極東7
城下町が見えてきた。
上空から見下ろすと、城を中心にして同心円状に街が広がっている。港町や宿場町とは比べ物にならない規模だ。瓦屋根の家々がびっしりと並び、大通りが城に向かって何本も伸びている。堀のような水路が城の周りを囲んでいて、その外側にはさらに住宅街が広がっていた。
「あれは……城?」
王国で見たような城とはまた少し形が違っていた。何層にも重なった屋根が天に向かってそびえ立ち、白い壁と黒い瓦のコントラストが美しい。その威容は、ここが極東の中心なのだということを無言で示していた。
しかし——近づくにつれて、何かがおかしいことに気づいた。
「何この結界。」
城下町全体を覆うように、巨大な結界が張られていた。グルンレイドの町を包み込んでいるアリサさんの結界とまでは行かないまでも、それに迫るくらいの大きさはあると思う。
「見た感じ観測魔法でもないようだけれど……。」
私の知らない特殊な障壁だ。効果がどんなものか予想がつかない。むやみに通らない方がいいとは思うけれど、それだと話が進まない。
「じゃあ、ちょっと入ってみるから。」
「気をつけてね。」
私はゆっくりと結界に手を近づけた。が、するりと簡単に通り抜けてしまった。
「違和感は?」
「……特にない。」
魔力拡散結界でもないし、他の誰かに観測された様子もない。一体何の結界なのだろう。だが私たちに害はないようなので、気にせず進むことにした。
結界を越えた瞬間、三人は城下町の上空に出た。
「人が……いない?」
それが最初に出た言葉だった。
上空から見下ろす城下町は、建物だけが残された廃墟のようだった。大通りにも、路地にも、堀沿いの道にも——人の姿が一つもない。
高度を下げて、ゆっくりと城下町の上を飛んだ。近くで見ると、異様さがさらに際立つ。
商店の軒先には暖簾がかかったままだった。茶屋の前には腰掛けが並んでいて、湯飲みがテーブルの上に置きっぱなしになっていた。まるでつい先ほどまで人がいて、突然消えてしまったかのような光景。
「荒らされた様子はないね。」
オリビアちゃんが周囲を観測しながら言った。確かにそうだ。戦闘の痕跡や略奪の跡はどこにもない。建物は壊されていないし、火事の跡もない。ただ人だけがいなくなっている。
「不気味……。」
レイリンちゃんが呟いた。同感だった。戦争や災害で人がいなくなったのならまだ理解できる。でもこれは、建物も道も暮らしの痕跡もそのままに、人だけが消えている。
風が吹いて、暖簾がぱたぱたと揺れた。その音だけがやけに大きく聞こえた。
「やっぱりアシュリー様の予想通り、極東で何かが起きているみたい。」
「そうだね。」
二人も顔を見合わせてうなずいた。
城の方に目を向ける。白い壁と黒い瓦、何層にもなった屋根。近くで見るとさらに巨大で、威圧的ですらあった。あの中に何かがある。そう直感した。
「まずは城に行って確かめ——」
「おや?何か御用ですか?グルンレイドのメイドさん。」
「っ!!」
私はすぐに声のする方を振り向いた。観測魔法を発動していたはずなのに、全く気づかなかった。二人の慌てようを見ると、二人も同じだったのだろう。
視界に入ったそれは、人間ではなかった。
この世のものとは思えないほど美しい翼。白く輝く羽根が空中に静かに広がっている。そして頭上に浮かぶ、神々しい天使の輪。
「聖族の方……ですか。」
「そんなに怖い顔をしないでください。」
白い長い髪の女の聖族が、にこやかにそう言った。
聖族ほど心が読めない存在もいないだろう。私はその笑顔を信じない。
「なぜ、聖族がここにいらっしゃるのでしょうか。」
「私が先に質問をしているのですが。」
鋭い目線が私を見据えた。確かに、先に答えるのが筋だ。
「申し訳ありません。私はグルンレイドのメイド、クレアと申します。極東に起こった異変を確かめに参りました。」
「異変はありません。」
これ以上踏み込んでくるなという圧を感じる。けれど、大人しく引き下がることはできない。この無人の城下町を見て"異変はない"とは到底思えない。
「あなたがここにいること自体が異変でもあるんですよね……申し訳ありませんが通していただきます。」
私は聖族の横を通り過ぎようとしたが、行く手を阻むように移動された。
「お引き取りください。」
怪しい。この聖族は何かを隠している。やはり私たちはあの城に降りて調査する必要がある。
「そうはいきません。」
「そうですか……それでは。セイントウォール」
私が町へ降りようとした瞬間、周囲に聖法障壁が展開された。
「一体どういうつもりですか?」
「どうしてもあの町へ降りようというのなら、私はあなたたちを止めなければなりません。」
この聖族は善か悪か。アシュリー様が観測した事象は何を意味しているのか。私たちはまだ何も知らない。それを知るためにも——
「レイリンちゃん。」
「はーい。」
音速に迫るほどの魔力を纏った拳が、聖法障壁に叩きつけられた。ガラスが割れるような音とともに、粉々に崩れ落ちる。
私は前に進まなければいけない。
「グルンレイドのメイドがこれほどとは……。」
聖族が驚いた表情でこちらを見ていた。私たちのことは知っているようだったが、実際に出会うのは初めてのようだ。
「先にいくね。」
「じゃあ、私も。レイリンちゃん、お願い。」
オリビアちゃんも私に続く。
「だから行かせないと……。」
「了解!」
レイリンちゃんの拳が聖族の言葉を遮った。聖族は避けるという選択をしたようだが、それは正しい。レイリンちゃんの攻撃をまともに受けてピンピンしている人を、私は見たことがない。……ローズであるフィオナさんは除いて。
「どいてください。」
「嫌ですけど。」
レイリンちゃんに任せて、私とオリビアちゃんは城へと飛んでいった。
ーー
—— レイリン ——
「先にあなたから始末してしまいましょうか。」
さっきまでの笑顔はどこへやら、鋭い目つきに変わった聖族が私を見ている。グルンレイドにもイリスさんという聖族がいるから、普通の人が思うほど珍しいとは感じない。
「私はそう簡単にやられませんよ?」
「……殺す前に名前を聞いておきましょう。」
聖力を増大させながらそんなことを聞いてくる。
「私はグルンレイドのメイド、レイリンと申します。」
「私はグレーティアといいます。」
名乗ってくれるあたり、結構好きだけどね、この聖族。まあ、敵意を向けられている以上、仕方なく相手をしないといけないわけだけど。
「セイントアロー」
光の槍が飛んできた。さっきの足止めとは違い、明確な攻撃だった。そこまでして私たちに知られたくないことがあるのだろうか。
「エアヴェール」
空気を魔力で固めて防御する。が——
「あぶな……」
危うく貫通しそうになっていた。この程度のエネルギーなら簡単に止められると思ったのに。あ、相手が聖法だからか。そういえば魔法は聖法に弱いんだった。
「止められるとは……。」
確かに普通は魔法で聖法を止められるはずがない。圧倒的な実力差がなければ。
「この程度で驚いているのでしたら、グルンレイドの敵ではないですね。」
「舐められたものですね。」
グレーティアが剣を抜き、猛スピードで突っ込んできた。私はそれを——腕で止めた。
「剣はお持ちではないのですか?」
「私の武器は、この拳ですので。」
グルンレイドのメイドが身につけているガーターベルトは特注で、脇に短剣を装備できる部分がある。だから一応短剣は持ち歩いている。でも私は使うことが少ない。華流よりも、体に魔力を纏って攻撃する龍技の方が得意だからだ。
ーー
—— グレーティア ——
グルンレイドのメイドという存在の話は聞いたことがあったが、実際に会ったことはなかった。ただ、その存在を目の前にすると、"聞いた話"が嘘ではないことがわかる。
「私の剣を素手で止める人間がいるとは……。」
聖力を込めてかなりの力で斬りつけたはずだが、魔法障壁に遮られて相手の腕には傷一つついていなかった。
早く城へ向かっていった二人のメイドを追わなければいけない。ここは早くけりをつけなければ。
「ホーリー……」
「バーン……」
私の詠唱はその言葉によって遮られた。理由は単純——私の聖力が、圧倒的な魔力によってかき消されたからだ。しかしこれは幸いだった。私が回避行動に移ることができたのだから。
「ナックル!」
炎を纏った拳をギリギリで避ける。しかしその衝撃波が私を襲った。
「がはぁっ!」
空を飛んでいたはずが、地面へと叩きつけられてしまう。翼で身を守ったが、翼が焼けるように熱い。
「降参していろいろと話していただければ、これ以上は攻撃しませんよ。」
地上に降り立ったメイドが、歩きながら近づいてくる。さっきまでのメイドの格好をした人間の子供というイメージは、これっぽっちも残っていない。圧倒的な力を持った敵だ。
「ここを、通すわけにはいきません……。」
「強情ですね。」
私は攻撃を避けたはずだ。避けたはずなのに、このダメージ量は何なのだ。衝撃波の影響か、まだ頭がクラクラする。
「んー、でもやはり情報は必要ですね……。」
メイドは何かを考えるそぶりをした。私のことなど、もはや敵として認識していないようだ。それほどまでの実力差。けれど、私には使命がある。ここで逃げるという選択肢は残されていない。
「ここは、通しません!ホーリーレイン!」
「あなたのような人が、自分の意思でここに留まっているとは思えない……。裏に誰かがいますね?」
ホーリーレインによって魔力が薄まっていく中でも、悠々と歩きながらそのようなことを言う。行動は大雑把に見えて、実は頭がいいのかもしれない。
「ホーリースピア!」
この雨が降っている空間では聖力の威力は格段に上がっている。光の槍がまっすぐにメイドに向かって飛んでいく。
「はあっ!」
「なっ……。」
蹴り上げで私の聖法を消し飛ばしてしまった。そしてすぐにメイドは私に向かって魔法を唱える。
「シンクロナイズ」
「っ!」
私はすぐに翼に聖力を纏い、全身を包み込んだ。シンクロナイズは精神支配魔法。普通であれば体が聖力で満ちている私は防御など必要ないのだが、この魔力密度は危険だ。聖族の私でさえ精神支配されかねない。
「精神支配をされにくい聖族を偵察に当てているあたり、裏方は頭が悪いというわけではなさそうですね。」
観測聖法を使えば翼で包まれた中からでも周囲を見ることはできる。しかしこの状態で戦うのは難しい。であれば、シンクロナイズが解けるまで防御に全力を注ぐしかない。
「私の攻撃を受けてくれるんですか?」
一歩、また一歩、足音が近づいてくる。あの攻撃を真正面から受ける?それで私は原型を保っていられるのか?さっきの衝撃波を思い出し、体から冷や汗が流れ出る。いや、全力で防御に回れば一撃くらい大丈夫……だろう。
「龍技・」
ありえないほどの魔力が右の拳に集まっているのを観測できた。やはり避けた方がいいのか。いや、それだと情報が外に漏れてしまう。
「グラビトン……シュート!」
翼なんてなかったかのように、衝撃波が私の体を駆け巡った。肺の中の空気が全て抜け、全身を流れる血が至るところから噴き出しているように感じる。血で前が見えない。しかし眩しいと感じるということは、私は仰向けになっているのだろう。
私はここで死ぬ。命が溶けていくのがわかる。
けれど、これでいい。主の命令が遂行できるのであれば、私に未練はない。
ーー
—— レイリン ——
「エクストラヒール」
私はすぐに仰向けになっているグレーティアに回復魔法をかけた。魔力を内部に流し込んだわけではなく単純な物理ダメージだから、回復自体は難しくないだろう。だけど——
「ちょっと強くやりすぎちゃったかな……。」
思ったよりも翼や腕、脚がボロボロで申し訳なくなる。だって久しぶりに私の攻撃を受けてくれる人に出会ったのだ、力加減がうまくいかなかったのは仕方ないだろう。
最後まで情報を外に漏らさなかったのはすごいと思う。意識を失っている状態で精神支配魔法をかけても、言葉を発することができないから知りたいことを聞き出せない。グレーティアは、自分が死ぬことで情報を守り通したのだ。
私は倒れているグレーティアを魔法で浮かせて、日陰になっている場所へと移動させた。城下町の空き家の軒先。ここなら横になっていても安全だろう。
回復魔法の効果で致命傷は塞がり始めていた。翼の焼けた部分も少しずつ再生している。しばらくすれば目を覚ますはずだ。
「いつ見ても綺麗だよね。」
そう呟いて、グレーティアのほっぺをつついてみた。人間とは比べ物にならないくらい綺麗な肌、そして髪質。天使の輪もこの美しさに貢献しているようだ。
でも、グルンレイドのメイドだって負けてはいない。スカーレット様なんて聖族よりも白い綺麗な肌なのだ。
「さてと。クレアちゃんたちを追いかけないと。」
グレーティアの体に最低限の回復魔法を追加でかけてから、私は立ち上がった。城の方を見上げる。白い壁と黒い瓦が、夕日を受けて橙色に染まり始めていた。
あの城の中で、クレアちゃんとオリビアちゃんが何かを見つけているだろうか。
「待っててね、今行くから。」
私は地面を蹴って、城に向かって飛び上がった。




