過去編:ヴァイオレット5
龍の里から戻る道中、スカーレットには手紙を残しておいた。
「なぜスカーレットにあのような手紙を?」
イザベラがそう問いかけてくる。
「スカーレットはもっと外の世界を知るべきなのだ。いやスカーレットだけではない、イザベラお前もだ。」
「は、はい。」
あの二人は強い。しかし知識が圧倒的に足りない。スカーレットは奴隷の檻の中で育ち、イザベラは百年間彷徨い歩いていた。どちらも世界を見ているようでいて、実際には極めて偏った経験しかしていない。龍族の里で一泊させることで、人間以外の種族の文化や考え方に触れさせたかった。
知識は力の一つだ。私がそう言ったことを、イザベラは覚えているだろう。
「話が変わるのですが、ご主人様は今回どのような用件で呼び出されているのでしょうか。」
「知らん。」
返事はそれだけにした。
正確には、ある程度の予測はついている。手紙に書かれていた内容は当たり障りのない儀礼的なもので、本当の用件は別にある。王が一介の辺境伯をわざわざ呼び出すということは、褒賞か粛清のどちらかだ。そして私の行動を考えれば、後者の可能性が高い。
だが、どちらであっても対応は変わらない。
幸い雇った御者はしっかりした少年で、荷物などを取られることなくこの場で待ち続けていた。途中で盗賊に襲われた形跡もあったが、馬車に施しておいた魔法障壁が機能したようだ。
「ほう。」
なかなかの根性だ。普通の御者であれば、雇い主が消えた時点で馬車ごと持ち逃げするものだが、この少年はきちんと待っていた。追加報酬を与える価値がある。
「進め。」
そうして私たちは王国へと向かった。
王国は城を中心として、東西南北に広がる四つの大きな道が特徴的だ。戦士団と魔法士団が常に警備をしているため治安は悪くない。通りには露店が並び、人々が行き交っている。グルンレイド領よりも人口が多く、活気がある。
「止まれ!」
門番に呼び止められる。
「私はジラルド・マークレイブ・フォン・グルンレイドだ。」
そう言って王の直筆の手紙を見せる。
「し、失礼いたしました!どうぞお通りください!」
衛兵の態度が瞬時に変わり、頭を下げた。これが時空間魔法を使って馬車もなしに来ていたら、なかなか信じてもらえないのだ。このような立派な装飾をした馬車で来ることによって、簡単に通してもらえる。見栄えというのは、つまりこういうことだ。
「明日、もう二人私のメイドが来る。その時はこやつを呼べ。」
そう言ってイザベラの方に視線を向ける。衛兵たちもイザベラの顔をじっくりと見た。イザベラは不快そうな表情をしていたが、黙って耐えていた。こういう場面での我慢も必要なことだ。
「了解であります!」
通行許可がおり、私たちは王国の中へ入っていく。
「グルンレイド様、どちらへ向かいましょう。」
御者がそう言ってくる。手紙には宿泊場所が書かれている。
「ここへ向かえ。」
「はい……う、うわぁっ!」
王族直筆の手紙を渡すと、御者の少年がひどく驚いていた。王族の筆跡を見ることなど、一般の民にはまずない経験だろう。
「わかりましたから、どうかこれを……。」
震える手で手紙を返してきた。王族の存在というのは、庶民にとってはそれほどまでに大きいものらしい。
宿泊場所に到着する。立派な建物だった。門構えも悪くない。御者の役目はこれで終わりなので、礼金を渡す。帰りは魔法で帰っても問題はない。
「こ、こんなに!」
イザベラが金貨五十枚を渡していた。最初の契約では金貨十枚だったが、私がそう指示したのだ。待機の時間も含めれば妥当だろう。しっかりと命令をこなした者には、相応の報酬を与えるべきだ。
「あ、ありがとうございました!」
なかなか悪くない少年だった。今後御者を頼むことがあったら、あの少年を使うとしよう。
「お待ちしておりました。グルンレイド様。」
建物の前にはこの宿泊施設の支配人と思しき男が立っており、すぐに部屋まで案内される。廊下の内装は悪くはない。しかし案内されたのは、この建物の一番下の階の部屋だった。
ドアを開けて中を見る。
簡素な寝台が一つ。小さな机と椅子。窓はあるが景観は壁。下級貴族が泊まるような、至ってシンプルな部屋だ。
「これは、どういうことですか?」
イザベラが私より先に声を出した。珍しいことだ。よほど腹に据えかねたのだろう。
「イザベラ。」
「し、失礼しました。」
支配人は何食わぬ顔で「何かあれば使用人にご命令ください」と言い残し、そそくさと部屋を出ていった。
ふむ。
つまりこういうことだ。王は最初から私を歓待するつもりなどない。この宿で「始末」するつもりだったのだろう。粗末な部屋に通し、夜のうちに刺客を送り込む。辺境伯ごときが行方不明になっても、大した騒ぎにはならないという算段か。
実に愚かだ。
「どうされますか。」
「あちらがそのつもりなら、こちらもそれ相応の対応をするまでだ。」
私はこの部屋に強力な魔力障壁を張った。いかなる刺客が来ようとも、この障壁を突破することは不可能だ。そしてこの障壁に触れた攻撃の情報は、全て私に伝わるように設定しておく。どのような攻撃を仕掛けてくるか、知っておくのも悪くない。
「な、何を……。」
イザベラが目を丸くしている。
「帰るぞ。」
「どちらへ!」
「わが領地へだ。こんなところで安眠ができるとは思えんからな。」
こんな粗末な部屋で一夜を過ごす理由がない。自分の屋敷の方が百倍快適だ。
イザベラが時空間魔法を発動しようとした。しかし私が張った魔力障壁が強力すぎて、イザベラ程度の魔力密度では外部へ空間を繋げることができなかったようだ。
「ヨグ・ソトース!」
少しの空間の歪みが起こるだけで、転移は成功しなかった。
「申し訳ありません。私の力では……。」
イザベラが悔しそうな表情をする。まあ仕方あるまい。この障壁は王国の魔法士団が束になってかかっても突破できないように設計している。イザベラの魔力密度が足りないのは当然だ。
「そうだな。掴まれ。」
「ご、ご主人様につかまる!?」
なぜそんなに動揺しているのだろうか。時空間魔法で二人同時に転移するには、身体的な接触が必要だ。それだけのことなのだが。
「し、失礼します。」
イザベラが恐る恐る私の腕を掴んだ。しかし掴み方が弱い。これでは転移の際にはぐれてしまう可能性がある。
私はイザベラの腕を引き寄せた。
「ヨグ・ソトース・絶唱。」
空間が歪み、私たちは一瞬でグルンレイドの屋敷に戻った。
「明日の朝に再びあの部屋に戻る。」
「か、かしこまりました。」
イザベラが頭を下げる。しかしさっきから顔が赤いのはなぜだろうか。まあいい、風邪ならば自分の魔法で治すことだろう。
「食事を用意しろ。」
イザベラの作った料理を食べる。うむ、やはりイザベラに料理を教え込ませた甲斐があった。最高級の食材を使っているため、王族の料理と比べても引けを取らないはずだ。むしろ王族の料理人よりもイザベラの方が腕がいいのではないかとすら思う。
そうして私は自室で眠りについた。自分の屋敷はやはり落ち着く。
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翌朝、私はイザベラを連れて再びあの部屋へと戻る。
ヨグ・ソトース・絶唱で直接部屋の中に転移した。魔力障壁は私の設定通り、一晩中機能していたようだ。障壁に記録された攻撃情報を確認する。深夜のうちに数度、刺客が侵入を試みていた。どれもゴミみたいな攻撃力だった。
「お、おはようございます。」
支配人が驚いた顔をしながらやってきた。
この反応は明らかだ。「なぜ殺されていないのか」という顔をしている。私が夜通しこの部屋にいたと思っているのだろう。実際には自分の屋敷で快適に眠っていたのだが、教えてやる義理はない。
「どれ、案内してもらおうか。」
「か、かしこまりました。」
城へ向かう。イザベラはここに残す。城には招かれた者しか入ることはできないからだ。
「私も、ついていきます!」
「何度も言っているだろう?」
「ですが……。」
イザベラがなかなか了承しない。普段は「かしこまりました」の一言で済むところを、今日は食い下がっている。よほど心配なのだろう。
「主人を信じることも、使命の一つだと思わないか?」
「っ……かしこまりました。くれぐれもお気をつけて。」
頭を下げるイザベラを残し、私は城へと向かった。
普通の貴族であれば、城の中で攻撃されようと守る術などない。しかし私はあの城にいる全ての人間に勝つことができるだろう。だから問題などない。
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「な、なぜ貴様が生きておるのだ!」
王の間に入ると、玉座に座った国王がそう叫んだ。
私は形式通り頭を下げながら、その声を聞いていた。なかなかに品のない声だ。
「私が生きているのは不思議か?」
「黙れ!貴様の発言を許した覚えはない!」
ふむ、初めて王という存在を目にしたのだが、ただの人間ではないか。威厳の一つでも感じられたら、話くらい聞いてやってもいいと思ったのだが。残念だ。
「まあ良い、ここで罪を償えばいいことだ。」
罪?一体私が何をしたというのだろうか。全く記憶にない。
「戦争にて王国の軍隊を半壊させたという報告が入っている。これは立派な反逆罪だ!」
確かに私は何度か戦争には参加している。どちらの味方につくかというのは、私に出す報酬によって決まる。私の敵に王国軍がいたとしたら、それは金を出さなかった貴様らが悪いのではないか。
まあ、そんなことをここで言っても仕方があるまい。
「よって、貴様を拘束する。捕らえろ!」
周囲に控えていた兵士が私を取り囲む。ふむ、こんなことでわざわざここへ呼ぶというのは、よほど私の力が怖いと見える。まあ、本来は宿で殺すつもりだったのだろうが、残念だったな。
「シンクロナイズ・絶唱。」
精神操作魔法を唱える。
王の装備しているものには、精神支配を防ぐ効果のある護符があった。王族専用の高級品だろう。しかし私の魔力密度の前では無に等しい。絶唱を行えば、護符の防御力など一瞬で突破できる。そしてこの精神操作は極めて微細なものだ。表面上の意識は変わらない。ただ、私に対する判断だけが書き換えられる。そう簡単に気づかれることはないだろう。
「よせ!何をしているのだ!」
精神操作が効いた王が、兵士に向かってそう叫んだ。兵士たちは何か言い返したい表情だったが、兵士ごときが王に口を開くことは許されていないので、黙って下がった。
「グルンレイド卿、貴様に罪はない。下がれ。」
「そうさせてもらう。」
そういうことになったので、私は何の被害もなく城を出た。
こんなにも愚かな王で、この王国はよく今まで崩壊していないものだ。龍の里のあの幼い姫の方が、よほど王にふさわしいではないか。
精神操作はいずれ解ける。そう長くは持たないだろう。解けた時、王は再び私を敵と認識する。その時こそが、本当の戦いになるかもしれない。だがそれはまだ先の話だ。
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宿に戻ると、イザベラと、龍の里から帰ってきたスカーレット、そしてヴァイオレットが待っていた。
「ご無事でしたか!」
三人がほぼ同時にそのようなことを口にする。
「私を誰だと思っている。」
王国ごときに私が負けるはずがないだろう。今まで王国はグルンレイドに手を出してこなかったから無視していたものの、こうも露骨に手を出されてしまうと黙ってはいられない。
「イザベラ、次、王国に来る時は、ここが崩壊するときだろうな。」
「それはどういう……そ、そういうことですか!」
イザベラのそういう頭のいいところは私も評価している。その通り、次にここに来るのは、王の精神操作魔法が解けて、再び私を粛清しに来る時だ。その時は、もう手加減はしない。
「ご主人様、ヴァイオレットを連れて参りました。」
スカーレットがそう報告する。隣にはヴァイオレットがきちんと立っている。スカーレットに任せて正解だった。
「ヴァイオレット、貴様をグルンレイドのメイドとして迎える。全てのことはイザベラに聞け。」
「は、はい!」
龍族は人間よりも身体能力や魔法力が強いと言われているが、それは一般的な話だ。ここではヴァイオレットが最も弱い存在となっている。イザベラにもスカーレットにも及ばない。
「貴様は弱い。だから死なないために、強くなれ。」
グルンレイドのメイドである以上、簡単に死んではならない。そのためには強さは必要不可欠だ。
「それと一つご報告があります。」
イザベラがそう言った。
「私たちがここで待っている間に、刺客と思われるものが数人現れました。」
イザベラが二人を迎えに行けるように、私の魔力障壁は解除しておいたのだが、そこを突かれたということか。私だけでなく私に仕えているメイドも殺そうという魂胆だったようだ。
「どうした。」
「捕らえております。」
この様子だとイザベラ程度の力でも簡単に追い返すことができたようだ。王国の戦力も徐々に見えてきたな。
「刺客に用はない。放っておけ。」
「かしこまりました。」
しかし、王国の要となる戦力はいくつかある。まず王国騎士団と魔法士団だ。それらの団長は強いという噂である。そして次に、代々王国に仕えているという剣聖と呼ばれる存在。それらがどの程度の強さなのかわからないうちは、手を出さない方がよさそうだ。
いつかはそれらを調べるために、メイドに偵察をさせてもよさそうだな。
「戻るぞ。」
「かしこまりました。」
そうして私たちはグルンレイド領へと帰還した。馬車はもういない。御者の少年は先に帰したからだ。しかし何の問題もない。ヨグ・ソトースで一瞬だ。
スカーレットが唱えた時空間魔法は、まだ荒削りだったが、確実に形にはなっていた。あの龍族との戦いで成長したのだろう。イザベラの時空間魔法と比べると精度は劣るが、そのうち追いつくだろう。
グルンレイドの屋敷が見えた。
ヴァイオレットが「大きい」と呟いた。龍族の建造物に比べれば小さいかもしれないが、人間界の基準ではかなり大きい屋敷だ。
「ここがお前の新しい家だ。」
私はそうとだけ言って、屋敷に入った。
メイドが三人になった。まだ足りないが、まあ悪くない。これからもっと増やしていく。才能のある者を見つけ、育て、最強の組織を作る。
私が目指す場所に辿り着くためには、それが必要不可欠なのだから。
ーー
ーーヴァイオレットーー
グルンレイドの屋敷を歩いている。
その外見と内装は、辺境伯という地位にいるとは思えないほどの立派なものだった。廊下は広く、天井は高い。壁には美しい絵画がいくつも飾られてあり、それ一つだけで家が建ちそうなものばかりだ。床は磨き上げられた石で、私の足音がよく響く。
しかし使用人の姿は一切見当たらなかった。
龍の里にも大きな建物はあったが、あちらは岩肌を削って作った自然の造りだ。こちらは人間が一から設計し、建てたものだろう。人間の技術というものを、私は侮っていたのかもしれない。
「スカーレット、今日からヴァイオレットとの二人部屋となります。いいですね?」
「はい。わかりました。」
前を歩くイザベラ様とスカーレット様のそのような会話が聞こえてくる。
イザベラ様。この方がグルンレイドのメイド長だ。黒い髪と、常に冷静な表情が印象的だった。あの戦いの後、私の傷を完璧に治してくれたのもこの方だ。スカーレット様が「私よりも圧倒的に強い」と言っていたが、確かにこの方から感じる魔力の気配は尋常ではない。
「ヴァイオレットもいいですね?」
「はい。」
イザベラ様からの指示に返事をする。
スカーレット様と一緒の部屋だとは思わなかったので、少し驚いた。あの戦いで私を打ち負かした人間と、同じ部屋で寝起きをすることになるとは。しかし不思議と嫌な気持ちはなかった。あの戦いの後、荒野で並んで空を見上げた時間。水浴び場でお湯の温かさを教えてもらった時間。短い時間だったが、スカーレット様がどういう人なのかは少しだけわかった気がする。
「当分はあなたがヴァイオレットの面倒を見てください。わからないことがあったら私に。」
そう言ってイザベラ様はどこかへ行ってしまった。歩き去る姿は優雅で、足音がほとんどしない。メイドというのはああいう歩き方をするものなのだろうか。私の足音は石の床に響いているというのに。
スカーレット様の方を見ると、少し不安げな表情をしていた。
「私、イザベラさんのようにうまく教えられないかもしれないけど。許してほしいわ。」
「そんな、私は全然!」
本当にそんなことはないと思う。確かにスカーレット様は口数が少ない方かもしれないが、しっかりと行動で示してくれる人だ。あの戦いの中でもそうだった。言葉ではなく、剣で、魔法で、全てを語っていた。
「私たちの新しい部屋はこっちらしいから、ついてきて。」
「はい!」
廊下を歩きながら周囲を見渡す。美しい絵画の一つ一つに目が留まる。風景画、人物画、抽象的な模様。龍族には芸術に対する興味がほとんどない。龍の里に飾ってあるのは戦いの記録や紋章くらいのものだ。こういう「ただ美しいもの」を壁にかけるという文化は、人間特有のものなのだろう。
そして不思議なことに、どこを見ても掃除が行き届いていた。埃一つ落ちていない。窓ガラスは透き通り、廊下の隅まできれいに磨かれている。
「使用人は、どちらに?」
「いないわ。」
「では食事や掃除はどのように……。」
「全てイザベラさんと私でやっているわ。あなたも手伝うことになるわね。」
この広い屋敷の全てを、たったの二人だけで管理しているというのは考えられない話だった。龍の里にはたくさんの従者や使用人がいて、それでも手が回らないことがあったというのに。しかしスカーレット様の表情を見る限り、嘘を言っているようには見えない。
本当のことなのだろう。この二人は、本当にそれをやってのけている。
「ここね。」
スカーレット様がそう言うと、一つの扉の前で立ち止まった。
扉からしてすでに立派だ。木目の美しい、重厚な造り。取っ手には金属の装飾が施されている。どう見ても使用人が寝泊まりするような部屋ではない。
「本当にここなのでしょうか?」
「そうね。イザベラさんの部屋よりも劣っているから、私にはちょうどいいわ。」
ということはイザベラ様の部屋は、これよりもさらにすごいところなのか。私はとんでもないところに来てしまったのかもしれない。扉を開けて中に入ると、やはり想像通りに美しい部屋が広がっていた。
「す、すごい……。」
二つのベッドが並んでいる。どちらも龍の里の姫様の寝台に匹敵するほどの品質だ。柔らかそうな寝具が綺麗に整えられ、枕にはレースの飾りがついている。窓際には小さな机と椅子が二脚。壁には絵画が一枚。カーテンは上品な色合いの布で、陽光を柔らかく通している。
「そう?……そうね。私の方が感覚が麻痺していたわ。」
スカーレット様はそう言って、少し自嘲するように笑った。確かに、毎日こんな部屋で暮らしていれば感覚が麻痺するのもわかる。
龍族は基本的に芸術に興味がない。このような立派なベッドもなければ、椅子もない。あるとしたら姫様の部屋くらいだろうか。私の部屋は、岩を削った台と、獣の毛皮を敷いた寝床があるだけだった。それで十分だと思っていた。
しかし、このベッドに触れてみると、その柔らかさに驚いてしまった。指が沈み込んでいく。こんなものの上で眠ったら、起きられなくなるのではないだろうか。
「まずはメイド服に着替えなさい。」
スカーレット様がそう言って、メイド服を私に渡してきた。
黒い布地に白いエプロン。細部まで丁寧に縫製された、美しい衣服だった。龍族の戦闘服とは全く趣が違う。
しかし私はメイド服を着たことがないので、どのように着ればいいのかよくわからない。ボタンがたくさんあるし、紐も何本かある。どれをどこに通せばいいのか見当がつかない。
「着せてあげるわ。」
「あ、ありがとうございます。」
それを見かねてスカーレット様が着るのを手伝ってくれた。スカーレット様の手は丁寧で、一つ一つのボタンを正しい位置に留めていく。その手際の良さは、最初から着慣れていたかのようだった。
……なんか恥ずかしい。人に服を着せてもらうなど、子供の頃以来だ。それも、少し前まで剣を交えていた相手にだ。
「尻尾をしまってくれるかしら?」
龍族は人型の時も基本的に尻尾を出して生活する。しかしメイド服を着る以上、尻尾は邪魔になってしまうようだ。スカートの中に収めなければならない。
私は尻尾をしまった。違和感がすごい。今まで尻尾をしまって生活したことなどない。バランスが少し取りにくくなるが、慣れれば何とかなるだろう。
「似合っているわ。」
着替え終わり、私が鏡の前に立つと、スカーレット様はそう言った。
鏡に映っているのは、見慣れない姿の自分だった。赤い髪にメイド服。龍族の戦士にはおよそ似つかわしくない格好だ。
しかし……悪くない、と思った。
生まれた時から兵士が着るような服しか着せてもらえなかった私にとって、このような可愛らしい服を着るのはとても むず痒い。今まで言われた「似合っている」という言葉は、戦士姿が様になっているとか、そういうものだった。可愛らしいという意味で言われたことは一度もなかった。
「そう、でしょうか。」
「えぇ。」
スカーレット様は短く答えた。それ以上は何も言わなかった。しかし、嘘ではないということは、あの目を見ればわかった。
とても嬉しい。こんな気持ちになるのは初めてだった。
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「まずは、この屋敷を案内するわ。」
ということでスカーレット様についていき、この屋敷を見てまわる。
厨房。書庫。応接間。庭園。訓練場。洗濯場。浴室。
何度見ても、ご主人様とメイド三人が暮らすところにしては広すぎると感じた。廊下を歩くだけで、龍の里の建物を何周もしたような距離がある。
しかしどの部屋も清潔に保たれていた。これをイザベラ様とスカーレット様の二人だけでやっていたのだ。そして今日から、私もその一員になる。
「ここが訓練場よ。毎朝ここでイザベラさんと訓練をするわ。」
広い庭の一角に、訓練用の空間があった。地面は踏み固められ、端には木剣や的が置いてある。あちこちに魔法による焦げ跡や、剣で抉られた痕がある。かなり激しい訓練をしていることがわかる。
「私もここで訓練をするのですか?」
「もちろん。グルンレイドのメイドは全員、戦闘訓練を受けるわ。」
龍の里でもずっと訓練をしていた。ここでも同じなのだろう。ただし相手が違う。龍族の訓練相手ではなく、あのイザベラ様やスカーレット様が相手になるのだ。
胸が高鳴った。あの戦いの後、私は自分の弱さを思い知った。スカーレット様に負けた。それは事実だ。しかしそれは同時に、まだ強くなれるということでもある。
「スカーレット様。」
「なにかしら。」
「私は、ここで強くなれますか?」
スカーレット様は一瞬だけ私を見て、そして前を向いた。
「なれるわ。私がそうだったように。」
その横顔には、確信があった。私はこの場所で強くなる。龍族の誇りをかけて。そしていつかこの里に戻った時、姫様に胸を張って報告できるように。
「ヴァイオレット。」
「はい。」
「ここでの生活、最初は慣れないかもしれないけど。」
スカーレット様は少しだけ間を置いて、続けた。
「悪くないわよ。」
その言葉が、不思議と心に染みた。私は頷いて、スカーレット様の後をついていった。




