天界1
突然、空が光り輝いた。
夜であるはずの空が、白昼のように焼けつく。窓の外に広がる闇が一瞬にして塗り潰され、屋敷の壁や床に刻まれた紋様が光を弾いて浮かび上がる。私は訓練場で報告書を読んでいた手を止め、窓の向こうを見た。
「……なにが!」
次の瞬間、グルンレイドの屋敷を守っているメアリーの魔力障壁が砕けた。
常時展開されているはずの第一障壁が、紙のように引き裂かれるのが魔力の反応でわかった。続いて第二障壁も。あのメアリーの障壁を二枚同時に破壊するほどのエネルギーなど、私はこれまで見たことがない。
「――っ!」
私は瞬時に自身の魔力障壁を屋敷全体へ展開する。魔力密度を限界まで高め、降り注ぐ光のエネルギーを受け止めた。
衝撃が来た。
屋敷全体が揺れ、壁の隙間から粉塵が舞い上がる。床が震え、棚に並んだ書物が数冊倒れた。しかし、建物そのものは持ちこたえている。メアリーの障壁が最初の衝撃を多少なりとも殺していたおかげだ。あの障壁がなければ、私の障壁だけでは屋敷が大損害を被っていた可能性がある。
光が収まった瞬間、私は走り出していた。ご主人様の部屋へ。
廊下を駆け抜けながら、周囲の魔力反応を確認する。屋敷内に外部からの侵入者はいない。メイドたちの魔力反応はすべて確認できた。致命的な被害を受けたものはいない。
――ご主人様。
扉を開ける。
「ご主人様!!!」
自室の椅子に座ったまま、ご主人様はこちらを見た。表情に動揺はない。この方はいつもそうだ。何が起きようとも、揺らぐことがない。
「問題ない。」
そうおっしゃるが、室内は無傷ではなかった。壁に立てかけてあった一枚の絵画が、振動によって床に倒れている。そして机の端にあったグラスがひとつ、床に落ちて粉々に砕けていた。
あの絵画は、ご主人様が気に入って飾っていたものだ。
「はぁ……!私がいながら、申し訳ありません。」
膝をつきそうになるのをこらえ、すぐに絵画を拾い上げて元の位置に戻す。グラスは修復できるような割れ方ではなかった。破片を丁寧に回収しながら、私は唇を噛む。ご主人様のお気に入りの品に傷をつけた。その事実が、胸を焦がすように痛い。
「訓練場へ全てのメイドを集めろ。」
「かしこまりました。」
静かな、しかし有無を言わせぬ声だった。私はすぐに立ち上がり、魔法による伝達を全メイドへ飛ばす。グルンレイドのメイドであれば、この伝達を受け取れないものはいない。伝達と同時に各メイドの状態を確認する魔法も織り交ぜた。
結果は即座に返ってくる。二名が軽傷。どちらも自身の回復魔法で対処済み。それ以外は無傷。
一体何が起きたのか。あの光は魔法ではなかった。少なくとも、私の知る魔法とは質が違う。聖力の気配があった。しかしこれほどの規模の聖法を放てる存在など、私の知る限りでは――。
「イ、イザベラ、様!!私、申し訳、ありません!!」
考えを巡らせている最中、涙目のメアリーが飛んできた。文字通り、飛んでいた。メアリーは魔力密度が高すぎるため普段から浮いているが、今はいつも以上に不安定な浮き方をしている。感情が魔力に影響しているのだろう。
「気にしないでください。今回は、例外です。」
メアリーの魔力障壁は、日常的に屋敷を守護するものとしては十分すぎる性能を持っている。人間界に存在するあらゆる攻撃を防げると言っても過言ではない。それを二枚同時に破壊する攻撃など、想定の範囲外だ。
「で、ですが……。」
メアリーの目は赤く腫れていた。泣いていたのだろう。この子はいつもこうだ。自分の役目を果たせなかったと感じると、すぐに自分を責める。
「ご主人様も理解しているはずです。まず、訓練場へ。」
「は、はい!」
メアリーは涙を拭い、訓練場へ向かう。私も急がなくては。
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訓練場に全てのメイドが集まった。
見習いたちも含め、グルンレイドに所属する全員がここにいる。深夜であったにもかかわらず、誰一人として遅れることなく整列している。当然のことだ。グルンレイドのメイドであれば、いつ何時でも即座に行動に移せなければならない。それを教えたのは私であり、メイドたちはそれを完璧にこなしている。
ご主人様が口を開いた。
「集まってもらった理由は言わんぞ?」
誰も答えない。答える必要がないからだ。先ほどの攻撃を受けていないメイドなどこの場にはいない。
「まずは怪我を負ったものの報告をしろ。」
「はい。」
私は一歩前に出る。先ほど魔法で収集した情報を簡潔に伝える。
「二名です。二名とも自身で瞬時に回復いたしました。」
ご主人様は静かにうなずいた。命に関わるような被害がなかったことに安堵しているのか、それとも最初からそう確信していたのか。おそらく後者だろう。この方は、メイドたちの実力を誰よりも正確に把握している。
「何か知っているものはいるか。」
沈黙が訓練場を支配した。先ほどの攻撃の正体について、心当たりのあるものを問うている。私でさえ、あの光が何であったのかを正確には特定できていなかった。魔法ではない。しかし聖法の気配はあった。それ以上のことはわからない。
誰も口を開かない中、一人の声が上がった。
「かろうじて観測できました。」
アシュリーだ。
「アシュリー、教えろ。」
ご主人様がそう命じる。アシュリーの観測魔法であれば、あの一瞬の出来事であっても捉えられたのかもしれない。
「このエネルギー体の出現場所ははるか上空です。魔法……いや、聖法。名はホーリートール。おそらくですが、聖族からの攻撃です。」
「なるほどな。」
ご主人様はたったそれだけを口にした。まるで最後のひとつのピースがはまったかのような、全てを理解した声だった。
……なんということだ。これだけの情報から全てを読み取ったというのだろうか。私はまだ、なぜ聖族がこのタイミングでグルンレイド領を攻撃してきたのかすら整理できていないというのに。私もご主人様を見習わなくてはならない。
メイドたちの間にざわめきが広がる。聖族からの攻撃。それは人間界においては前例のない事態だ。
「静まれ。」
ご主人様の一言で、訓練場に静寂が戻る。
そして、間を置かずにご主人様がつぶやいた。
「なにか来る。」
その瞬間、全てのメイドが一斉に戦闘態勢に入った。私は反射的にご主人様の前に立ち、魔力障壁を三重に展開する。周囲のメイドたちもそれぞれが障壁を張る。
空から、何かが降りてくる。
光をまといながら、ゆっくりと。まるで私たちを見下ろすかのように。
その存在は、訓練場の中心に降り立った。
「おやおや、これは驚きました。まさかこんなにも生きているとは。」
白い髪。背中から伸びる純白の翼。そして頭上に浮かぶ、淡く光る輪。
聖族だ。紛れもない聖族の姿がそこにあった。
不敵な笑みを浮かべたまま、聖族は周囲を見回している。メイドたちに囲まれているというのに、恐れの色は微塵もない。あの笑みは、自分が圧倒的に優位であると確信しているものの笑みだった。
「貴様は誰だ。」
ご主人様が問う。
「申し遅れました。私の名はロンド。神の使者としてまいりました。グルンレイド様。」
ロンドと名乗った聖族は、仰々しく一礼してみせた。しかしその動作のひとつひとつが芝居がかっていて、敬意など微塵も感じられない。
「どういうことか説明してもらおう。」
「なに、簡単なことですよ。あなたのメイドが四天王の一人に再起不能なほどのダメージを与えたからです。」
四天王……クレアたちの報告を思い出す。極東での調査中に四天王の一人と交戦したと聞いている。ぎりぎりの戦闘だったとも。
「ただでさえ人間が聖族に危害を加えるのは罪だというのに、よもや四天王に対して攻撃をするとはね。」
「そんな決まりは存在しない。」
ご主人様は一蹴した。その通りだ。人間界にそのような法は存在しないし、天界の法を人間界に適用する道理もない。
「人間としてあるまじき考え方ですね。」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが弾けた。ご主人様に向かって、なんという口の聞き方をするのか。この屋敷に降り立った時点で、すでにこの聖族は私の前でご主人様を侮辱したのだ。私は魔力密度を急激に上昇させる。周囲の空気が歪み、足元の石畳にひびが入った。
「やめろ、イザベラ。」
「……かしこまりました。」
ご主人様の命令であれば、従わないわけにはいかない。私は魔力の昂りを押さえ込み、その聖族を睨みつけながら一歩後ろへ下がった。しかし殺意だけは隠すつもりはない。この聖族に、私がどれほどご主人様を冒涜されたことに怒りを覚えているか、その目にしっかりと刻みつけておく。
「復讐か。」
ご主人様が端的に問う。報復、という言葉の方が正確かもしれないが、ご主人様は敢えてそう言った。
「いえ、私たちにそのような感情はありません。ただ、目的のためにはここを潰す必要があると考えた、それだけです。」
淡々と、まるで天気の話でもするかのようにロンドはそう語った。目的。おそらくは魔界の支配、あるいはそれ以上の何かだろう。聖族が人間界に直接手を出してきたということは、従来の均衡を崩す意思があるということだ。
「本当はこれで全滅させるつもりだったのですが、計算が狂いましたね。」
その言葉に、周囲のメイドたちの殺気が一段と膨れ上がるのがわかった。全滅させるつもりだった、と。つまり先ほどの攻撃は、警告ではなく殲滅を意図したものだったということだ。
「そんなあなたたちにご褒美です。」
そう言うと、ロンドは翼を大きく広げた。白い羽根が数枚散り、訓練場の地面に落ちる。その一枚一枚が聖力を帯びていた。
逃すと思っ――。
私はすでに動き出していた。時空魔法の詠唱に入り、この聖族をこの場に縛りつけるための魔法陣を展開しようとした、その時。
「やめろ。」
「……はい。」
また、止められた。歯を食いしばりながら、私は動きを止める。
ロンドは空へと舞い上がりながら、見下ろすように言い放った。
「一日、時間をあげます。せいぜい最後の晩餐を楽しんでくださいね。」
そう言い残して、聖族は夜空の高みへと消えていった。
残された訓練場は、重い沈黙に包まれていた。全てのメイドの視線が、ただ一人に向けられている。
ご主人様は、静かに口を開いた。
「天界へ向かう。」
たった一言。しかしその言葉に込められた意志は、私の中に真っ直ぐ響いた。
おそらく一日後、再びあの攻撃が降ってくる。今度はさらに範囲を広げて。私たちだけであれば対策のしようはある。だが、この領地に暮らす領民はどうだ。あの規模の聖法をまともに受ければ、人間は耐えられない。
私たちが止めなくてはならない。
「「「かしこまりました。」」」
全てのメイドが一斉に頭を下げた。




