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極悪辺境伯の華麗なるメイド  作者: かしわしろ
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天界7

神殿の巨大な扉が、音もなく閉じた。


足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。外に満ちていた聖力とはまた質の異なる、もっと厳粛で、もっと静謐な気配。私の体にも聖族としての血が流れているからだろうか、この空気を肌で感じると、自然と背筋が伸びる。


「初めて神殿に入った。まあ、天界に来たのも初めてだけど。」

メアリーさんが、小さな声でそう呟いた。


私は聖族として生まれ、元四天王を務めていた。だから神殿の中に入ることは、特別に珍しいことでもなかった。ただ、普通の聖族は入ることができない場所であるのは事実だ。神殿に足を踏み入れることができるのは、神に直接仕える四天王と、神からの招きを受けた一部の存在だけ。メアリーさんにとっては、確かに珍しい場所だろう。


「見張りの兵もいないのですね。」

イザベラ様の言葉を聞き、周囲を見渡してみる。


確かに、兵の気配が全くない。

いつもであれば、神殿の入り口に門番が二人、そして内部にも神兵たちが要所要所に配置されているはずなのだ。それが今、影も形も見当たらない。四天王ロンドが神兵を全て外へ送り出したのだろうか。それとも――他に何か理由があるのだろうか。


神殿内部は、外観と同じく白亜の大理石で構成されていた。ただ、外の明るさとは違い、内部は薄暗い。高い天井からは細長い光の柱が何本も降り注ぎ、それ以外の空間は静かな陰影に包まれている。光の柱は天井の隙間から差し込む自然光ではない。聖力そのものが光となって、空間を貫いているのだ。


柱の表面には、外壁よりもさらに精緻な彫刻が施されていた。神話の物語、神と聖族の契約、そして世界の始まりを描いた連続した浮き彫り。一本の柱に一つの物語、というように、整然と並んでいる。


神殿の中央、入り口を抜けた先に、それはあった。


階段。


「これが、神殿の本体です。」

私は三人にそう告げた。


神殿に入った者が最初に目にするのは、この先の見えないほど長い階段だ。部屋などはほとんどない。この階段こそが、神殿のメインと言ってもいい。


「神殿は、神に出会うための場所。だからこの階段は、神に至る道そのものなのです。」

急峻ではない。むしろ緩やかに、一段一段が丁寧に作られている。しかしその数がとにかく多く、上を見上げても終わりが見えない。石段の中央には赤い絨毯のような帯が延び、聖力で織られたその文様が螺旋を描きながら上へと続いていた。


「行くぞ。」

ご主人様の言葉に続いて、私たちは階段を登り始めた。


---


しばらく登ると、メアリーさんが口を開いた。


「ご主人様、浮遊魔法を使っては?」

その提案は、もっともなものだった。この階段は本当に長い。飛行魔法を使えば、一瞬で最上階まで到達できるだろう。


「この階段は神聖なものだ。魔法を使ってはならん。」

「かしこまりました。」

メアリーさんは素直に頷いた。しかし、その表情には少し疲れが見える。メアリーさんは魔力密度が高すぎるために普段から浮いているような子だ。飛行魔法が呼吸と同じ感覚と聞いている。そんな彼女にとって、一歩ずつ歩くというのは、逆に体力を使うのかもしれない。


メアリーさんの言いたいことはよくわかる。しかしここは天界のしきたりに従っていただきたい。神殿は神に至るための場所。階段を一段一段踏みしめて進むこと自体に、意味がある。それは聖族の間でも古くから伝えられている教えだった。


「メアリーさん、私の聖法なら使用することができますが。」

私はそう提案した。

聖法であれば、この神聖な空間でも問題なく使用できる。疲れているメアリーさんに、少しでも楽をしてもらえるなら、と思っての申し出だった。


「いや、いい。自分で歩く。」

メアリーさんはそう答えて、ずんずんと歩き始めた。


短い歩幅で、小さな足を一段ずつ動かす。絨毯のような帯の上を、律儀に踏みしめていく。その意気込んでいる姿は、ちょっとかわいいと思ってしまう。普段は気だるげに浮いているメアリーさんが、こうして自分の足で歩いている姿は珍しい。彼女なりに、この場所への敬意を払っているのだろう。


階段を登りながら、ご主人様が前を向いたまま口を開いた。


「イリス、私は神はこのようなことをするとは思えんのだ。」

その問いかけに、私はすぐに答えを返した。


「えぇ、私も、そう思います。」

私は聖族としてこの天界に生まれ、成長し、四天王の一人にまで上り詰めた存在だ。その過程で何度も神にお目にかかったし、神の言葉を直接聞いたこともある。


私の知る神は、決して争いを好む方ではなかった。

聖魔大戦の時代を終わらせ、魔族との不可侵条約を結んだ時も、神は「もう血は流れない方がいい」と静かに仰っていた。その声には疲労と慈しみが同居していた。神とは、この世界の秩序を守るための存在であり、決して攻撃的な存在ではなかった。


――そう、私はずっと思っていた。

それなのに、なぜ。


下界にいるグルンレイドに、突然攻撃を仕掛けた。これは神が命じることではない。神は争いを好まない。例え四天王の一人が倒されたとしても、それを理由に人間界を攻撃するような方ではない。


「精神支配をされている可能性はあるか。」

ご主人様の問いに、私は首を横に振ろうとした。


「神に限ってそんなことは……。」

神とは天界のトップに君臨し、もちろんこの世界で最も力を持った存在でもある。精神支配などという芸当は、下位の存在が上位の存在に仕掛けられるものではない。神に精神支配を仕掛けられるとすれば、それは神と同等以上の存在でなければ不可能だ。そんなものが、この世界に存在するだろうか。


「まあ、会えばわかるか。」

「……そうですね。」

ご主人様の短い一言に、私は頷いた。


推測を重ねても答えは出ない。実際に会って、話を聞いて、その姿を見る。それが一番早い。


歩くこと数分。

やっと神殿の最上階へたどり着いた。


階段を登り切った先には、天井の高い円形の広間が広がっていた。

円周に沿って十二本の白亜の柱が立ち並び、その間隔には聖力の光が淡く漂っている。天井は半球状のドームで、中央に巨大な光の輪が浮かんでいた。輪は回転しているわけでも脈打っているわけでもないのに、生きているかのような強い聖力を発している。これは『世界の輪』と呼ばれる神殿の中核だ。天界そのものの秩序を象徴する存在である。


そしてその輪の真下、広間の最奥に――玉座があった。

白い大理石で作られた荘厳な玉座。背もたれには翼を広げた聖なる存在の浮き彫りが施され、左右の肘掛けには光の紋様が刻まれている。


その玉座に、一人の存在が座っていた。

白い髪、白い衣、そして頭上に浮かぶ巨大な光の輪。その光の輪は、他の聖族のそれとは比較にならないほど強く、美しく輝いている。


神。

見た目は、間違いなく私の知っている神そのものだった。


しかし――。

私は、足が止まりかけた。


違う。

この存在は、神ではない。


見た目は同じ。しかし、纏っているオーラが、根本的に違う。

私が知る神の気配は、もっと温かかった。慈しみに満ち、全てを包み込むような、穏やかな聖力だった。それが今、玉座に座っている存在から感じられるのは、冷たく、鋭く、そして――黒い。


聖力であるはずなのに、黒い気配が混ざっている。そんな不可解な感覚だ。


「久しぶりだな。ジラルド・マークレイブ・フォン・グルンレイド。」

その存在が、口を開いた。

声まで、神そのものだった。懐かしさすら感じる声音。私が四天王だった頃、何度も聞いた声。


「……誰だ貴様。」

ご主人様は、迷いなくそう問いかけた。

目が肥えている。私ですら一瞬見た目に惑わされたのに、ご主人様は最初からこの存在が『神ではない』ことを見抜いていた。


「それは神に対して余りにも失礼ではないか?」

神もどきは、口元に薄い笑みを浮かべた。


「私が知っている神は貴様のような存在ではない。」

ご主人様の声は冷たかった。私の知っている神と、ご主人様はかつて親しく言葉を交わす間柄だったと聞いている。だからこそ、ご主人様にはこの違いが誰よりもはっきり見えているのだろう。


私の知っている神は、いったいどこに行ったのだ!?

やはりご主人様の言っていたように、精神支配を受けているのか?それとも、もっと別の何かが起きているのか?


「まあ、貴様らにはすぐにばれるだろうな。」

そういうと、神もどきは玉座から立ち上がり、まっすぐとこちらを見据えた。


その瞳には、神眼が光り輝いていた。

この世界に神眼を持つ存在はごくわずかだ。ヴィオラさんや、アシュリーさん。その程度だ。しかし神がそれを持っているのは、当たり前のことだった。神は世界の全てを観測する存在。神眼なくして、その役目は果たせない。


――だから、神眼があることは、この存在が神の力を受け継いでいる証。

しかし、中身は違う。


「今頃は神兵が貴様のメイドたちにやられていることだろうな。」

神もどきが、淡々とそう告げる。


「そう思っているのなら、なぜ戦いをやめさせないのだ。」

ご主人様は問い返した。


「……四天王や我がいる以上、負けることがないからだ。」

その答えは、あまりにも傲慢だった。


「そうか、それでは今すぐ戦いをやめさせてやろう。」

そういうとご主人様の魔力密度が、異常に跳ね上がっていった。


――っ!

私の体が、勝手に震え始めた。


聖族である私は、通常は魔力酔いを起こさない。魔力と聖力は異なる性質のエネルギーであり、聖族の体は魔力の影響を受けにくく作られている。しかし今、ご主人様から溢れ出している魔力は、その常識を超えていた。


あまりにも純粋で、あまりにも高密度。

存在そのものに圧を加えてくるような、異常な魔力だった。


「イリス!下がって!」

メアリーさんがすごい勢いで、こちらへ向かってきた。

普段の気だるげな様子はどこにもない。黒い髪を振り乱しながら、私の方へ駆け寄ってくる。


「どう、されました!」

「早く!私の後ろに!」

何が何だかわからない。しかしメアリーさんの慌てる姿を見て、私は反射的に指示に従った。メアリーさんの後ろへ回る。その瞬間、彼女の周囲に漆黒の魔力障壁が幾重にも展開された。


「超級第二魔法、アトムヴェール・絶唱!」

漆黒の障壁がさらに厚くなり、粒子レベルで干渉するというアトムヴェールが私たちを包み込む。この魔法は、攻撃そのものを分子レベルで解体して無力化するというものだと聞いたことがある。絶唱版の効果は想像を絶するだろう。


「まずは一撃受けてもらおうか。」

ご主人様が杖を神もどきに向けた。

杖の先端が光る。魔力が集束し、炎の気配が生まれていく。ただの炎ではない。周囲の空気そのものを焼き尽くすような、根源的な熱。


「ファイアーアロー・絶唱。」

その瞬間、私の目が焼けた。

視界が白く染まった。眩しさを超えた、圧倒的な光。網膜が焼き切れるかのような、あまりの輝度。


「あぁぁっ!」

思わず声が出てしまう。

聖族の私の目は、聖力の光には強い耐性を持っているが、魔力による光には慣れていない。ご主人様の放った炎は、あまりにも激しく、あまりにも眩しかった。


「目を閉じて!超級第二魔法、エクストラヒール・絶唱!」

メアリーさんの声が聞こえた。

同時に、私の目の痛みが和らぐのを感じた。エクストラヒールの絶唱。最上級の回復魔法を、さらに絶唱によって増幅させたものだ。私の焼けた網膜が、みるみるうちに修復されていく。


メアリーさんの結界の中にいるはずなのに、体が燃えるように熱かった。

私の防御聖法は、まるで歯が立たない。


そばにいるだけでこの衝撃。もしあの攻撃が私に向けられたものだったら、と思うと、私はぞっとした。聖法障壁を幾重に重ねても、消し飛ばされていたに違いない。


炎が消えていく。

ゆっくりと視界が戻ってくる。焼けた空気が透き通り、熱が引いていく。


そして――。

ぼろぼろになった神もどきが、そこに立っていた。

白い衣は焦げ、翼は半ば溶けかけている。頭上の光の輪も、亀裂が走っていた。しかし、立っている。


立っているのだ。


「貴様……やはり、人間としての力を超えている。」

神もどきは、苦しげにそう呟いた。


あの攻撃を耐えた。

信じられない。ご主人様のファイアーアロー・絶唱を、真正面から受けて生き残るなど、この世にあり得るのか。神殿そのものが消し飛んでもおかしくない威力だった。それを一人の存在が耐え切ったという事実が、私の理解を超えていた。


神もどきの体は、みるみるうちに傷が回復していく。焦げた衣が再生し、溶けた翼が元の形に戻り、光の輪の亀裂が埋まっていく。この回復速度も異常だ。聖法というよりは、存在そのものが修復される感覚。神の体というものは、こういう仕組みなのだろうか。


私は周囲を見渡した。

そして、驚愕する。

神殿に、傷がついていなかった。


あれだけの炎が飛び交ったにもかかわらず、広間の大理石の柱にも、天井のドームにも、床の紋様にも、一つの傷もない。世界の輪も変わらず中央で輝き続けている。


「神殿は大丈夫ですよ。」

イザベラ様がそう言った。


振り返ると、イザベラ様はメアリーさんの魔法障壁の外に立っていた。結界の中に入っていなかったにもかかわらず、その黒髪には一本の乱れもなく、メイド服にも焦げ目ひとつない。


完全に、無傷。改めてマリー・ローズの凄さを感じる。

イザベラ様は、自分を守るだけでなく、神殿そのものも守り切ってしまっていた。ご主人様の絶唱攻撃の余波を、完璧に制御して、神殿の建造物に一切の損傷を与えなかったのだ。これが、グルンレイドのメイド長の実力。


「……驚いた。」

神もどきが、無傷の神殿をみて声をもらした。


「さあ、次はどうする。」

ご主人様が杖の先端を再び神もどきに向けた。

魔力密度が、また上昇し始めている。

この戦いは、まだ始まったばかりだった。


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