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極悪辺境伯の華麗なるメイド  作者: かしわしろ
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王国魔法学校9

ソフィアさんの騎士試験の一件は、思った以上に大きな波紋を広げてしまった。


「グルンレイドのメイドではないか」という噂が学園中を駆け巡り、翌日には貴族院の中でもその話題が出るほどになっていた。廊下ですれ違う学生がソフィアさんの方をちらちらと見ては、ひそひそ声で何かを囁いている。


「カルメラさんの意見を聞く必要がありますわ。」

そう口にしたものの、問題は連絡手段だ。前回のお風呂の件ではアシュリーさん経由で連絡を取ることができたので、今回も同じ方法をとる。まあ、毎度このような方法をとるのはアシュリーさんに申し訳ないので次の休日にでも、遠距離通信用の魔道具を取りに行こうと思う。


その夜、私は部屋の窓辺に立ち、魔法によるメッセージを空に向かって飛ばした。


『アシュリーさん、聞こえていますか?』

数秒の沈黙。そして——


『またお風呂?』

『違いますわ!今回は相談がありまして。』

『冗談だよ。何があったか大体把握してる。ソフィアの騎士試験の件でしょ。』

やはりアシュリーさんは全てお見通しだった。観測魔法で私たちの状況を常に把握しているのだ。


『カルメラに繋ぐよ。ちょっと待って。』

しばらくの間があった。ソフィアさんとアナさんが心配そうに私の方を見ている。私は二人に「大丈夫ですわ」と小さく頷いた。


『アナスタシア。状況は聞いたわ。』

カルメラさんの声が頭の中に響く。落ち着いた、しかし芯のある声。この声を聞くと、グルンレイドにいた頃を思い出す。


『カルメラさん、ソフィアさんがグルンレイドのメイドではないかという噂が広まってしまいましたわ。どうすればよいでしょうか。』

『隠し通すのは無理ね。メイド服で戦って、華流まで使ったのでしょう?』

『……はい。』

華流を使ってしまった時点で、知っている者が見ればグルンレイドだと気づく可能性があった。そこまで考えが及ばなかった自分の甘さを恥じる。


『だったら逆に利用しなさい。』

『利用、ですか?』

『ソフィアがグルンレイドのメイド見習いであることを公表するの。隠すのではなく、堂々と。』

一瞬、意味がわからなかった。隠すべきではないのか。正体がばれれば、私の任務にも支障が出るのではないか。


『考えてみなさい。グルンレイドのメイドを付き人として連れている海外の貴族——それはどういう意味を持つ?』

私は思考を巡らせた。グルンレイドのメイドは、この王国においても圧倒的な強さの象徴だ。恐怖と畏怖の対象であり、同時に憧れの対象でもある。そのメイドを付き人として従えているということは——


『アスター家はグルンレイドと繋がりがある超大物、ということになりますわね。』

『そういうこと。王国の三大貴族でさえグルンレイドのメイドを雇うことなどできない。それを従えているアスター家の権力は計り知れない——周囲はそう判断する。そうなれば、貴族院の中でのあなたの立場はさらに盤石になるわ。』

なるほど。隠すのではなく、見せつける。弱みを強みに変える。カルメラさんらしい、冷静で合理的な判断だ。


『ただし、あなた自身がグルンレイドのメイドだということは絶対に隠し通しなさい。ソフィアはアスター家がグルンレイドから派遣してもらった見習いメイド。あなたはあくまでアスター家の令嬢。この線引きを崩さないこと。』

『かしこまりましたわ。』

『それと——あなたが送ってくれている定期報告は読んでいるわ。魔法勢力の調査は順調のようね。引き続きお願い。』

『はい。気になる人物がいましたら随時報告いたしますわ。』

『期待しているわ。体に気をつけてね。』

カルメラさんの声が途切れた。最後の「体に気をつけて」という言葉に、少しだけ温かみがあった気がした。


--


翌日、私は貴族院の集会で公式に発表した。


「私の騎士を務めるソフィアは、グルンレイドのメイド見習いですわ。」

集会室が一瞬で凍りついた。数十人のアリストクラットとその付き人たちが、一斉に息を呑んだ。


「グルンレイドの……メイド……。」

「あの、グルンレイドの?」

ざわめきが波紋のように広がる。オーロラさんに至っては、椅子の上で固まってしまっていた。先日私に負けた時よりも顔が青い。


「アスター家はグルンレイド領との親交が深く、その縁でソフィアを護衛として派遣していただきましたの。」

嘘ではない。ソフィアさんは確かにグルンレイドのメイド見習いであり、確かにグルンレイドから派遣されている。ただ、私自身もグルンレイドのメイドであるという部分だけを伏せているのだ。


「ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、何卒よろしくお願いいたしますわ。」

丁寧に頭を下げる。この発表以降、貴族院の中での私への態度は目に見えて変わった。


もともとオーロラさんを倒したことで一目置かれてはいたが、グルンレイドとの繋がりが明らかになったことで、それは畏怖に近いものへと変わった。三大貴族ですらグルンレイドに逆らうことはできない。そのグルンレイドと繋がっているアスター家——誰も正面から私に歯向かおうとはしなくなった。


カルメラさんの読み通りだった。


ソフィアさんはと言えば、「グルンレイドのメイド見習い」という肩書きが公表されたことで、学園中から注目を集めるようになっていた。廊下を歩くだけでざわめきが起こる。食堂に入れば視線が集まる。本人はとても居心地が悪そうにしていたが、それでも黙々と自分の仕事をこなしていた。


「すみません、目立ってしまって……。」

「あなたのせいではありませんわ。私の判断が甘かったのですもの。」

「いえ、でも……。」

「それに、この状況は私たちにとって悪いことばかりではありませんわ。」

ソフィアさんが首を傾げた。


「グルンレイドの名前が出たことで、変に絡んでくる方が減りましたわ。おかげで任務に集中できますの。」

「そう……ですか。それなら、よかったです。」

眼鏡の奥の瞳が少しだけ安堵の色を帯びた。この子は自分のせいで迷惑をかけていないかと、いつも気にしている。その優しさは美点だが、もう少し自分を認めてあげてもいいのに、と思う。



--



ソフィアさんの件が落ち着いてきた頃、一つの出会いが訪れた。


「アナスタシア様、Bクラスのアメリさんという方が面会を希望しています。」

放課後、アナさんがそう伝えてきた。


アメリ。学年二位。入学式で新入生代表として挨拶をしていた銀髪の少女だ。入学式の日からずっと気になっていた人物。あの透き通るような声と、真っ直ぐな瞳を覚えている。


「お通ししてくださいまし。」

「え、あの……アナスタシア様。アメリさんは生徒会に所属しています。貴族院との関係を考えると、あまり親しくされない方がよいのでは……。」

アナさんが心配そうにそう言った。確かにその通りだ。生徒会と貴族院は犬猿の仲。アリストクラットが生徒会の人間と親しくすることは、貴族院の中では裏切り行為と見なされかねない。


「構いませんわ。」

「……かしこまりました。」

アナさんが少し不安そうな顔をしながら部屋を出ていく。しばらくすると、控えめなノックの音がした。


「失礼します。」

扉が開き、銀色の髪が室内の光を受けて静かに輝いた。


アメリさんだ。入学式の壇上で見た時よりも、近くで見るとさらに印象が違った。背が高く——私よりも少し高いだろうか——姿勢がとても良い。質素な制服を着ているが、その佇まいには制服の質など関係ないと思わせるような品がある。貴族ではないはずなのに、その所作は貴族のそれに引けを取らなかった。


「初めまして、アナスタシア・アスター様。Bクラスのアメリと申します。お忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。」

丁寧な挨拶。声は入学式の時と同じ——透き通っていて、柔らかくて、それでいて芯がある。


「初めまして。こちらこそ、わざわざ足を運んでくださりありがとうございますわ。」

私は立ち上がってアメリさんを迎えた。


「どうぞ、座ってくださいまし。ソフィアさん、お茶をお願いできますか?」

「かしこまりました。」

ソフィアさんが動き始める。アメリさんはソフィアさんの姿を見て、少しだけ目を見開いた。噂の「グルンレイドのメイド」が目の前にいるのだ。だが、すぐに表情を元に戻した。動揺を表に出さない——この子は感情の制御がうまい。


「本日はどのようなご用件で?」

椅子に座ったアメリさんに尋ねる。


「単刀直入に申し上げます。私は、アナスタシア様と個人的にお話がしたくて参りました。」

「個人的に?」

「はい。生徒会の代表としてではなく、一人の学生として。」

その言葉の選び方に驚いた。「生徒会の代表としてではなく」と明確に線を引いている。生徒会と貴族院の関係性を理解した上で、それでもなお私に会いに来た。しかもそれを正直に告げている。


「入学式の日、壇上からアナスタシア様のことが見えていました。」

「あら、そうでしたの?」

「はい。貴族席の中で、一人だけ違う空気を纏っている方がいらっしゃったので。」

違う空気——何を感じ取ったのだろうか。


「失礼を承知で言わせていただくと、アナスタシア様は……他の貴族の方とは少し違うように感じたのです。」

「どのように?」

「うまく言えないのですが……周りの人を見る目が、違いました。貴族の方々は一般学生を見下すような視線を向けることが多いのですが、アナスタシア様はそうではなかった。むしろ——。」

アメリさんは少し言葉を選ぶように間を置いた。


「むしろ、貴族でなくてもよいと思っているような眼をされていました。」

胸の奥がちくりとした。この子は——何を見たのだろう。あの入学式の壇上から、そんなことまで読み取ったのか。


「買い被りすぎですわ。」

笑ってそう返したが、声が少し揺れてしまった気がする。


「Bクラスの友人であるミアさんから、アナスタシア様のことを聞いていました。杖がぶつかっても怒らなかったこと、名前で呼んでほしいと言ったこと。」

ミアさん。あの時の杖の件か。まさかそれが回り回ってここに繋がるとは。


「ミアさんが、『アメリさんにはアナスタシア様と仲良くなってほしい』と言ってくれたんです。」

「ミアさんが……。」

あの子が。まだ数回しか言葉を交わしていないが……。


「少し、嬉しいですわね。」

「私も嬉しかったです。だから今日、こうして来ました。」

アメリさんが微笑んだ。控えめだが、温かい笑みだった。銀色の髪がカーテン越しの光を受けて、ほんのりと輝いている。


「貴族院と生徒会が仲が悪いのは知っていますわ。あなたがここに来ることで、面倒なことにならないかしら?」

「なるかもしれません。でも、それで会いたい人に会えないのは嫌なんです。」

迷いのない声だった。真っ直ぐに、私の目を見て言い切った。偏見も、打算も、恐れもない。ただ純粋に、会いたいから来た。


「……気が合いそうですわね、アメリさん。」

「そう言っていただけると嬉しいです。」

ソフィアさんが紅茶を運んできた。湯気の立つカップを二つ、テーブルの上に並べる。アメリさんは「ありがとうございます」と丁寧にソフィアさんにもお礼を言った。ソフィアさんが少し嬉しそうに目を細めたのが見えた。


「アメリさんの髪、とても綺麗ですわね。入学式の時からずっと気になっておりましたの。」

「え、そんな……ありがとうございます。特別なことはしていないんですけど。」

「手入れの方法を教えていただけません?」

「もちろんです。あ、でも本当に大したことはしていなくて……。」

そこからは、髪の話から始まって、好きな本の話、魔法の授業の感想、食堂の料理の好き嫌い——とりとめのない話が続いた。気がつけば紅茶を三杯もおかわりしていて、窓の外はすっかり夕暮れに染まっていた。


「もうこんな時間。長居してしまってすみません。」

「いいえ、とても楽しかったですわ。また来てくださいまし。」

「はい、ぜひ。」

アメリさんが立ち上がり、扉の方へ向かう。その背中を見送りながら、私は一つだけ引っかかっていたことを反芻していた。


この数時間の会話の中で、アメリさんは一度も自分の魔法について語らなかった。学年二位の成績を持ちながら、魔法の話題になるとさりげなく話を逸らしていた。それも自然に。不自然さを感じさせないほど巧みに。


そして——紅茶のカップを持つ手。あの手から感じた魔力の波動が、気になって仕方がなかった。


表面上の魔力密度は低い。入学式の時にも感じたことだ。普通の一般学生と変わらない程度の密度。しかし——魔力核の深さが読めない。観測魔法で探ろうとしても、ある一定の深さから先が見えなくなる。まるで深い井戸を覗き込んでいるような感覚だ。底が見えない。


アシュリーさんのような魔力線操作とは違う。メアリーさんのような圧倒的な魔力密度でもない。もっと別の何か。私の観測魔法では捉えきれない、未知の領域がこの子の中にある。


それでいて、あの笑顔。あの真っ直ぐな瞳。あの温かさ。隠しているというよりは、自分でも気づいていないような印象を受けた。だがそれこそが一番厄介だ。自分の力に無自覚な者は、何かをきっかけに覚醒した時、誰よりも恐ろしい存在になりうる。


「アナスタシア様、アメリさんのこと、どう思われましたか?」

ソフィアさんが片付けをしながらそう聞いてきた。


「いい子ですわ。とても。」

「はい、私もそう思いました。」

「でも——。」

「でも?」

「底が見えませんわね。」

ソフィアさんが手を止めた。眼鏡の奥の瞳が少し鋭くなる。


「私も……同じことを感じていました。紅茶を渡した時に、手が触れたのですが。」

「何か感じましたの?」

「うまく言えないのですが……魔力核に触れようとした時に、私の魔力がはじき返されるような感覚がありました。」

それは——ソフィアさんが王国の図書館でご主人様に見出された時と、同じ現象ではないか。強靭な魔力核。外部からの魔力を受け付けない、天性の壁。


「レポートに記載しておきますわ。」

その夜、私は定期報告のレポートを書いた。王国の魔法勢力について、これまでの調査結果をまとめた長い報告書だ。その末尾に、一人の学生についての記述を加えた。


『注目すべき人物:アメリ

 Bクラス所属、一般入学、学年二位。

 入学試験において一般学生トップの成績を記録。

 表面上の魔力密度は一般学生と同程度だが、魔力核の深度が観測不能。

 ソフィアの接触でも魔力核への侵入を拒絶される。

 性格は温厚、真っ直ぐ、偏見がない。

 自身の魔法能力について語ることを避ける傾向あり。

 現時点では脅威とは判断できないが、未知の潜在能力を秘めている可能性が高い。

 継続的な観察を推奨。

 ——なお、個人的な所感として、友人になりたいと思える方。』


最後の一文は余計だったかもしれない。だがこれは嘘偽りのない私の気持ちだった。レポートを空間魔法で圧縮し、アシュリーさん経由でグルンレイドへ送る。


窓の外には月が昇っていた。銀色の光が部屋に差し込んで、テーブルの上に置かれたティーカップを照らしている。アメリさんが使っていたカップには、まだほんの少しだけ紅茶が残っていた。


友人と——呼んでいいのだろうか。貴族院のアナスタシア・アスターと、生徒会のアメリ。本来は交わるはずのない二人。だが今日、確かに私たちは笑い合った。とりとめのないことで、くだらないことで、それがとても嬉しかった。


グルンレイドにいた頃のリアさんとの会話を思い出す。自然体で、飾らない、ただ一緒にいるだけで心が軽くなるあの感覚。アメリさんといると、それに似た何かを感じるのだ。


「アナスタシア様、そろそろお休みになってください。」

ソフィアさんの声に促されて、私はペンを置いた。


「そうですわね。明日も授業がありますものね。」

ベッドに入りながら、明日またアメリさんに会えるだろうかと考えた。向こうから来てくれたのだ。今度は私から会いに行ってみよう。Bクラスの教室に。


貴族院の人間が生徒会側の教室を訪ねる——前代未聞かもしれない。でも、そんなことは知ったことではない。会いたい人に会いに行くのに、所属の壁など関係ない。


アメリさんならきっと、笑ってくれるだろう。


「おやすみなさいませ。」

「おやすみなさい。」

ソフィアさんとアナさんの声を聞きながら、私は目を閉じた。月明かりが窓から差し込む静かな部屋で、三年間の学園生活が少しずつ、しかし確かに動き始めていた。

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