見習いメイド8
最初に教わったのは掃除だった。
指示されたのは自分たちの部屋と、屋敷の一階部分。普段飾られている壺や置物はあらかじめどけられていた。
「でたらめに風を起こしても埃が舞い上がるだけよ。方向と強さを細かく制御して、一か所に集めながら動かすの。魔法の出力より、制御の細かさが全てよ。」
やってみると、すぐに分かった。確かに難しい。単純に魔力を出すのとは違う、精密な操作が必要だった。アナスタシアは制御の訓練をずっとやってきたから、比較的すんなりと形になっていた。リアは出力が強すぎて最初は埃を吹き飛ばしすぎてしまい、廊下の端まで埃が飛んでいった。
「リア、もっと絞って。」
「す、すみません。」
リアが慌てて魔力の加減をもう一度調整する。私はどちらかといえばアナスタシアに近い感覚で扱えたが、それでも均一に動かすのは難しかった。一時間ほど繰り返したあと、カルメラさんが三人の様子を見て回った。
「アナスタシアは及第点。リアはまだ荒い。メルテは——」
少し間があった。
「制御はできているわ。合格点よ。ただ、出力が低いのは頭に入れておいて。今は掃除には十分だけれど、攻撃魔法となると話が変わるわ。」
攻撃魔法の出力であれば、今の私よりアナスタシアの方が上だということは自分でも分かっていた。制御が得意なだけで、力そのものはまだ足りない。
次の日は洗濯だった。
水を魔法で操作して、布を洗う。単純そうに聞こえるが、掃除より難しかった。水は風より扱いが繊細で、力を入れすぎると布が傷む。足りなければ汚れが落ちない。適切な圧力を保ちながら、布全体に均一に当てていく必要があった。
「グルンレイドでは洗濯に魔法を使うのが基本よ。手洗いより早くて綺麗に仕上がるし、乾燥も魔法でできる。ただし布の種類によって扱い方が変わるから、感覚で覚えていく必要があるわ。」
リアが最初に洗い終えた布を広げると、端のほうがうっすら傷んでいた。本人も気づいたらしく、眉を下げた。
アナスタシアは仕上がりこそ綺麗だったが、時間がかかった。
「アナスタシア、いい感じね。仕上がりも完璧よ。次は早さを意識するといいわ。」
「は、はい。」
私は水の感触を掴むのに少し時間がかかったが、一度分かると調整は早かった。二枚目からは布の素材ごとに力加減を変えながら動かせるようになっていた。
「メルテは問題ないわね。今は桶に水を張ってその中で洗っているけれど、浮遊魔法が使えるようになれば桶も必要なくなる。布と水を空中に浮かせたまま洗えるようになるから、それを意識してみて。」
「わかりました。」
私は洗濯の方法に、次の段階があるということを頭に入れる。
次は料理の補助だった。
厨房ではなく、三人の自室に備え付けられた小さなキッチンで行われた。料理そのものを作るわけではない。食材を魔法で切る、火力の調整を魔法で行う、鍋の中を均一にかき混ぜる、といった補助的な作業だ。
「料理は繊細よ。食材の硬さ、素材によって魔法の扱い方を変えていく必要があるわ。」
魔法で食材を切る、というのは思ったより難しかった。刃物と違って魔法の刃は自分で厚みと角度を決めなければならない。均一な厚さに切ろうとすると、相当な集中が必要だった。アナスタシアは丁寧だが遅い。リアは早いが断面が荒い。私は最初から均一には切れなかったが、数回繰り返すうちに感覚を掴んだ。
家事の訓練が始まってしばらく経ったころ、夕食の場でリアが言った。
「掃除って、魔法の訓練よりある意味難しくない?」
「そうですわね。戦闘用の魔法は大きく出せばいいところがあるけれど、家事は逆だもの。」
「繊細さが必要、ってやつ。」
「リアさんはそこが課題ですわね。」
「分かってる。」
リアは少し口をとがらせたが、否定はしなかった。事実だから仕方ない、という顔だった。
「メルテさんはどう?」
「……慣れてきた。」
「慣れてきた、じゃなくてもうできてるじゃん。カルメラさんが一番早く次に進めてたよ。」
「出力が低いから制御しやすいだけだと思う。」
「それでもすごいと思いますわ。」
アナスタシアが静かに頷いた。私はスープを飲んで、それ以上は何も言わなかった。
家事の訓練を通じて、私は少しずつ気がついていった。
攻撃魔法の訓練は、体の中にあるものを最大出力で外に出す感覚だった。しかし家事での魔法は違う。出力を目的に合わせて緻密に変化させる必要がある。埃の重さ、布の素材、食材の硬さ。それぞれに合わせて出力と動きを変えていく。同じ魔法でも、使い方によってこれほど変わるのか、と思った。
訓練と家事の日々が続いて、一か月が経ったころだった。
廊下を三人で歩いていたとき、向こうから一人のメイドが歩いてきた。それだけのことだった。しかし三人とも、気づいたときには足が止まっていた。
黒髪のショート。見た目は若い。しかしその佇まいが、これまで見てきたどのメイドとも違った。廊下を歩いているだけなのに、空気が違う。近づいてくるたびに、何か重いものが増えていく感覚があった。魔法の訓練を重ねたことで、私の感覚が鋭くなっているからかもしれないが……。
「……初めまして。」
アナスタシアが、かすかに緊張した声で言った。そのメイドは三人の前で立ち止まり、静かにこちらを見た。
「見習いの方々ですね。イザベラと申します。私のことはメイド長とお呼びください。」
澄んだ声だった。この圧倒的な何かがなければ、ただ美しいメイドという印象で終わっただろう。しかしそれを感じ取れる今となっては、むしろその穏やかな声色がどこか怖かった。ただ、目の前の人はそれとも違う。人間としての輪郭が、どこかぼやけているような感覚があった。強いとか弱いとか、そういう話ではない。ただ、在り方そのものが違うような……。
「訓練の様子はいかがですか。慣れてきましたか。」
「は、はい。カルメラさんにご指導いただいておりますわ。」
アナスタシアが答えた。声が少し震えていた。
「そうですか。今はまだ訓練とこの生活に慣れることが、あなたたちの仕事です。焦らず積み重ねていってください。」
イザベラはそれだけ言って、軽く頷いた。それから何事もなかったように歩き去っていく。
三人はしばらくそのまま立っていた。
「……メイド長、あの方だったんだ。」
リアが言った。声が少し低かった。
「カルメラさんでさえあれだけ強いのに。」
アナスタシアが続けた。私は何も言わなかったが、同じことを思っていた。あの人は、さらにその上にいる。
その夜、食卓でリアが言った。
「グルンレイドについて、もう少し知りたいかも。」
「私もですわ。カルメラさんに聞いてみてもいいかしら。」
「いいと思う。」
「明日、聞いてみますわ。」
この一か月で少しずつ見えてきたものはある。しかしそれはほんの一部に過ぎない気がしていた。メイド長の存在感、カルメラさんの言葉、異世界学という科目。どれも繋がっているような気がするが、全体像が見えない。スープを飲みながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
説明は訓練の合間に行われた。三人が並んで座り、カルメラさんが前に立つ。
「グルンレイドは、王国の領土の中にある辺境伯領よ。でも普通の貴族領とは違う。」
「どう違うんですか。」
リアが聞いた。
「普通の貴族は王国の管轄下にある。税を納め、王の命令に従う。でもグルンレイドは違うわ。名目上は王国領だけれど、実質的には独立しているようなものよ。」
「なんでそんなことが許されているんですか。」
「ご主人様が、それだけの力を持っているからよ。」
カルメラさんはそれだけ言った。補足するつもりはないらしかった。
「王国は何も言わないんですか。」
「言えないのよ。ご主人様に逆らえる存在が王国にいないから。かつて何度か摩擦はあったけれど、そのたびに結果は同じだったわ。今は王国もグルンレイドには手を出さない。それが暗黙の了解になっているの。」
暗黙の了解、という言葉の重さを、私はうまく測れなかった。ただ、王国という巨大な存在ですら手を出せないということは分かった。
「グルンレイド領の民はどうなんですか。」
アナスタシアが聞いた。
「豊かよ。ご主人様は領民の生活を重視されているし、外からの脅威はご主人様とメイドたちが排除する。税は王国より低い。だから領民のご主人様への信頼は厚いわ。」
「……すごい場所ですわね。」
「そうね。」
これほどまでに過ごしやすい領地であれば、ほかの領地から人が流れてきそうなものだが……。
「ですが、ほかの領地から領民が流れてくると思いますわ。」
私が気になっていたことをアナスタシアが聞いてくれた。
「そうね。実際に流れてきているわ。」
カルメラさんはあっさりと答えた。
「ただ、グルンレイドには条件があるの。領民として認められるには、一定の審査がある。素行、健康状態、技術や知識。何かしら領地に貢献できるものを持っていることが求められるわ。」
「審査があるんですか。」
「無条件に受け入れていたら、領地の秩序が保てないでしょう。ご主人様は領民の生活を重視されているからこそ、入ってくる人間も選ぶのよ。」
なるほど、と思った。豊かな領地であることと、秩序が保たれていること。その両方が成り立っているのは、そういう仕組みがあるからなのかもしれない。
「審査に通れなかった人は?」
リアが聞いた。
「他の領地へ戻るか、王国直轄の街へ向かうわ。グルンレイド領の審査基準は思ったより高いから、正直なところ通れる人間の方が珍しいわ。この領地に住んでいるというだけで、ある程度の水準を持った人間だということになるの。」
「それだけじゃないわ。もう一つ、驚くと思うけれど。」
カルメラさんが続けた。
「この領地は人種を問わないの。人間はもちろん、獣人も、魔族も、審査さえ通れば領民として受け入れている。」
リアが目を丸くした。
「魔族も、ですか。」
「ええ。」
「……危なくないんですか。」
カルメラさんは少し間を置いてから、静かに首を横に振った。
「それは間違った知識よ。魔族が危険だというのは、正確ではない。いずれ人種についてきちんと教えるわ。今は魔族イコール危険という考えは、一度横に置いておいて。」
リアはまだ少し納得しきれていない顔をしていたが、黙って頷いた。アナスタシアも何か言いたそうな顔をしていたが、こちらも口を閉じた。私も同じだった。魔族と聞いて、危険ではないと即座に思える人間はそう多くないだろう。
しばらく沈黙があってから、リアが言った。
「私たちは、そこのメイドになるってことですよね。」
「そうよ。」
「……なんで私たちを選んだんですか、ご主人様は。」
カルメラさんは少し間を置いた。
「ご主人様は、光るものを見つけるのが好きな方よ。芸術品でも、人でも。あなたたちの中に、何か見えたんじゃないかしら。」
「光るもの。」
「あなたたちはまだ原石だけれど、ご主人様の目にはそれが見えている。だから買った。それだけよ。」
原石、という言葉が頭の中で残った。奴隷落ちだった私が、原石。その言葉をそのまま受け取っていいのかどうか、まだ分からなかった。
「ご主人様は、私たちに何を期待しているんですか。」
アナスタシアが言った。
「強くなること。そしてご主人様の目指すものを、一緒に実現できるだけの存在になること。詳しいことはいずれ分かるわ。今はただ、目の前の訓練を積み重ねていけばいい。」
カルメラさんはそう言って立ち上がった。
「さ、続きをやりましょう。」




