極東10
さすが聖族。精神支配がものすごくやりにくい。多分オリビアちゃんとレイリンちゃんでは、聖族相手に精神支配魔法をかけるのは無理だろう。
「じゃあいくつか質問しますね。答えてください。」
「はい。」
——の前に、回復途中だった傷を治してあげなくては。流れている血が痛々しい。
「ヒール」
あ、回復魔法も効きにくいのか。傷の治りがかなり遅い。聖族の体は魔法に対して抵抗があるということを実感する。
「エクストラヒール」
聖法もどきを使ってもよかったけれど、面倒なので魔力を上げて無理矢理に回復させた。とりあえず出血は止まった。
「では早速。極東の支配は魔族を滅ぼすためというのは本当ですか?」
「本当だ。」
「なぜ、今になって急に……。」
「神の判断だ。」
神。天界の支配者。その指示は天界において絶対的な意味を持つ。たとえそれが大きく間違ったことだとしても。
「そこらへんはあまりわかりそうにないですね……。それでは、なぜ極東なのでしょうか。」
「黒海の存在だ。」
黒海。私たちがここに来る途中で通った、魔力密度が異常に濃い海域。
「詳しくお願いします。」
「黒海に瘴気が混じっている理由は、魔界と繋がっているからだ。時空の歪みが二つの世界を繋げ、海が魔界の瘴気を吸っている。」
だからあの海には瘴気が混じっていたのか。黒海の仕組みについて、ようやく納得がいった。
「私たちはその歪みを大きくさせている。そのための拠点として、最も黒海に近い国、この極東を選んだのだ。」
黒海に用があったから、一番近い極東を支配した。シンプルだけど乱暴な理屈だ。
「歪みを大きくさせることが、なぜ魔界を滅ぼすことに繋がるんだろう……。」
「瘴気の量は無限ではない。人間界に瘴気が流れ込めば、それだけ魔界の瘴気は薄くなっていく。」
考えが悪魔的すぎる。それだと魔界だけじゃなく、瘴気のせいで人間界も滅びることになるのでは。
「確かに、それだと魔界の瘴気がなくなるから、魔界を支配している魔族の力も半減するということですか。」
「そうだ。」
ハーヴェストさんのことを思い出した。あの人は魔族だから、瘴気に満ちた魔界の方が断然動きがいい。それでもこの世界でグルンレイドのローズとしてしっかり仕事ができているのだから、あの人は相当すごいのだ。
「黒海で魔物があんなにいたのもなんか納得。」
でもなぜこんな環境の変化をスカーレット様やアシュリー様は正確に観測できなかったのだろう。——ああ、ミカエルという四天王の聖法の影響か。外部からの観測も遮断されているのだ。
大体聞きたいことは聞けた。私たちが聖族のやっていることを止めていいものかは正直わからないけれど、人間を奴隷のように扱っているということ、そしてこのままだと人間界に瘴気が溢れてしまうということ。この二つの理由があれば、ちょっかいを出す根拠には十分だろう。
ここでスカーレット様やメイド長に連絡をしたいところだが、それは無理だ。この空間内ではレイリンちゃんやオリビアちゃんにメッセージを飛ばすことすらできないのだから。
「はぁ、相手は四天王か……。」
天界のトップ四。私たち、死なないでグルンレイド領に戻れるかな。
「あ、グルンレイド領に戻った時のことを考えて聞いておきたいことがもう一つ。」
横たわっている聖族をもう一度見た。戦闘でボロボロになっても、やはり美しいものは美しい。
「その美しさを保つために、一体どのような手入れをされているのでしょうか?」
「え……。」
精神支配にかかっていても困惑するんだ。新たな発見とともに、私は最重要情報を手に入れた。
ーー
ーーレイリンーー
グレーティアを安全な場所に寝かせた後、私は城へ向かって飛んだ。
城の入り口は大きな木の門で、少し開いていた。クレアちゃんとオリビアちゃんが通った後だろう。中に入ると——
静かだった。
怖いくらいに静かだった。
磨き上げられた板の床が延々と続いていて、足音を殺して歩いても、きゅ、きゅ、と小さな音が鳴ってしまう。壁に嵌め込まれた障子越しに、夕方の光がぼんやりと差し込んでいた。その光が廊下に格子状の影を落としている。
こんなに綺麗な場所なのに、人の気配が一つもない。城下町と同じだ。建物だけが残されて、中身だけが消えている。
ある部屋の前を通りかかった時、中が見えた。広い畳の部屋で、座布団がいくつも並んでいた。つい先ほどまで誰かが座っていたかのように整然と。お茶が入ったままの湯呑みまで置かれていた。
「……怖い。」
思わず口に出してしまった。戦闘で怖いと思ったことは何度もある。でもこれは違う種類の怖さだ。ここにいたはずの人たちが、突然消えてしまったという事実。その人たちはどこに行ったのか。生きているのか。
考えても仕方ない。早く二人と合流しなきゃ。
観測魔法が機能しないので、二人の気配を闘気や魔力の残り香で追うしかない。クレアちゃんの魔力は繊細で辿りにくいけれど、オリビアちゃんの魔力には独特の鋭さがある。その痕跡を頼りに、廊下を進んでいった。
やがて、血の匂いがした。
角を曲がると——そこにはオリビアちゃんがしゃがみ込んでいて、そのそばに血まみれの聖族が横たわっていた。傷の形を見ればわかる。これはオリビアちゃんの剣筋だ。
「ちょうど今気を失ったところ。」
オリビアちゃんが淡々とそう言った。
「もっと早く回復させてあげないとダメでしょ?」
「今までいろんな話を聞いてた。回復させると、逃げるかもしれないでしょ?」
まさか——私ができなかった情報収集を、オリビアちゃんはやってのけたということ?
「そ、そう、確かに情報収集は大事だけど、人命第一ってことを忘れないでね?」
「わかってる。」
オリビアちゃんはすぐに回復魔法を唱え始めた。ちゃんと情報を集められるオリビアちゃんがまぶしい。私はグレーティアから何も聞き出せなかったのだ。意識を失っている相手に精神支配をかけても、喋ることができないのだから当たり前なのだけれど。
「レイリン、なんかさっきの聖族からわかったことは……。」
「あっ、あーっと、もちろんあるよ?でもやっぱり先を急いでクレアちゃんが揃ってからでも共有は遅くないんじゃない?」
「そんな時間かかるの?」
「えっと……。」
まずい、何か言い訳を考えないと。
「侵入者発見。」
新たな声とともに、私に向かって剣が振り下ろされた。本当にいいタイミングで来てくれた!
「超硬化!」
ガギィンという音とともに腕で剣を受け止めたが、相手の剣が砕けてしまった。あ、ごめん。
「なにっ!」
驚いた表情で距離を取る聖族。強さ的にはさっき戦ったグレーティアと同じくらいだ。ただグレーティアは精神支配に対してかなり警戒していた。この聖族はまだ無警戒。いける。
「シンクロナイ……。」
「華流奥義・」
音が消えた。この空間に存在している魔力と聖力が、オリビアちゃんの太刀筋に飲み込まれていく。
「極一刀」
一撃だった。その聖族は何かを話す間もなく、一瞬で真っ二つに切断されてしまった。
「ちょっ!急に、ダメでしょ!」
「エクストラヒール。別に必要な情報は手に入ってるし、いいでしょ。」
切断した部分を繋げながら平然とそんなことを言っている。た、確かにそうだけど……。私も情報を引き出したかったな。ていうかこの子の集中状態、本当に怖い。あんなの食らったら私でも無事じゃすまない。
「早く四天王のところに行こう。」
し、四天王? 聞き慣れない言葉に内心ものすごく驚いたけれど、さも当然のように知っていたかのような顔でオリビアちゃんについていった。倒した聖族二人は安全そうな場所に運んでおいた。
ーー
城の階段を上がっていく。上に行くほど空気が変わっていくのを感じた。
重い。
体にかかっているのは重力ではない。聖力だ。階段を一段上がるごとに、聖力の濃度が増していく。魔法障壁で遮断しているはずなのに、それを透過して体の中に染み込んでくるような感覚。
最上階の扉の前に立った時、私は足が動かなくなった。
扉の向こうから漏れ出してくる気配が、今まで感じたどんなものとも違っていた。グレーティアとも、さっきの聖族とも、比較にならない。存在しているだけで空間を支配しているような——そんな圧。
「よくここまでたどり着いたな。お前たちを相手にしていた私の部下はどうした。」
扉を開けた瞬間、その声が降ってきた。
声の一言一言が重い。まるで別の世界の生き物のようだった。少しでも気が緩むとその場に膝をつきたくなってしまう。立っていること自体が、この存在に対する反抗であるかのように。
怖い。
体が震えていた。足が、手が、心臓が。今この瞬間、ここにいること自体が間違いなんじゃないかと思ってしまう。この存在の前に立つ資格が、私にはあるのだろうか。
「叩き切りました。」
オリビアちゃんがそう答えた。もっとオブラートに包んでほしい。相手は天界のトップクラスの実力を持つ四天王なのだから。
「ふむ。その様子だと我々の目的も知っているようだな。」
「ええ。」
またオリビアちゃんが答える。ここにクレアちゃんはいない。リーダー不在のこの状況で、私があたふたしていたらオリビアちゃんに迷惑だ。
一瞬の沈黙。
「それでお前たちはどうするのだ。」
この返答次第で私たちの運命が決まる。……いや、その考え方はよくない。いつだって運命を決めるのは、自分だ。
「あなたに天界へ戻っていただきます。」
私は目を見てそう答えた。声が震えていないことだけが、今の自分の精一杯だった。
「それがお前たちの答えか?」
今まで感じたことのない聖力が、私の体を駆け巡っていく。体の内側を何かが這い回っているような不快感。少しでも気を緩めれば、自分の行いが"悪"なのではないかという錯覚に陥りそうになる。
……ん? やっぱり私たちが悪いのだろうか。そもそもなんで私たちは四天王に戦いを挑んで——
「レイリン!」
パン、と頬を叩かれた。
「オリビア……ちゃん? オリビアちゃん!」
「集中して!」
叩かれた頬が熱い。でもその熱さが、頭の中の霧を吹き飛ばしてくれた。さっきの思考は私のものじゃない。四天王の聖力に意識を持っていかれかけていたのだ。
「魔法障壁を全力で張って。」
「わかった!」
オリビアちゃんの言う通り、本気で魔法障壁を展開し続けなければ、私はここに立ってすらいられない。全力の魔法障壁。月の国の砂漠でも、黒海でも、ここまで全力で張ったことはなかった。
でも——立っている。まだ立てている。
「落ち着いたか? 人間たちよ。それでは、いくぞ?」
神に仕えし最強の存在が、動き出した。




