第106話 かき氷⑥
【クロエ】
屋台でかき氷を売る。
丁寧に作れば作るほど、お客さんが笑みを浮かべてくれる。
不思議だ。一日中立ち仕事で足は痛いのに、ありがとうの一言で疲れが吹き飛ぶ。
こんなに働くことが楽しいなんて、クロエは知らなかった。
仕事だけではない。
ハンバーグ、オムライス、カレー……。
エルの作るまかないや、オルヴィの作るラーメンは涙が出るほどに幸せだった。
その感情は食べている時だけではない。
包丁で具材を切るリズミカルな音、ぐつぐつと煮え立つ汁の音……それを目を閉じて聴くのが心地いいのだと気づいた。
理由はわからない。
知らない感情が沢山溢れてくる。
でも確かなことが一つあった。
料理を作ってくれる、その横顔に憧れた。
どうしてこんなにも、彼らの姿に魅せられてしまうのだろうか。
クロエはバレない様にじっと見つめていた。
……。
廃屋に戻って、皆でいつものように毛布に包まる。
今までと違うのは料理の話ばかりしてしまうこと。
「クロ姉、何であんなにかき氷、ふわふわになるのかな?」
「わかんないよ」
「クロ姉でも分かんないことあるんだね」
「ボクもびっくりしてる。分かんないことばかりだもん」
冷たく、硬い氷の塊。
糖を混ぜて凍らせるだけで、削っていくと、うつくしくふわふわな白い粉雪になる。果物を煮詰めた甘いシロップを掛ければ、色鮮やかにその姿を変えてゆく。
純白のお菓子は、選んだ相手によって魅力を変える。
夢に見てしまうくらいに、きれいなの。
クロネは皆んながニヤニヤしていることに気づいた。
「なに?」
「エルおじさんが家族だったらなって」
「……うん」
「そしたら毎日美味しい物でお腹いっぱい!」
「テオ、そればっかり」
顔を見合わせて、皆笑った。
「クロ姉、明日何しよう……エルおじさんが休んでくれって言ってたけど、もっと働きたかったな」
テオの言葉にバルが提案する。
「献上金も足りそうだし、エルさんに何かプレゼント買わない?」
「……それいい!」
名案にクロネが起き上がった。
皆の驚く視線が集まり、彼女の顔が真っ赤になる。
「も、もらってばかりだと、怖いし。タダより怖いことはないし。プレゼント渡した方がいいかなって」
「クロ姉は素直じゃないなー」
クロエがバルをこらしめると皆笑った。
何がいいだろうか。
贈り物を皆で考えるのは楽しかった。
クロエも懸命に懸命に考えていた。
高い物は買えないけど、少しでも喜んでほしかったから。
油断していた。
クロエが気づいたのは、テオがおびえた顔をした時だった。
「おい」
「……ぁ」
短い夢だった。
あたたかさが急速に奪われていく。
一度道を踏み外した人間は、真っ当には戻れない。
現実はいつだって、冷たいのだと忘れていた。
……。
コイツらには敵わない。
エルに向かってやったように奇襲をしたことがあった。
神経質な見た目のイかれた鬼畜男、シタギは厄介ではない。問題はもう一人。
未来を読むとされる男、カイ。
この男には勝てない。
身に染みてわかっていた。
「かき氷の作り方、知らない」
先手を打つ。きっとそれが目当てだから。
「見え透いた嘘だなぁっ!」
「ぐっ」
シタギに二度、三度と腹を蹴られた。いつもはボクを嬲って終わりだ。
目を閉じて我慢するだけで良かったはずだった。
シタギがテオ達の方に向かうのが分かった。
カイに髪を掴まれ顔を起こされる。
視線の先で皆が泣いていた。テオが腹を抑えて、くの字に身体を丸めている。
氷弾を出そうと、シタギに手を向けようとして――。
「あぐぅっ」
手が踏み抜かれた。
「……っ」
「わりぃな。俺はガキを嬲るのは趣味じゃないんだが。旦那がよ。かき氷ってやつに惚れこんじまったみてぇでな。それに、個人的な恨みもあるみたいなんだ。だからよ――」
今日はいつもと違った。骨が折れる音が響く。
バルの指が曲がってはいけない方向を向いている。チコはその近くで震えていた。
いつもは諫める側のカイも本気の目をしていた。
「諦めろ。強い奴に尻尾を振って生きるのが長生きのコツだ。ちゃんと働きゃ悪いようにはしねぇよ。ほんの少しは守ってやるからよ」
間近で見るカイの黒い瞳は濁っていて、底が知れなかった。
「今更、裏切りの一つや二つ朝飯前だろ。賢いクロエちゃん」
クロエは小さく頷いた。
エルやオルヴィの横顔に憧れた理由を分かってしまった。
生きる世界が違うから。
ただ、人として、まっすぐに生きている人達だから。
……。
それから、口の端が歪んだ知らない女性とかき氷を売る日々が始まった。
夏の暑い日差しの中、馬車馬のように働かされる。
最初は糖と水を混ぜ、ゆっくりと固めた氷を使った、エルに教わった方法でかき氷を売っていた。
美味しい物をお客様にという感情はなかった。それでも売れていく。
本当に飛ぶように売れていった。
でも、あんなにうれしかった、お客様のありがとうという言葉が、胸を刺すみたいだ。
一緒に働く女性がある日、手を抜き始めた。
「糖が勿体ないわね。ただの水をつかいなさいな。味も変わんないし。こっちの方が美味しいし早く作れるじゃない」
馬鹿にするような言い方だった。
シロップは野いちごなどで適当に着色した物。見栄えだけで良い、丁寧に煮詰める必要はない。低予算なだけではない、手間暇すら惜しんだ粗悪品。
恥知らずの恩知らず。
教えてもらった料理を汚す行為だった。
「クロエ、かき氷を二つ」
店に来たのは、エルとリッタだった。
驚きすぎて固まってしまう。我に返ってからは逃げようとした。
でも、監視の目があった。
女性と目が合う。逃げたらチコ達がどんな目に合うかわからない。
「来なくなったから心配した。元気にやっているか?」
エル達と目線を合わせないように、教わった通りの氷を使おうと冷蔵ボックスを探すが、ただの氷しか入っていなかった。
そこからは覚えていない。多分何とか作って提供したと思う。
人形になれたらどれだけ楽か。
俯いてかき氷をただ作るだけ。
裏切るのは慣れている。住む世界が違ったんだ。
そう言い聞かせ、淡々と仕事を続けていた。
「ご注文は?」
列に並んでいた、凄腕の冒険者のような恰好の青年は、注文の代わりに聞きたくない名前を告げた。
「エルのおっさんはどこだ?」
「っ」
「ん? 関係ないのか? じゃあデュークのおっさんは?」
「知り、ません」
「この菓子、エルのおっさんだと思ったんだけどな。こんな珍しい菓子作る奴なんざ、なかなか――」
「どこに行ったかと思ったらっ! 何勝手に買い食いしようとしてんのよ! 早くデュークを探しに行くわよノワール!」
魔法使いの恰好をした女性が、青年の首根っこを掴んで引きずっていく。
「いやだってよグリム見てくれよあの菓子、これかき氷って奴じゃなかったっけ? 前にエルのおじさんが作ってくれた――」
「あぁもういやっ! そのやり取り何回目よっ⁉ サフィアはサフィアでルビー連れて買い食いしまくって迷子になるし! 何なのこのアクアテラってっ! まるで街全体がアイツラの痕跡だらけじゃないっ⁉ デブは全然帰ってこないしっ!」
そう言ってどこかに行ってしまった。
エルさんには知り合いが多い。
あんな物語の主人公のようなキラキラした人まで……。
ボクは彼の人生の隅の隅の、小悪党。
自分の薄汚さが辛くなって、その日カイに逆らった。当然のように腹を蹴られ、今日は顔まで殴られた。辛くはなかった。エルさんの好意を仇で返した報いだと思うと救われたから。
……。
その日も人形のようにかき氷を売っていた。
監視をしていた女性はさぼっていて、今は誰もいなかった。
悪い評判は広まる。
数日だというのに、ずいぶんと客足も遠のいていた。
当然だ。この街には、おいしい料理が多いから。
それでいいと思った。それがいいと思った。
下を向いて接客する。
「ご注文は?」
「誰にやられた?」
「……え?」
安心を絵に描いたような声が底冷えしていて、驚いて顔を上げた。
声の主に気付いて、慌てて顔を隠す。
でもエルさんはそれを許さなかった。
ぐいっとあごを掴まれ顔を向かい合う形になる。
目を必死にそらす。
「いたっ」
顔の青あざを少し押され、うめいてしまう。
「誰に殴られた?」
仏頂面だが、怒ったところを見たことがない。
でも、今日は明らかに怒っていた。
この人は誰かのために怒る人だと気付いた。
そして今、ボクの顔のあざを見て怒ってくれている。
それが嬉しかった。
だからこそ、巻き込みたくないとも思った。
「転んだだけ。離してください」
「クロエ、本当のことを言ってくれ」
「離してよっ!」
差し伸べられた手を振り払った。
この人を巻き込んではいけない。彼らは強い。助けてもらえるかもしれない。でも、料理屋は客商売だ。怨みを買えばどうなるかはわからない。
憧れた料理を作る姿がボク達のせいで、穢れるのは耐えられない。
「いい加減迷惑です。親のような顔でかき氷の味確認しにくるのも。気付いているんでしょ? この粗悪品の味に」
「……料理に正解はない。誰のために作るか、誰に食べてもらいたいかだ」
「っ!」
顔が熱くなるのを感じた。別にこのかき氷はボクの本気じゃない。作りたくて作っているわけじゃない。本当はもっと美しい。ボクだってわかってる。怒りが湧いた。
「あんたを騙したんだよっ! まだ気づいてないのっ。どれだけお人好しなのっ。金を盗んだのも一度や二度じゃない。何度も何度もあんたから盗んだ! かき氷だって――」
その後は何を言っているのか、何を怒っているのかもわからなかった。
ただ必死に、罵倒していた。
ボクの知っている大人は、自分の都合で人を殴る人ばかりだ。
ただじっとボクの声を聞くだけだった。
「何でっ! 何で分かってくれないのっ!」
頭に触れようとする彼の手を振り払った。
「ボクはあんたに何も頼んでない! ハンバーグなんて嫌い。ラーメンだってオムライスだって。アイスだって。全部全部大嫌い。食べたくなんてなかったっ。あたたかい場所も嫌い。お客さんの笑顔だっておいしそうに食べる顔も、たのしそうなみんなの顔も全部全部っ……ぅっ、全部っ……」
「クロエ」
「こんなにっ辛い思いをするのなら知りたくなんてなかった! あんたなんかに出会いたくなんてなかったっ!」
彼の作るうつくしいかき氷を、記憶から消したいのに消えてくれない。
夏の暑さで溶けてしまうくらいに繊細なのに。
残らない不確かな物は何一つ価値なんてないと思っていたのに。
だけど。
彼の作ってくれたかき氷が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
「かき氷なんて……いらないっ! 全部っ消えてなくなればいい!」
「あんたも――」
抱きしめられた。
ボクをやさしく抱きしてくれる人がいるなんて、嘘だ。
これは全部、嘘なんだ。
油断したボクをどん底に突き落とす、嘘。
世界は意地悪だから。
「ごめんな」
やさしい声だった。
「幼馴染に魚の釣り方を教えろって言われたんだ。与えるだけじゃ、気づかない振りをしているだけじゃ、許すだけじゃ……君たちがいつかひどい目にあうからって。だから金の稼ぎ方を教えた。俺の元で働かなくても、君たちが無事に育ってくれればそれでよかった。そう思った。……でも、俺はやっぱり、君たちに魚をあげたいんだ」
裏切られてもなお、ボクらを救おうとしていた。
こんな幸運があってもいいのだろうか。
論理的に考えよう。希望を砕かれるのは辛いから。
だってそうだよ。ボクを救ったって何もないじゃないか。
金もない。一緒にいて楽しくもない。かわいくもない。綺麗じゃない。身体だけじゃない。心も汚い。
悪いことを沢山してきたから、許される道理なんて、何一つないのに。
どれだけ考えても、このやさしさを信じられる理由が浮かばない。
でもこの人なら。
ボクらを救ってくれる理由を持っているかもしれない。
この人を、信じることができる、理由を。
彼の胸に縋りつく。
何でもするから。沢山頑張るから。お仕事も、どんなにつらいことも頑張るから。
真っ当に頑張るから。
だからどうか、教えてください。
「何で、エルさんは」
「君はまだ子供だから」
「……ぇ?」
「すまない。俺が間違えていた。かき氷の作り方なんて全部忘れてくれ」
抱きしめてくれていた彼が離れてしまう。
代わりに大きな手がボクの頭を撫でた。
頭に触れられて怖くないのは初めてだった。
叩かれた記憶しかないから。
彼が背を向ける。
涙で視界がぼやけていた。
でも、はっきりと見えたの。
「俺はクロエに、大人への頼り方を教えるべきだった」
人を信じる勇気を抱かせるほど、大きな……大きな、背中だったから。




