黒海5
魔撃。
そんな声が聞こえた瞬間、目の前にありえない光景が広がった。どこまでも黒く、圧縮された魔力の塊。まさしく魔神のみが使える魔撃ではないか。
「ありえん。」
さっきまで瀕死だった人間の子供はどこへ行った。周囲を見渡しても見当たらない。
「こちらです。」
声の方向を見ると、二つの魔撃の上、俺と同じ高さまで飛んでいた。なかったはずの腕は再生し鋭い爪が、頭には角が、その黒く染まった瞳は鋭くこちらを見据えていた。
「ば、馬鹿な!その姿は、まるで……魔神ではないか!」
魔神になれるのは魔族だけだ。人間がなれるなんて聞いたことがない。いや、あいつは完全な人間というわけではなく、悪魔付きだった。かといってそう簡単に魔神化できるはずがないのだ。
そう思考を巡らせているうちに、二つの魔撃は衝突した。圧倒的なエネルギー同士の衝突で海上の氷は粉々に砕け散る。その破片が宙へ舞い、まるでこの世の崩壊のような情景が広がった。その中でも俺と、目の前にいる敵はお互いを見据えていた。
「もうお前を格下とは思わない。」
「それは光栄です。」
そういってぼろぼろのスカートをつまみ、頭を下げる。周囲の景色に合わないそのしぐさは、何度見ても美しいと思ってしまった。
「まいります。」
「こい!」
ーー
「はぁ、はぁ……。」
驚いた、まだ息があるのか。そこに倒れている魔神化した人間を見ながら考える。胸が上下に動いているので、息はしているのだろう。きっともう立ち上がることはできないだろうが。
それにしても、俺の方もかなりぼろぼろだ。魔神化してもなお、これほどのダメージを負うとはこいつの強さは人間族の中でも頂点に立つほどの存在なのだろう。まあ、今になっては人間かどうか怪しいが。魔法の効果が切れかかっているのか、今立っているこの氷も溶け始めていた。さっさとトドメを刺すとするか。魔力を集め、放つ。
「メルトスピア」
光の槍がまっすぐ進んでいく。
「華流・剪定」
ガギィンという音とともに、光の槍が消えた。ねじ曲げられた空間から、メイド服を着た人間が現れる。
「……誰だ。」
「お初にお目にかかります。私はグルンレイドのメイド、カルメラ・ローズと申します。」
そういって頭を下げる。
「私どもの見習いが、だいぶお世話になったようですね。」
氷の上に倒れているメイドを見ながら、そういった。
「この惨状はすべてご主人様に報告させていただきます。」
そういってぼろぼろのメイドを抱き上げた。
「逃がすと思うか?」
「勘違いしないでください。私があなたを見逃すのです。」
「言葉には気を……」
ボトリ、と俺の右腕が落ちた。
「……っ!」
何が起きた。何も見えなかった。ただ気づいたら腕が切られていた。
「何をし……」
「時間がありませんので、失礼致します。」
動くことができなかった。バインドという魔法だ。しかし、あのメイドは詠唱をしていなかった。一体どういう仕組みなのだ。そしてメイドは再び時空をゆがめる。
「一つ忠告です。ジラルド様は自分のものを傷つけられると、大変お怒りになられます。それ相応の覚悟をしておいた方がいいかと。」
そういって二人のメイドは時空の歪みに消えていった。俺はただ黙ってそれを見ていることしかできなかった。
「っはぁ、はぁ。」
やっと動けるようになり、呼吸ができるようになった。……これは父に報告をしなければいけないようだな。
それと、あのメイドが帰り際に何か言っていたが、別に気にすることはないだろう。所詮あのメイドを買った人間の貴族が怒るだけだ。人間の貴族とは馬鹿の集まりだと聞く。注意すべきは、あの魔神化したメイドが回復して再び攻撃を仕掛けてくるときだろう。それさっきのカルメラとかいうメイドも報告しておくか。
そうして俺は一度魔界に戻ることに決めた。
ーー
「ご主人様、申し訳ありません。」
リアがご主人様に頭を下げた。私が魔の海域からリアを救出し、一日後の出来事だ。連れて帰った時は体がぼろぼろで、ご主人様の前に立てる状態ではなかった。
「不測の事態だといえ、護衛の任務が完璧だった、とは言えないようだな。」
結果として、リアが時空間魔法で船を飛ばしたことで、依頼人は無事に極東へ到着した。しかし肝心のリアはその場所にいない。依頼をこなしていないといわれても仕方がない状況だった。
「……。」
リアが悲しい顔を見せた。
「それではこの依頼は失……。」
「お待ちください。」
私が声を上げると、リアは驚いた様子でこちらを見た。
「ことのてんまつを告げに、ハーマイド侯爵と同行していた護衛の方々のもとへと向かいました。」
リアの状態を告げないのは配慮に欠けると判断し、状況を伝えに行ったのだ。
「その時に、ハーマイド侯爵から承った伝言がございます。」
ジラルド様は目を見開いた。さすがとしか言いようがない。今までのリアへの言葉はすべて茶番で、これから告げられる私の言葉はすべてお見通しだという顔をしている。
『あのメイド……リアは、命を懸けて私を救ってくれた。私は無事に極東へ到着した。依頼は無事に完了したと考えている。……感謝する。』
「とのことです。」
「ほう、そういうことであれば、この依頼は失敗ではないな。」
ジラルド様が驚いたような表情をした。演技が上手な方だ。
「さあ、リア。退出するわよ。」
失礼しました、といってリアを連れて大広間を出た。
「よ、よかったです!カルメラさん!」
「よかったわね。」
昨日まで命を懸けて戦っていたとは思えないほどかわいらしい笑顔を見せる。魔神化していた時に生えていた角などは今は生えていないようだった。本当に不思議な子だと思う。
「ハーヴェストにも伝えないとね。」
「そうですね!」
悪魔付きと魔族という魔つながりなのかは分からないが、リアはハーヴェストにかなりなついているようだった。
「あの、」
「ん?」
「ユウトさんたちにも、無事を報告したいのですが……。」
道中一緒に冒険した冒険者たちのことか。確かに心配しているだろう。
「そうね。じゃあ、明日にでも連れて行く?」
「い、いえ、自分で行けます。」
そういえばこの子、超級第三魔法ヨグ・ソートスを使っていた。アシュリーさんの観測魔法を利用して、私は常にリアの様子を確認していたのだ。戦闘の一部始終を見ていたが、あの状況であの魔法を使えるとは思っていなかった。本当に規格外の子だ。
「そう、気を付けていってらっしゃい。私からリアの不在をメイド長へ伝えておくから。」
「ありがとうございます。」
そういって駆け出していった。早くハーヴェストに結果を伝えたくて仕方がないようだ。
さて、リアはもう襲ってきた魔貴族のことはどうでもいいようだが、他のメイドやご主人様はそうではない。だけど私一人の判断ではどうこうすることはできない。今はご主人様の決定を待つとしよう。もしかしたら魔界が崩壊することになりかねないかもしれない。が、自業自得だろう。ご主人様を怒らせた罪の重さを知るがいい。




