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極悪辺境伯の華麗なるメイド  作者: かしわしろ
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天界15

ーーイザベラーー


邪神が消えた広間は、嘘のように静まり返っていた。

先ほどまで渦巻いていた聖力の嵐がやみ、世界の輪だけが変わらず中央で輝いている。しかしその光も、どことなく頼りなげに瞬いているように見えた。


コトアルは膝をついてご主人様の言葉を受け止めている。その頬を伝う雫が、床に小さな跡を残す。機械のはずのコトアルが涙を流している。その光景に、私は何も言わずに静かに視線を外した。この瞬間は、コトアルとご主人様だけのものだ。

やがてコトアルが立ち上がり、目元を拭って一礼した。それを確認してから、私は口を開いた。


「神が不在の天界は、現在とても不安定な状態です。ご主人様、どうされますか。」

神とはこの世界の秩序そのものだ。その存在が消えたということは、天界を支えていた力の均衡が崩れたことを意味する。このまま放置すれば、天界は崩壊しかねない。そして天界の崩壊は人間界にも波及するだろう。


「ふむ、確かにそうだな。」

ご主人様は悩みながら、視線を少し先に向けた。

私もそちらの方を見てみる。


「……なんでしょうか。あれは。」

広間の奥、邪神がいた場所の少し上に、何かが浮かんでいた。


青い光だ。


神の聖力だろうか。本来であれば、拠り所のなくなった聖力は自然に拡散され消えていくものだ。しかしこの青く輝く特異な聖力は、消えずにその場に留まっていた。まるで次の宿り先を探しているかのように、ゆっくりと明滅を繰り返している。


「神の力……覚醒した勇者の力と同じようなものだ。」

ご主人様はそう説明した。ご主人様は本当になんでも知っている。私も常日頃から多くのことを知ろうと努力をしているのだが、ご主人様の知識には到底届かない。世界の理を理解し、神の力の本質まで見抜いてしまう。この方の頭の中は一体どうなっているのだろう。


「コトアルに吸収させますか?」

「それは難しいだろう。コトアルにはもうすでに勇者の力で満たされている。入る隙間などない。」

「は、はい、私自身もそう思います。」

コトアルもそう答えた。ということは、コトアル以外で聖力を扱える存在を探さなくてはならない。思い当たるのは……元四天王であるイリスだろうか。しかしイリスでは、神の力を受け止めるには力が足りないかもしれない。


「マークよ、そこに立て。」

「お、おう。」

ご主人様が急にマークを呼び出した。

マークは戸惑いながらも、青い光の前まで歩いていく。すでに勇者の力を失ったはずのマークの背中は、しかし先ほどの戦場で見せた頼もしさを失ってはいなかった。


「そしてヴィオラ、マークのそばへ行け。」

「かしこまりました。」

それに加えてヴィオラまで光の中へ歩かせていた。

一体何をしようというのだ。マークに勇者の力はもうないはずだし、ヴィオラの神眼もコトアルに力を分け与えた後だ。二人とも、今はほぼ普通の人間と変わらない状態のはず。


「やはり、私が認めた存在だ。最後の最後まで気が回る。」

ご主人様はそうとだけ言うと、後ろを向いて神殿の階段へと歩き始めた。


「ご、ご主人様!」

私はマークたちの方を見ながら、ご主人様の後をついていく。

すると徐々に、青い光が二人の元に近づいていった。光はまるで意思を持っているかのように、まっすぐにマークとヴィオラを目指して浮遊していく。


そして――体の中に入り込んだ。


「な、なんだこれは!」

マークが驚いて自分の手を見つめる。徐々にマークの体の中から、以前のような聖力が溢れ出してくる。いや、以前よりもさらに強い。勇者の力に、神の力が上乗せされたかのような、莫大な聖力。


「これは……!」

ヴィオラの瞳にも変化が現れていた。神眼の中に、以前あったような青い粒子が浮かび上がっている。特殊瞳に優劣はないと言われているが、どことなく以前の瞳よりも輝きが強いように感じる。


二人は呆然と自分の体から溢れる力を見つめていた。


「あれは、何が起こって……。」

後ろから誰かが呟いた。


「神の残滓だ。奴は自身が滅ぼされても、その力だけは少しの間消失しないようにしてくれたようだ。」

ご主人様は階段を降りながら、振り返らずにそう答えた。


あの最後の瞬間、邪神の中から神としての意識が顔を出していた。「止めるな」と言ったあの声。あれは神が、自らの消滅を受け入れながらも、この世界のために最後の力を残してくれたということなのだろう。


「その力は……再びマークを選んだ、ということでしょうか。」

「うむ、その通りだ。」

おそらく神の残滓は、覚醒した勇者の力に近い性質を持っている。本来であれば新たな器となる人間を探しに地上へと降りていくはずだ。しかし、出会った最初の一人目で、それは決まった。


最初の一人目に選ばれたのが、マークだった。

一番近くにいたから選ばれたのではない。マークだから選ばれたのだ。才能や力というものは、無作為に与えられるのではなく、与えられるべくして与えられている。


「特殊瞳もまた、ヴィオラを選んだようですね。」

マークに宿った神の力から派生した特殊瞳の力が、ヴィオラの神眼に再び宿った。これもまた偶然ではないのだろう。マークの力がヴィオラに宿る。勇者とメイド。主人と従者。その繋がりが、神の力をもう一度この二人の間に結びつけた。


「……すごいな。」

「えぇ……。」

二人とも自分の力に驚いているようだ。それを見ていたグルンレイドのメイドたちも、その神秘的な出来事に目が離せないでいた。スカーレットですら、わずかに目を見開いていた。


「これで天界も安定するというものだ。」

ご主人様が階段を降りながらそう言った。


「……なるほど、そういうことですか。」

私はご主人様の意図を理解した。


この世界に神は必要だ。天界を安定させ、秩序を保つために。では誰がその役割を担うのが最適か。

元四天王であるイリスは候補のひとつだが、力が足りない。他の聖族では論外だ。しかし今、ちょうど神の力を取り込んだ存在が誕生した。


「おぉ、すごいな、段違いの力だ……。」

当の本人は、手に入れた力の凄さにはしゃいでいる様子だった。この状況で呑気にはしゃげるのは、さすがマークだ。


「ご主人様、それは素晴らしいお考えかと思います。」

「うむ、私もそう思っていたところだ。」

マークが神になればいい。


一応魔王でもあるが、そんなことは関係ない。ご主人様の意見は、神や魔王よりも絶対なのだ。

そして神になるということは、天界の管理という膨大な仕事量がマークにのしかかることになる。四天王の選定、聖族への号令、天界全体の秩序維持。今までの何十倍もの責務だ。


しかしマークであれば、私の心も痛まない。

これほどの適材が他にいるだろうか。

私はご主人様の考えに感動しながら、ゆっくりと階段を降りていった。

長い長い階段。神に至る道を、今度は逆に降りていく。ご主人様の一歩後ろを歩きながら、私は天界での出来事を振り返る。


グルンレイドに攻撃を仕掛けた聖族を捕らえた。四天王を全て制圧した。邪神を倒し、神の残滓をマークに託した。ロンドの裏切りも明らかになった。


そして何より、コトアルが帰ってきた。

グルンレイドのメイドは一人も欠けることなく、ここにいる。


「ご主人様。」

「なんだ。」

「先の攻撃で、お気に入りの絵画を落とされた件ですが、必ず、同等かそれ以上の品をお探しいたします。」

「うむ。」

ご主人様は短くそう答えた。


天界の問題も、神の問題も、全ては解決に向かっている。しかし私にとって最も重要なのは、ご主人様のお側にいること。そしてご主人様の生活を完璧に整えること。

それが、グルンレイドのメイド長としての私の全てだ。

白い階段を一段ずつ降りていく。その先には、帰るべき場所が待っている。

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