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極悪辺境伯の華麗なるメイド  作者: かしわしろ
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天界11

ーー イリス視点 ーー


「一体、何が……。」

意識が戻った時、最初に目に入ったのはコトアル様の体だった。


修復されていた。

一瞬ほどの時間もなかったと思う。私の意識が途絶える直前、コトアル様の体は無残に壊れていたはずだ。腹部はえぐられ、左足は原型を留めていなかった。それが今、まるで最初から壊されてなどいなかったかのように、完璧に元に戻っている。古代合金の装甲には傷ひとつなく、露出していた回路は綺麗に内部へ収まり、関節も全て正しい位置にある。


「ご主人様が時間遡行魔法を唱えました。」

メイド長がそう言った。


「時間遡行魔法ですか……時間遡行魔法!?」

物語の中でしか聞いたことのない魔法だった。

理論上は可能とされている。しかしそれを実現できるほどの魔力密度は、この世界のどこにも存在しないはずだ。時間は不可逆である。それはこの世界の絶対的なルール。神ですら覆せないと言われていた。


「……メイド長は見たのですか?」

「えぇ。真の時間停止空間では体は動かせませんが、意識を保つことはできますので。」

真の時間停止空間で、意識を保っていた。

私は意識を保つことができなかった。元四天王の私でさえ無理だったのだ。聖力の密度が足りなかった。あの空間で意識を維持できるとすれば、それは神と同等以上の聖力が必要だろう。

ということは……メイド長の魔力密度は、神に匹敵するということなのか。

……いや、今更驚くようなことでもないのかもしれない。メイド長はいつもそうだ。私が想像する「最強」の、さらにその先にいる。


「貴様、それほどの力、どこで手に入れた。」

邪神が口を開いた。


その口ぶりから察するに、邪神もまた真の時間停止空間の中で意識を保っていたらしい。体こそ動かせなかったようだが、ご主人様の時間遡行魔法を目の前で見ていたということだ。


「生まれつきだと言ったらどうする。」

「信じられるわけがない。その力は人間の潜在力を遥かに凌駕している。」

確かにその通りだ。例えるならば、鳥が剣を振り回し、魔法を使えるかと言ったら、それは無理な話だ。剣を持つための手もなければ、魔力を使うための魔力核もない。種族の限界というものが存在する。


しかし、ご主人様はその限界をとうの昔に超えている。種族の壁を打ち壊し、世界のルールそのものを塗り替えてしまった。


ミクトラ様は既に、霊界へとコトアル様の魂を迎えに行っていた。


「ジラルド・マークレイブ・フォン・グルンレイド……やはり貴様はここで決しておかなければいけない存在だ。」

邪神が低い声で告げた。


「この世界はもう止められない。貴様らもすでに気づいているのではないか?だから私は進み続けるのだ。」

ご主人様の周囲の魔力が揺れる。少し触れただけでも、普通の人間ならば魔力酔いを起こし地面に倒れてしまうだろう。


「ご主人様、私が相手をいたしましょう。」

メイド長が一歩前に出た。


「いいえイザベラ様、あの程度私で十分です。」

スカーレット様も一歩前に出て、そのようなことを言う。

メイド長もスカーレット様も、頼もしいことこの上ない。しかし「あの程度」という発言は、頼もしいを通り越して少し怖い。神を相手にしてその表現が出てくるのだから。私が邪神に挑んだとして、数分間生き残れたら奇跡だというのに。


「下がれ。」

ご主人様がそう告げた。


「奴の相手はコトアルとする。」

「「かしこまりました。」」

メイド長とスカーレット様が同時に頭を下げ、後ろに下がる。


「我が大人しく待つとでも思っているのか?」

邪神がそう言った瞬間、私たち全員が戦闘態勢をとった。メイド長の魔力障壁が展開され、スカーレット様の手が剣にかかり、メアリーさんの周囲に魔力が集まる。ヴァイオレットさんは即座にアシュリーさんの前に立ち、メルテも短剣を引き抜いていた。


「ああ、思っている。貴様は太古の人間の意志と決着をつけたいはずだ。」

ご主人様は微動だにしなかった。


「ふっ……まるで全てを見透かされているようだ。」

邪神は、薄く笑った。

神と太古の人間の間に何があったかは、私には詳しくわからない。私が生まれるよりもはるか昔の出来事だ。聖族の歴史書にも、太古の人間に関する記述はごくわずかしか残されていない。


「滅ぼした、はずなのだ。」

邪神がそう呟いた。先ほどまでの傲慢さとは違う、どこか疲れたような声だった。


「確かに肉体は滅んだ。ただ、その意志はまだ生き続けている。」

「昔から人間の意志の強さには驚かされてばかりだ。」

そう言うと、邪神は地面に腰を下ろした。

玉座に座るのではなく、広間の床に直接腰を下ろす。その姿は、先ほどまで私たちと戦っていた存在とは思えないほど静かだった。


他のメイドたちもその姿を見て、ゆっくりと戦闘態勢を崩した。邪神が座ったことで、この場には奇妙な静寂が訪れていた。


ーー


ーー ミクトラ視点 ーー


私は魂に触れることができる。

だから他の人よりも、それがとても儚く、美しいものだということがわかる。

魂は一度肉体から離れてしまうと、もう元には戻らない。新たな肉体に宿ることもできない。そのまま霊界へと運ばれ、私でさえ知らない遥か遠くの場所へと進んでいく。


この霊界には、そのような肉体から離れてしまった魂たちが存在している。微かな光となって漂い、やがて消えていく。それが生あるものの、最後の姿だ。


私はその中を進む。

無数の光の粒が、私の半透明の体を通り抜けていく。一つ一つが、かつて生きていた存在の残滓だ。


そして――


「コトアル、迎えに来た。」

霊界の流れに飲まれず、そこに佇んでいる彼女の魂はこちらを見て、ゆっくりとうなずいた。

驚いた様子はなかった。


「ミクトラなら、何とかしてくれるって思っていました。」

「期待が大きすぎよ。」

まあ、そう思ってくれるのは悪い気はしないけれど。実際、何とかなったのはご主人様の力があったからだ。私一人では、コトアルの体を修復することはできなかった。


「ご主人様もいるのでしょう?」

「まあね。」

ご主人様は人知を超えている。今回の出来事でそう確信した。時間を戻すことは、神ですらできないはずだった。あの瞬間、この世界の理が大きく変化したのだろう。世界がひとつ、根底から変わった。


「戻るわよ。」

そう言ってコトアルの魂に手を伸ばし、引っ張る。

霊族でなければ、そもそも魂に触れることすらできない。この役目は私にしかできない。ここにいることに、意味がある。

コトアルの魂は、先ほどよりも少し薄くなっている気がした。マークの聖力の効果が、徐々に薄れ始めているのだろう。急がなければ。


---


「お待たせいたしました。コトアルを連れてまいりました。」

天界に戻った私は、ご主人様の前に降り立った。

私以外には見えていないと思うが、コトアルの魂が私の隣で頭を下げる。律儀な機械だ。こういう時でもグルンレイドのメイドとしての礼を忘れない。


「ミクトラ。」

ご主人様が私の名を呼んだ。それだけで、何をすべきかは理解できた。


「かしこまりました。」

ご主人様の視線の先には、コトアルの体が横たわっていた。時間遡行魔法によって完璧に修復された、傷ひとつない体。しかし今はただの抜け殻だ。

本当に機械の体に魂を入れることができるのだろうか。わからない。前例など存在しない。


だが、やるしかない。


「コトアル、目をつぶって。」

コトアルの魂に声をかける。魂には瞼などないのだが、意識を閉じてという意味だ。コトアルは素直に従った。

私は自分の魂を、限界まで拡散させた。霊族の体は魂そのもので構成されている。それを薄く広げれば、他の存在を包み込むことができる。周囲から見れば、私の姿は薄く消えかかって見えていることだろう。半透明が、さらに透明に近づいていく。


私はゆっくりとコトアルの体を包み込んだ。

古代合金の冷たさが、魂を通じて伝わってくる。この体は確かに機械だ。金属と回路で構成された、太古の人間の遺産。しかしその内部には、魂を受け入れるための空洞がある。創造主が意図していたのかは分からない。だが確かに、ここに魂が入る余地がある。


「こっちにおいで。」

コトアルの魂も、私の体で包み込む。今、私の魂が橋渡しとなっている。魂と肉体を、私の存在で繋いでいる状態。


『コトアル、体の方へ移動して。』

声は出さない。魂と魂が触れ合っている今、言葉は必要ない。想いがそのまま伝わる。

コトアルの魂が、私の中を通っていくのを感じた。


温かい。機械のはずなのに、温かい。マークの聖力の残滓だろうか。それとも、これがコトアルの魂の温度なのだろうか。魂が、体へと辿り着いた。

古代合金の内部に、魂が沈み込んでいく。回路の隙間に、光が灯っていく。まるで眠っていた都市に、ひとつまたひとつと明かりが点いていくように。


「……コトアル?」

私は声をかけた。自分の魂を元に戻し、拡散を解除する。


コトアルの瞳が、ゆっくりと開いた。

虹彩の周りで光が動いている。以前と同じ、あの美しい瞳だ。しかし、何かが違う。光の動き方が、前よりも滑らかで、柔らかい。以前のコトアルの光は精密な機械の動作だった。今のこの光は、もっと……生きている、という表現が正しいのかはわからないけれど。


「声は、出せる?」

「は、はい。」

コトアルの声が広間に響いた。


私は彼女の手に触れた。

……触れた。霊界では魂と魂で触れ合えた。しかし天界に戻った今、私は霊族だ。物理的なものには触れられないはずだ。

なのに、今、私の手はコトアルの手に触れている。


「温かいのね。」

その体はすでに熱を帯びていた。機械の冷たさではない。もっと別の、生あるものの温もり。


「私……生きてる?」

コトアルが、自分の手を見つめながらそう呟いた。


「生きてる。」

私はそう答えた。

コトアルの体には何かが変わっている。機械のはずなのに、魂を通じて触れることができる。金属のはずなのに、温かい。何が起きたのか、正確には私にも分からない。


ただ、ひとつだけ確かなことがある。

今ここにいるコトアルは、さっきまでのコトアルとは、何かが違う。


「おかえり。」

私はそう言った。


「……ただいま、です。」

コトアルの瞳の中の光が、いつもより少しだけ強く揺れた気がした。

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