見習いメイド6
ある程度の案内が終わり、アナスタシアとともに部屋に戻ってしばらく経ったころ、再び扉がノックされた。
「入るわよ。」
カルメラさんの声とともに扉が開く。その後ろには小柄な少女がいた。その少女は、黒いあざが首元や腕のあちこちにあった。
「リアよ。悪魔付きの治療の反動もなくなってきたから、今日からはこの部屋で過ごしてもらうわ。」
リアがきょろきょろと部屋を見回してから、私とアナスタシアに視線を向けた。
「リアっていいます。よろしくね。」
昨日見た時と全く違う様子で、そう答えていた。昨日の姿を思い返すと、今にも消えてしまいそうな顔色で、立っているのがやっとというような有様だったはずだ。それが今は、声に張りがあって、目に光がある。
「メルテ。」
「アナスタシアですわ。よろしくお願いします。」
カルメラさんが盆を机に置いた。夕食だった。パンとスープ、サラダ、それから高級そうな肉が数切れ。見たこともないようなソースがかかっていた。
「食べて、シャワーを浴びて、寝なさい。」
「シャワー……?」
リアが首を傾げた。アナスタシアも同じような顔をしていた。私も、その言葉に聞き覚えがなかった。
「知らないわよね。案内するわ。」
カルメラさんに連れられて、三人は部屋の奥にある小さな扉の前に立った。開けると、思っていたより広い空間が広がっていた。石造りの床に、壁から突き出た金属の管。排水のための溝が床に刻まれている。
「部屋の中に、体を洗う場所が……?」
アナスタシアが思わずといった様子で呟いた。貴族の屋敷であっても、浴室が居室と同じ空間にあることはまずない。それがここでは当然のように備え付けられている。
「これをひねると水が出るわ。逆にひねるとお湯。量はこっちで調整する。体と髪を洗ったら止める。それだけよ。」
カルメラさんが実演するように蛇口をひねると、水が勢いよく流れ出た。三人とも、しばらくそれを眺めた。
「……蛇口をひねるだけで、お湯が出るんですのね!」
アナスタシアの声が、わずかに上ずっていた。
リアが興味深そうに管に顔を近づけた。私も流れる水をじっと見つめて、少し触れてみる……確かに温かい。
「使えばわかるわ。そばにあるボディーソープ、シャンプー、リンスの使い方は……アナスタシア、わかるわね。」
「はい。存じ上げておりますわ。」
体を洗うための石鹸類は平民でもよく使うが、数種類に分けられている特殊なものは主に貴族が使用している印象だ。私は使い方がわからないから、アナスタシアに聞くとしよう。
「それじゃあ、何かあったらこの鈴を鳴らして。」
カルメラさんが三人にそれぞれ小さな鈴を手渡した。手のひらに収まるくらいの大きさで、見た目はただの鈴だった。
「これは共鳴鈴、それはわたしが持っている鈴と対になっているわ。鳴らせば、同じ音が私の鈴でもなるという魔道具よ。夜中でも遠慮しなくていい。」
私は鈴を指でつまみ、軽く傾けた。澄んだ2つの音が部屋に響いた。
「何かあったら、というのはどういった場合ですの?」
アナスタシアが尋ねた。
「体の具合が悪いとき、屋敷の中で困ったとき、何でもいいわ。慣れないうちは特にね。」
そう言い残して、カルメラさんは部屋を出た。
私たちは、カルメラさんに指示されたとおりに、まずは食事を始めようと、準備を進める。そうして、三人で食卓を囲んだ。
最初はしばらく無言だった。スープをすする音と、パンを千切る音だけが部屋に漂う。昨日買われたばかりの、ほとんど見知らぬ人間が三人、同じ机に座っている。それだけで十分に奇妙な状況だった。
「アナスタシアちゃんは貴族だったの?」
「ええ、そうですわ。」
「ふーん。」
リアはパンを口に放り込みながら、特に気にした様子もなく頷いた。貴族だったという事実を聞いて、萎縮するでも、羨むでもない。おそらく、その美しい食事風景を見て、そうつぶやいただけだろう。アナスタシアは少し拍子抜けしたような顔をしたが、すぐに表情を戻して食事を続けた。育ちの違う三人が、同じ食卓で同じものを食べている。それがこれからの日常になるらしかった。
「メルテちゃんって、痛くないの?目。」
次は私に質問をしてきた。心配しているというより、純粋に気になっているという顔だった。
「痛くない。昨日より全然いい。」
「そっか。よかった。」
それだけ言って、またパンに手を伸ばした。深追いしない。リアはそういう人間らしかった。
「リアさんは……悪魔付き、とおっしゃっていましたわね。」
アナスタシアが静かに口を開いた。
「うん。瘴気が体に蓄積してる状態のことだよ。」
「それは……大丈夫ですの?」
「治してもらったから今は平気。」
「そうでしたの。それはよかったですわ。」
アナスタシアはそれ以上は聞かなかった。リアも特に続きを話すつもりはないらしく、またスープに口をつけた。
「ご主人様って、どんな人なんだろ。」
リアがぽつりと言った。独り言のような声だったが、私もアナスタシアも手を止めた。
「わたくしも、ほとんど記憶がありませんわ。それほど消耗していたので。」
私は何も言わなかった。ただ、昨日の奴隷商での一瞬を思い出した。視線が合ったとき、圧倒的だと感じた。
「カルメラさんは、周辺貴族が束になっても及ばないほどの力があるっていってた。」
私はそうつぶやく。
「すごい人なんだね、きっと。」
リアも同調するようにそう言った。
夕食を食べ終えると、三人は順番にシャワーを浴びることにした。
「私が最初でもいい?」
リアが手を挙げた。二人が頷くと、リアは扉の向こうへと消えた。しばらくして水の音が聞こえてきた。それからすぐに「つめたっ」という声が響いて、お湯に切り替えたのだろう、声が止んだ。
アナスタシアが次に入った。物音ひとつ立てない。入浴時に音を立てないというのは貴族の所作なのか、アナスタシアの性格ゆえなのかはわからなかった。シャワーの音だけが静かに聞こえた。
私が最後だった。扉を閉めて、蛇口をひねる。カルメラさんに教わった通り、逆にひねるとお湯が出た。全身に温かい湯が広がっていく。体の芯まで温まるような感覚は、本当に久しぶりだった。今日一日のことが断片的に浮かんでは消えていく、屋敷の廊下、絵画の警告、訓練場の光景、カルメラさんの言葉……。
布団に入ったのは、窓の外が完全に暗くなったころだった。天井には魔道具がぶら下がっている。魔石を差し込むことで魔力が供給され、光に変換される仕組みらしい。私は椅子に乗って魔石を引き抜いた。すると部屋が暗くなった。窓の外からわずかに月の光が差し込んでくる。
三つのベッドに一人ずつ横になって、天井を見上げる。
「ねえ、訓練って何するんだろ。」
「魔法か剣だと思いますわ。訓練場を見てきましたの。メイドたちが稽古をしていましたわ。」
「え、メイドが剣?」
「魔法も。」
「……すごいとこだね、ここ。」
「おやすみ。」
リアの声が聞こえた。
「おやすみなさいませ。」
「……おやすみ。」
部屋が静かになり、窓の外で、風が木を揺らす音が聞こえた。私はゆっくりと目を閉じた。




