんたも――」


 抱きしめられた。

 ボクをやさしく抱きしてくれる人がいるなんて、嘘だ。

 これは全部、嘘なんだ。

 油断したボクをどん底に突き落とす、嘘。


 世界は意地悪だから。


「ごめんな」


 やさしい声だった。


「幼馴染に魚の釣り方を教えろって言われたんだ。与えるだけじゃ、気づかない振りをしているだけじゃ、許すだけじゃ……君たちがいつかひどい目にあうからって。だから金の稼ぎ方を教えた。俺の元で働かなくても、君たちが無事に育ってくれればそれでよかった。そう思った。……でも、俺はやっぱり、君たちに魚をあげたいんだ」


 裏切られてもなお、ボクらを救おうとしていた。

 こんな幸運があってもいいのだろうか。

 論理的に考えよう。希望を砕かれるのは辛いから。

 だってそうだよ。ボクを救ったって何もないじゃないか。

 金もない。一緒にいて楽しくもない。かわいくもない。綺麗じゃない。身体だけじゃない。心も汚い。

 悪いことを沢山してきたから、許される道理なんて、何一つないのに。

 どれだけ考えても、このやさしさを信じられる理由が浮かばない。

 

 でもこの人なら。

 ボクらを救ってくれる理由を持っているかもしれない。


 この人を、信じることができる、理由を。

 彼の胸に(すが)りつく。

 何でもするから。沢山頑張るから。お仕事も、どんなにつらいことも頑張るから。

 真っ当に頑張るから。

 だからどうか、教えてください。


「何で、エルさんは」

「君はまだ子供だから」

「……ぇ?」

「すまない。俺が間違えていた。かき氷の作り方なんて全部忘れてくれ」


 抱きしめてくれていた彼が離れてしまう。


 代わりに大きな手がボクの頭を撫でた。

 頭に触れられて怖くないのは初めてだった。

 叩かれた記憶しかないから。


 彼が背を向ける。

 涙で視界がぼやけていた。

 でも、はっきりと見えたの。


「俺はクロエに、大人への頼り方を教えるべきだった」


 人を信じる勇気を抱かせるほど、大きな……大きな、背中だったから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ