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極悪辺境伯の華麗なるメイド  作者: かしわしろ
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極東5

極東に到着した。


長い海の旅というわけではなかったけれど、黒海でのことがあったせいか思ったよりも疲れた気がする。船を港に着けて降り立った瞬間——息を呑んだ。


すごい。別世界みたいだ。


「これが極東……。」

三人とも同じ言葉を漏らしていた。


目に飛び込んできたのは、今まで見たことのない形の建物だった。壁は白い漆喰のようなもので塗られていて、屋根は濃い灰色の瓦が何層にも重ねられている。その反り返った屋根の先端には、鬼のような装飾が施されていた。建物は木造のようで、柱や梁が外から見えるものもあり、木の温かみと精巧な細工が調和している。


通りは石畳ではなく、踏み固められた土の道だった。道の両側には水路が流れていて、その水は驚くほど澄んでいる。ところどころに架けられた小さな木の橋が、風景に柔らかさを加えていた。


そして何より目を引いたのは、人々の装いだ。ゆったりとした布を何枚も重ねて着ている人、帯のようなもので腰を締めている人。月の国のアラビア風の衣装とはまるで違う。布の色も深い藍や渋い茶、鮮やかな紅——どれも落ち着いた色味なのに、重なり合うことで独特の美しさを生み出していた。


その中でも特に目を引いたのは、鎧のようなものを身につけて歩いている人だ。腰には剣……とは少し違うものが下げられている。刀、というらしい。座学で習った。そして何より、その人物から放たれている闘気の密度に驚いた。分厚く、重厚な闘気だった。


「強いね。」

「そうだね。」

オリビアちゃんとレイリンちゃんがそう言った。確かにあの闘気密度はちょっとやそっとでは身につけられない。一対一なら負けることはないと思うが、ダメージは受けるだろう。不要な戦いは避けるべきだ。


港にはそれなりの人がいて、活気もある。魔力が不安定というわけでもなく、一見すると問題はないように見えた。アシュリー様が感じた"違和感"が何なのか、見た目だけではわからない。


「とりあえず、話を聞きながら宿を探そう。」

三人は極東の街を歩き始めた。


通りには露店も出ていた。串に刺した丸い食べ物を焼いている店、薄い布のような食べ物でなにかを巻いている店、色とりどりの飴のようなものを並べている店。月の国の市場とはまた違った香りが漂っている。香辛料の辛さではなく、醤油や出汁のような、ほっとする匂い。鼻の奥をくすぐるような、どこか懐かしい香りだった。


道を行き交う人々は、私たちの姿をじろじろと見ていた。月の国以上に浮いている自信がある。メイド服もそうだけど、そもそも顔立ちからして違うのだ。


「すみません。宿を探しているのですが。」

道を歩いている女性に声をかけた。


「お、珍しいね。異国の人間かい。」

やはりすぐにわかるようだった。着ている服も顔立ちも違うのだから、当然か。


「はい、さっき到着しました。」

「まさかあんたたち黒海を通ってきたんじゃないだろうね!?」

「そう……ですが。」

とても驚いた表情をされた。私たちのような子供が黒海を渡るというのは、どう考えても異常だろう。


「今の黒海は異常なんだよ。」

「異常……とは?」

子供であることだけに驚いているわけではないようだ。黒海がいつもと違うらしい。


「理由はわからないけど、魔物が大量に発生しているらしいね。」

「確かに、そうでしたね。たくさんいました。」

「本当にあそこを通ってきたのかい……。」

一般の人は魔物大量発生の理由を知らないようだ。ということは情報を持っていそうな偉い人——極東を統括している存在に聞くのが一番手っ取り早いかもしれない。


「私たちはその問題を解決するために来ました。あの、もっと詳しく知りたいので、他にそのことについて知っている方はいらっしゃいますか?」

「まあ……分からなくはないけど、いったいあんたたちは……。」

見ず知らずの子供に情報を話すのは当然ためらうだろう。私たちの素性を明かした方がいい。


「申し遅れました。私はグルンレイドのメイド、クレアと申します。」

「レイリンと申します。」

「オリビアと申します。」

三人で頭を下げた。


「グ、グルンレイドの!?」

こちらでも名前は知られているようだった。素性を明かすと、女性はさまざまなことを教えてくれた。手頃な宿のこと、極東を統括している存在のこと、そして最近この地で起きている不穏な噂のことも。



ーー


紹介してもらった宿に向かう道すがら、私はこの街の風景に目を奪われていた。


大通りから一本入ると、静かな住宅街が広がっていた。木造の家々は背が低く、どれも同じような造りをしているのに、軒先に吊るされた提灯の色や、庭先に植えられた木の種類がそれぞれ違っていて、個性が見えた。家の前には木の格子がはめ込まれた引き戸があり、中から子供の笑い声が聞こえてくる。


水路にはメダカのような小さな魚が泳いでいて、レイリンちゃんがしゃがみ込んで見入っていた。


「かわいい……。」

「レイリンちゃん、先に進もう。」

「あ、ごめん!」

道の突き当たりに、紹介された宿があった。


大きな木の門に、縦書きの文字で何かが書かれている。読めないが、宿の名前だろう。門をくぐると石畳の小道が続き、両側には苔が生えた岩と、低く刈り込まれた植木が配置されていた。奥には二階建ての木造の建物が見える。


「いらっしゃいませ。」

門をくぐった瞬間に、柔らかい布の服を着た女性が迎えてくれた。この国のメイドのような存在だろうか。深く腰を折って頭を下げる所作は美しかった。


「三人で泊まりたいのですが。」

「かしこまりました。お部屋にご案内いたします。」

案内されたのは二階の角部屋だった。引き戸を開けた瞬間、柔らかい草のような匂いが鼻をくすぐった。


「何この匂い……。」

「畳、というものらしいです。この国では床に敷くものとして使われております。」

宿の女性がそう説明してくれた。床一面に敷き詰められた黄緑色の板のようなもの。靴を脱いで足を踏み入れると、適度な弾力があって気持ちいい。


部屋は広かった。壁は白い漆喰に木の柱。窓は——窓というよりも、木の枠に薄い紙が張られたものだった。障子、というらしい。光がほんのりと透けていて、部屋全体が柔らかい明るさに包まれている。


窓の外には小さな庭が見えた。苔の生えた石、白い砂利、そして一本の松の木。手入れが行き届いていて、グルンレイドの庭園とはまた違った美しさがある。引き算の美、とでも言えばいいのだろうか。余計なものを削ぎ落として、残ったものだけで空間を作り上げている。


部屋の奥には低いテーブルが一つ。椅子はなく、代わりに平たい座布団のようなものが三つ置かれていた。


「ベッドは……。」

「お布団をご用意いたします。この国では床の上にお布団を敷いてお休みいただくのが一般的でございます。」

床で寝るのか。カブの港の安宿よりさらに簡素だけれど、不思議と心地よさを感じた。畳の匂いと、障子越しのやわらかい光のせいだろうか。


「素敵な部屋だね。」

レイリンちゃんが畳の上に座り込んで、両手で畳を撫でていた。


「うん。グルンレイドと全然違うけど、落ち着く。」

オリビアちゃんも珍しく素直に感想を漏らしていた。


「お食事はいかがなさいますか?」

「お願いします。三人分で。」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」

宿の女性が音もなく去っていく。あの足運びの静かさには感心した。グルンレイドのメイドとしても見習いたい所作だ。


しばらくすると、宿の女性が料理を運んできた。


低いテーブルの上に、次々と小さな器が並べられていく。一つ一つの器が形も色も違っていて、それ自体が芸術品のようだった。黒い漆塗りの椀、青い模様が入った皿、木をくりぬいた小鉢——料理が乗る前から、もう美しい。


「すごい……。」

三人とも、箸——この国独特の食事道具——を手にしたまま、しばらく料理を眺めていた。


まず目に入ったのは、透き通った汁物だった。澄んだ琥珀色の出汁の中に、白い豆腐のようなものと、緑の葉が浮かんでいる。一口すすると、口の中に出汁の風味がふわっと広がった。カブの港の海鮮丼とはまるで方向性が違う。押しつけがましくない、繊細な味だった。


「美味しい……なにこれ。」

「味噌汁、というものだそうです。」

宿の女性が丁寧に教えてくれた。


次は焼き魚だった。表面がパリッと焼き上がっていて、箸で身をほぐすと白い湯気が立ち上る。口に入れると、脂の旨味と塩加減が絶妙だった。添えられている白い大根のようなものをすりおろしたものと一緒に食べると、さっぱりとして口の中がリセットされる。


「これも美味しい。」

オリビアちゃんが静かに、でも確実に箸を進めていた。この子が黙々と食べる時は本当に気に入った時だ。

白い山のように盛られているものは、米だった。グルンレイドでも食べることはあるけれど、こちらの米は粒の形が違う。もっちりとしていて、噛むほどに甘みが広がる。


「お米が美味しい……グルンレイドのと全然違う。」

「品種が違うのかもしれないね。」

他にも、甘辛い味付けで煮込まれた野菜と肉の小鉢、酢の物、漬け物——どれも小ぶりだけれど、一つ一つに手間がかけられているのがわかった。派手さはないのに、全ての味が調和している。月の国の料理が力強さだとすれば、極東の料理は繊細さだ。


「お刺身もございます。」

最後に出てきたのは、薄く切られた生の魚だった。カブの港の海鮮丼とは見せ方が全く違う。白い皿の上に、花びらのように美しく並べられていて、緑の葉が添えられている。醤油という黒い液体をつけて食べるらしい。


「いただきます。」

一切れ口に入れた瞬間、目が大きくなった。


「……美味しい。」

カブの港の魚も美味しかったけれど、これは次元が違った。口の中でとろけるような食感、そして醤油の風味が魚の甘みを引き立てている。


「何これ、すごい。」

レイリンちゃんが感動して二切れ目、三切れ目と箸を伸ばしていた。

食事を終えた時には、三人とも満足感で動けなくなっていた。


「クレア、これからどうするの?」

食後のお茶を飲みながら、オリビアちゃんがそう聞いてきた。窓の外では日が傾き始めていて、障子越しの光が橙色に変わっていた。


黒海を見た時は何かしらの原因が極東にあるとわかったけれど、いざ来てみると不審なものは観測できない。港の街は平穏そのものだった。


「とりあえずは極東を統括している人のところへ行ってみよう。」

「それは賛成だけど……相手にしてくれるかな?」

レイリンちゃんが言った。確かにそうだ。王国でいう王に、私たちのような見習いが簡単に会えるわけがない。


「勝手に侵入して直接話聞いちゃう?」

「それは……さすがにダメでしょ。」

オリビアちゃんに止められた。うーん、どうしよう。


「まあ、どちらにしろ極東の中心には行かなきゃいけないでしょ。」

「確かにそうだね。」

無理やり話を聞くかどうかは置いておいて、まずは統括者がいる場所に向かわなければ始まらない。


「あの、真面目な話の途中申し訳ないんだけど……おなかすいた。」

「え、さっきあれだけ食べたのに?」

「だってあれは味わうための量であって、おなかを満たす量じゃなかったもん!」

確かに極東の料理は一品一品が小ぶりだった。味は最高だったけれど、レイリンちゃんの胃袋には足りなかったようだ。


「……追加でお願いできますか。」

私は宿の女性を呼んで、おにぎりというものを三つ頼んだ。程なくして運ばれてきた三角形の米の塊を、レイリンちゃんは幸せそうに頬張っていた。

海苔という黒い薄い食べ物で包まれていて、中には梅干しというすっぱいものが入っている。シンプルだけど、これがまた美味しかった。


「明日、極東の中心に向かおう。今日はゆっくり休んで。」

「了解。」

「はーい。」

障子の向こうの空が紺色に変わり、どこからか虫の声が聞こえてきた。グルンレイドの夜とは違う音だ。もっと繊細で、もの悲しくて、でも心地いい。


布団が敷かれると、畳の上に三組の白い布団が並んだ。掛け布団は軽くて柔らかくて、マリネ亭の安宿の硬い布団とは大違いだった。


「あ、いい匂い。お布団からもあの草の匂いがする。」

「畳の匂い、だね。」

レイリンちゃんが布団に顔をうずめてすんすんと嗅いでいた。


「おやすみ。明日は早いよ。」

「おやすみー。」

「おやすみ。」

障子越しに、月の光が薄く差し込んでいた。

明日からが本番だ。極東の中心に向かって、アシュリー様の感じた"違和感"の正体を突き止める。


何が待っているかはわからない。でも——お腹はいっぱいだし、布団は気持ちいいし、仲間は隣にいるし。

今日のところは、これで十分でしょう。

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