過去編:ヴァイオレット3
やはり人間は敵だ。
人間界に友好関係を結びに行った同胞が、ことごとく殺されている。奴隷として売り飛ばされた者もいると聞いた。人間にとって龍族は「珍しい生き物」程度の認識なのだろう。同じ知性を持つ存在として扱われたことなどない。
こいつらのように龍の里まで乗り込んでくる者までいるとは思わなかった。ザン様が眠らされた。姫様の部屋に人間がいた。こんな状況を許すわけにはいかない。
やはり龍の里は、私が守らなくては。
「もう諦めろ。そして龍の里へ来たことを後悔するがいい。」
地面に倒れている白髪の少女に声をかける。
見た目は私と同じくらいの年齢だろう。しかしその体からは信じがたいほどの魔力が漂っていた。先ほどまでの戦闘で、この少女の魔法の力はかなり強いということを思い知らされた。華流という剣技も、短剣の扱いも、魔法障壁の硬さも。この聖剣がなかったら、私も勝つことは難しかっただろう。
しかし聖剣がある以上、勝負はついた。わき腹からは大量の血が流れている。もはや立てるような体ではないはずだ。
この後は、後ろに控えている二人だ。あの黒髪のメイドと、目つきの恐ろしい男。あの男の魔力密度は私をはるかに超えている。正直、あの男を相手にして勝てるかどうかはわからない。だがやるしかない。龍の里を守るのは私の使命だ。
「イザベラさん……私の剣を、出してくれますか?」
「なっ!」
少女が立ち上がっていた。
わき腹からは大量の血が出ている。メイド服は赤黒く染まり、足元には血だまりが広がっていた。もはや立てるような体ではないはずだ。それなのに、この少女は立ち上がった。
「わかりました。」
後ろのメイドが、どこから持ってきたのかわからないが剣を取り出した。異空間から取り出したのだろうか。そしてそれを白髪のメイドに渡す。先ほどまで使っていた短剣ではなく、私の聖剣と同じくらいの長さがある本格的な剣だ。
「なぜそこまで……。」
なぜこの傷で立てるのか。なぜまだ戦おうとするのか。わき腹を聖剣で斬られたのだ。聖力は魔力による回復を阻害する。傷は塞がらないはずだ。
「私が、グルンレイドのメイドだからよ。」
グルンレイドとは何なのだ。私は聞いたことがない。しかし、彼女の目からは「死なない」という強い意志が感じられた。追い詰められた獣の目ではない。もっと別の何か。信念のようなもの。
「だが、血を流し続けている。もうじき立ってもいられなくなるだろう。」
「気にしないで、ちゃんと戻してるから。」
どういうこと……っ!流れ落ちている血が、地面に落ちずに空中で切り返し、再び自身の体へと戻っている。
赤い液体が重力に逆らって上昇し、傷口に吸い込まれるように消えていく。おそらく雑菌や余計な空気などを含めずに、その精密な操作を行っているのだろう。魔法による血液制御。聖剣の影響で傷口そのものは塞がらないが、流れ出る血を回収することで失血死を防いでいる。
こんな芸当ができる人間がいるのか。
「本当に人間か?」
「よく言われるわ。」
少女は軽く答えて、受け取った剣を構えた。その構えには隙がなかった。先ほどの短剣の時よりも安定している。この剣の方が得意なのかもしれない。
やはりこの少女が一番の危険分子だ。
足に力を入れ、切りかかる。剣で受け止められた。先ほどの短剣に比べてリーチがあるぶん、受け止めやすくなっているのだろう。しかし私がやることは変わらない。剣技で相手を倒す。
「シド流・宵凪!」
全力の一撃を叩き込む。が、その少女は剣で守ることもしなかった。吹き飛ぶ。数メートル後方へ、砂埃を巻き上げながら転がっていく。
「諦めたの……か?」
しかし砂埃の中から、再び少女が立ち上がった。
私の斬った部分だけ魔法障壁を分厚くしていたようだ。斬撃の瞬間に、その一点だけに魔力を集中させて防御した。血は流れているものの、わき腹ほど深い傷ではない。
「足運びはこうね。」
「……何か言ったか?」
少女が何かを呟いていた。しかしあまりの声の小ささに聞き取ることはできない。独り言だろうか。戦闘中に独り言とは、余裕があるのか、それとも正気を失いかけているのか。
「シド流・嵐。」
再び斬りかかる。風を纏った連続斬撃。これも避けずに少女は受け、吹き飛ばされた。そして立ち上がる。これではダメージを負う一方ではないか。何がしたいのだ。自殺志願者なのか。
「剣の軌道はこう。」
「だから、何がしたいのだ!シド流・鉄火!」
次で終わりだ。徐々にダメージは蓄積している。聖剣による傷は魔法では完全に治せない。これを食らって立ち上がれることなど――。
「シド流・宵凪。」
そんな声が聞こえた。私の剣がはじかれ、体勢が崩れた。……何が起こった。
私の技が、防がれた。防がれただけではない。同じ技で返された。シド流・宵凪。それは今、私が使った技ではなく、先ほど私が放った技だ。
「こんな感じね。覚えたわ。」
こちらを見る少女の目が、さっきまでとは雰囲気がまるで違っていた。
圧倒的な集中。
どんな強大な魔力でもない。ただその集中力が、私は怖かった。あの目は全てを吸収する目だ。見たものを瞬時に理解し、自分のものにしてしまう目。
あの数回の攻撃は――わざと受けていたのか。私の技を見るために。覚えるために。わざと斬られていたのか。
「シド流・月下!」
「シド流・月下。」
受け止められた。私と同じ技。そして同じ動き。
「な、なにが!」
ありえない。私は数年間修業をして、やっとこの剣技を手に入れたのだ。シド流は聖法を剣に組み込む聖族独自の戦闘技術。聖剣を持たない者には使えないはず。しかし少女は聖力ではなく魔力で、シド流の動きを再現している。
実はこの少女は昔から剣を握っていたのか。昔からシド流を習っていたというのなら納得がいくが……。
「なにもしてないわ。ただあなたの剣技を見て、覚えただけ。」
嘘はついていないようだった。
この数撃で、私の技術を吸収している。数年間の修業の成果を、数分で。そんなことは不可能だった。剣というものは長年の修業があってこそ、技術が身につくのだ。体に染み込ませ、反復し、無意識で動けるようになるまで何千回と繰り返す。それをこんな数分で身につけるなど、あってはならないことだ。
天才。
この言葉がこれほど似合う存在を、私は見たことがない。
「あ、ありえない!シド流……。」
「シド流・嵐。」
私が技名を言い終わる前に、少女が先に動いた。風を纏った連続斬撃。さっき私が使った技そのものだ。
「があっ!」
剣がはじかれ、今度は私のわき腹が切られた。少女と同じ場所だった。血が流れていくのを感じる。止血しなくては。
「これでおしまいね。シド流・。」
まずい。この状態は。私の本能が叫んでいる。死に近づいている。体が壊れかけている。そして――。私は止血を後回しにして、握っている剣に全ての力を込めた。
「シド流奥義。」
「回復をしなくていいのかし……。」
「三千世界。」
少女の言葉を遮り、奥義を放つ。剣が光る。聖力が爆発的に膨れ上がり、空間そのものを切り裂くような斬撃が少女に襲いかかった。
メイドは地面に倒れた。私の剣からは血が滴り落ちていた。
そして、立ち込める血の匂いを前に、私は笑っていた。
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やはり戦いは楽しいものだ。私の中に流れる血液の速度が、徐々に加速していくのがわかる。心臓が激しく脈打ち、全身の筋肉が膨張するような感覚。視界が赤く染まっていく。世界の色が変わる。
狂乱。
龍族特有の戦闘本能。己の肉体と精神が「死」に近づくたびに、攻撃力が爆発的に上昇していく。理性が薄れ、闘争本能が体を支配する。危険な状態だ。しかし、この高揚感は何物にも代えがたい。
残念だが、この楽しい時間も終わりだ。私はトドメを刺そうと歩き出す。
「はぁ、はぁ……勝手に、殺さないで。」
驚くべきことに、死んだと思っていた少女が立ち上がっていた。
どんな魔法を使ったのかなど、もはやどうでもいい。今私が感じていることは、あのメイドがまだ戦えるということ。それだけで、この狂乱の炎に油が注がれた。
「は、ははは!シド流・宵凪!」
「まるで別人ね……シド流・宵凪!」
私とメイドの剣が重なり合う。しかし感触はあまりよくない。狂乱状態の私の膂力は、先ほどまでとは比較にならないほど増幅されている。少女の魔法障壁は薄くなっており、これでは簡単に吹き飛んでしまうだろう。
私の予想通りに、少女ははるか遠くにある建物まで吹き飛ばされていった。岩壁に叩きつけられ、瓦礫が崩れ落ちる。
終わったか。いや。
「華流奥義・極一刀!」
巻き上がった砂埃の中から、猛スピードで切りかかってくる少女を私は剣で受け止めた。私の一瞬の隙をついた一撃。岩壁から飛び出してきた速度は、さっきまでの少女とは段違いだった。
「渾身の一撃だったのだけれど……。」
「あはは!いいな!」
腕に伝わってくる衝撃の一つ一つが、私を興奮させる。剣が止まらない。もっと、もっと斬りたい。
「はぁ、はぁ、一体彼女に何が……。」
私の剣を受けながら、少女はそんなことを呟いていた。
「龍族特有の"狂乱"だ。」
答えてやった。さっきよりも気分がいい。剣がすごく軽い。全てが加速している。
「魔法障壁が薄くなってるぞ?」
少女の防御が明らかに弱くなっている。先ほどまで何度も私の攻撃を防いでいた魔法障壁が、今は紙のように脆い。
「違うわ。あなたの攻撃力が上がっているのよ……。」
「あなたこそ魔法障壁がなくなっているわよ。」
「ああ、だが問題ない。」
問題ない?そう言った直後に、私の剣は少女の右腕を切り落としていた。
「あぁぁぁっ!」
持っていた剣とともに、腕が地面に落ちていく。血が噴き出し、荒野の砂を赤く染めた。
「攻撃をくらわなければいい話じゃない?」
腕から垂れている血は、魔法によって制御されずに地面に広がっていた。先ほどまで見せていた血液制御が、もうできなくなっている。魔力が尽きかけているのだ。
「もう無理しないで、降参し……!」
言葉が止まった。
メイドは叫びもせずに、切られた部分を残った左手で押さえながら、ただ静かにこちらを見ていた。
その姿に、私は戦慄した。
真っ白い髪と肌に、真っ赤な血しぶきが飛んでいた。白と赤のコントラスト。それはまるで、雪の上に散った一輪の紅い花のようだった。鮮明な紅が、少女の全身に浮かび上がっている。
加速していた血流が、急に大人しくなっていく。私の体が、震え出した。
……恐怖。
いや、そんなはずはない。追い詰められているのは向こうの方のはずだ。腕を一本失い、魔力も尽きかけ、体中が傷だらけ。どう見ても私が優勢だ。
なのに、なぜ、私の足が震えているのだ。
あの目だ。
あの目が怖い。腕を失ってなお、瞳に宿っている光が一切揺らいでいない。痛みも、恐怖も、絶望も、そこには何もない。あるのはただ、「私はここで死なない」という純粋な意志だけ。
「っ、降参する気がないなら消えろ!シド流奥義・三千世界!」
私の全ての力をこの剣に込めて、少女へと切りかかった。
ガギィン!
そんな音が響き渡った。
私の剣はメイドの直前で静止していた。
「な、何をした!」
返事はない。ただ少女は、残った左手を前に伸ばし、私を見つめ続けている。冷徹なその目は、私の心の中の全てを覗かれているような気がしてならなかった。
私の剣が空間に固定されている。まるで見えない壁に阻まれているかのように、一ミリたりとも動かない。
「くそっ!シド流……えっ?」
私の右腕が、地面に落ちた。
……何が。
いつ切られた。見えなかった。感じなかった。痛みが遅れてやってくる。
「スペースカット・絶唱。」
少女がそう呟いた。
スペースカット。空間を切断する魔法。それを絶唱で放ち、私の腕を切り落とした。いつの間に。あの傷だらけの体で、いつこの魔法を構築した。
紅に染まった白髪が、ゆっくりと風に揺れている。
「あぁっ、い、癒せ・緑龍!」
聖剣の力で治癒を試みる。龍技による回復だ。止血と痛みを止めることはできたが、完全に腕を回復させることはできなかった。
メイドを倒すにはどうすればいい。考える。考えろ。しかし考えている暇はない。
左手で剣を握り、さっきよりも速いスピードで切りかかる。狂乱の力がまだ体を駆り立てている。しかし――再び少女にあたる直前で、剣が止まった。
「く、くそっ!なんで、切れない!」
また空間に固定されている。どれだけ力を込めても、一歩も進まない。
少女がゆっくりと、左手を傷口から離した。
すると床に落ちていた右腕が、融解し始めた。金属でもないのに、まるで溶けるように形を失い、液状になった何かが空中を漂い、少女の傷口へと戻っていく。そして、腕は完璧に修復された。
次にわき腹の傷も、徐々に修復されていく。
ありえない。聖剣で与えた傷は魔力では治せないはずだ。聖力が魔法による回復を阻害する。それがこの聖剣の力だ。
「エクストラヒール・絶唱。」
またもや少女が呟いた。絶唱。この言葉をつけると、魔法の威力が桁違いに上がるようだ。聖剣の阻害すら突破するほどの回復力。いったいどれほどの魔力密度なのだ。
「ヴァイオレット。」
少女が私の名前を呼んだ。
「……っ!」
足が動かない。
興奮していた脳が、冷水をかけられたかのように冷静になっていく。狂乱の炎が萎んでいく。あれほど軽かった剣が、急に重くなる。体中の痛みが一気に押し寄せてきた。
少女はただ私の名前を呼んだだけだ。しかしその一言は、狂乱の暴走を止めるに足る重さを持っていた。
次の瞬間、私の落ちた右腕が融解し、傷口へ戻っていった。
回復魔法。あの少女が、私の腕を治した。
「剣を拾いなさい。」
いつの間にか私は剣を手放してしまっていた。狂乱が解けた瞬間に、握力がなくなったのだ。震える足を必死に動かして、地面に刺さっていた剣を抜き取る。すると少女も自分の剣を拾い上げた。
「全力で、来なさい。」
この一刀で、決着がつく。
私は全ての力を聖剣に込めていく。闘気が剣を伝い、聖力が刃全体を白く輝かせる。
私の目の前にいる少女は、紛れもなく天才だ。私より弱かったはずの存在が、この戦いの中で私を超える力を会得した。数分前まで受け身に回っていた少女が、今は私が手も足も出ないほどの領域にいる。
もうすでに私はこのメイドには勝てないと、本能が告げていた。
しかし、ここで私が剣を下げるわけにはいかない。龍族の誇りにかけて、私は最後の一瞬まで剣をふるう。
「シド流奥義。」
私は聖剣に全力で闘気を加える。剣が震え始めた。限界を超えた力が、刃から溢れ出していく。
「華流奥義。」
目の前のメイドの魔力密度が爆発的に上昇する。空間が歪み、足元の地面が震える。意識が薄れかける。だが、倒れない。倒れるわけにはいかないのだ。
最後に見た、彼女が剣を構えるその姿は――
恐ろしくも、美しいと、そう思った。
真っ白い髪が風になびき、真っ赤な血潮が夕陽に透ける。紅と白と橙。その色彩の中に立つ少女は、人間とは思えなかった。
「三千世界。」
「極一刀。」
二つの剣が交差した瞬間、私の意識が途切れた。




