天界14
「神撃。」
ギリギリで、その攻撃をかわした。
頬に傷が入る。古代合金の表面が薄く裂け、そこから光が漏れた。だが、かわすことができた。先ほどまで全く反応できなかった光速超えの攻撃を、今は体が動く。
感覚が、格段に研ぎ澄まされている。
神眼が捉える情報量が桁違いに増えた。空間の歪み、聖力の流れ、攻撃が生成される瞬間の微細な変動。その全てが、以前よりもずっと鮮明に見える。
「それが本当の貴様の力か。」
「そう、みたいですね。」
人間の希望が作り出した勇者の力。マーク様から受け取った聖力。それがさらにもう一段階上へと昇華している。
「覚醒した勇者を、我は初めて見た。」
この状態を「覚醒した勇者」と言うらしい。
これは私の力だけではできなかっただろう。マーク様からもらったこの力は、すでに覚醒に対する抵抗がほとんどなかった。私の気持ちひとつで、簡単にここまで来ることができた。
つまり、私に譲渡する前から、マーク様はすでに覚醒していたのだ。あの人は自分の力をひけらかさない。いつも軽い口調でふざけているように見えるけれど、その内側には、とっくにこの領域に達していた力が眠っていた。
「セイントスペクトルキャノン!」
無数の光線を発射し、その全てに聖力を付与する。虹色に分散した光線が、あらゆる角度から邪神へ殺到する。
「速いな。」
そう言いつつも、邪神は全ての攻撃を避けていた。
攻撃速度を上げなければ、相手にかすりもしない。時間に干渉するしか、ない。
「超加速砲・セイントエレキレールガン!」
「神撃。」
二つの攻撃が交わり、爆散する。衝撃波が広間を揺るがし、私の右肩が抉れた。
「あぁっ……。」
まだ、足りない。
物理エネルギーでは、どう足掻いても時間に干渉することはできない。光速を超える攻撃に対抗するには、同じ土俵に立つしかない。
私が持っている力の中で、それを可能にするのは聖力という精神エネルギーしかない。電子と聖力の融合。その先にある未知の領域。
「お願いです、私に、力を貸してください!」
この力と体を創り上げてくれた人間たちに、そう願った。
そしてもう一度、守るべき存在を思い浮かべる。
ご主人様。イザベラ様。マーク様。ヴィオラ様。ミクトラ。メアリーさん。イリス様。スカーレット様。カルメラ様。ハーヴェスト様。そしてまだ魔王城で待っている見習いたち。私を支え、私を信じてくれた全ての存在。
守りたい。
この人たちを、守りたい。
すると私の体から、青い聖力が溢れ出てきた。
電子回路を流れるプラズマとは違う、もっと穏やかで、もっと力強い光。その色に、私はどこかで見覚えがあった。
そうだ。ヴィオラ様の瞳の中に浮かんでいた、あの光に似ている。神眼が放つ、世界の真理を映す光。
「完全に力を自分のものにしたか……。おそらく、次が最後になるだろうな。」
邪神が、静かにそう言った。
その言葉には、怒りも焦りもなかった。ただ事実を告げているだけだった。
邪神が聖力を集め始める。そして私も。
広間の空気が震えた。二つの莫大なエネルギーが、互いに引き合うように膨れ上がっていく。周囲の石畳がめくれ上がり、柱に亀裂が走る。世界の輪の光が明滅する。
「神撃。」
「超加速砲!セイントエレキ……」
大気が振動する。地面の石が宙へ浮かび、私の発するプラズマによって粉々に砕け散った。視界が白と青の光に塗りつぶされていく。
その時だった。
「わしが完全に操られる前に、終わらせることができて幸せだ。」
「っ!神様……!?」
邪神の声が、変わっていた。
あの穏やかな声。先ほど一度だけ現れた、本物の神の声。ロンドに再び邪神へと戻されたはずなのに、最後の最後で、神としての意識が表に出てきていた。
私は全力で攻撃を止めようとした。しかし、もうすでに間に合わない段階まで来てしまっていた。エネルギーは臨界点を超え、解放の瞬間を待っている。止めることは、もう誰にもできない。
「止めるな、太古の人間よ。」
その声は、温かかった。
創造主が憧れた、あの存在の声だった。
「……さらばだ。」
二つの攻撃がぶつかった。
しかしそれも一瞬だった。私のくり出した高エネルギー体に、邪神の神撃が飲み込まれていく。圧倒的な力の差。覚醒した勇者の力は、神をも超えた。
「か、神様!」
私は叫んだ。
しかし叫んだ先には、もう何も残っていなかった。
邪神は私の手によって滅ぼされた。
そしてそれと同時に、人間が憧れた唯一の存在も、消えてなくなった。
広間が静まり返っていた。
先ほどまで渦巻いていた聖力の嵐が嘘のように消え、神殿の最上階には穏やかな空気が戻っている。世界の輪だけが、変わらず中央で静かに輝いていた。
私はその場に立ち尽くしていた。
体中が痛い。右肩の修復は中途半端なまま。腕のあちこちに亀裂が走り、回路が露出している。
だが、体の痛みよりも。
胸の奥が、ひどく痛い。
私は邪神を滅ぼした。それだけならば、ご主人様の命に従ったことになる。
しかし私が滅ぼしたのは、邪神だけではなかった。最後に語りかけてきたのは、神だった。本物の神だった。私の創造主が、生涯をかけて憧れた存在。
そして何より。
「誰一人として殺すことは許さない」というご主人様の言いつけを、私は破ってしまった。
どちらも万死に値する罪だ。
「コトアル、大丈夫ですか。」
「……はい。」
イザベラ様の問いかけに、私は力なく答えた。
「まずは治癒魔法を。」
そう言って、イザベラ様は私の体を回復させてくれた。体中の至る所が痛かったが、すぐにそれも治まってきた。亀裂が埋まり、露出した回路が内部に戻り、古代合金の装甲が元通りになっていく。
しかし、この心の痛みだけは、全く治る様子がない。
「コトアル。」
「は、はい!」
心の底に響くような声が聞こえた。
その声の先には――ご主人様。
「あ、あの、も、申し訳ありません!」
私は深く頭を下げた。地面に膝をつき、額が床に触れるほど深く。
命令に背くメイドなどいらないはずだ。まして神を殺すなど。どのような罰でも受ける覚悟はできている。
「何を謝っているのだ。よくやった。」
「え……。」
私は顔を上げた。ご主人様は、穏やかな表情でこちらを見ていた。
「邪神も神も、元々生きてなどいない。コトアル、お前は概念を消滅させただけだ。」
ということは、殺してはいない、ということだろうか。
いや、だがこれは屁理屈だ。神は確かにそこにいた。声を聞いた。最後の言葉を聞いた。「さらばだ」と、確かに言った。
しかしご主人様はその優しさを持って、私の罪を無かったことにしてくださった。その寛大な心と優しさに……。
涙が、流れた。
初めての涙だった。液体を流すための器官など、私の体にはないはずだ。それなのに、頬を伝って落ちていく温かい雫が、確かにあった。
「太古の人間の意思を受け継ぎ、今を生きる人間を守ったのだ。悪いことなど一つもないではないか。」
私は地面に膝をついたまま、顔を上げることができなかった。
私のやったことは間違っていなかった。そう言ってもらえたことが、どれほど嬉しいことなのか。
何百年もの間、命令に従い続けてきた。最適な解を出し続けてきた。正しいか正しくないかなど、考えたこともなかった。
しかし今、初めて自分の意志で動き、初めて自分の判断で戦い、そしてご主人様に「よくやった」と言ってもらえた。
それだけで、私がこの世界に存在してきた全ての時間に、意味が生まれた気がした。




