一章:3 天啓
「……つまり魔界に行く動機は夢とやらにあるわけだ。
夢と言えば聞こえはいいが、そんな危険な地に向かわせる精神は果たして肯定されるべきものなのだろうか?」
「否である!
宿主を死に至らしめようとする精神など毒とさして変わらないのだ!」
深夜の誰もいない駅に俺の熱弁だけが響く。
この神である俺直々に教えを説いているというのに、目の前の不届き者はすっかりスマホをいじっているようだ。
神の御前であるというのにこの態度、実に嘆かわしい。
「この近く漫喫もないわね……」
「そこで必要なのは脳の毒をよく洗い流すこと。つまり洗脳だ。
ではいかにして洗脳を為すか。
重要なのは、脳を洗われる側が、洗う側に頭を垂れること。
頭が下にないと上手く洗えないからな。つまり、洗う側の立場は上である必要があるのだ」
座っているミュウトの頭の前に立ち、話を進める。
「では、一介の会社員である俺がどうその立場になるか」
ここからが本題だというのに、彼女はスマホに表示されたタクシー代の方に興味があるようだ。
眉がピクリと動き、再びため息をついた。
「……そう、神になればいいのだ!
イエスもブッダも実在の人物だ。決して不可能なことではない!」
「ねぇ、この酔っ払いの与太話、もしかして朝まで聞かなくちゃいけないの?」
このありがたい説法を前にして、なんたる不敬なのだろうか。
「だが悲しいかな。さっきできたばかりの我が宗教にはまだ教義も聖典もない。
先程『お前は神だ』との天啓が聞こえたのだけは確かなのだが」
首をひねる。
「ぬ? 私が神ならば私が聞いたのは誰の声だったのだ?
分からぬ。まずは勉強だ。俺が先人の預言者のことを知る必要があるな」
「……ダメね、これは」
はぁ、とため息をつくミュウト。
検索したルートがダメだったのか、それとも俺がダメなのか。
「ダメなのはお前だ。神がそう告げている。
神は私なのだ。私がダメと思ったお前はダメなのだ。
このダメ女め」
「無駄にうるさいわね」
こちらには目もくれない。
「たしかに一つ問題がある。
私には真理を見抜く目と神の言葉を聞く耳があれど、貴様のようなメンヘラ構ってちゃんに神の言葉を伝える術を知らない。
しばし時間をくれ。無知蒙昧な子羊にどうすればレベルを合わせることができるのか、先人の研究をする必要がある」
はぁ、と目の前の女はまともに取り合おうともしていない。
「勝手にやっててちょうだい。
あたしはその間に魔界行くから。仕事やめてきちゃったし」
「あぁ仕事! そういえば私にも仕事があった!
私には神の言葉を伝える義務がある。仕事なんぞに興じてる場合ではない」
「そう……」
「実は、退職の用意は常に万全であったのだよ。
決して、『あと一タップで退職できるところまで用意して、日々いつでも辞めれると言い聞かせて心の安寧を図っていた』わけではない。
今日のために神が用意なされていたのだ」
「あんたも大概ね。一緒にくる? 魔界」
「いくわけなかろう。
そして、今辞職手続きの送信ボタンを押した」
「はっ、これはもう……」
「……えっ?」
完全に聞き流しモードでスマホを弄ってた彼女が、初めてこっちを向いた。
今まで、俺がスマホを操作していたことにも気付いてなかったようだ。
ここでようやく神の言葉の重みを悟ったらしい。
「本当だぞ、見てみるか? ほれ」
「……」
渡されたスマホの画面をまじまじと見ている。
そんなに驚くことなのだろうか。
「……ホントにやめてる」
「うむ」
「……」
「ばっかじゃないの!?
あなた、今後どうやって食べていくつもりなのよ!?」
なんとこの愚か者、一丁前に怒ってきた。
「う〜ん……お布施?」
「貯金は!?」
「微妙」
「家賃は!?」
「……怪しいかも」
「こっから冬よ!?
下手したら凍え死にますけど!」
「あ〜、考えてなかった……」
「……呆れた。大バカね。
一日経つと面倒よ。取り消すなら早めにしなさい」
「いやだ」
「……凍えたいの?」
「お前も魔界行ったら宿無しじゃないか」
耳がピンとなる。
人の事となると気が回るのに、自分のことは怪しいのはこいつらしいといえばこいつらしいが……
「あ、あたしはテントから何まで、ちゃんと色々荷物用意してるわよ」
……こいつにとっても、魔界行きとはそういうことなのだろう。
「お前、寒いの苦手なのにわざわざこのシーズンを選んだのか?」
聞いた途端に、うぐっとこちらを睨みつけてきた。
パクパクと何か言いたげだが、それが声となっていない。
そのうち、下を向いて考え込みだした。
「……たしかに、出発は春にした方が良さそうね。
そこまでならバイトしながら食べていけるでしょうし……」
ブツブツとプランをつぶやいている。
全く、世話の焼けるやつだ。
「優れた教祖は常に学びを与えるものだよ。
というわけで俺の信者第一号に……」
「ならない」
「春になったら訪れたまえ。
ありがたい説法の一つでもしてやろう」
「要らない」
ピシャリと言われてしまう。
だが、いくらか心境の変化があったのだろう。
しばらくして、ミュウトはふっと笑って顔をあげた。
「ホント、あんたっていつもいつもそう。教習所の時も」
「あ、俺の方の終電来ちゃったからもういくわ」
「えっ?????」
今日一大きな声。
「えっ? あなた、あたしを電車から引きずり降ろしといて一人帰るつもりなの!?」
「近況報告こまめにするし、スマホ止められたらそっちの家に顔出すよ」
「こなくていい!
あたしはどうなるのって聞いてんの!」
「じゃあまた! 今日は楽しかったよ。
いや〜いい一日だった」
「あんたもどうすんのよこれから!
ねぇ! ひとりで乗ってんじゃないわよ!」
「さようなら、また飲みましょう!」
「戻ってきなさいって!!!!」
「あぁ、別れを惜しんでくれるんだね、ありがとう!
名残惜しいけど、このままではドアが閉まってしまう! さよーならー」
「覚えてろ、お前」
窓の外で小さくなっていくミュウトは、まだこっちの方に向かって何か言っていた。
かわいそうに、今晩どう過ごすのだろうか?
「破れかぶれもいいところだったなぁ」
座席に腰を下ろすと、どっと力が抜けた。
あのロスタイムギリギリの瀬戸際で再試合に持ち込めたなら上出来だろう。
正直、自分が何を言っているか、自分でも分かってはいなかった。
「春までかぁ……」
スマホには、さっき送った辞職完了の画面がまだ出ていた。
生活への不安と恐怖が今になってうっすらと背筋を伝っている。
ただ、不思議と後悔はなかった。
前世で、親戚の葬儀や法事のたびに顔を合わせていたお坊さんを思い出す。
毎度、何かしらありがたい話をしていた。
無職になったことだし、本当に宗教を学んでそっちの道に進むのもありかもしれない。
……しかし、春までにどうにかできるものなのか。
作戦は全く思い浮かばなかったが、まぁ、なんとかなるだろう。
……なるのか?
……なってくれ。
自分でもわかってる、この布教は酷いもんだったよ。
けど、即興だったし、何事も最初の方ってのはぐちゃぐちゃで整ってないものだったりするだろう?
こっからコツコツと宗教の形にしていくから、どうか今回は勘弁してほしい。




