王国魔法学校5
「おはようございます。」
ソフィアさんから声がかかった。私はベッドから起き上がり、ぼーっとした頭で周囲を見渡す。見慣れた石壁ではなく、繊細な壁紙が視界に入る。そういえば魔法学校の寮でしたわね。
「あら、アナさんは?」
「食事をこちらへ運んでくるそうです。」
ソフィアさんはすでに起きてメイド服に着替えているようだった。いつもと変わらない、しわ一つないメイド服。ここがグルンレイド領であろうと魔法学校であろうと、ソフィアさんはソフィアさんだ。
昨日は私一人でこの部屋に泊まる予定だったのでキングサイズのベッドが一つしかなかった。ソフィアさんとアナさんは床で寝ると言っていたが、そんなことをする必要もなく私たちは三人で同じベッドに寝ることができた。それほどまでにベッドのサイズが大きかったのだ。アナさんは最初「恐れ多い」と言っていたが、お風呂の時と同じように押し切った。
「シャワーを浴びてきますわ。」
「タオルはこちらです。」
ソフィアさんからタオルを受け取る。ふわりとした感触。グルンレイドのものには及ばないが、悪くはない。
「あと2時間後に大講義室というところに集まるらしいので、それまでに食事をお願いします。」
「わかりましたわ。」
初日にしてはゆっくりの起床かと思われるが、身の回りのこと全てはソフィアさんとアナさんがやってくれるということだった。ちょっと申し訳ないと思いつつ、好意に甘えることにした。メイドとしての自分が「自分でやります」と口を出したがっているが、今の私はアスター家の令嬢なのだ。
さっとシャワーを浴びて体を拭く。昨夜のお風呂のおかげで肌がいつもよりしっとりしている気がする。鏡を見ていると昨日アナさんに言われたことを思い出す。特に自分の髪を綺麗だと思ったことはないのだが、これは綺麗な方なのだろうか。指で一房つまんで、光にかざしてみる。触りながら考えてみるがやはり別にそうは思わない。綺麗な髪といったらアリサさんやヴィオラさんのことを指すのではないかと思う。
そうして服を着ようとしたときに、いつものメイド服を探してしまっていた。手が無意識にエプロンを探している自分に気づいて、苦笑する。
「着替えはこちらです。」
ソフィアさんの手にはやはり貴族の令嬢が着るような美しい服が握られていた。淡い水色の生地に白いレースが施されたドレス。昔は当たり前のように着ていた服だが、今となってはメイド服でないと落ち着かない体になってしまったようだ。
「まだ違和感ありますわね。」
鏡の前で身なりを整える。スカートの裾を直し、リボンを結ぶ。
「確かに見慣れない姿ですが、完璧に着こなしていると思います。」
ソフィアさんがそう言ってくれた。貴族としての立ち振る舞いには自信がある。今日はクラスメイトとの顔合わせもあるらしいのだが、貴族ではないということがばれることはないだろう。体に染みついた所作は、メイドとしての年月でも消えはしなかった。
「おまたせいたしました。」
そんな言葉とともにアナさんが食事を運んできた。付き人と聞くとメイド服姿しか想像できないのだが、アナさんはそうではなかった。華宴で見かけた領民の方のような簡素な服装だった。白い上着に茶色のスカート。清潔感はあるが飾り気がない。
「アナスタシア様、お嫌いなものは?」
「特にありませんわ。」
強いて言うなら、魔界に行った時に出てきたコルンというものは口に合わなかったが、ここは人間界なのでその食材は出ることはないだろう。アナさんによって次々にテーブルに食事が置かれていく。焼きたてのパン、スープ、果物、そして肉料理。湯気が立ち上がり、いい香りが部屋に広がった。
「二人分しかありませんわよ?」
「わ、私は別室で食べるので……。」
「私はあなたと一緒に食べたいですわ。持ってきてくださる?」
そういうとアナさんは自分の分の食事を取りに行った。テーブルの上には豪華な朝食が置かれていた。が、アナさんが持ってきたもう一つは明らかに質の落ちる普通の食事だった。パンと薄いスープ、小さな果物が一つ。
「おそらく私の分ですね。」
ソフィアさんが自分のものと見比べてそう言った。貴族の学生とその付き人では食事はかなり違うらしい。同じ学校にいながら、食事にこれほどの差をつけるとは。
「次からは同じような食事にするように言っておきますわ。」
「別に私はこれでも十分ですよ?」
「私が気にしてしまいますわ。」
グルンレイドではご主人様もメイドも同じ食事をいただく。それが当たり前だと思って育ってきた。ソフィアさんもアナさんも、私と同じものを食べるべきだ。お金はいくらでも払うので早急にこの二人の食事の質を上げてもらわなければと思った。
しばらく待つとアナさんが自分の分を持って来て、テーブルに並べた。三人が揃ってテーブルにつく。
「いただきますわ。」
三人でそういって、食事を始める。私の食事はグルンレイド領にいた時と同じような食事である。こう考えると、グルンレイド領はメイドに出すにはかなり豪華な食事だったのだと思い知らされる。ご主人様のお心遣いに、改めて感謝しなければならない。
--
必要な書類や生活用品などはすべてアナさんが持っているということで、私は特に何を持っていくこともなく手ぶらで寮を出ていく。貴族は荷物を自分で持たないのが常識だ。
その間に数人の方とすれ違ったが、軽い挨拶をするだけだった。すれ違った人すべてが胸に赤いリボンをつけていたので、新入生だと思われる。皆一様に緊張した面持ちだった。玄関から外に出ると、そこには多くの馬車が止まっていて、馬のいななきと車輪の軋む音が朝の空気に混じっている。
「す、すみません。馬車の手配を忘れておりました!」
急にアナさんが深く頭を下げる。
「そんなことですの。別に気にする必要はありませんわ。」
昨日はお風呂に入ってから寝るまでずっと一緒だったから、馬車を用意する時間なんてなかっただろう。
「あす以降も馬車を手配する必要はなくてよ?」
「ですが……。」
アナさんの表情から考えるとここから学校までは徒歩で移動するには少し遠いのだろう。だがその程度の距離は私にとっては疲れるほどのものではない。毎日の訓練で何十キロも走っていた身だ。ただ周囲の方がみんな馬車で登校しているというのに、そのそばを歩きで向かうというのは少し変な目で見られそうだ。特に貴族というのは威厳やプライドという面倒くさいことも重要なものとなってくる。歩きはやめた方がいいだろう。
「フライ。」
そういって体を宙に浮かせる。
「フ、フライ⁉」
するとアナさんが驚きの声を上げる。別にフライくらい誰にでも使える魔法ではないだろうか。グルンレイドでは見習いでも使える基本的な魔法だ。
「こんな上級魔法を使用できるなんて!」
フライは上級魔法だったらしい。……え、本当に?ソフィアさんも私に続いて宙に浮くと『ソフィアさんまで!』とさらに驚いていた。やはりグルンレイドの常識は外の世界の非常識らしい。
「さあ、行きますわよ。」
アナさんも私の魔法で浮かせて、一緒に飛んでいく。朝の風が頬を撫で、眼下に学園の敷地が広がっていた。芝生の緑、石造りの校舎、行き交う馬車の列。上から見ると学園の全体像がよくわかる。確かに周囲の方々も馬車の窓から驚きの表情を見せていた気がするが、私はそこまで気にすることはなかった。
そして大講義室の手前で着地する。
「こ、怖かったです……。」
「すぐに慣れますわ。」
着地した時にも周囲の方々の視線を集めてしまっていた。空から降りてきた少女たちを見て、口をあんぐりと開けている。アナさんの案内で大講義室の中に入り、とりわけ立派な椅子に座る。革張りの座面に金の装飾が施された、まさに貴族用の席だ。
「あちらではありませんの?」
前の方にはたくさんの椅子が並べてある場所があり、多くの赤いリボンをつけた学生はそちらの方へ向かっていた。
「貴族枠で入学した学生、すなわちアリストクラットの方々はこちらです。」
隣を見ると私と同じような立派な椅子が数個並んでいた。
「ソフィアさん、私たちはこちらに。」
そういって私の椅子の後ろに移動していた。立ったまま控えるつもりだ。
「あなたたちも座ることができたらいいのですけど。」
「私は全く問題ありませんよ。」
ソフィアさんがそう言った。確かに毎日数時間立ちっぱなしの剣の訓練でもほとんどへばっていなかったソフィアさんだから問題ないのだろうが、私の気持ち的にはかなり申し訳ないと思ってしまう。
「さあ、始まりますよ。」
アナさんがそういうといつの間にか周囲の席も埋まっていて、大講義室が徐々に暗くなる。光魔法の出力を制御して行っているものだろう。天井に設置された魔法灯が少しずつ光を落としていく。周囲からは『おぉー』というような感嘆の声が上がるが、別にそこまで驚くほどのことではないと思う。グルンレイドの屋敷では当たり前のようにある演出だ。
「王都第一魔法学校へようこそ。新入生のみなさん。」
壇上には教師と思われる人が上がっていた。壇上の照明だけが明るく残され、その人物の姿がくっきりと浮かび上がっている。
「王都で最も難しいとされる魔法学校へ入学したみなさんは、きっと優秀な人ばかりでしょう。ここではさらにその才能を開花させるために様々なことを経験することになります。」
というような感じに、学校の行事や授業の仕方などを事細かに説明してくれた。
まずは学校行事について。大きく分けて三つ。年に二回ある魔法のペーパーテスト、同じく年に二回ある魔法の実技テスト、最後に魔法祭である。魔法祭というのは、第一魔法学校のみならず他の魔法学校と合同で開催されるものだった。ルールに沿った競技を行い、どの学校が一番魔法を使えるのかを競うというものらしい。
「楽しそうですわね。」
「確かにそうですね。」
ソフィアさんが後ろから小さく答えてくれる。私の知らないような世界を体験できそうでとてもワクワクしてくる。グルンレイドの中だけでは見えなかったものが、ここにはあるはずだ。
「私からは以上です。次に新入生代表の言葉です。」
そういうと次は壇上に私たちと同じリボンをつけた方が登っていく。
「一般入学の入学試験で成績トップだった人です。」
アナさんが耳元でそうささやく。一般入学は入学試験というものがあるのか。
「皆様、こんにちは。」
綺麗な声だと思った。澄んでいて、柔らかくて、それでいて芯がある。壇上に立つその姿を見て、息を呑んだ。美しい髪、整った顔立ち、そのどれもが見た人を引きつけて離さなかった。揺れる銀髪は魔法の能力ではないのに輝いているように見えた。
「私は……。」
透き通るような声で演説を始めていた。今のところ魔力の保有量が多いというようなことではないが、入学試験でトップになっているのだ、真の実力を隠しているに違いない。観測魔法でさりげなく見てみるが、やはり表面上の魔力密度はそれほど高くない。しかし魔力核の深さが読めない。何か、底知れないものを感じる。
「よろしくお願いいたします。」
そういって頭を下げると、盛大な拍手が巻き起こる。この学園生活で彼女と出会う時はきっとあるはずだ。その時はあの美しい髪の手入れの仕方などについて、ぜひ話をしてみたいと思った。
--
「入学式が終わりましたので、教室に移動します。」
前の席に座っている一般学生がぞろぞろと移動し始めていた。私の周囲にいるアリストクラットの方々も後ろに控えている付き人の指示によって移動し始める。
ざっと数えてみたところアリストクラットは私含めて八人のようだ。八人とも二人の付き人がついているようで、見るからに片方が騎士っぽい格好をしている。鎧こそ着ていないが、腰に剣を下げ、立ち姿に隙がない。私のように片方はメイド、片方は給仕の格好をしている付き人は珍しいようだ。ちらちらと視線が集まっている。
「アナスタシア様は1-Aクラスのようですね。」
1-Aから1-Dの四クラスがあり、一クラスあたり三十人のようだ。長い廊下を歩きながらアナさんから話を聞いていく。廊下の壁には歴代の優秀な卒業生の肖像画が飾られていて、その下には功績が書かれた銘板がある。
「担任の先生の話を聞いたのち、さっそくテストがあります。」
そうして扉の前までたどり着く。一般の学生はすでに教室に入っているようだ。ざわめきが扉越しに聞こえてくる。何だか待たせてしまって申し訳ない気持ちになってくる。もっと早く移動すればよかっただろうか。
「私が、お開けいたします。」
そういえばそうだった。貴族は自分で扉を開けることは少ない。メイドとして生きてきた時間が長いので、そんなことも忘れてしまっていた。手を伸ばしかけてから、引っ込める。
アナさんが扉を引くと、教室の中に入った瞬間にクラスメイトの視線が一斉に私の方を向いた。三十近い目がこちらを注視している。何か話した方がいいのかとも思ったが、特に話すこともないのでそのまま無言でアナさんが案内する椅子に座る。一番後ろにある、一般学生に比べると少し立派な椅子と机だった。木目が美しく、座面にはクッションが敷かれている。そしてそれと同じものがもう一組、私の隣に置かれていた。
「各クラス、アリストクラットは二名です。」
小声でアナさんが言う。その時に再び私が入ってきた扉が開いた。
「ごきげんよう。」
その方は周囲の一般学生には目もくれず、目の前にいる私にそう挨拶をした。赤みがかった金髪を綺麗に巻き上げ、深い紫のドレスを纏っている。背筋がぴんと伸びていて、顎が少しだけ上がっている。貴族の中でも上位に位置する家柄だということが、その所作だけで伝わってきた。
「ごきげんよう。」
私は立ち上がり同じように挨拶をする。私と同じくらいの年齢、女性、そして貴族。そんなことくらいしか情報がないが、少し周囲に威圧感を与えるような印象を受けた。自分が一番であるという確信を持っている者特有の空気だ。
「みなさんそろいましたね。」
彼女が座った時に教室の前にいた方がそういった。
「私はこのクラスを担当するエレナといいます。」
やはり担任の先生だったようだ。穏やかそうな女性で、落ち着いた声をしている。
「早速ですが、各々自己紹介をしていただきます。」
そういうとクラスの前から順に名前を言っていく。今後何が起こるかわからないので、全ての名前を覚えていくことにする。グルンレイドでの記憶訓練がこんなところで役に立つとは。メイド長から「名前を覚えられない者は一人前のメイドにはなれません」と叩き込まれた日々を思い出す。一人一人の名前、顔の特徴、魔力の密度、座っている位置。全てを頭に刻み込んでいく。
そうして私の番になる。
「アナスタシア・アスターといいますわ。よろしくお願いいたします。」
そういって私は頭を下げる。拍手は——なかった。顔を上げてみると皆、驚いたような表情をしていた。口が半開きになっている者、まばたきを忘れている者。そして少し遅れて拍手がされる。
「わ、私何か変なことを言ってしまったのでしょうか。」
「いえ、皆アナスタシア様に見とれていたのです。」
ソフィアさんがそういう。そんな馬鹿な。私に見とれる要素なんてどこにもないだろう……。隣の席からはにらむような視線があった。
「エリザベス・マーティンですわ。アナスタシアさん、本日のテスト私が勝ちますわよ。」
「え、えぇ。」
唐突に名前を呼ばれて驚く。どこかでお会いしたことが……ありませんわね。しかし私はこの名前を知っている。マーティン家、王都で絶大な影響力を誇るヴィート家に次いで力を持っている三大貴族の一つだ。ご主人様から王国の貴族について学んだ際に出てきた名前。
「そ、それではみなさんの発表が終わったようですのでさっそくテストに移ります。校庭へ。」
エレナ先生が少し慌てた様子でそう告げた。
--
「まずは的当てを行ってもらいます。」
校庭に出ると、数メートル先に石でできた的が等間隔に並べてあった。どのような魔法を使用してもいいので破壊するということが目的のようだ。的は人の胴体ほどの大きさで、表面には魔法陣のようなものが刻まれている。
次々に魔法が唱えられて的に当たったり、当たらなかったりしている。……みんな本気を出していないのだろうか。少し的を削っただけで拍手が起こっていた。ファイアーアローで小さな炎を飛ばし、的の表面を焦がした程度で「すごい!」と歓声が上がる。
「ア、アナスタシア様、もしかしたらと思うのですが……。」
ソフィアさんが後ろから小声で話しかけてくる。
「ソフィアさん、それは早計ですわ。きっと次に控えている対人テストを有利にするために実力を隠しているはず。」
「そ、そうでしたか。」
そうでなければおかしい。こんな、こんなにも、王都の魔法力は拙いものなのだろうか。いやいや、そんなはずはない。王国最高峰の魔法学校なのだから。
なんて考えていると『おぉー』という歓声が上がった。そちらの方を見ると的が破壊されていた。
「こんなものですわ。」
エリザベスさんが得意げにこちらを見ていた。髪をさっとかき上げ、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。確かに的は破壊されていたが、まだ原型があるようだった。半分ほどが砕けた状態だ。あの程度の材質なら形も残らないくらいに破壊できるはずだが……ま、まさか、私が認知できないような防御魔法が展開されている⁉ それなら納得がいく。あの的を完全に粉砕できないのは、見えない防御魔法があるからだ。
「高度な防御魔法……。」
「ソフィアさんもそう考えますのね。」
「は、はい。きっとそうです。」
危なかった。もし周囲に合わせて弱い魔法を使用していたら、的に傷一つつけることができずに笑い者になるところだった。
そう、今は名前が違えど、私はグルンレイドのメイド。ご主人様に任務を託された誇り高きメイドだ。恥を晒すような真似だけは絶対にできない。
「ソフィアさん、魔法障壁を。」
「かしこまりました。」
ソフィアさんの目が鋭くなる。戦闘時の表情だ。
呼吸を整える。魔力を集中させる。呼吸の仕方はヴァイオレット様に教えてもらった。吸う息で魔力を体の中心に集め、吐く息で全身に行き渡らせる。魔力の練り方はメアリーさんに教えてもらった。魔力核から引き出す力を一点に収束させ、密度を限界まで高める。私の形成する全ての力は、多くの人に与えられたものだ。それを隠すなんてとんでもない。
「バニッシュルーム。」
ソフィアさんが周囲の方々の周りに魔力拡散結界を張る。そして私を囲うように魔法障壁を展開。透明な壁が私の周囲にぐるりと立ち上がるのが、空気の揺らぎで見て取れた。ソフィアさんの結界なら安心して全力を出せる。
「わ、私……。」
そういって一人の学生が膝から崩れ落ちた。
「も、申し訳ありません!」
ソフィアさんがそう叫ぶ。魔力酔いで倒れてしまったのだろう。私が魔力を練り上げた瞬間に、拡散結界の外にいた学生が影響を受けてしまったのだ。だが私にはそれを心配する余裕はなかった。集中を途切れさせるわけにはいかない。
「ファイアーアロー・絶唱!」
青い炎が飛んでいく。通常の赤い炎ではない。魔力密度を極限まで高めた結果、炎の色が変わるのだ。焦げた空気の匂いが鼻をつく。熱で地面が発火していくが、ソフィアさんの魔法障壁によって塞き止められる。
そして的に——いや、当たる前に的は蒸発してしまった。熱で。形を保つことすらできず、石が液体になり、そして気体になり、消えた。あの的には防御魔法が付与されていない⁉ ……つまり、みんなが本当に全力を出していて、あの結果だったということだろうか。
考える暇もなく、炎はそのまま向こう側の魔法障壁に衝突する。校庭を囲む結界が轟音とともに軋んだ。
「スペースカット!」
その瞬間ソフィアさんが空間を断絶する。盛大な爆発音が響き渡るが、空間が断絶されていることにより物理的な被害は全くなかった。炎と爆風が異空間に吸い込まれるように消えていく。徐々にエネルギーは消失していき、ついには消えた。後には焦げた地面の痕と、的があったはずの場所に残る小さなクレーターだけが残っている。
「ありがとうございます。ソフィアさん。」
「問題ありません。」
振り返ると、クラスメイトの全てが口を半開きにしてこちらを見ていた。誰一人として動けていない。風だけが、沈黙の中を吹き抜けていった。
--
次は対人テストである。
「さ、さっきのはたまたまですわ!」
エリザベスさんがそういいながら近づいてくる。先ほどの自信に満ちた表情は崩れていたが、それでもまだ私に挑もうとしている。その心意気は嫌いではない。
「私と勝負しなさい!」
そういうと綺麗なドレスをはためかせる。確かにあれくらいの魔法では、マーティン家は驚きもしないということか。やはり実力を隠していたのだろう。
「わかりましたわ。」
「このクラスでどちらが上かはっきりさせませんと。」
魔力密度でいえば私とソフィアさん以外ではこの方が最も濃かった。別に驚くほどのものではないが、きっと実力を隠していることだろう。
先生の合図で試合が始まる。
「けがをしても恨まないでくださいまし!ライトニング!」
紫色の電撃がこちらに飛んでくる。これほど弱い魔法はきっと牽制に違いない。『避けなくてもいいものは避けるな』——ヴァイオレット様に教わったことだ。無駄な動きは相手に情報を与える。私はその場を動かずに、次にエリザベスさんがどう動くかを観察する。
「アナスタシア様!」
アナさんが叫ぶ。その瞬間にライトニングが直撃する。紫色の光が私の体を包んだ。ぴりぴりとした刺激が走るが、闘気による防御で痛みはほとんど感じない。
「反応できていませんわね!やはり私の方が上……。」
エリザベスさんが勝ち誇ったように言いかけて——止まった。私がまだ立っているのを見て。
……何もしてこない?ではさっきのライトニングは何のために放ったのだ。牽制なら次の攻撃が来るはずだが、エリザベスさんは動きを止めてしまっている。
「な、なぜ倒れませんの!」
あの程度で倒れる方がおかしい。しかしいまだに相手の考えていることがわからない。こういう状況では自分の最も得意とする戦闘スタイルで臨むべきなのだが、これは魔法の試験だ。剣と闘気で戦ってはいけない。
「様子見ですわね。」
そうつぶやくと、自身の周りにもう一段階強化した魔法障壁を展開する。そして無唱詠唱に備えて自身と魔法障壁までの空間を極限まで狭める。体に密着するように障壁を纏う。
「バニッシュルーム。」
リアさんのように瘴気を扱ってくる可能性を考慮し、あらかじめ魔力拡散結界を展開する。さらに特殊眼を考慮し相手の目を直視するのを避ける。目を見ている時に急に発動されると対処法がないからだ。ちなみに私は一度もヴィオラさんやビクトリアちゃんに戦いで勝ったことはない。正直特殊眼との戦闘は苦手だ。
「な、何をしているんですの?」
エリザベスさんがたじろぐ。見るからに隙だらけだが、罠かもしれない。華流が使えたらもっと楽に戦闘を進めることができるのだが、華流を使えばグルンレイドのメイドだと知られてしまう可能性がある。
「ア、アイスロック!」
エリザベスさんが氷の塊を飛ばしてくる。
「アイスロック。」
同じ魔法で返す。力比べだ。どちらの魔法力が上か確かめるために『合わせ』を行ったが——
「あぁっ……!」
エリザベスさんの右腕が凍る。私の氷がエリザベスさんの氷を飲み込み、そのまま腕まで到達してしまった。魔力密度の差がありすぎたのだ。
「大丈夫ですか……。」
いや、これも罠かもしれない。近づいたところを攻撃される可能性もある。相手の裏を読め——アシュリーさんに教わったのだ。
「だまされませんわ。ヴィンドカッター!」
風の魔法によってかまいたちを起こす。見えない刃が空を裂いて飛んでいく。しかし相手は防御をすることもなかった。そもそも魔法障壁を自身の周りに展開していないのか⁉
「がぁっ……あっ。」
右肩と左太ももがざっくりと切れる。ドレスの生地が裂け、赤い線が走った。
「あ、あぁ……ち、血が。」
ぽろぽろと涙が流れ始める。凍った右腕を押さえながら、切られた傷口から血が流れていくのを見て、顔が真っ青になっていた。
「い、痛い!痛いですわぁぁ!」
そのまま地面に倒れこんで苦しんでいた。……嘘をついているようには、見えない。演技ではない。本当に痛がっている。
「ソフィアさん!」
「かしこまりました。ヒールルーム。」
私が叫ぶとすぐにソフィアさんが治癒空間を展開する。薄い緑色の光がエリザベスさんを包み込んだ。確かに魔法障壁を張っていない状態で私のアイスロックをくらっては、数分で壊死してしまうだろう。また自身で治癒空間を展開していないということは、あの出血では命に関わる致命傷となってしまうということだ。
「エリザベスさん!」
そう声をかけても返事がない。あまりの痛さに気絶してしまったようだ。顔は涙と汗でぐしゃぐしゃになっていて、先ほどまでの気位の高さはどこにもなかった。
「お、お嬢様!」
倒れているエリザベスさんのもとへ付き人であろう方が駆け寄っていく。騎士の格好をした男性と、メイド服を着た女性。二人とも顔が青ざめている。
「だ、大丈夫なのでしょうか!」
「気絶しているだけですわ。」
ソフィアさんの治癒空間の中で、エリザベスさんの傷は既に塞がり始めていた。凍った右腕の氷も溶けて、血色が戻ってきている。命に別状はない。
「よ、よかった……。」
付き人の女性が胸をなでおろす。
「少しやりすぎてしまいましたわ。目が覚めた時に、申し訳ありませんでしたと、伝えておいてくださいまし。」
本当にやりすぎてしまった。相手が魔法障壁を張っていないことを想定すべきだった。グルンレイドでは魔法障壁は常時展開が基本だが、ここではそうではないのだ。外の世界の基準に合わせなければならなかったのに。周囲の視線からは恐怖の感情が伝わってくる。一般の学生たちは私から距離を取るように後ずさっていた。
「治癒空間を展開できる者は?」
エレナ先生が周囲に問いかける。
「そ、そんな高度な魔法を使える者はおりません。」
それほど難しいものではないと思うが……いや、きっとこれもグルンレイドの常識なのだろう。ここでは治癒空間は高度な魔法なのだ。
「ソフィアさん。」
「はい、かしこまりました。完全に治癒できるまでそばにおります。」
エリザベスさんの治療はソフィアさんに任せておくことにした。ソフィアさんの回復魔法なら、傷跡一つ残さず治してくれるだろう。
次はやりすぎないように気をつけなければ。力の加減を間違えた。グルンレイドの基準ではなく、この学校の基準に合わせなければならない。それがこの任務の難しさだ。
「さて、他に私とテストをしてくれる方はいらっしゃいますか?」
周囲を見渡したが——誰もいなく、クラスメイトたちは顔を見合わせ、一歩、また一歩と後ずさっていった。




