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極悪辺境伯の華麗なるメイド  作者: かしわしろ
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極東13

目を覚ますと、畳の匂いがした。


「……ここは。」

見覚えのある天井だった。極東の港で泊まった、あの旅館の部屋。障子越しに朝の光が差し込んでいて、庭の松の木が風に揺れているのが影で見えた。


体を起こそうとしても、うまく力が入らなかった。


「あ、起きた?」

隣からレイリンちゃんの声がした。振り向くと、布団の上にあぐらをかいて座っていた。両腕に包帯が巻かれていて、顔にもいくつか傷があったが、目はしっかり開いている。


「レイリンちゃん……私、どれくらい寝てた?」

「丸一日。」

「丸一日!?」

レイリンちゃんがミカエルを吹き飛ばしたところは覚えているが、それからの記憶がなくなっていた。おそらく気を失ったのだろう。そして、いま目が覚めたわけだ。


「オリビアちゃんも昨日の夜に起きたよ。クレアちゃんが一番長かった。」

自分の体に触れてみても、外傷はほとんどなかった。魔法によって治癒されたのだろう。しかし、死に目に会ったということで精神はかなりのダメージを負ったようで、体がうまく動かない。


「オリビアちゃんは?」

「外。朝の剣の訓練。」

「……あの怪我で?」

「止めたんだけどね。"日課だから"って。」

あの子は本当にすごい。

レイリンちゃんの力も借りて、私はゆっくりと体を起こした。


「聖族たちは?」

「エストレアっていう聖族が、残りの聖族を回収してくれたみたい。ミカエルも含めて。天界に連れて帰るって。」

「……そう。」

エストレアが動いてくれたのか。あの聖族は、最後まで自分の信念を貫いたのだろう。


「城下町の人たちは?」

「地下から解放されたらしい。戻ってきてるよ。」

地下?私はあまり詳しいことを聞いていなかったので、どんな状況かよくわからない。


「地下って?」

「城下町に人がいなかったでしょ?それは人がいないんじゃなくて、天界に連れ去られてたり、地下に閉じ込められてたらしいんだよね。」

天界や地下で、魔界から人間界へ瘴気を流す手伝いを強制されていたらしい。

しかし、それもすでに終わったことだ。私は安堵のため息をついた。あの武士の声が蘇る。"助けてくれ"と。その願いは、叶えられたのだ。


「それと、将軍様から感謝の言葉を預かってるよ。」

「将軍?」

「うん。城下町が解放された後に、武士の人たちがすごく感謝してくれて。クレアちゃんが寝てる間に将軍様も来てくれたんだけど、起きなかったから伝言を頼まれた。」


「なんて?」

「"極東は、グルンレイドに恩ができた。いつか必ず返す"だって。」

国同士の恩。それがどれだけ重いものなのか、私にはまだ実感が湧かなかった。でもきっと、メイド長やご主人様にとっては大きな意味を持つのだろう。


障子を開けると、朝の港が見えた。漁師たちが船を出している。いつもの風景だ。あの城下町の異常が嘘のように、世界は普通に回っていた。


「……帰ろうか。」

「うん。帰ろう。」


ーー


帰り支度を済ませて旅館を出ると、オリビアちゃんが門の前で剣を振っていた。


「おはよう、クレア。」

「おはよう。……体、大丈夫なの?」

「大丈夫。クレアこそ、顔色悪い。」

「まあ、一回死にかけたからね。」

「一回じゃないでしょ。」

確かに。何回死にかけたか数えたくない。


三人で港の通りを歩いた。帰りは船で黒海の手前まで行って、そこからは飛んで帰る計画だ。黒海はまだ魔物が多いだろうけど、ミカエルがいなくなったことで時空の歪みの拡大は止まったはずだ。少しずつ元に戻っていくだろう。


「あ、あの店。」

レイリンちゃんが足を止めた。到着した日に海鮮丼を食べたあの店だ。


「……寄っていく?」

「寄っていこう。」

朝食はまだだった。三人で店に入ると、あの大柄な店員が目を丸くした。


「おお!お前ら、また来てくれたのか!」

「はい。帰る前にもう一度食べたくて。」

「よし、特上をすぐに用意する!」

相変わらずメニューにない特上を出してくれるらしい。でも今日は素直に受け取ることにした。

三人で海鮮丼を食べた。到着した日と同じ味。いや、あの時よりも美味しく感じた。


「……美味しい。」

オリビアちゃんが静かにそう言った。到着した日にも同じことを言っていた。でも今のオリビアちゃんの「美味しい」は、あの時とは重みが違うような気がした。


「ごちそうさまでした。」

「またいつでも来いよ!」

店員に手を振って、港を後にした。


ーー


帰りの旅は穏やかだった。


船で黒海の手前まで進み、そこからは浮遊魔法で空を飛んだ。黒海の上を高高度で越える時、下を見ると——行きの時ほどではないにしても、まだ魔物はたくさんいた。でも、あの巨大なクジラの姿は見えなかった。


「少し減ってるね。」

「時間が経てばもっと減るんじゃないかな。」

「だといいね。」

トリエ山脈を越え、王国の上空を通過する。サラたちの家に寄りたかったけれど、今回は時間がない。報告が最優先だ。


「次に来た時に寄ろうね。」

「そうだね。」

レイリンちゃんが少し寂しそうに王国を見下ろしていた。


フリーマウンテンも高度を上げて一気に越えた。

そして——見慣れた深い緑が見えてきた。


グルンレイド領。

魔力拡散結界の中に入った瞬間、全身を馴染みのある感覚が包んだ。帰ってきた。


「ただいまー!」

レイリンちゃんがいつものように叫んだ。三回目の遠征からの帰還。もう恒例になりつつある。


屋敷の玄関前に降り立つと——


「おかえりなさい。」

いつものようにカルメラさんが立っていた。

でも今回は、その隣にもう一人いた。


「おかえりなさい。」

メイド長だった。


漆黒の瞳がこちらを見据えていた。その凍りつくような視線の中に、どこか安堵の色が混ざっているのを——私はなんとなく感じ取った。


「ただいま戻りました。」

三人で頭を下げた。


「報告があります。」

「聞きましょう。謁見の間へ。」

メイド長はそう言って背を向けた。カルメラさんが三人の顔をじっと見た。ボロボロのメイド服。何があったか聞かなくてもわかるという顔だった。


謁見の間は、いつもの通り広大で荘厳な空間だったが、今回はご主人様はいないようだった。メイド長が所定の位置に立ち、私たちは三人並んでその前に立つ。カルメラさんは少し離れた場所で見守っていた。


「報告をお願いします。」

メイド長の声に促されて、私は口を開いた。


「極東は聖族によって支配されていました。首謀者は四天王の一人、ミカエル。目的は黒海と魔界を繋ぐ時空の歪みを拡大させ、魔界の瘴気を人間界に流し込むことで、魔族の力を削ぐこと。そしてその拠点として、黒海に最も近い極東を選んだようです。」

メイド長は表情を変えなかった。ただ静かに聞いている。


「城下町は聖族によって制圧され、住民は奴隷として使役されていました。情報遮断の聖法障壁が展開されていたため、港町にはその事実が伝わっていませんでした。」

「ミカエルは。」

「私たち三人で、撃破しました。」

メイド長の瞳がわずかに動いた。


「……四天王を、あなたたち三人で?」

「はい。ただし、三人とも致命傷を負いました。私は一度死にかけています。」

嘘をつく必要はない。事実を報告するのがグルンレイドのメイドだ。


「現在、極東の聖族は別の聖族の手によって天界に運ばれております。城下町の住民は解放され、将軍も復帰しています。」

「極東の将軍から伝言をお預かりしています。」

レイリンちゃんが一歩前に出た。


「"極東は、グルンレイドに恩ができた。いつか必ず返す"とのことです。」

メイド長はしばらく沈黙していた。その沈黙が何を意味しているのか、私にはわからなかった。怒っているのか、呆れているのか、それとも——


「よくやりました。」

その一言に、全てが詰まっていた。


「ご主人様にも報告をいたします。あなたたちは、ゆっくりと休みなさい。」

「かしこまりました。」

三人で頭を下げる。メイド長が謁見の間を出ていくと、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。


「お疲れ様。三人とも、本当によく頑張ったわ。」

カルメラさんが近づいてきて、三人の頭を順番に撫でた。その手が温かかった。


「カルメラさん……。」

「詳しい話は明日でいいわ。今日はお風呂に入って、ご飯を食べて、寝なさい。」

「はい。」

謁見の間を出ると、長い廊下が続いていた。夕方の光がステンドグラスを通して廊下に色を落としている。見慣れた景色だ。


「お風呂……。」

「お風呂。」

「お風呂!」

三人とも同じことを考えていた。極東の旅館のお風呂も、カブの港の樽風呂もよかったけれど、やっぱりグルンレイドの大浴場に勝るものはない。


大浴場に向かう途中、廊下の向こうからメルテちゃんたちが歩いてきた。


「おかえり。」

「ただいま、メルテちゃん。」

「すごいボロボロだね。何があったの?」

リアちゃんが目を丸くしている。


「ちょっと色々あって。」

「色々って……。」

「四天王と戦った。」

オリビアちゃんがあっさりと言った。


「「「え!?」」」

メルテちゃんもリアちゃんもアナスタシアちゃんも、三人揃って驚いた顔をしていた。その表情がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。


「詳しくは明日話すよ。今は……お風呂。」

「お風呂に一緒に入っていい?話聞きたい!」

リアちゃんが食いついてきた。


「いいよ。」

「やった!」

六人でお風呂に向かうことになった。賑やかだ。月の国の時も、カブの港の時も、極東の時も——帰ってくるたびに、ここでの日常がどれだけ大切なものかを実感する。


グルンレイドの大浴場のお湯に浸かった瞬間、全身の力が抜けた。


「あぁ……。」

「最高……。」

「生き返る……。」

三人同時にそう言った。リアちゃんたちが笑っている。


お湯の中で、レイリンちゃんが極東の話を始めた。海鮮丼のこと、船のこと、城下町のこと。リアちゃんが「えー!」「すごい!」と合いの手を入れて、アナスタシアちゃんが「四天王!?」と叫んで、メルテちゃんが静かにうなずいている。


こういう時間が好きだ。

私はお湯に肩まで浸かりながら、天井を見上げた。


今回の遠征で、私たちは初めて"世界の裏側"に触れた。聖族と魔族の対立、黒海の秘密、四天王の力。見習いの私たちが踏み込んでいい領域ではなかったのかもしれない。


でも——踏み込んだ。そして帰ってきた。三人とも生きて。


それが今は、何よりも誇らしかった。

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