王国魔法学校10
入学から一ヶ月が経った頃、エリザベスさんに変化が見え始めた。
最初の頃のエリザベスさんは、私を見るたびに体を強ばらせ、目を逸らし、必要最低限の言葉しか発しなかった。入学試験の日に私のアイスロックで腕を凍らされ、ヴィンドカッターで肩と太ももを切られた記憶は、相当深く刻まれてしまったようだ。あれは本当に申し訳ないことをした。
だがある日を境に、その態度が少しずつ変わり始めた。
きっかけは些細なことだった。
「エリザベスさん、この魔法の課題、一緒にやりませんこと?」
放課後の教室で、私が声をかけた。翌日に提出しなければならない魔法理論のレポートがあったのだが、一人で書くのは少し退屈だった。隣の席に座っているエリザベスさんに声をかけるのは自然なことだと思ったのだが——
「ひっ……い、いえ、私は結構ですわ……。」
椅子ごと後ろにずり下がる。その反応はさすがに傷つく。
「そんなに怖がらないでくださいまし。私、別に怒っていたりしませんわ。」
「で、ですが……。」
「エリザベスさんは魔法理論の成績がいいと聞いていますわ。教えていただけると助かりますの。」
それは嘘ではなかった。エリザベスさんの魔法理論の成績はクラスでもトップクラスだ。実技では私に大きく劣るが、座学に関しては非常に優秀だった。
「わ、私が教えるなんて……アナスタシアさんの方が……。」
「実技はそうかもしれませんが、理論は私、あまり得意ではありませんの。」
グルンレイドでの教育は実践重視だった。魔法の原理や理論は教わったが、この魔法学校で扱うような体系的な座学とは少し毛色が違う。
「……本当に、私でいいのですか?」
「もちろんですわ。」
おそるおそるだったが、エリザベスさんは椅子を元の位置に戻した。そしてレポートの資料を広げ、「えっと、この部分なのですが」と説明を始めてくれた。
その声がとても丁寧だったことを覚えている。怯えの中にも、誰かに教えることが好きだという気持ちが透けて見えた。
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それからというもの、放課後にエリザベスさんと一緒に勉強する時間が増えていった。
最初はレポートだけだったが、次第に授業の復習や予習も一緒にやるようになった。エリザベスさんは理論の説明がとても上手で、難しい概念を噛み砕いて教えてくれる。
「魔力の流動性というのは、水路に例えると分かりやすいですわ。太い水路は大量の水を流せますが、精密な制御が難しい。細い水路は少量しか流せませんが、行き先を正確に定められる。」
「なるほど。つまり魔力密度が高いだけでは精密な魔法は使えないということですわね。」
「そうですわ。密度と制御は別の能力なんですの。」
ヴァイオレット様やアシュリーさんが言っていたことと同じだ。だが理論として体系的に説明されると、改めて腑に落ちるものがある。
二人で教室に残っていると、時々ミアさんが声をかけてくれるようになった。
「あ、お勉強中ですか?お邪魔じゃないですか?」
教室の入り口から遠慮がちに顔を覗かせるミアさんに、私は「どうぞ入ってくださいまし」と手を振った。
最初、エリザベスさんはミアさんのような平民の学生が近づくことに明らかな不快感を示していた。露骨に目を逸らし、唇を引き結ぶ。三大貴族として育てられた環境では、平民と対等に話すこと自体がありえないのだろう。
だがミアさんは怯まなかった。
「エリザベス様、ここの問題の解き方がわからなくて……教えていただけませんか?」
「……なぜ私に聞きますの。先生に聞けばよろしいでしょう。」
「先生はもう帰っちゃったんです。エリザベス様、この分野すごく得意だって聞いたので……。」
「……。」
エリザベスさんは無言だったが、ミアさんの教科書をちらりと見て、小さくため息をついた。そして——
「ここはこうですわ。この公式を使って……。」
教え始めた。声は硬かったが、説明そのものは丁寧だった。ミアさんが「わかった!」と目を輝かせると、エリザベスさんの表情がほんの一瞬だけ緩んだ。
その光景を見て、私は確信した。この子は根が悪い子ではない。三大貴族という看板の重さに押しつぶされそうになっているだけだ。
「アナスタシアさん、少しお話してもよろしいですか。」
ある日の放課後、エリザベスさんが珍しく自分から声をかけてきた。教室には他の学生はもういない。夕日が窓から差し込み、机の上にオレンジ色の光を落としていた。
「もちろんですわ。」
二人で並んで座る。エリザベスさんは膝の上に手を置いて、しばらく何かを考えていた。金色の巻き髪が、夕日に照らされて琥珀色に光っている。
「……私、この学校に来たくなかったんですの。」
「そうなんですか?」
「父に命じられたんですわ。マーティン家の名に恥じない成績を取れと。第一魔法学校でトップでなければ、家の看板を汚すことになると。」
三大貴族の重圧。親からの期待。それは私が想像するよりもずっと重いものなのだろう。
「入学式の日、私が『テストで勝ちますわよ』とアナスタシアさんに言ったの、覚えていますか。」
「ええ、覚えていますわ。」
「あれは……本心ではなかったんですの。父の声が頭の中で鳴っていて、そう言わなければならないと思ったんですわ。『マーティン家は常にトップであれ』って。」
エリザベスさんの声が小さくなる。
「でも結果は四位。一位にはもちろん届かず、二位にも三位にも負けた。父にはまだ報告していませんわ。報告したら何を言われるか……。」
手が膝の上で震えていた。私は何も言わずに、その手にそっと自分の手を重ねた。
「……アナスタシアさんは、怖いものとかありますの?」
「たくさんありますわ。」
「嘘ですわ。あんなに強いのに。」
「強さと恐怖は別のものですわ。」
私はエリザベスさんの目を見て言った。
「私にも、失望されたくない方がいますの。期待に応えられなかったらどうしよう、認めてもらえなかったらどうしよう。そんなことを考えて眠れない夜もありますわ。」
ご主人様のことだ。任務を失敗してご主人様に失望されることが、私にとって一番の恐怖だ。だがそれを口にすることはできない。
「でも私が学んだのは、強さだけが全てではないということですわ。」
「強さだけが全てではない……。」
「エリザベスさんの魔法理論の知識は、私にはないものですわ。ミアさんにわかりやすく教えてあげられる能力も、立派な強さですのよ。」
「そんなもの、戦闘の前では何の役にも……。」
「いいえ。戦いだけが全てだと思っていたら、大切なものを見落としてしまいますわ。」
私自身、グルンレイドに来るまではそのことに気づけなかった。奴隷として力だけが生きる手段だと思っていた頃の自分は、今よりもずっと弱かった。
「私にはできなくてエリザベスさんにできること、エリザベスさんにはできなくて私にできること。それを補い合えたら、一人でいるよりもずっと強くなれると思いませんこと?」
エリザベスさんの目から涙がこぼれた。声を出さずに、静かに。金色の巻き髪が揺れて、頬に落ちた涙を隠すように垂れ下がった。
「……ずるいですわ、アナスタシアさん。そんな風に言われたら……。」
「泣いてもいいですわよ。今はここに私しかおりませんから。」
エリザベスさんは両手で顔を覆い、しばらく声を殺して泣いていた。その背中を、私はそっとさすった。
この子が本当に必要としていたのは、ライバルではなく、隣に立ってくれる存在だったのだろう。
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それからのエリザベスさんの変化は目覚ましかった。
まず、平民の学生との距離が縮まった。ミアさんやフィーナさんとは勉強を教える中で自然と話すようになり、やがて昼食を一緒にとる日も出てきた。最初は「仕方なく」という顔をしていたが、いつの間にか自分から話しかけるようになっていた。
「ミア、この問題の解法は二通りありますわ。一つ目は……。」
「エリザベス様、すごい!」
「も、もうちょっと静かに……。」
顔を赤くしながらもまんざらでもなさそうなエリザベスさんを見ると、微笑ましくなる。
もちろん貴族院の中では、エリザベスさんの行動は眉をひそめられていた。三大貴族の令嬢が平民と食事をともにするなど、前代未聞だ。オーロラさんの取り巻きたちが陰口を叩いているのも耳に入った。
だがエリザベスさんは——私と同じように、それを気にしなくなっていた。
「貴族院で浮いてしまっていますわね、私たち。」
ある日、二人で廊下を歩いている時にそう言ったら、エリザベスさんは少しだけ笑った。
「少し前の私なら、耐えられなかったと思いますわ。でも今は……不思議と平気ですの。」
「それはどうしてですか?」
「アナスタシアさんも同じ側にいてくださるから、でしょうか。」
その言葉が、思った以上に嬉しかった。
そしてもう一つ、大きな変化があった。エリザベスさんの魔法の実力が急速に伸び始めたのだ。
きっかけは、私が放課後の訓練に誘ったことだった。
「エリザベスさん、少し実技の練習をしませんこと?」
「わ、私なんかが相手では……。」
「教えてもらうばかりでは悪いですわ。今度は私がお返しする番ですの。」
貴族寮の専用訓練場で、二人で向き合う。最初はエリザベスさんの動きは硬かった。魔法障壁の展開が遅い、攻撃魔法の発動にもたつく、回避の判断が鈍い。入学試験の時に魔法障壁を張らなかった理由がわかった。張れなかったのではない——張る訓練を受けていなかったのだ。
マーティン家では座学こそ重視されていたが、実戦的な魔法訓練はほとんど行われていなかったようだ。貴族は自ら戦うものではない、騎士に守られるのが当然——そういう教育だったのだろう。
「まず魔法障壁を常時展開する癖をつけましょう。」
「常時、ですか?そんなこと可能なのですか?」
グルンレイドでは当たり前のことだが、やはり外の世界では違うらしい。
「魔力の消費を最小限に抑える方法がありますの。最初は薄い膜のような障壁を体に密着させて展開するんですわ。厚くする必要はありません。攻撃を受けた瞬間だけ、その部分を瞬間的に強化すればいいのですから。」
メアリーさんに教わった技術だ。メアリーさんは魔力の制御がもともと苦手だったが、この訓練を日常的に行うことによって魔力制御を身に着けていったらしい。メアリーさんの場合は極限まで魔法障壁を薄くしたとしても、私の全力より強い障壁になってしまうのだろうが。
何はともあれ、基礎訓練としては非常に良い。
「やってみますわ。」
エリザベスさんが集中する。額にうっすらと汗が浮かぶ。魔力が彼女の体を薄く覆い始めた。だが——すぐに途切れる。
「難しいですわ……。」
「最初はそうですの。繰り返し練習していけば、自然にできるようになりますわ。」
翌日もその翌日も、放課後の訓練は続いた。
そしてここで、エリザベスさんの才能が花開き始めた。
三日目にして魔法障壁の常時展開を習得した。五日目にはファイアーアローの精度が格段に向上した。一週間後には、アイスロックで的を完全に粉砕できるようになっていた。
「エリザベスさん、すごいですわね。」
本心からそう言った。この上達速度は尋常ではない。
「そ、そうでしょうか。アナスタシアさんに比べたらまだまだ……。」
「私が今のエリザベスさんと同じくらいの技量になるまで、もっと時間がかかりましたわ。」
これは嘘ではない。私はグルンレイドで何か月もかけてこの力を手に入れた。エリザベスさんはわずか数日で基礎を習得し、みるみるうちに成長している。三大貴族の血筋がそうさせているのか、あるいは座学で培った理論的な理解力が実技に直結しているのか——おそらくその両方だろう。
「魔力の流し方がとても綺麗ですのよ、エリザベスさんは。水路の比喩をご自分で使っていましたけれど、あなたの魔力はまさにそれですわ。無駄がなく、正確に、必要な場所へ必要な量だけ流れていく。」
エリザベスさんの顔が赤くなった。褒められることに慣れていないのだろう。褒められるとしても、それは「マーティン家にふさわしい」という条件付きのものばかりだったに違いない。
「……アナスタシアさん。」
「はい?」
「私、もっと強くなりたいですわ。三大貴族の看板のためではなく、あなたの隣に立てるくらいに。」
その目は——入学初日に見たような虚勢の光ではなかった。静かで、確かな、本物の意志だった。
「それは、とても素敵な目標ですわね。」
私は微笑んだ。この子はきっと、強くなる。
ーー
エリザベスさんとの訓練が日課になり始めた頃、もう一人の気になる存在と接触する機会が訪れた。
学年三位、カズト・ホシカワ。
入学から一ヶ月半が経っていたが、この人物とは一度も言葉を交わしたことがなかった。Cクラス所属で、私のAクラスとは授業が被らない。成績表で名前を見て以来ずっと気になっていたのだが、接点がなかったのだ。
その接点が、思わぬ形で生まれた。
実技の合同授業——月に一度、全クラス合同で行われる実戦形式の演習だ。ランダムに組まれた二人一組で、試験官役の上級生と模擬戦を行う。
「アナスタシア・アスター、カズト・ホシカワ。」
名前を呼ばれた瞬間、教員の周囲がどよめいた。学年一位と三位のペアだ。
「よろしく。」
隣に立ったのは、黒い髪の青年だった。この国ではあまり見かけない漆黒の髪と、少し切れ長の目。身長は私より頭一つ分高い。端正な顔立ちだが、どこか柔らかい印象がある。鎧も纏わず、剣も持たず、軽装のまま立っている。
「よろしくお願いいたしますわ。」
私はカズトさんを観測魔法でさりげなく調べた。魔力密度は——中の上といったところだ。学年三位にしては控えめに感じる。だがアメリさんの時と同じように、何かが——引っかかる。
「俺、あんまり連携とか得意じゃないんだけど……大丈夫かな。」
少し困ったように頭を掻きながらそう言った。その仕草がどこか自然で、貴族特有の装飾的な動きとはまるで違う。言葉遣いも砕けていて、平民とも違う。どこか——この世界の人間とは異なる空気を纏っている。
「得意でなくても問題ありませんわ。私がフォローいたします。」
「ありがとう。頼りにさせてもらうよ。」
にっこりと笑う。屈託のない笑顔だった。こういう笑い方をする男性は、この学校ではあまり見かけない。貴族の男子は虚勢を張り、平民の男子は卑屈になる。カズトさんはそのどちらでもなかった。
「始め!」
合図とともに、試験官役の上級生二人が同時に動いた。一人は剣士型、もう一人は魔法士型。前衛と後衛の連携攻撃だ。
「ファイアーアロー!」
魔法士型の上級生が炎を放つ。私がそれに対処しようとした瞬間——
「大丈夫、任せて。」
カズトさんが一歩前に出た。右手を炎に向けて翳す。
その瞬間だった。
カズトさんの体から、奇妙な魔力が溢れ出た。
魔力だ——間違いなく魔力だ。だが、私が知っている魔力とは何かが違う。通常の魔法を発動するとき、魔力核から魔力が流れ出し、体内を巡り、詠唱や手の動きに合わせて外部に放出される。その過程で魔力は術者の意志によって形を変えていく。
カズトさんの魔力には、その「過程」がなかった。
魔力核から直接——何の過程も経ずに——完成された形で魔力が放出されている。まるで最初から答えが用意されていたかのように。詠唱もなく、手の動きも最小限で、魔法が「出来上がった状態」で現れたのだ。
飛んできた炎が、カズトさんの前で弾かれた。透明な壁のようなもの——だが魔法障壁とも違う——が炎を受け止め、消滅させた。
「……っ。」
違和感が全身を駆け抜けた。何だ、今の。あの魔力の使い方は——見たことがない。グルンレイドの誰の魔法とも似ていない。メイド長の精密な魔法とも、メアリーさんの圧倒的な魔力密度とも、アシュリーさんの魔力線操作とも。根本的に、仕組みが違う。
「前衛は俺が抑える。後ろ頼んだ!」
カズトさんが剣士型の上級生に向かって走り出す。手には——いつの間に取り出したのか——一振りの剣が握られていた。だがその剣にまとっている力も、通常の魔力や闘気とは何かが異なっていた。
「バルザ流・雨切り!」
上級生が連撃を放つ。カズトさんはそれを——
避けた。
華流ではない。バルザ流でもない。体の動かし方そのものが異質だった。筋肉の使い方ではなく、何か別の力で体を制御しているような動きだ。まるで体が勝手に最適な回避行動を取っているかのような——
「はっ!」
カズトさんの反撃は素早かった。剣を振り上げ、上級生の腹部に——寸止め。見事な距離感だ。
「……参った。」
上級生が剣を下ろす。私も後衛の魔法士型を魔力拡散で無力化し、模擬戦は終了した。
「お疲れ様。助かったよ、アナスタシアさん。」
カズトさんが汗を拭きながらそう言った。笑顔は先ほどと変わらない。あれだけの戦闘をしたのに、息もそこまで乱れていない。
「こちらこそ。見事な動きでしたわ。」
「そう?ありがとう。」
照れたように頭の後ろを掻く。その仕草が——やはりこの世界の人間とは違う。もっと自然体で、飾らない。
「カズトさんは、どちらのご出身ですの?」
さりげなく尋ねてみる。
「んー、ちょっと遠いところ。」
「遠い、とは?」
「説明が難しいんだよね。まあ、この国の出身じゃないってことで。」
はぐらかされた。だが悪意のある隠し方ではない。本当に説明が難しいのだろう。外国の出身にしてはこの国の言葉が流暢すぎるし、しかし文化的な振る舞いは明らかに異質だ。
「ホシカワというお名前、珍しいですわね。」
「そう?まあ、あまりこっちにはない名前かもしれない。」
「こっちには、ですか。」
カズトさんが一瞬だけ口をつぐんだ。何かを言いかけて、飲み込んだような表情だった。
「あ、カズトー!」
その時、遠くから女子生徒の声がした。振り向くと、数人の女子がカズトさんの方に駆け寄ってくる。
「お疲れ様!すごかったね!」
「カズトくん、怪我はない?」
「一緒にお昼食べよう!」
あっという間にカズトさんの周りに女子生徒が集まった。全員が親しげに話しかけている。カズトさんは一人一人に丁寧に応じていて、誰かを特別扱いするでもなく、かといって冷たくあしらうでもなく、自然体のまま接している。
「すまない、ちょっと行ってくるよ。アナスタシアさん、今日はありがとう。またよろしくね。」
そう言って手を振ると、女子生徒たちに囲まれながら歩いていった。
「モテていますわね。」
ソフィアさんがいつの間にか隣に来ていた。
「ですわね。」
「でも自慢するような素振りは全くありませんでしたね。」
「ええ。」
自然体。飾らない。優しい。人当たりがいい。女子に囲まれても嫌な顔一つしない。ある種の主人公気質——物語の中心にいるような存在感。だがそれよりも気になるのは——
「ソフィアさん、さっきのカズトさんの魔法、見ていましたか?」
「はい。」
「何か感じませんでしたか。」
ソフィアさんの表情が少し険しくなった。
「……違和感、ですね。魔法に見えるのですが、魔法ではないような。魔力を使っているのは間違いないのですが、その使い方が——訓練で身につけたものとは、根本的に違う気がしました。」
「私も同じ感覚ですわ。」
通常の魔法は、訓練によって少しずつ精度を上げていくものだ。詠唱を覚え、魔力の制御を学び、繰り返しの練習で体に染み込ませる。カズトさんの魔力にはそのような積み重ねの痕跡がない。最初から完成されたものが、ただ発動しているだけ。
「まるで——魔法が自動的に発動しているかのようでしたわ。」
「はい。本人の意志で細かく制御しているというよりは、何かの仕組みによって魔法が生成されているような……。」
何の仕組みか——それはわからない。グルンレイドで学んだ知識の中に、これに該当するものは思い当たらない。知らない力だ。この世界には、まだ私の知らない力の体系が存在するのかもしれない。
「継続的に観察しましょう。」
「かしこまりました。」
その夜、定期報告のレポートにカズトさんについての記述を加えた。
『注目すべき人物(追加):カズト・ホシカワ
Cクラス所属、一般入学、学年三位。
出身不明(本人は「遠いところ」とのみ回答)。
名前の語感が王国や周辺国のものと異なり、出自の特定が困難。
表面上の魔力密度は中の上程度だが、魔力の行使方法が既知のいかなる体系とも一致しない。
詠唱を必要とせず、魔力が完成された状態で放出される。
訓練による積み重ねの痕跡が見られず、何らかの未知の仕組みによって魔法が生成されている可能性がある。
戦闘能力は高い。上級生の攻撃を余裕をもって回避し、反撃も的確。
身体の動かし方にも通常の闘気や身体強化魔法とは異なる特徴がある。
性格は温厚、社交的、自然体。周囲に女性が多く好かれている様子だが、驕りはない。
この人物の魔力行使の原理は、現在の私の知識では解明不能。
グルンレイドの上位メイド、特にアシュリーさんの観測であれば何かわかるかもしれない。
引き続き観察を継続する。
——ご主人様、この件についてご存知のことがありましたら、ご教示いただけますと幸いですわ。』
レポートをアシュリーさん経由でグルンレイドへ送った。
窓を開けると、夜風が紙の端をひらりとめくった。月明かりの下、魔法学校の塔が静かに聳えている。
この学校には、私の知らないものがまだたくさんある。アメリさんの底知れない魔力核。カズトさんの未知の魔力行使。エリザベスさんの開花する才能。ミアさんの真っ直ぐな心。
ご主人様から託された任務は、王国の魔法勢力の調査だ。だが今の私にとって、この場所はもう単なる任務の現場ではなくなりつつあった。
「アナスタシア様、お休みの時間ですよ。」
ソフィアさんの声に促されて、私はペンを置いた。
「そうですわね。明日はエリザベスさんとの訓練がありますし、早めに休みましょう。」
ベッドに入ると、アナさんがすでに眠っていた。小さな寝息が規則的に聞こえてくる。ソフィアさんがランプの灯りを落とす。
暗闇の中で、私は天井を見上げた。
三年間の学園生活。まだ始まったばかりだ。だが確かに、何かが動き始めている。人と人とのつながりが、少しずつ、しかし確実に広がっていく。
グルンレイドのメイドとして。アスター家の令嬢として。そして——一人の学生として。
私の日々は、思った以上に充実していた。




