華宴4
「次の対決はルナ・ローズ様VSセレーナ・ローズ様です!」
人間たちの歓声がここまで伝わってくる。控え室の石壁を通り抜けてなお、地鳴りのような声の波が肌を震わせた。毎年思うのだが、辺境伯という立場が開催できるような規模ではない。この華宴はもはや一つの国家行事に等しい。
「ルナ様は私たち人間が恐れる存在、吸血族です!しかし、安心してください!今は私たちグルンレイドの民を守ってくれている、メイド様です!」
メイド様……か。今はもう慣れてしまったが、本来平民がなるはずであろうメイドに『様』がつけられるというのは、かなりおかしいことだろう。精霊国にいた頃の私なら鼻で笑っていたに違いない。だが今の私はそのメイドの一人であり、この称号に恥じない働きをしているという自負がある。
おーっほっほっほ!という笑い声が、ここにいても聞こえてくる。あの甲高い笑い声は間違いなくルナだ。闘技場の反対側にある控え室からここまで響くとは、あの子の声はどういう構造をしているのだろうか。
吸血姫ルナ。吸血族の中でもさらに濃い始祖の血を引いている一族の娘だ。一言で表すと彼女は魔貴族である。年若く見えるが、その中に眠る力は侮れない。覇王——種族を統べるべき力を持つ者。私と同じ称号を持つ存在だ。
「次に紹介するのはセレーナ・ローズ様!この土地の守護精霊にして、三大精霊の一人!」
人間たちの驚きの感情が伝わってくる。ざわめきが波紋のように広がり、しばしの沈黙のあとに息を呑むような声が上がった。確かに驚くのも無理はない。三大精霊というのは人間たちにとっては伝説上の存在だ。普通の精霊でさえ一つの土地に定着するということは珍しいのに、三大精霊ともなれば尚更だろう。
「さて、行きますか。」
私は立ち上がって、闘技場へと向かった。通路を抜け、陽光の中に一歩踏み出す。
「こ、これが大精霊!!」
「なんとも美しい……。」
遥か遠くからだが、そんな声が次々に聞こえてくる。人間たちの視線が一斉にこちらに集まるのがわかった。数千という瞳が、まるで星明かりのように瞬いている。……私は見せ物ではないのだが、これもご主人様の命令だ。我慢して人間に見られるとしよう。緑の長い髪が風に揺れ、それだけでまた歓声が上がる。少々煩わしいが、悪い気はしない。
闘技場の中央に立つと、反対側からルナが姿を現した。
「おーっほっほ!同じ覇王として、負けるわけにはいかないわ!」
吸血鬼の羽を広げ、宙に浮きながらそう言い放つ。黒い羽が陽光を遮り、一瞬だけルナの影が闘技場に落ちた。幼い体に不釣り合いなほど禍々しい翼。だが、その瞳には底なしの自信が宿っている。
「毎回あなたが負けてばかりですけどね。」
「こ、今回は勝つわよ!」
顔を赤くして言い返すルナの姿は、覇王というにはいささか幼い。だがそれを口にすれば、ますます怒るだけだろう。
「それでは試合を開始します!」
審判のカルメラの手が上がる。その手が振り下ろされた瞬間——
ルナが動いた。迷いなく攻撃態勢に入る。やはりこの子は、いつだって先手を取りにくる。
「華流血術・——」
ルナの剣に赤い液体が集まっていく。自身の血液だ。吸血族特有の血液操作。体内から引き出された鮮血が剣の刃を覆い、そしてさらに鋭く、強固に固まっていく。赤黒い光を帯びた剣が、まるで生き物のように脈動していた。
「赤辻!」
「華流・剪定……っ!」
魔力を拡散させようとするが、血液によって固められているのでなかなか取り出すことができない。ルナの血術は厄介だ。通常の魔法であれば剪定で拡散させられるのだが、血という物質に魔力が溶け込んでいるため、魔力だけを引き剥がすことが難しい。額に鋭い痛みが走る。浅いが、確かにルナの刃が私の肌を裂いていた。
「精霊にも赤い血が通っているのね!」
ルナが目を輝かせてそう言い放つ。今は人間の姿をとっているのだから、血も流れる。
「よく精霊に向かってなんの迷いもなく剣が触れるものですね。」
額から流れた血を聖法によって治しながらそういう。人間にとって精霊とは崇拝の対象である。本来ならば、剣を向けること自体が冒涜に等しい。
「そんなもの、グルンレイドのメイドにとって全く関係のないことだわ。」
「……それもそうですね。」
思わず苦笑してしまう。精霊であろうと魔族であろうと人間であろうと、ここグルンレイド領では些細なこと。全てがグルンレイドのメイドという平等な立場であるからだ。種族の壁など、この場所では最初から存在しない。それを教えてくれたのもまた、この場所だった。
「ホーリースピア。」
私は光の槍を形成し、飛ばす。大気中の聖力を凝縮させた白金色の槍が、真っ直ぐにルナへと向かう。
「ファイアーアロー!」
ルナの炎がそれを迎え撃つ。二つのエネルギーがぶつかり、大きな音とともに爆発する。衝撃波が結界を揺らし、観客席から悲鳴混じりの歓声が上がった。
聖法は魔法に対して有利に働く。それは世界の理として定められた法則だ。しかし私の聖法とルナの魔法が拮抗していたということは、やはりルナの魔法はかなり脅威だということである。純粋な力の量において、この子は私の予想を上回ってきている。
「やっぱり本気でいかなきゃセレーナには勝てないわね!」
その宣言と同時に、空気が変わった。周囲の魔力がさらに密度を上げていく。肌がぴりぴりと痺れ始める。空気そのものが重くなり、呼吸をするたびに魔力の粒子が肺を満たしていく。
『魔神化』
ルナの瞳が黒く染まっていく。虹彩が闇に呑まれるように色を失い、代わりに瞳の奥に赤い光が灯った。周囲にプラズマが走り始める。紫色の電光がルナの体を包み、パチパチと弾ける音が闘技場に響いた。始祖の血が流れる魔族しかできない進化。魔力密度が大幅に上昇し、瘴気をも体内に取り込み魔法へと変換することができるようになる。ありがたいことに会場は瘴気に溢れる魔界ではなく、瘴気がほとんどない人間界なのでそれに関してはあまり問題ない。
「いつみても異常ですね。その魔力密度は。」
やはり魔貴族は別格だ。あの小さな体のどこにこれほどの魔力が詰まっているのか。こんなのに人の身で挑もうとする人間なんているはずがない……と思っていたら、グルンレイド領にたくさんいた。それでいて魔神化したルナ程度、一捻りするような存在が半分を占めるというのだ。これほどまでに恐ろしい場所はない、そう感じた。
「華流血術・——」
ルナの目が赤く光る。魔神化したその瞳は、先ほどまでの子どもらしさを完全に消し去っていた。先ほどまでとは比べ物にならないほどの魔力が剣に込められている。大気が軋むような圧が、こちらにまで届いてくる。
「宵凪。」
「華流・せん——くっ!」
威力を拡散できなかった。拡散しようとした魔力が、ルナの血と魔力の複合体に呑み込まれるようにかき消されてしまう。体に直撃し、客席まで吹き飛ばされる。背中がメアリーさんの展開している魔法障壁に叩きつけられた。衝撃で息が詰まり、一瞬だけ視界が白く弾ける。
「精霊ってどうしたら死ぬのかしら?」
ルナが宙に浮いたまま、こちらを見下ろしている。やはり魔神化すると性格までより獰猛になってくるらしい。口元に浮かぶ笑みには、捕食者の残酷さがあった。その表情を見る限り、どこか少し楽しそうだ。
「精霊だって、攻撃を与え続けられれば死にますよ。」
障壁から体を起こしながら、淡々と答える。嘘は言っていない。精霊とて不滅ではない。
「そう、安心したわ。不老不死とかではなくて。それだったら勝てないでしょ?」
精霊族は感情の起伏が少ないと言われているのだが、それでも恐怖を感じてしまうほどだった。あの瞳で見つめられると、体の奥底が微かに震える。
「けど、それは精霊の話。」
「どういうこと?」
私もルナと同じ高さまで浮かび、真っ直ぐと目を見据える。ルナの黒い瞳と、私の瞳が正面から交わった。
「忘れましたか?私は精霊ではありません。」
幸いにもここはたくさんの生命で溢れかえっている。闘技場を埋め尽くす何千もの命。その一つ一つが呼吸し、心臓を動かし、血を巡らせている。その全てが、私の力の源となる。
「生きとし生けるもの全てを司る、大精霊・セレーナ」
私の聖力がこの空間を変えていく。空気の温度が上がり、闘技場に咲いている花が一斉に開花した。石畳の隙間から蔦が伸び、壁面を緑が覆い始める。それと同時に私の体が透明になっていき、本来の姿に近づいていく。人間の姿を模る魔法が薄れ、その奥にある光の体が表出し始めた。
「たかが魔貴族如きに、手こずるわけがありません。」
『オリジンブレイク・生命の楽園』
闘技場が変わった。私を中心に、聖力が波紋のように広がっていく。地面から草花が芽吹き、空には鳥のさえずりに似た音が響き渡る。命の気配が、この空間を満たしていった。
会場がどよめく。当然だろう。根源顕現とは自身の魔力・聖力・闘気の「本質」を極限まで増幅し、世界そのものに干渉する力である。発動すると、使用者の周囲の空間が本人の力の本質によって書き換えられ、いくつかのルールが付与される。
「……これは私も本気を出さなきゃいけないようね。」
ルナの表情が初めて引き締まった。あの子にしては珍しく、笑みが消えている。
『オリジンブレイク・ワールドオブブラッド』
ルナの頭上の空が赤く染まっていく。血の色をした空だ。赤い雲が渦を巻き、大気が鉄の匂いを帯び始める。……が、私の背後の空は変わらず青空が広がっていた。ルナと私を境に、空の色が青と赤にきっかり分かれている。赤い世界と青い世界が、闘技場の中央で鬩ぎ合っていた。
「あなたは私に勝つことはできませんよ。」
「やってみなきゃ、わかんないでしょ!」
相変わらず威勢のいいことだ。私の体がさらに透明になっていく。人間を模る魔法を完全に解いた。本来の姿—精霊は実体が”ほとんど”存在しない。だからあえてグルンレイド内では体をつくっているのだ。しかし戦闘においては、この姿の方が遥かに効率がいい。
「華流黒鎌血術・斬撃!」
ルナが自身の血で魔力をふんだんに練り込んだ巨大な鎌を生成し、斬りかかってくる。赤黒い鎌が空を裂き、その軌道に沿って血の霧が尾を引いた。
「精霊術・生命の嘆き。」
私は手のひらを鎌に向ける。その瞬間——
「っ!」
ルナの鎌が溶け始めた。血と魔力でガチガチに固めたはずの鎌が、まるで春の雪のように崩れていく。生命の嘆き——この世に在る全ての有機物に対する分解と回帰。ルナの血もまた、生命の一部だ。私の聖力の前では、それは武器ではなく、ただの命の欠片に戻る。
「溶ける前に、斬る!」
だがルナは諦めない。溶け切る前にさらにスピードを上げて斬りつけてくる。あの獰猛さこそがルナの真骨頂だ。
「華流・剪定。」
私の手がルナの鎌に触れた瞬間、残っていた魔力を拡散させる。血が液体に戻り、地面に散らばっていく。赤い飛沫が石畳を染めた。
「華流血術・マリオネット!」
ルナは散らばった血を回収しながら、別の魔法を発動する。マリオネット——相手の体内に流れる血液を支配し、体全体を意のままに操る魔法。吸血族の中でも始祖の血を引く者にしか許されない禁術だ。
「残念ですね。」
「っ、なんで!」
ルナの顔が驚愕に歪む。全く操作できない。当然だろう。
「私はもう人間化の魔法を解いています。血なんて流れていませんよ。」
この姿の私には血管も心臓も存在しない。光と聖力で構成された体には、支配すべき血がそもそも流れていないのだ。ルナのオリジンブレイクは血を支配するもの。流れていなければなんの意味もない。
あら、少し困った顔をしている。だがルナのことだ、このまま終わるはずがない。
「くっ、華流血術・慟哭!」
ルナが叫ぶ。その声には怒りと、そして意地があった。最速で鎌を再生成し——
「華流・剪——っ!」
速い。剪定を唱え切る前に、ルナの鎌が私の首を通過した。速度は音速を超えていた。咄嗟のことで間に合わなかった。首と体が離れる。精霊の肉体は光の粒子となって散り、しかしすぐに再集結を始める。
「おーっほっほっほ!マリオネットはわざとですわ!そうやって油断を誘って、一瞬で仕留める。これが私のやり方よ!」
ルナが高笑いを上げる。……あの子、今のが狙い通りだったとは到底思えないのだが。マリオネットが効かなくて焦った顔をしていたのはつい先ほどのことだ。しかし、そう主張するのであれば好きにさせておこう。観客席からは感嘆の声が漏れている。演出としては悪くない。
だが——残念ながら、大精霊は首を切られた程度では死なない。
「さすがですね。全く見えませんでした。」
私はルナの背後で体を再構成しながら、穏やかにそう声をかけた。
「おーっほっほっほ!もっと褒めてもよろしくて……よ?」
得意げに胸を張っているルナが、声のする方向に気づいて振り向く。
「セ、セレー——がっ!」
短剣を、ルナの腹部に突き立てた。刃を通じてルナの体内に聖力を流し込む。目的は一つ。
「華流・白華かんざし。」
聖力がルナの魔力核に直接干渉する。ルナの体がびくりと跳ねた。
「大精霊は首を切られた程度では、死ぬことはありません。」
ルナの顔から血の気が引いていく。魔力核が損傷すれば、魔法を練ることができなくなる。そして魔神化も維持できなくなる。
「あら?空が晴れてきましたね。」
ルナの頭上に広がっていた赤い空が、みるみるうちに薄くなっていく。血の色が退き、青空が押し寄せてくる。オリジンブレイクが維持できなくなっている。
「はぁ、はぁっ……くっ……。」
ルナが必死にオリジンブレイクを維持しようとするが、魔力核が損傷しているためそれも叶わない。体の周囲を走っていたプラズマが消え、黒く染まっていた瞳に本来の赤色が戻り始める。角もツノも消えていく。魔神化が解かれてしまったようだ。
「そして、そっちの姿の方が私は好きですよ。」
魔神化が解けたルナは、やはりただの子どもにしか見えない。小さな体に、少し大きすぎるメイド服。息を切らしながらも、まだこちらを睨みつけている目だけは折れていない。……まったく、いい根性だ。
「これで終わりですね。ファイアーアロー。」
ルナが最後の力を振り絞って炎を放つ。だがそれは私に届く前に、空中で光を失った。カルメラによる試合終了の合図が闘技場に響いたのだ。
炎の残滓がきらきらと散って消えていく。その向こうに、膝をつきそうになりながらもまだ立っているルナの姿があった。
「……次こそ、勝つわよ。」
「あらあら。楽しみにしていますね。」
倒れ込むルナのもとへと降りていく。かつて精霊国の王として人間を見下していた私が、今は一人の魔族の少女を抱き上げて医務室へ運ぼうとしている。不思議なものだ。




