極東6
翌朝、私たちは早速極東の中心へと向かっていた。
ゆっくり進む理由もないので浮遊魔法を使っている。港で買った極東の地図を見てみると、全力で飛べば二時間くらいで到着するだろうと予想できた。……それにしてもすごく正確な地図だ。私たちが住んでいる大陸の地図と比べると、その精密さがよくわかる。
「違和感は特に感じないんだよねー。」
魔力感知をいつもより念入りに行っているが、不審な点は見つからなかった。
港町を離れると、景色が一変した。
眼下には、見渡す限りの田園が広がっていた。整然と区切られた水田に、薄い水が張られている。その水面に空が映り込んで、まるで地上にもう一つの空があるようだった。田んぼの畦道を人々が行き交い、農作業をしている姿が小さく見える。
「綺麗……。グルンレイドの平野とは全然違うね。」
レイリンちゃんがそう言った。確かにグルンレイドの広大な平野も美しいけれど、こちらは人の手が隅々まで行き届いている美しさだ。自然と人間が共存している、という表現が一番近いかもしれない。
「あっ、あの人たち見て。」
オリビアちゃんが指差した先に、田んぼの中で作業をしている農民がいた。よく見ると——
「闘気を使ってる。」
驚いた。農民が、農作業に闘気を使っていた。重い石を運ぶ時に足腰に闘気を纏わせ、水路の水を引く時に腕に集中させている。王国では考えられない光景だ。魔法を使う農民すら珍しいのに、闘気を日常的に使う農民がいるなんて。
「この国では闘気が生活に根付いているんだね。」
「そうみたい。魔法じゃなくて闘気がベースなんだ。」
グルンレイドでは魔法が中心だけれど、極東では闘気が生活の基盤になっている。文化の違いというのはこういうところに表れるのだな、と感心した。アナスタシアちゃんがこの地で闘気を鍛えたという話を聞いた時はピンとこなかったけれど、今ならわかる。ここは闘気の本場なのだ。
田園地帯を抜けてしばらく飛んでいると、前方に人の集団が見えた。
「あれ……。」
街道を歩いている一団だ。高度を下げて様子を窺うと、昨日港で見かけたのと同じような鎧を身にまとった人々だった。五人ほどの隊列を組んで、整然と歩いている。武士、というやつだ。
「巡回かな。」
オリビアちゃんが呟いた。確かに街道の治安を守るための巡回のようだ。
私たちが上空を通過した瞬間、先頭の武士が空を見上げた。目が合った——わけではないと思うが、こちらの存在に気づいたようだった。魔法による飛行を見て驚くかと思ったが、その武士は軽く頭を下げただけで、再び歩き始めた。
「……気づかれたけど、攻撃してこないね。」
「飛んでいる人を見慣れているのかも。」
極東にも飛行術を使う者はいるのだろう。あの反応を見る限り、空を飛ぶ存在が完全に未知というわけではなさそうだ。
それよりも気になったのは、あの武士たちの闘気だった。
「ねえ、今の人たちの闘気、感じた?」
「うん。密度が高かった。」
オリビアちゃんがうなずいた。港で見かけた武士も闘気が厚かったけれど、この巡回隊はさらに上だった。体の内側から外側に向けて闘気を纏わせるのではなく——
「なんか、アナスタシアちゃんの闘気に似てなかった?」
レイリンちゃんが言った。私も同じことを感じていた。アナスタシアちゃんの闘気は、極東で修行してから質が変わったと聞いている。体の内側を通して、必要な瞬間にだけ解放する——そういう使い方。あの武士たちからも、同じ種類の練度を感じた。
「この国で闘気を鍛えたら、ああなるのかもね。」
「アナスタシアちゃんが強くなったわけだ。」
納得した。この国全体が闘気の鍛錬場のようなものだ。日常生活から戦闘まで、あらゆる場面で闘気が使われている。その環境で育った武士たちが弱いわけがない。
しかし闘気は”少し身体能力を上げる”程度が普通だ。私たちが魔法で戦えば勝てるだろう。でも、もしこの国の武士たちが敵に回ったら——アナスタシアちゃんを見てわかる通り、闘気は魔法障壁を貫通する場合がある。油断はできない。
ーー
極東の中心まで残り半分ほどのところで、街道沿いに小さな町が見えてきた。宿場町のようだ。
「少し降りて情報を集めよう。」
「賛成。おなかもすいたし。」
レイリンちゃんの言う通り、朝食を食べてからかなりの時間が経っている。
町の外れに降り立つと、そこは街道の交差点のような場所だった。旅人や商人が行き交い、茶屋や宿がいくつか並んでいる。港町よりもさらに極東らしい雰囲気で、道沿いには提灯が連なり、木造の建物には暖簾のような布が掛けられていた。
「あそこにしよう。」
目に入ったのは、道沿いにある開放的な茶屋だった。木の柱に藁葺きの屋根、壁はなく三方が開けていて、中に低い腰掛けと台が並んでいる。赤い布が敷かれた腰掛けが何とも風情があった。奥では湯が沸いていて、甘い匂いが漂っている。
「いらっしゃい。珍しいお客さんだね。」
茶屋の女将——といっても三十代くらいの気さくそうな女性——が笑顔で迎えてくれた。
「お茶と、何か食べるものをいただけますか?」
「団子でよければ出せるよ。」
「お願いします。三人分で。」
しばらくすると、串に刺された丸い団子と、緑色のお茶が運ばれてきた。団子には甘い蜜のようなものがかけられていて、一口食べるともちもちとした食感と優しい甘さが広がった。
「美味しい!何これ!」
「みたらし団子っていうんだよ。旅人さんに人気なんだ。」
レイリンちゃんがあっという間に一串平らげた。オリビアちゃんも静かに二つ目を口に運んでいる。お茶は香りが高くてすっきりとした味わいで、団子の甘さとよく合った。
「あの、少しお聞きしたいことがあるのですが。」
「何だい?」
「この国を治めている方について教えていただけませんか?」
女将は少し驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻した。
「将軍様のことかい。王様っていうのとは少し違うけどね。」
「将軍……。」
「将軍様のお城は中心の城下町にあるよ。ここからだと——歩いて7日くらいだろうねぇ。」
ということは私たちが飛んだら半日程度あればつくということだ。
「将軍様はどのような方なんですか?」
「そうだねぇ……昔は立派な方だったよ。民のことをよく考えてくれてね。武芸にも秀でていて、自ら巡回に出ることもあったくらいだ。」
"昔は"という言い方が引っかかった。
「今は違うのですか?」
女将の表情が少しだけ曇った。
「最近はね……なんだか様子がおかしいんだよ。城下町から人が減っているって噂もあるし、将軍様の側近たちも見かけなくなった。」
「側近が見かけなくなった?」
「ああ。以前は城下町の市にもよく顔を出していた方々なんだけどね。ここ数ヶ月、ぱったりと。」
数ヶ月。アシュリー様が違和感を感じたのはつい最近だけれど、極東で何かが起き始めたのはもっと前からかもしれない。
「おばさん、ありがとう。とても参考になりました。」
「気をつけなよ、お嬢ちゃんたち。城下町には近づかない方がいいって言う人も増えてるからね。」
「はい、気をつけます。」
私はお茶代と団子代を支払い——レイリンちゃんが追加で頼んだ二串分も含めて——茶屋を出た。
「とりあえず城下町に行こう。」
「うん。」
「行こう。」
三人は再び空に飛び上がった。宿場町がどんどん小さくなっていく。
前方の空は澄み渡っていて、何の異常もないように見えた。
茶屋で聞いた話が頭の中を巡る。将軍の様子がおかしい。側近が消えた。城下町から人が減っている。
全てが一本の線で繋がるような気がした。その線の先にあるものが何なのか——確かめに行く。
私は前方を見据えながら、速度を上げた。




