王国魔法学校8
ーーアナーー
アナスタシア様の付き人であるソフィアさんが、騎士試験を受けることになった。
騎士試験というのは、アリストクラットの護衛としてふさわしい戦闘能力を持っているかどうかを審査するものだ。入学時の魔法力試験とは比べものにならないほど危険で、過去には重傷者が出たこともあると聞いている。試験官は現役の上級生騎士——つまり、この学校で最も戦闘に長けた者たちが相手をするのだ。
ソフィアさんは確かにアナスタシア様に仕えるメイドで、昨日の訓練では信じられないような動きを見せていた。あの速度、あの剣技、あの回復魔法。どれをとっても私の常識を超えていた。
だが騎士試験は別だ。試験官を務める上級生の騎士たちは、貴族の命を守るために何年もの訓練を積んできた者たちだ。彼らの実力は学園内でもトップクラスに位置する。確かに多少魔法や剣技を使えるようだが、メイドという立場で挑むのは、あまりにも無謀ではないだろうか。
「ソフィアさん、本当に大丈夫ですか?」
試験場に向かう途中、私は何度目かわからない質問を繰り返していた。
「大丈夫ですよ。」
ソフィアさんは穏やかに微笑んだ。眼鏡の奥の瞳は落ち着いていて、緊張の色はない。ふわふわした髪が風に揺れている。この人のどこにあの戦闘力が隠されているのか、見た目からは全くわからない。
「アナスタシア様は来られないのですか?」
「授業があるので後から来ると仰っていました。」
アナスタシア様は「ソフィアさんなら問題ありませんわ」と涼しい顔で言っていた。あの方はいつもそうだ。根拠のない——いや、もしかしたら確かな根拠がある自信を持っている。
騎士試験の会場は、校舎の裏手にある専用の訓練場だった。
円形の闘技場のような構造で、周囲を石壁が囲んでいる。観客席は設けられていないが、壁の上部には窓のような開口部があり、そこから見下ろすことができるようになっていた。私はその窓際に立って見守ることにした。
闘技場の中央には審査員が三名、そしてその横に試験官を務める上級生の騎士たちが立っている。全身に鎧を纏い、腰に剣を下げ、背筋をぴんと伸ばした姿は威圧感に満ちていた。その中の一人——おそらくリーダー格だろう——は体格が大きく、肩幅も広い。腕の筋肉が鎧の隙間から見えるほどだ。
今日の受験者はソフィアさんを含めて八名。ソフィアさん以外の方は、見るからに戦闘者といった風貌をしていた。鎧を着た者、剣を二本背負った者、大きな盾を携えた者。どの受験者も鍛え上げられた体格をしていて、日頃から訓練を積んでいることが一目でわかる。
そしてソフィアさんは——メイド服だった。
黒いスカートに白いエプロン、フリルのついたヘッドドレス。周囲の騎士たちや受験者たちの中で、その姿はあまりにも場違いだった。審査員も試験官も、二度見していた。
「あれ、本当に受験者ですか?」
試験官の一人が審査員に確認する声が聞こえた。審査員が書類に目を落とし、「アスター家の護衛役、ソフィアです」と答えると、闘技場の空気が明らかに変わった。苦笑が漏れる者、呆れた顔をする者。ソフィアさんを見る目に、侮りの色が浮かんでいた。
「武器は?」
「短剣です。」
ソフィアさんがスカートの中からすらりと短剣を抜く。日の光を受けて刃がきらりと光った。……あのガーターベルトに仕込んであるやつだ。昨日の訓練の時にも見たが、改めて見ると異様な光景だ。メイド服のスカートから短剣が出てくるのだから。
試験官たちの間でざわめきが広がった。明らかにこちらを軽く見ている。
私は窓の縁を握りしめた。どうか、無事でいてほしい。
「騎士試験、第一課題を開始します。」
審査員の声が闘技場に響いた。
第一課題は「防御力審査」。試験官が放つ攻撃を一定時間耐え続けるというものだ。護衛にとって最も重要な能力——主人を守る盾としての力が試される。
最初の受験者は鎧を着た大柄な男性だった。試験官の一人が剣で斬りかかり、それを盾と鎧で受け止めていく。金属同士がぶつかる重い音が何度も響き、火花が散る。大柄な男性は歯を食いしばりながら耐えていたが、試験官の連撃に少しずつ押されていく。最終的には盾が弾かれ、腹部に一撃を受けて膝をついた。
「合格。」
審査員がそう告げる。膝をついたが、一定時間は耐え抜いたということらしい。
次の受験者も同様に試験官の攻撃に耐えていたが、途中で魔法障壁が破られ、肩を切られて脱落した。こちらは不合格。三人目は二本の剣で器用に攻撃を捌いていたが、試験官が本気を出した瞬間に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。意識はあったが、合格ラインぎりぎりだったようだ。
そしてソフィアさんの番が来た。
「次、ソフィア。」
名前を呼ばれると、ソフィアさんは静かに闘技場の中央へ歩いていく。メイド服の裾がひらりと揺れる。短剣を右手に握り、左手は体の横に下ろしたまま。構えているようには見えない。ただ立っているだけだ。
試験官——先ほどの大柄な上級生が前に出る。剣を構え、ソフィアさんを見下ろす。体格差は歴然としていた。頭一つ以上の身長差がある。
「始め。」
試験官が踏み込んだ。重い一撃がソフィアさんに迫る。この距離、この速度——一人目の受験者は盾で受け止めるのがやっとだった攻撃だ。
ソフィアさんは動かなかった。
私は息を呑んだ。なぜ避けない。なぜ防がない。剣が振り下ろされる。ソフィアさんの頭に——
ガギィン。
金属の悲鳴のような音が響いた。試験官の剣がソフィアさんのメイド服に直撃したようだが、ソフィアさんから血が流れることは一切なかった。
「っ……!」
試験官の表情が変わった。驚愕。力を込め直し、さらに押し込もうとする。だがソフィアさんのメイド服が破れることも、ソフィアさん自身が後ろへ退くこともない。まるで地面に杭を打ち込んだかのように、微動だにしない。
「はぁっ!」
試験官が剣を引き、横薙ぎに切り替える。続けて突き、袈裟斬り、逆袈裟。連撃が雨のように降り注ぐ。
ソフィアさんは——それも微動だにせず、その場に立ち尽くしていた。
「な……。」
私の隣で見ていた別の付き人が、声にならない声を漏らした。私も同じだった。口が開いたまま閉じられない。試験官が息を切らし始めている。ソフィアさんは息一つ乱れていなかった。
「……合格だ。」
審査員が少し呆然とした声でそう告げた。合格どころか、試験官の方が先に疲弊していた。
ーー
「第二課題、攻撃力審査。」
今度は受験者が攻撃する側になる。試験官に一定以上のダメージを与えることができるかどうかの審査だ。護衛は守るだけではなく、主人を脅かす敵を排除する力も必要とされる。
ソフィアさん以外の参加者は、それぞれの武器で試験官に斬りかかっていた。鎧の上からとはいえ、何度か有効打を入れていた者もいたが、試験官を本気で後退させるほどの者はいなかった。
ソフィアさんの番になった。
試験官は先ほどとは別の人物だ。細身だが、鋭い目をしている。おそらく速度型の騎士だろう。剣を構え、ソフィアさんとの間合いを測っている。
「始め。」
ソフィアさんが消えた。
比喩ではない。文字通り、消えた。さっきまでそこに立っていたはずのメイド服の少女が、忽然と姿を消した。
「どこ——」
試験官が叫びかけた瞬間、背後から金属音が鳴った。振り返る試験官の首筋に、短剣の刃が添えられていた。ソフィアさんが試験官の背後に立っている。いつの間に回り込んだのか。私の目では一切追えなかった。闘技場が静まり返った。
試験官自身も何が起きたかわかっていないようだった。目を見開いたまま、首筋の短剣を感じている。触れているだけで、切ってはいない。だが、もし本気であれば——首が落ちていた。
「……もう一本。」
試験官が搾り出すようにそう言った。まだ認められないのだろう。今のは不意打ちだと思いたいのだ。
「わかりました。」
ソフィアさんが距離を取る。今度は試験官も集中している。目がソフィアさんの全身を追い、足の動き一つ見逃すまいとしていた。
「行きます。」
ソフィアさんがそう宣言してから動いた。今度は消えない。正面から走ってくる。だが——速い。鎧を着ていない分、恐ろしく速い。メイド服のスカートが風圧で翻り、白いエプロンが空気を切り裂くように靡く。
「バルザ流・雨切り!」
試験官が迎撃の構えを取る。連続の斬撃が雨のようにソフィアさんに降り注ぐ——はずだった。
ソフィアさんは斬撃の間を縫うように走り抜けた。雨粒の隙間をすり抜ける風のように。一度も剣が触れることなく。そしてすれ違いざまに——
「華流・速斬。」
試験官の鎧の胸当てに、一筋の線が走った。薄く、しかし確実に。鎧の表面が裂けている。中の体には傷一つないが、あと少し力を込めていれば——
「合格……いや、文句なしだ。」
審査員の声が少し震えていた。
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「第三課題、総合戦闘審査。」
最後の課題だ。試験官二名を相手に、実戦形式で戦う。護衛として複数の敵に対処する能力を測るものだ。受験者の中で最も脱落者が出る課題だと、事前にアナスタシア様から聞いていた。
先ほどの三名のうち、ここまで残っていたのは二名。一人は大柄な盾の騎士、もう一人は二刀流の騎士だ。どちらも善戦していたが、試験官二人の連携攻撃に押され、最終的には地面に叩きつけられていた。合格したのは盾の騎士のみ。二刀流の騎士は途中で意識を失い、救護班に運ばれていった。
そしてソフィアさんの番。
試験官は二名。先ほどの大柄な騎士と、細身の速度型の騎士。どちらも一度ソフィアさんに手も足も出なかった者たちだ。だが二人がかりなら——そう考えているのか、二人の目には雪辱の色が見えた。
「始め。」
二人が同時に動いた。大柄な騎士が正面から、細身の騎士が側面から。挟み撃ちだ。息の合った連携で、左右から同時に剣が迫る。
ソフィアさんは跳んだ。
二人の剣が交差する位置——そのちょうど真上へ。軽く地面を蹴っただけに見えたが、その跳躍は人間の域を超えていた。メイド服のスカートが風船のように膨らみ、空中でくるりと一回転する。
「上か!」
細身の騎士が上を向いた瞬間、ソフィアさんは空中から短剣を振り下ろした。
「華流・剪定。」
短剣が細身の騎士の剣に触れた。その瞬間、剣にまとっていた闘気が霧散する。手応えを失った騎士が体勢を崩す。ソフィアさんは着地と同時にその騎士の背中を軽く押した。それだけで騎士は地面に転がっていく。
「こっちだ!」
大柄な騎士が背後から斬りかかる。振り向かずに——ソフィアさんは短剣を逆手に持ち替え、背中越しに受け止めた。見もしないで。
「な……見えてるのか⁉」
「はい、見えています。」
ソフィアさんの声は穏やかだった。戦闘中とは思えないほど落ち着いている。まるでお茶を淹れている時のような口調だ。
そのまま体を回転させ、大柄な騎士の腕を短剣の柄で打つ。鎧の上からだが、衝撃は確実に腕の内部に伝わったようで、騎士の手から剣がこぼれ落ちた。
「バルザ流奥義——」
体勢を立て直した細身の騎士が奥義を放とうとする。全身の闘気を剣に集中させ、渾身の一撃を——
「すみません。」
ソフィアさんがそう呟いた瞬間、細身の騎士の視界からソフィアさんが消えた。次の瞬間、騎士の首筋にまた短剣が添えられていた。背後に。同時に、大柄な騎士の喉元にも——ソフィアさんのもう片方の手が添えられていた。
一人で二人を同時に制している。
闘技場が完全に静まった。風の音すら聞こえないような、絶対的な沈黙が訪れた。
「……試験終了。」
審査員がかすれた声でそう告げた。合格とすら言わなかった。言う必要がなかったのだろう。
「ありがとうございました。」
ソフィアさんが丁寧に頭を下げる。メイドの礼だ。短剣をスカートの中にしまい、何事もなかったかのように歩いていく。髪が乱れてすらいない。汗の一滴もかいていない。
試験官の二人は、座り込んだまま動けないでいた。
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「あ、あの人、何者なの……。」
私の隣にいた付き人が震える声でそう言った。私は答えることができなかった。口が乾いてしまって、声が出なかったのだ。
騎士試験の結果は即日、学園中に広まった。
「アスター家のメイドが、上級生の騎士を二人同時に無力化した。」
「しかもメイド服で。」
「武器は短剣一本だけ。」
「一度も攻撃を受けなかった。」
「汗一つかいていなかった。」
「そんなメイド、まるで……」
廊下を歩くたびにそんな噂が耳に入ってくる。昼休みには食堂中がその話題で持ちきりだった。
「アナ、あのメイドさんって本当にメイドなの?」
ミアさんが食堂で私に声をかけてきた。隣にはフィーナさんもいる。二人とも興味津々な目をしている。
「メイドです。間違いなく。」
私はそう答えるしかなかった。だって、本当にメイドなのだから。ただし——普通のメイドではない。あの訓練場で見た戦闘を思い出す。アナスタシア様との一騎打ち。地面を砕く衝撃波、音速を超える剣技、空間を断絶する魔法。
……そんな姿を見せつけられたら、きっと誰もがこう思っただろう。
グルンレイドのメイドのようだ、と。
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その日の放課後、寮に戻るとアナスタシア様とソフィアさんが普通にお茶を飲んでいた。
「おかえりなさい、アナさん。」
ソフィアさんがにっこりと微笑む。さっき上級生の騎士二人を無力化した人間と同一人物とは思えない穏やかさだ。
「お帰りですわ。今日のソフィアさんの試験、問題なかったようですわね。」
アナスタシア様が紅茶のカップを傾けながらそう言った。「問題なかった」どころの話ではないのだが、この方にとってはその程度のことなのだろう。
「はい、特に問題はありませんでした。」
ソフィアさんもそう答える。
この二人にとっては、今日のことは「特に問題ない」レベルの出来事なのだ。学園中が大騒ぎしているというのに。
「あの、お二人とも……。」
「はい?」
「学校中がソフィアさんの話題で持ちきりなんですけど……。」
「そうなんですか?」
ソフィアさんが本当に知らなかったという顔をする。そしてアナスタシア様が「あらまあ」と少し困ったような顔をしている。
私はこの二人と一緒に生活しているのだ。普通のメイドと貴族ではない。規格外の戦闘力を持つメイドと、それを「問題ない」と言い切る貴族。
「学校内ではグルンレイドのメイドではないか、という噂が広まっています。」
「そうなんですか!アナスタシア様、申し訳ございません!」
ソフィアさんの表情が一気に曇り、アナスタシア様に頭を下げる。
「確かに、グルンレイドのメイドとばれないに越したことはないですが……騎士としてソフィアさん任命したのは私ですわ。」
その反応は……本当にグルンレイドのメイドなのだろうか!
「戦うメイドなど、普通はありえないことだとよく考えればわかるはずですのに……私のミスですわね。」
「いえ、私がもう少しうまく戦闘をすれば……」
「どちらにせよ、カルメラさんの意見を聞く必要がありますわ。」
……アスター家って一体何なのだろう。海外の貴族と聞いているが、グルンレイドのメイドを雇えるほどの貴族とは、一体どれほどの力を持っているのだろうか。考えても答えは出ないので、私は大人しくお茶を入れ直すことにした。せめて私にできることは、おいしいお茶を淹れることくらいだ。




