第101話 かき氷①
アクアテラは肥沃な大地であり聖女の恩恵のある類稀な土地だ。
とはいえ、全ての者がその恩恵を受ける訳ではない。
富なる者がいれば貧なる者もいる。
初夏の観光地の大通り。
親の手をぶんぶんと上下に振り、わがままを言う子供がいた。
「アイス食べたいアイス食べたいアイス食べたいっ!」
「……仕方がないな。その代わり、母さんの手伝い頑張ること」
「やったっ! ありがとう、お父さん! あのねあのね。アイスってね、冷たいんだけど、口の中で溶けてね、とっても甘いんだよっ! 一番好きなのっ!」
「前みたいに溶けて落ちて泣かないようにな」
「すぐ食べるっ」
水の都、アクアテラ。
美しい水源にかかった、小さな橋を、親子が手をつないで仲良く歩いていく。
絵に描いたような、親と子。理想の家族。
その親子を、深く被った帽子の合間から、じっと眺めている少女がいる。
名をクロエという。
血のつながりという意味では、家族はいなかった。
「馬鹿みたい。すぐ食べないと溶けちゃうものなんて、何の価値もないのに」
彼女の目の前には、きらびやかな風景が広がっていた。
歓声、歌に踊り、恋に愛、食に音楽。
日の光の下、真っ当な人々が、幸せを体現しているように思えて、クロエは知らず知らず下唇を噛みしめていた。
この日、アクアテラでは突発的な祭りが開催されていた。肉の祭りと題し、老若男女が笑顔を浮かべている。
風の噂では、凄腕が周囲の魔物を狩りつくしたらしい。
勇者パーティーの一員がいたとか、王都アルカディアの騎士や大聖女がいたとか。
アクアテラの周囲には、この機に乗じて、とある竜が簡易結界を随所に配置しているという噂もある。事実、一時的だが聖女の結界がいらないくらいに、平和が訪れているという報告が都市を駆け巡っていた。
お祭り騒ぎになるのも無理はない。
肉祭りと称されるのは、魔物の肉が大量に運び込まれ、それは冷凍保管するスペースがないほどで、ギルドが納税を行っている民へ配布したから。
元々陽気な民が多い街だ。
肉を楽しむために、全力を尽くしているように思えた。
路地裏まで肉の良い匂いが漂ってくるほどに。
「ボク達には関係ないけど」
いつだってそうだ。恩恵があるのは真っ当な民だけだから。
都市が歓喜で彩れば彩るほど、対照的に、クロエに暗い影を落としていく。
今日の祭りは突発的なもので、観光客は少ない。
地元民に向けたお祭りだから。
普段観光客を相手に金を稼いでいるクロエには、実入りがない祭り。
「仕事もはかどらないや。お腹が減るし、帰ろう」
クロエは路地の裏へと消えていった。
路地の奥、更に奥の一角の空き家。
遠目には身なりこそ普通に見えるが、よく見れば薄汚れた子供たちが集まっていた。
クロエ、テオ、バル、チコ。彼らは四人の孤児のグループで行動していた。
最年少はチコという少女で5歳、クロエは12歳にして、子供たちの最年長だった。
古びたベットの上で、テオという男の子が転がりながら言った。
「クロ姉~今月のお金、後どのくらい稼げばいいのぉ~」
「いい加減、自分で数えてよ。ボクがいなくなったらどうするの? テオ」
「両手で足りない数は無理だよぉ」
「もう、仕方ないなぁ」
帽子を取って笑みを浮かべた。隠していた長い髪が背にかかる。
テオの隣に座って、銅貨と銀貨を数えていく。数え方も教えながら。
クロエは仲間を家族と呼んでいた。
「数えるだけじゃだめだよ。必要な額と今あるお金の差額も考えなきゃ」
「分かんない〜」
「こら。諦めないの」
普段は観光客相手に道案内を行ったり、靴を磨いたり、やさしい観光客を見極め乞食をして金銭を得ていた。
足りなければ、人の善意を逆手に取った、ぼったくりの商品を売りつける。
それでも足りなければ、連携してスリを行う。
こうして何とか、半グレ達への献金を賄っていた。
子供たちだけで生きていくには、後ろ盾が必要だから。
悪い大人と分かっていても縋るしかない。
チコの相手をしながら、話を聞いていたバルが言った。
「クロ姉、今月、足りないってこと?」
「大丈夫……多分。ううん、ギリギリ、観光客相手にちゃんと働くだけで、大丈夫だから」
「本当⁉」
皆、目を輝かせた。
良い子たちばかりだ。本当は悪いことなんてしたくはなかったから。
……。
ベットに身を寄せ合って寝ていた。
「「お肉〜お肉〜ラーメン〜ハンバーグ〜に〜オムライス〜」」
「おなかすくからやめて、テオ。チコも真似してるし」
「え~夢の中でくらい美味しいもん、めいっぱい食べたい」
クロエはふと思ってしまった。
「唄うと夢の中で食べられるの?」
「うん〜昨日食べられたよ〜」
それなら唄う価値がある気がした。
夢の中でくらい、贅沢したいから。
クロエが控えめに聞く。
「ところでさ。ラーメンとかハンバーグとかオムライスって何?」
「わかんないっ! おとなたちが、おいしいって言ってたの!」
チコの返事に皆が笑っていた時のことだ。
鈴の音が響いた。
皆の身体が硬直する。
「奴らが来た。チコ隠れて」
「?」
「バルっ、時間ない。チコを連れて行って。ボクとテオで相手をするから」
「わかった」
二人の男が慣れ親しんだ足取りで現れる。
中肉中背の男が言った。
「なんだ二人か? 他のガキはどうした?」
痩せた男は、そのまま迷うことなく、怯えるテオの前に向かって歩いていく。
狡猾な獣は必ず怯える獲物を狙ってくる。
それが最も確実でリスクなく、最大の効果があるから。
帽子を深く被ったクロエが、その進行を遮るように立った。
「どけよ」
「お金、納めるの今日じゃないですよね?」
痩せた男が必要以上に距離を詰めた。
顔と顔。息が掛かるほどの眼前。
痩せた頬。細い体躯。
動きから神経質なのが見てとれる。
落ち窪んだ眼底から覗く瞳はギョロギョロと蠢いている。
そして無言。
怯えないことを確認して言った。
「ま、そうだな。稼ぎは足りるのか?」
「足りるから。だから帰って……下さい」
クロエは目をそらさなかった。
男が帽子の上から手を乗せて、小さな頭を揺らす。
「そうかそうか。クロエは勤勉だな」
「……」
「まぁだが、今月は祭りがあったことだし当然だよな。稼ぎも多いだろ?」
嫌な予感がした。
「賢いクロエはわかっているよな? 祭りがあった月は銀貨30枚上乗せってな」
「そんなの無理に決まってる!」
手を掴まれて乱暴に床に転がされた。
その拍子に帽子が外れる。
「ッ」
そのまま後ろ手に捻り上げられた。
声は出さない。出したら負け。
初夏だというのに、地面は酷く冷たかった。
冷たいのは嫌いだ。孤独を感じるから。
「無理だぁっ⁉︎ 足りねぇなんて言わねぇよなぁっ⁉︎ あぁ⁉ まさか許されると思ってないだろぉなぁ!」
怖くない。怒鳴るのも、痛みを与えるのも、有利な関係を植え付けるだけの行為。
だから我慢する。時間が過ぎ去るのを待つ。
最後にはお金を払うことを約束すれば、許される。
彼らの目的はあくまでお金だから。
けど。
「あ? クロエ、お前……」
髪に触れられて、鳥肌が立った。
芯からぞっとするほどの冷たさ。
身体が震える。
「いくつになった?」
それがどういう意味か分かったから。
もう一人の男が言った。
「おい。ガキだぞ。それにこいつは賢い。まだ、勿体無い」
「……冗談冗談。クロエは賢いから銀貨30枚くらい追加で稼げるよな?」
「……っ」
顔を見なくても分かった。こいつらは笑ってる。
最後に男が耳元で言った。
「嫌なら死ぬ気で稼いで来い」
そう言って、男達は出て行った。
最近は難癖をつけて、額を増やすことが多くなった。
前までは徴収忘れもあったくらいに緩かったのだが。
半グレの元締めのシャイロック商会が、ヴァイオレット家とハインリッヒの躍進で追い込まれているからだろう、そうクロエは考えていた。
世の中はいつだって理不尽だ。
貴族のことなんて、ボク達に関係ないのに。
嫌でも実感する。
結局、力が全てだ。
力無き者は、強き者に従わなければならないのだから。
クロエは立ち上がってふらふらと歩く。
頭を抱えて震えるテオを抱きしめた。
「クロ姉、どうするの? オレ嫌だよ。クロ姉がどっか連れて行かれるの。それにクロ姉がいなくなったら、オレ達きっと……」
「大丈夫。お金を集めればいいだけだから」
「うん」
「またあの人の店から、お金を盗むよ」
「……」
「嫌?」
テオは小さく顔を縦に振った。
「前、オレとチコにクレープってお菓子をくれたんだ。すごく美味しくて。今までで一番美味しくて……」
テオが話ながら、ぽろぽろと涙をこぼした。
クロエもチョコというお菓子をもらったことがあった。
最初は毒が混じっていると思った。だから警戒して食べなかった。
捨てることができなかったのは、本心では、この人ならと思ったのかもしれない。
テオもバルもチコも、チョコをもらっていて、美味しかったと言った時は皆を叱った。食べてはいけないと。でもあまりに美味しいと繰り返し言うので、誘惑に負けて、クロエも食べてしまった。
衝動的な行動は後悔をするという経験則があったが、チョコを食べてよかった。あんなに幸せな気持ちになったのは初めてだったから。
あの人は生粋の善人。
裏どりのために噂も沢山仕入れた。
アクアテラで出店している人で、彼の善性を知らない人がいないくらいだと分かった。
善人からお金を盗みたくない。でも相手がやさしいからこそ、リスクなく盗むことができる。見つかっても許してくれる可能性があるから。
矛盾だ。
世の中の成否の可能性は意地悪にできている。
生き抜くために人のやさしさを利用しなければならない。
心が無かったらどれだけ幸せなことか。
泣きべそをかくテオの顔を両手で挟む。
「みゅっ⁉」
「テオは悪くない。全部ボクの命令だ」




