華宴1
華宴が始まる。
グルンレイド領で年に一度開かれる大規模な祭りは、いち貴族の開催する祭りとは思えないほどに影響力がある。それは王国にとどまらず、共和国、亜人国なども巻き込むほどだ。領主であるご主人様の名が大陸にどれほど響いているかを、この祭りが如実に物語っている。
「カルメラさん、これはどちらに?」
「そっちよ。」
私も華宴の準備でかなり忙しい状態だ。幸い見習いたちはとてつもなく有能ぞろいで、そんなに大変というわけではないのだが。それでもやはり、屋敷中を駆け回るような日が続くと足の裏がじんわりと熱を持ってくる。
ちなみに開催期間は一週間、その間は私たちの魔法や剣術の訓練は休みということになる。準備さえ終わってしまえば、私たちも自由行動の時間が生まれるからさっさと終わらせてしまおう。
「カルメラさんは舞踏宴に出場するのですか?」
見習いの一人が荷物を抱えたまま、期待のこもった目でこちらを見てくる。
「特にするつもりはないわね。私は見てる方が好きだから。」
ヴィオラやハーヴェストから出ようと誘われるのだが、やはり私は見てる方が好きだ。闘技場の石段に座って、冷たい風に髪をなぶられながら仲間たちの戦いを眺めている。その時間がたまらなく心地いい。
「私は一度カルメラさんと戦ってみたいですが。」
小さな体から魔力があふれ出るのを感じる。肌がぴりぴりと痺れるような圧。……ここのメイドは好戦的で困る。
「またの機会にね。」
「はーい。」
そういって仕事に戻っていく。背中越しに揺れる小さなポニーテールを見送りながら、ため息ともつかない吐息をこぼした。
「出ないのか?カルメラ。」
低く、しかし通りのいい声が廊下の先から聞こえた。
「ヴァイオレットさんですか……出ませんよ。」
話しかけてきたのはヴァイオレット・マリー・ローズ。グルンレイドが誇る最強の剣士であり、その剣技はメイド長をしのぐとも言われている。
「残念だ。」
風になびく赤髪はただ美しいというわけではない。まっすぐな性格も相まって『かっこいい』のだ。廊下に差し込む朝の光が、その燃えるような髪を透かしていた。
「じゃあな。」
「それでは……。」
背中を向けてどこかへ行ってしまう。長い赤髪が揺れるたびに、わずかに剣油の匂いが漂った。もう朝から素振りをしていたのだろう。何度かヴァイオレットさんの剣技を見たことがあるのだが、息をすることを忘れてしまうほどに美しかった。
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華宴が始まった。
一週間という長さだが、大会の運営などはグルンレイドの領民を雇って行っている。その期間で稼げる額は、一般領民が半年に稼ぐ量と同じくらいらしい。率先して運営に参加してくれる方々が多いのも頷ける。
ちなみに私の仕事は初日と二日目の舞踏宴の審判である。その後はフリーになるので、ゆっくりと休暇を過ごすことにしよう。
「初戦はカルメラが審判か。」
振り返ると、やはりヴァイオレットさんが立っていた。腰に吊るした剣の鍔が、朝日を受けて鈍く光っている。
「ヴァイオレットさん。」
「予選とはいえ、本気を出さないと足元をすくわれるからな。」
「ヴァイオレットさんなら大丈夫な気がしますが……。」
たとえローズであっても気を抜いているといとも簡単に見習いたちに負けてしまう。バッジを持っていないからといってなめてはいけない。それは、かつて見習いだった自分が一番よく知っている。
「じゃ、また。」
「はい。」
今は午前九時、開会式は正午に行われる。よほど有名なのか、今の時間から貴族、平民の多くの人が開催場所である闘技場へ向かっているのが見える。馬車の轍が砂埃を巻き上げ、華やかな衣装の人々がひっきりなしに街道を流れていた。
私もそろそろ行って準備をしなくては。……の前に、ちょっと屋台で何か買ってから行こう。別に私は大食いというわけではない。朝ごはんは食べたがまだ少し小腹がすいていただけだ。ほんの少しね。
ということでメインストリートに来たわけだが、私は食料班ではないので、実は何があるのかよくわからないのだ。
通りの両側にはずらりと屋台が並び、湯気や煙が入り混じって空へと立ち昇っている。焼ける肉の匂い、甘い砂糖の香り、どこかから漂う出汁のような匂い。鼻がいくつあっても足りないほどだ。
たこ焼き?……タコは分かるがどう見てもこの丸いのはタコではない。ここ数年前から異世界の料理がどんどん増えている気がする。私も久しぶりに屋台に顔を出したのであまりのバリエーションの多さに驚いてしまう。
「お、カルメラか。何かようか?」
聞きなれた、元気のいい声だった。
「ハーヴェストは屋台の手伝いだったわね。」
何を買おうか迷っていたらハーヴェストに会った。彼女は魔族だが、人間界の食べ物がかなり気に入っているらしい。エプロンを腰に巻いて、額にうっすらと汗を浮かべている。どう見ても完全に屋台の店員だ。
「何かおすすめの食べ物はある?」
きっと私よりも出店の食べ物については詳しいだろう。毎年顔を出して買いあさっているようだった。
「だったらあれだな。」
そういって少し先の屋台を指さす。……たい焼き?
「今は焼き魚を食べる気分じゃ……。」
たいはなかなか高級な食材である。貴族だけでなく平民もたくさん来るこの宴にこのような屋台は合わないのではないか?
「まあいってみろ。」
そういって腕を引っ張られる。たい焼きの屋台のもとまで来ても焼き魚の匂いは全くしてこない。代わりに、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。小麦と砂糖を焼いたような、どこか懐かしくて柔らかい匂いだ。甘い香り?
「おー、これはグルンレイドのメイド様ではねぇが!」
この方も臨時で雇われた領民の一人だろう。日に焼けた肌にしわの深い笑顔。なかなか貫禄がある。
「この方は毎年参加してくださっているのだ。作るものもプロ級だぞ?」
ハーヴェストが胸を張るようにして紹介する。まるで自分のことのように誇らしそうだ。
「お給金がよぐでな、こちらこそありがでぇもんだ!」
私は店の前に並んでいるものを見る。たい……の形をしたお菓子だろうか。金属の型にはさまれて焼かれており、鯛の姿を模した生地がこんがりと焼き色をつけている。
「と、とりあえず一つ。」
「あいよ!」
そういって紙袋に一つ入れて渡してくれる。指先に伝わる温もりと、紙袋を通してもわかるほどのほかほかとした熱。
「いくらでしょうか?」
「銅貨一枚だ。」
そういってポケットから銅貨を渡す。なかなか安い。これだと平民の方でも問題なく買うことができそうである。屋台はやはり、誰でも気軽に楽しめてこそだ。
「では、一口。」
ぱくっ、とたいの口の部分から食べ始める。歯を立てた瞬間、外の皮が薄くパリッと割れた。その先に広がったのは、ほくほくとした熱い餡だった。口の中に甘さがじんわりと広がっていく。……おいしい。
「どうだ?」
ハーヴェストが少し心配そうにのぞき込んでくる。琥珀色の目がきらきらと光っている。
「すごい、おいしいわ。」
外の少しパリッとした生地の向こうには、ほくほくのあんこが隠れていた。なんだこの幸せの甘さは。噛むたびに小豆の風味がふわりと口いっぱいに広がって、疲れた体に沁み込んでいく。
「ありがとう、ハーヴェスト。気が向いたらまた案内してほしいのだけれど……。」
「まかせろ!」
力強い返事に思わず笑みがこぼれる。さて、私もそろそろ時間が押してきているので、歩きながら食べることにする。ハーヴェストに別れを告げて、闘技場へと向かった。
……その前に、たい焼きをもう追加で二つほど買ったことは内緒だ。
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正午、多くの観客がいる中で開会式が始まる。
闘技場は円形で、石造りの観客席がすり鉢状に広がっている。一日目から三日目までは予選、四日目から六日目までは本選ということになっている。ちなみに最終日は準決、そして決勝戦だ。
「さあ今年もやってまいりました!グルンレイドの美しきメイドたちの熱い戦い!舞踏宴の開催です!」
盛大な歓声とともに舞踏宴が始まった。地鳴りのような声がうねり、空気そのものが震えている。この光景は初めて見る人にはかなり衝撃的だろう。貴族と平民が同じ観客席で観戦をしているのだ。高級な衣を纏った貴族の隣で、荒い布の服を着た農夫が同じように拳を握り締めている。ご主人様は、『平民と一緒は気に食わん!という貴族は追い返せ』という方針だ。さすがにヴィート家のような大貴族は特等席が用意されているようだった。
「まずは舞踏宴の総責任者、イザベラ・マリー・ローズ様のご挨拶です。」
毎年メイド長の挨拶から始まる。『奴隷が責任者とは何だ!』という貴族がもし現れたとすれば、すぐにこの場から消えることだろう。文字通り、消えるのだ。
「皆様、舞踏宴のために足を運んでいただいたこと、感謝申し上げます。わがご主人様、ジラルド・マークレイブ・フォン……」
闘技場の中央に立つメイド長の姿は、遠目にも凛としていた。漆黒の髪が微風にそよぎ、透き通るような声が魔法の増幅もなしに会場の隅々まで行き届いている。
貴族と平民、王国と共和国、さまざまな立場や人種がいる中で、いざこざがゼロというわけにはいかない。そんなときのために『警備隊』が編成されている。主にグルンレイドの見習いメイドたちだ。見習いといってもかなりの実力があるので、大体の問題は解決してくれるだろう。
「……となります。それでは舞踏宴をお楽しみください。」
拍手が会場を包み込む。何千もの手のひらが打ち鳴らされ、それが波紋のように石造りの壁に反響した。メイド長のスピーチには舞踏宴観戦の案内と注意事項も含まれていた。メアリーさんが結界を張ってくれているとはいえ、百パーセント安全とは言えない。けがをする可能性があるということをきちんと伝えていた。
「それではさっそく第一回戦を行います!選手の方はご準備を!」
私は個人戦、トーナメント形式の審判を行う。見習い同士の戦いはまだしも、ローズ同士の戦いは本当に大変だ。放たれる魔法や剣圧の余波で、審判の私にまで衝撃が飛んでくることもある。
マリー・ローズの審判はメイド長やほかのマリー・ローズの方がやってくれるので心配はない。マリー・ローズ同士の審判をやるなど命がいくつあっても足りない。
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「おっと、先に登場したのは見習いメイド、オリビア!」
雇われている司会の方が、元気に叫ぶ。青色の髪が印象的な見習いメイドだ。闘技場の入り口から歩き出す彼女の足取りには、一片の迷いもない。オリビアは何事にも興味を示す明るい子である。仕事の手際もかなりいい。
「よし!一回目からヴァイオレットさんだ!」
オリビアが拳を握り締めてそう叫ぶのが聞こえた。……やはりメイド見習いは好戦的で困る。格上の相手にも躊躇なく戦闘を申しこむその姿は、闘志に満ち溢れていた。こういうところが、グルンレイドの見習いらしいといえばらしいのだが。
「そして次に登場するのはこの方!ヴァイオレット・マリー・ローズ!」
腰に剣を下げて堂々と歩いてくる。赤い髪が闘技場の陽光を浴びて燃えるようだった。会場からは一際大きなどよめきが上がる。
「よろしくな、オリビア。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
オリビアの声は緊張で少し上ずっているが、目は真っ直ぐにヴァイオレットさんを捉えていた。
「それでは、開始!」
これはオリビアが大怪我しないようにすることを考えていれば大丈夫だろう。ヴァイオレットさんは強いが、その剣には相手を必要以上に傷つけない品格がある。
「ヴァイオレットさん!全力で行きますよ!」
「ああ!」
そういってオリビアも腰にある剣を抜く。鞘から離れた刃が日光を弾いて白く閃いた。
「華流・花かんざし!」
オリビアが踏み込む。地面を蹴る足音、空気を裂く刃の音。観客の息が一斉に止まった。
「華流・水凪。」
オリビアの攻撃をいとも簡単に受け流す。水が岩を避けるように、ヴァイオレットさんの剣がオリビアの一撃を横へと逸らした。ヴァイオレットさんに剣で挑むというのはほぼ勝ち目がないということに等しい。が、ここのメイドたちはこぞって剣で挑んでいく。そこが好きだったりするのだが。
「いい腕だ!」
「光栄です!」
短い言葉の応酬の合間にも、二人の足は止まらない。砂塵が舞い、金属が交わる高い音が闘技場に響き渡る。
「私からもいくぞ。華流・かなきり!」
ヴァイオレットさんの剣が空気を引き裂く。見える。刃先から放たれた衝撃波が、空間そのものを歪ませていた。
「華流・剪定!」
それをオリビアが剣で受け止める。魔法によりエネルギーを拡散させようとした。剪定は、相手の攻撃に含まれる魔力を刃を通じて分解し、威力を削ぐ技だ。
「んっ……!」
が、拡散しきれずに剣を通り越してオリビアの腕に深い傷が入る。メイド服の袖が裂け、赤い線が走った。
「まだです!」
切られた腕の痛覚を遮断し、回復させながらさらに攻撃を続ける。傷口がみるみるうちに塞がっていくのが見えた。回復魔法を戦闘中に並行して使うのは、相応の集中力を要する。それをこうもあっさりとやってのけるのだから、やはりオリビアは只者ではない。
……私はこのようながむしゃらな戦いはできないな。頭で考えすぎてしまう。でも結構好きだったりする。何も恐れずに前へ進む姿は、見ていて胸が熱くなる。
「華流・空蝉」
オリビアの姿が一瞬消えた。残像を残してヴァイオレットさんの後ろを取る。が——
「っ……!」
丁度そこにヴァイオレットさんの剣先が置かれていた。まるで最初からオリビアがそこに来ることを知っていたかのように、静かに、確実に。
「そこまで!」
私がそう宣言する。声が闘技場に響き渡り、二人の動きが止まった。
そうして二人の戦いは終わった。見習いでヴァイオレットさんの攻撃を一撃でも止めていたのはすごいと思う。オリビアには剣の才能がある。あの速度で空蝉を使いこなす見習いは、今までそう多くはなかった。
「ヴァイオレット様、また時間があったらお相手してくれませんか!」
そういって頭を下げていた。息は荒く、額からは汗が流れているが、その瞳はまだ燃えていた。
「もちろんいいぞ。」
それにヴァイオレットさんが笑顔で答える。口元がわずかにほころぶだけの、けれど確かな笑み。会場は大きな拍手に包まれた。
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一日目の審判が終わった。
時刻は夜の七時と夜ご飯を食べるにはちょうどいい時間だ。闘技場の上空には薄い紫色の空が広がり、最初の星がぽつりと瞬き始めている。最後の試合はおなかがすきすぎて私の方が倒れそうだった。審判というのは見た目以上に神経を使う仕事で、体力の消耗も馬鹿にならない。
「お疲れ、カルメラ。」
闘技場の出口で待っていたのか、私と同じくほかの試合の審判をしていたヴィオラが声をかけてきた。
「マークさんのそばにいなくて大丈夫なの?」
ヴィオラは私たちと立場が少し違う。私たちは 『ジラルド様』の従者だが、ヴィオラは勇者であるマークさんの従者となっている。とはいっても以前と何ら変わりのない関係だ。
「マーク様はメアリー様との戦いでけがを負ったから、自室で休養してる。」
付き添いは子供たちが、と言っていた。ヴィオラのいう子どもたちはアイラ、ディアナの二人だろう。
「まあメアリー様が相手じゃ仕方ないわね。」
「覚醒してたら絶対勝ったのに……。」
小さな声でそう呟くヴィオラの横顔には、隠しきれない悔しさが滲んでいた。
「いとしのご主人様が負けてしまって残念だったわね。」
「なっ……!」
顔を真っ赤にしてこちらをにらんでくるヴィオラは、やはりかわいい。夕暮れの淡い光の中で、その頬の赤さがいっそう際立っている。
「べ、別にそんな関係じゃない!」
マークさんと出会う前のヴィオラはなんというかあまり笑わないタイプだったはずだ。感情を表に出すことを極端に嫌い、いつも冷たい湖面のような顔をしていた。しかし出会ってからというもの、すごく笑顔を見かける気がする。こうしてからかわれて赤くなるのも、以前のヴィオラでは考えられないことだ。
「最初はかなり嫌がってたのにこの変わりようとはね。」
「くっ……。」
にらみがさらに強くなる。徐々に目の中に光の粒が浮かび上がる。神眼が無意識に発動しかけているのだ。……目の色が変わる前に話題を切り換えたほうがよさそうね。
「まあこの話はおいといて、ヴィオラ、ご飯を食べに行かない?」
「そ、そうね。」
ふーっ、危なかった。ヴィオラを怒らせると怖いからね……。あの目で睨まれたら心の中まで全部読まれてしまう。
「でもビクトリアは順調に勝ち進んでる。」
メインストリートを歩きながらヴィオラがそんなことを言った。通りは夜になってもまだ賑わっていて、屋台の明かりがぼんやりと道を照らしている。昼とはまた違う、提灯の柔らかな光が揺れていた。
「ビクトリア……あー、マークさんが連れてきた元魔王の子ね。あの子、マリー・ローズに匹敵するくらいの力を持ってない?」
「そう、ね。生意気なところもあるけど、かわいいから。」
元魔王に向かって生意気とは、ヴィオラとビクトリアは一体どんな関係なんだ……。覚醒勇者一人に元魔王一人、そして勇者の卵が二人、そんなところでやっていけるのはヴィオラ、あなたくらいだ。あの小さな家の中で繰り広げられる日常は、きっと想像を絶するものがあるのだろう。
「お、カルメラとヴィオラ!」
話しながら歩いていると、ハーヴェストと再び出会った。エプロンはもう外しているようで、代わりに肩に薄い上着を羽織っている。手伝いは終わったらしい。
「二人は夜ご飯は済ませてしまったか?」
これはちょうどいい。私たち二人もまだ夜ご飯を食べていないので、三人で行動することにしよう。ハーヴェストのおすすめの食べ物も聞きたいことだし。
「なんか懐かしいな。こうやって三人で歩くのは。」
ハーヴェストがしみじみとそう呟いた。夜の屋台通りは提灯の暖かい光に包まれていて、行き交う人々の笑い声や、鉄板の上で何かが焼ける音が心地よく耳に届いてくる。
「そうね。」
ヴィオラもうなずいている。確かにこの三人は見習いの時に一緒のパーティになることが多かった。朝から晩まで訓練を共にし、同じ部屋で眠り、時には夜遅くまで語り合ったものだ。しかし、ローズになってからそれぞれの持ち場での仕事が増えてしまっていた。ヴィオラに至ってはマークさんの従者になったことで、以前のように顔を合わせる機会がぐっと減ってしまった。
「たまにはこうやって集まるのもいいね。」
ヴィオラがそういう。その声には、普段は見せない柔らかさがあった。確かにすごく新鮮な気分だ。三人で並んで歩くだけで、あの見習い時代の空気が戻ってくるような気がする。
「相変わらずカルメラは食い意地がはっていて安心した。」
「なっ!」
「さっきも私と別れるときにたい焼きをもう二つ買っているのを見たのだ。」
……見られていたとは。じろりとハーヴェストの方をにらむ。しかしハーヴェストはまったく堪えた様子もなく、にやにやとこちらを見ている。
「あれは予備よ。舞踏宴の審判はあなたが思ってるよりもエネルギーを使うの。」
そういって反論する。実際、審判中は常に神経を張り巡らせていなければならないし、いざというときに介入するための魔力も温存しておかなくてはならない。食べて補給するのは当然のことだ。……まあ、三つ食べる必要があったかと聞かれると、少し返答に窮するが。
ハーヴェストはニヤニヤ笑っていた。
「お、あれはうまいぞ!」
そういって一つの屋台を指さす。……唐揚げ? 一体何を揚げているのだろう。油がパチパチとはぜる音が聞こえ、香ばしい匂いが夜風に乗ってこちらまで流れてきた。そうしてさっそくハーヴェストが屋台の方へと歩いていく。その足取りは完全に食べ物に引き寄せられた獣のそれだ。
「これはメイド様、いらっしゃいませ。」
若い女性が店番をしていた。こちらを見て、少し目を見開いてから丁寧に頭を下げる。
「唐揚げ普通三つ……いや、普通が二つで大が一つ。」
まさか大は私のぶんではないだろうな? 私も普通でよかったのだが。ハーヴェストの方をちらりと見ると、目が合ってにっこりと笑われた。……まあ頼んでしまったものは仕方ない。大を食べることにしよう。
「普通は銅貨二枚、大は銅貨三枚です。」
そういわれ各々支払いを行う。紙で包まれた唐揚げを受け取ると、油の温もりが手のひらに伝わってきた。
「やはり良心的な値段ね。」
ヴィオラがそういう。確かに異世界の料理、というのは基本的に高額になりえる。材料の入手経路も製法も特殊なものが多いのだから当然だ。しかしここで販売しているものは平民も手が出せるほどの値段だ。
「ご主人様の方針だからな。」
ハーヴェストが答える。『全ての者が楽しめる祭りにせよ』——おそらくそういった趣旨の命が下っているのだろう。
「ありがとうございましたー。」
これでは売り上げと賃金のつりあいが取れないだろう。しかし、そこは崇高なるご主人様のことだ、うまくやっていることに違いない。あの方の財力と経営手腕にかかれば、この程度の赤字など取るに足らないものなのかもしれない。
この『食べ歩き』というシステムは実に素晴らしい。なんといっても食べながら次の食べ物を探すことができるのだ。一つの屋台の味を楽しんでいる最中に、次の屋台から漂う別の匂いに誘われる。終わりのない幸福の連鎖。
「いつ見ても何かを食べているときのカルメラの表情はいいと思う。」
ヴィオラがそういうが……そうだろうか? 自分ではよくわからない。だが今はこれを食べるのに忙しいのだ。余計なことを考えている暇はない。
「いただきます。」
そういって先ほど買った唐揚げというものを口に運ぶ。見るからに熱そうな揚げ物を口の中に入れる。あつっ! 舌の先がひりりとした。けれどその熱さの向こうに、じゅわりと肉汁があふれ出す。……おいしい。中身は鶏肉だった。
「この外側の衣がいい味。」
カリッとした衣を噛み砕くと、中の鶏肉は驚くほど柔らかい。何かしらの下味がつけてあるのか、噛めば噛むほど深い味わいが口の中に広がっていく。
「だろ!私のおすすめだ。」
ハーヴェストが満足げにこちらを見てくる。自分が作ったわけでもないのに、推薦したものが好評だったことがよほど嬉しいのだろう。ヴィオラももくもくとそれを食べていた。表情にはあまり変化がないが、食べる手が止まらないあたり、気に入ったようだ。
異世界恐るべし……。今までに食べたことがない味を私に教えてくれる。この世界にはまだまだ知らない食べ物がたくさんあるのだろう。たい焼きに唐揚げ、きっとまだ見ぬ美味がこの通りのどこかに隠れているに違いない。
三人で夜の屋台通りを歩く。ハーヴェストが次の屋台を見つけては駆け出し、ヴィオラが小さくため息をつきながらもついていく。私はその二人の後ろを、唐揚げの最後の一つをかじりながら追いかけた。
夜風が頬を撫でる。提灯の光がゆらゆらと揺れて、三人の影を石畳の上に長く伸ばしていた。




